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3EMI - 転生した平凡令嬢が好感度マイナスの義兄から溺愛されるまで  作者: 月宮永遠
6章:エイミーとエミリオ

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 その日の夜、早々に床に就(つ)いたものの、いつまで経(た)っても眠りは訪れなかった。

 瞼(まぶた)を閉じていると、今日の出来事が次々と甦(よみがえ)る。

 指先には、波打ち際でリボンを結び直してくれた時の感触が、まだ仄(ほの)かに残っている気がした。熱の籠もった菫(すみれ)色の瞳(ひとみ)を思いだすと、自然と鼓(こ)動(どう)が早くなる。

 ──デビュタントの前に、婚約するといいわ。

 昼間の義母の言葉が、波のように押し寄せてきて頭から離れない。しばらくベッドの上で輾転(てんてん)としていたが、一向に眠気が訪れないので、諦めて起きあがった。

 白いタフタのガウンを羽織(はお)って、静かに部屋をでる。廊下の明かりは消えていたが、等間隔に並ぶ窓から月光が射しこんでいて、すぐに目が慣れた。

 階段をおりてテラスにでると、満天の星空が広がっていた。無数の星が黒い海に映りこみ、まるで空と海の境目が溶(と)けてしまったように見える。誘われるようにさらに階段をおりて、浜辺へでようとすると、

「エイミー! どこへ行くの?」

 ぱっと振り仰ぐと、テラスの雨樋の怪物(ガーゴイル)の隣で、エミリオが身を乗りだしていた。

 エイミーは笑顔になり、海の方を指さした。

「砂浜を歩きたいの」

「こんな時間に?」

「すぐ戻るわ」

 なおも首を振るエミリオに、説得は難しそうだと思ったエイミーは、代わりに手招きした。

「お義兄さまも来て」

「……そこにいて」

 言うが早いか、エミリオはテラスから身を翻(ひるがえ)し、部屋着のまま階段を駆けおりてきた。息を弾(はず)ませながら、真っ直ぐにエイミーのもとへやってくる。

「何してるんだよ、エイミー」

「夜の散歩。心配しなくても、慣れているのよ」

 エイミーは日頃から、一人であちこち歩き回るのが好きなのだ。シルヴァニール領でも、夕暮れ時や月灯りの下、樹々や星と一緒に、気の向くまま散歩している。

「知ってるけど……ここはシルヴァニールじゃないんだから、夜更けに一人で海には行かせられないよ」

「一人じゃないわ」

 悪びれずに笑うと、エミリオは呆れたようにため息をついた。

「……その理屈はおかしいだろ」

「そうかしら?」

 悪戯(いたずら)っぽく笑うエイミーを、エミリオはなんとも言えない表情で見つめている。小言を貰う前に、エイミーは夜空を指さした。

「見て、満月よ」

 エミリオも空を眺(なが)めた。

 海から吹きよせる風が心地いい。

 空は澄みわたり、月光が、遠くの水平線を淡い紫と銀斑(ぎんはん)に煌(きら)めかせている。

「夜中にうろつき回る貴族令嬢なんて、エイミーくらいじゃない?」

 軽口を叩きながら、エミリオは手を差し伸べてくれる。

 優しいエスコートを受けながら、足元に気をつけて階段をおりていく。人工照明を点(つ)けなくても星明りで十分に明るく、白い砂浜は銀色に輝いて見えた。

 誘われるように、二人は砂に並んで腰をおろした。

「ねえ、お義兄さまは、星に願い事をしたことある?」

「……ないよ。星は観測するものであって、願うものじゃないと思ってた。エイミーは?」

「あるわ」

 前世では、テストの点数が良くなりますようにとか、好きな人と両想いになれますようにとか、ずいぶん可愛らしい願い事ばかりしていた気がする。けれど今、星に願いたいことはひとつだ。

 ――どうか、この幸せがずっと続きますように。

 家族と過ごす穏やかな日々。隣で笑うエミリオ。楽しげに弾(はず)むシドニーの声。義母の明るい笑顔。義父のさりげない優しさ。食卓を囲んで笑いあい、他愛のない話に耳を傾ける。そんな何気ない時間が、いつの間にかエイミーにとって、かけがえのないものになっていた。

(このまま、何も変わらなければいいのに)

 けれど、それを願うことは、同時に別の願いを捨てることでもあるのだと、エイミーは気づいていた。

「何を願ったの?」

「秘密」

 複雑な想いを笑顔の下に押し隠すと、エミリオは面白くなさそうに眉を寄せた。

「教えてくれないんだ」

「……叶ったら、教えてあげる」

 からかうようにそう返すと、エミリオは何か言いたげに口を開きかけ――結局、何も言わずに、小さく頷いただけだった。

 満天の星が、ふたりの上に降りそそいでいた。

「……“何時間でも見ていられる?”」

 悪戯っぽく、エミリオが訊(き)いてきた。

「その通りよ」

「綺麗だけど、一人で海に行ってはだめだよ」

「ごめんなさい。星があんまり綺麗だから、部屋でじっとしていられなくて」

 本当は悩み過ぎて眠れなかったのだが、そういうことにした。気まずさを紛(まぎ)らわすように、エイミーは視線を海の方へと向けた。

「……夜の生き物って不思議ね」

 砂辺では、夜行性の小さな鳥が、波打ち際で砂を啄(つい)ばんでいた。近くで見てみたくて、エイミーは立ちあがり、波打ち際へと歩みよる。

「ひゃっ」

 足元の砂が不意に動いた感触に、小さな悲鳴をあげてよろめいたエイミーは、とっさにエミリオの胸に抱きとめられた。

 しなやかな腕のなかに閉じこめられて、鼻先に、彼の匂いが香った。潮風と、幽(かす)かな柑橘(かんきつ)、そして彼自身の体温。とくん、とくんと速まる鼓動が、自分のものか、それとも密着した彼の胸から伝わってくるものか、判らなくなる。

 エミリオの服にしがみつきながら、おそるおそる視線を足元に落とすと、暗い砂の上で何かがもぞりと動いた。

「……びっくりした。砂が動いたかと……蟹(かに)?」

「幽霊蟹(ゆうれいがに)だよ」

 岩場には、しめった夜気(やき)に誘われて幽霊蟹(ゆうれいがに)が這(は)いだしていた。青白い躰は砂に紛(まぎ)れて見つけにくい。

「ごめんなさい、影霊(えいれい)かと思っちゃった……シドニーに教えたら大喜びしそう」

 笑ってごまかしながら、エミリオの腕からそっと抜けだそうとした。けれど、彼はそれを許してくれない。逃げ場を探して視線を彷徨(さまよ)わせると、思いがけず菫(すみれ)色の瞳(ひとみ)とぶつかった。薄闇(うすやみ)のなかでも判るほど、熱を灯して輝いている。戸惑っている間に、エミリオの視線が、ふいに逸(そ)れる。かと思うと、まっすぐに戻ってきた視線が、再びほんの僅(わず)かに下へ落ちた。

 唇を見ていたのだと気づいた瞬間、心臓がドクンと跳(は)ねた。

(……あれ、キスされそう?)

 どうしよう──まだ心を決めていないのに。焦ったエイミーは、逃げだしそうになる心を理性で押しとどめるように、エミリオの瞳(ひとみ)を強く見つめた。

「もう平気よ」

 だから離して。暗にそう告げたが、エミリオは動かない。薄闇(うすやみ)のなかで、紫の瞳(ひとみ)は輝いて見える。

「……僕も、エイミーのことなら、何時間でも見ていられるよ」

 どくん、と心臓が跳(は)ねる。頬が熱くなり、耳の先まで熱が伝っていく。なのに、どうしても彼の顔から目を逸(そ)らせなかった。

「……危なっかしいから?」

 そうじゃないと判っていながら、おどけるしかなかった。エミリオはふっと笑った。

「……そうかもね」

「ごめんなさい。今夜はもう、おとなしく眠るわ。戻りましょう、お義兄さま?」

 訴えるように、長身を仰ぎ見る。

 エミリオは、感情を堪(こら)えるように目を閉じた。再び目を開けると、抑制(よくせい)の効(き)いた笑みを浮かべて、エイミーを離した。

「そうしようか」

 帰り道は、互いに無言だった。

 彼の背を見つめながら、今になって心臓が激しく打っていることに気がついた。

(……今の、告白だった? ……自意識過剰? いや……でも、そうだったとしたら……)

 どう応えれば、良かったのだろう。

 危機を脱したような、不誠実な真似をしてしまったような、惜しいことをしてしまったような……安(あん)堵(ど)とも失望ともとれる感情が胸のなかで暴れている。何か言葉を探そうとするのに、頭のなかはぐちゃぐちゃに乱れて、会話の糸口すら見つからない。

 邸に戻り着く頃には、月はいっそう高く昇っていた。並んで階段をのぼる間も、二人は言葉を交わさなかった。

 部屋の前まで送り届けると、エミリオは扉に手をかけたエイミーの、ほんの少し乱れた髪に触れた。指先が、頬をかすめる。

「……お休み、エイミー」

 その声に滲む、幽(かす)かな未練に気づいてしまった。どうしよう──彼の目を見ることができない。

「お休みなさい」

 声が、少し震えた。

 名残惜しむように離れていく指先を、月明かりが翳(かげ)のように追いかけていく。扉を閉ざしてもなお、彼の温もりは頬に残り、消えてはくれない。

 エイミーは扉に背をあずけたまま、しばらく動けずにいた。静まらない鼓動だけを、窓から差しこむ月明かりが静かに照らしていた。

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