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3EMI - 転生した平凡令嬢が好感度マイナスの義兄から溺愛されるまで  作者: 月宮永遠
6章:エイミーとエミリオ

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 三日目の朝も雲一つない快晴で、家族そろって港町を散策することにした。

 行き交う人々の表情は明るく穏やかで、リゾートらしい薄着にサンダルをひっかけ、悠(ゆう)然(ぜん)とした足取りで歩いている。

 石畳の目抜き通りには、色とりどりの日(ひ)除(よ)け布が張られ、露(ろ)店(てん)の商人達が威(い)勢(せい)よく声を張りあげていた。焼きたてのパンの香り、爽やかな潮の香り、色硝子の装飾品が陽光を弾(はじ)いて煌(きら)めいている。

 賑久(にぎにぎ)しい通りをそぞろ歩いていると、貝殻や砂糖菓子、色硝子の小瓶を並べた土産物屋が目に留まった。義母が、その店先に目を輝かせる。

「あら、可愛い。貝殻の細工物ね。シドニー、ちょっと見てみましょう」

「はい、母様」

 シドニーが明るく返事をする。エイミーも店先に目を向けたが、潮風に誘われた。

「お義母さま、ちょっと砂浜を歩いてきてもいい?」

 砂浜を指さしながら訊(たず)ねると、義母はにこっと微(ほほ)笑(え)んだ。

「いいわよ、リオも一緒にね」

 エミリオが頷くのを見て、義母はシドニーの小さな手を引くと、義父を伴(ともな)って、賑(にぎ)わう店先の人波へと紛(まぎ)れていった。

 一方、エイミーとエミリオは、そのまま目抜き通りを離れ、海へと続く小(こ)径(みち)を下っていく。

 白い砂浜がどこまでも続き、そこかしこから楽しげな声が、潮(しお)騒(さい)に混じって響いていた。鍔(つば)の広い麦わら帽子に白いサマードレスを纏(まと)った女性が波打ち際を歩き、子供が歓声をあげながら凧(たこ)を追いかけている。

 澄み渡る青空からこぼれ落ちた光が、水面いっぱいに散らばっていた。波が寄せるたび、無数の玻璃(はり)の欠片となって煌(きらめ)く。その眩(まぶ)しさに、エイミーは思わず目を細めた。

 昨日エミリオから贈られたばかりの、花(か)冠(かん)つきの帽子は海風に飛ばされてしまいそうで、付き添いのサアラに預けることにした。身軽になったエイミーは、ショールも脱いで小脇に抱えると、誘われるように波打ち際へと歩みよった。

「エイミー?」

 エミリオが焦ったように声をかけるが、気にせず先に進む。

 ワンピースの裾(すそ)を膝上までたくしあげ、そっと波打ち際に足を踏み入れる。冷たい海水が足首をくすぐるように撫で、じんわりと沁(し)み透(とお)るような、不思議な心地がした。

「エイミー!」

 エミリオが、咎(とが)めるような声をあげた。

「平気よ、下はちゃんと水着だもの」

 軽く裾(すそ)を摘(つま)むと、痛いくらいの力で手を掴まれた。

「やめなさい」

「判った。でも、他の人も水着姿じゃない?」

「何もこんなに人のいるところで海に入らなくても、別荘で泳げばいいのに」

 エミリオの指先に魔力の気配が集まりかけたので、エイミーは慌てて止めた。

「すぐ乾くからいいよ。これも海の醍(だい)醐(ご)味(み)なんだから」

 エミリオが目配せすると、控えていたサアラが、すかさず大判のタオルを差しだした。それを受け取ったエミリオは、少し不服げに、タオルをエイミーの肩にかけた。

「ありがとう。準備がいいのね」

「エイミーが海に入るかもしれないと思って、サアラに、持ってくるよう頼んでおいたんだ」

「気持ちいいわよ。お義兄さまもご一緒にいかが?」

 エミリオは首を振った。

「僕はいいよ」

「そう? 気持ちいいのに」

「人目のあるところは、あまり気が休まらないんだ」

 ちらりと周囲へ視線を投げるエミリオの先で、すれ違う人々が、驚いたような表情で振り返っている。宗教画から抜けだしてきた天使のような美貌に、誰もが目を奪われているのだ。エイミーは、小さく苦笑した。

「……別荘に戻る?」

「いや、いいよ。浜辺に来たかったんでしょ?」

「ありがとう。もう少し歩いたら、皆のところへ戻りましょうか」

 そういって砂浜を並んで歩いていると、土産物を買い終えた義母達が、こちらに気づいて手を振りながら近づいてきた。

「二人とも~、楽しんでいる?」

 義母が、にこやかに笑いかけてくる。

「ええ、とっても!」

 大きく頷くエイミーの隣で、エミリオも小さく相(あい)槌(づち)を打った。

 そのまま家族そろって、しばらく夕暮れ間近の浜辺を歩き、足が少し疲れてくると岩窟(がんくつ)邸へと引きあげた。両親はテラスで寛(くつろ)ぐことにしたようで、エイミーはエミリオとシドニーを誘い、邸の裏手にある私有ビーチへ向かった。

 人気(ひとけ)のない浜辺には、寄せては返す波音だけが静かに響いている。

 シドニーは、さっそく岩陰(いわかげ)の潮(しお)溜(だ)まりに屈(かが)みこみ、小さな蟹(かに)や寄居虫(やどかり)を追いかけて夢中になっていた。

「……ここは静かね」

「うん。他人の目を気にしなくていい」

 そう言って持ってきたタオルを岩の上に広げながら、エミリオは、悪戯っぽい笑みを浮かべた。

「せっかくだし、ワンピース、脱いだら? 水着なんでしょ」

 どきりと心臓が跳ねて、エイミーは俯(うつむ)いた。

「やめておくわ」

「さっきは、堂々と水に入っていたのに?」

「あれは……」

 言葉に詰まる。まさか、他人の目の方がよほど気楽だったから、なんて、本当のことは言えない。

「……恥ずかしいの」

 結局、正直にそう白状してしまった。

「誰もいないのに?」

「誰もいないから、だよ」

 エミリオは、一瞬きょとんとした顔をしたが、やがて意味を理解したのか、耳の先まで赤く染めた。

「……ごめん、変なこと訊(き)いた」

 気まずそうに視線を逸らし、項(うなじ)をかくエミリオ。からかうつもりが、逆に墓穴を掘った形になり、エイミーは思わず笑ってしまった。

「ほら、遊ぼう!」

 照れくささを振り払うように、エイミーはワンピースの裾をつまんで、再び水際へと駆けだした。

「あ、待って」

 慌てて追いかけてくるエミリオと水をかけあい、波打ち際で笑いあう。寄せる波が足首を洗うたび、小さな悲鳴に、弾(はじ)けるような笑い声が重なった。気がつけば、先ほどまでの気恥ずかしさは、どこかに消えていた。

 海からあがったエイミーは、濡れた足で貝殻まじりの砂を踏んだ。

「痛っ」

「どうした」

 すぐさま振(ふ)り向(む)いたエミリオが、案じるように顔を覗きこむ。

「何か踏んだみたい……」

 そういう間にも、エミリオは片膝をついて、エイミーの足首をそっと持ちあげていた。

「お義兄さま?」

「動かないで」

 真剣な横顔で、彼は足裏を確かめる。俯(うつむ)いた拍子に、銀色の髪がさらりと落ちて、陽光に透けた。

 見惚れていると、ポケットから取りだした手巾(ハンカチ)で、傷口を押さえようとするので慌てた。

「いいよ、汚れちゃう」

「いいから」

 骨ばった大きな掌に足を包まれて、エイミーは息を詰めた。触れられた場所から、じわりと熱が広がっていく。

 足元をよく見ると踵(かかと)の近くに、うっすらと赤い筋がついていた。貝殻の欠片で、肌をかすったようだ。

「……くすぐったい」

「我慢して」

 彼は真面目な顔のまま、一向に笑わない。些細な怪我のはずなのに、どうしてこんなに真剣な顔をするのだろう。

「……お義兄さまったら、大袈裟」

「エイミーがすぐ無茶をするからだよ」

 処置を終えたエミリオが、ゆっくりと膝を伸ばして立ちあがる。

 今度は見あげる姿勢になり、正面から視線が絡んだ。菫(すみれ)色の瞳(ひとみ)に射抜かれて、頬に熱が灯(とも)る。彼はふっと表情を緩(ゆる)めると、手を差しのべた。

「歩ける?」

「平気よ」

 そう答えながらも、差しだされた手を、エイミーは取っていた。そのまま並んで浜辺の奥へと歩きだす。

 波打ち際に煌(きら)めく貝殻に気を取られ、エイミーはいつしか手をほどいてしゃがみこみ、華奢な貝殻を拾い集め始めた。

「そんなもの、拾ってどうするの?」

「窓辺に飾るの。アンにもあげようかしら……お義兄さまも探してみて? 私より素敵な貝、見つけられるかしら?」

「望むところだよ」

 真面目な顔で即答するエミリオが可笑しくて、エイミーは思わず口元を綻(ほころ)ばせた。

 波打ち際にしゃがみこみ、並んで貝殻を探した。薄紅色に透(す)ける貝、真珠色に光る欠片、渦を巻いた小さな巻貝。エイミーは次々と拾いあげては、掌のうえで陽に透(す)かして見せびらかした。

「これも可愛いでしょう」

「まあね」

 素っ気なく答えながらも、エミリオは負けじと真剣な顔で砂を掻(か)き分けている。長い指が、砂のうえを滑る。

「これはどう?」

 差しだされたのは、掌にすっぽりおさまるくらいの乳白色の巻貝で、小さな棘(とげ)が規則正しく並び、内側は淡い桃色に透けている。

「綺麗ね」

「あげる」

 その言葉が、貝殻よりも先に胸へ落ちた。なんでもない風に言われたその一言を、エイミーは指先で確かめるように、貝の丸みをそっと撫でた。

「ありがとう、大事にするわ」

 貝を両手で包みこむと、寄せた波が爪先を濡らし、その冷たさに肩を竦(すく)めた拍子に、エミリオがふと遠い目をして水平線を見つめているのに気づいた。

「……九年前も、この浜で貝殻を拾ったことがあるんだ」

「そうなの?」

「祖母が毎朝、僕を海に連れだしてくれたんだ。若いうちに、たくさん綺麗なものを見ておきなさい、が口癖でね。貝殻を拾うのも、その一つだった」

 懐かしむように、エミリオは目を細めた。潮風が前髪を掬(すく)い、その隙間から覗く横顔は、いつもより幼く見えた。

「今でも、貝殻を見ると、祖母を思いだすよ」

「……そう」

「祖母は六分儀(ろくぶんぎ)の使い方も教えてくれた。僕の部屋に今もかかっているんだけど」

「ええ、昼食の席で話してたわね」

 エイミーは、別荘に着いた日の食卓で交わした、何気ない会話を思いだした。

「太陽が水平線に触れる角度を測(はか)って、緯度(いど)を割りだすんだ。祖母は、遊びながら色々なことを教えるのがうまい人だった」

 懐かしむような声に、エイミーの胸が疼(うず)いた。祖母のいない海辺で、それでも彼は今、こうして笑っている。そのことが、なぜだか切なく、同じくらい愛おしかった。

「私も、お祖母さまにお会いしてみたかったわ」

 当時六歳のエイミーは、魔法学院で起こした傷害事件の罰として謹慎(きんしん)の身にあり、公爵邸から一歩も出ることを赦(ゆる)されていなかった。祖母の見舞いにいける状況ではなかったのだ。

「祖母はきっと、エイミーを気に入ったと思うよ」

 ふ、とエミリオが笑った拍子に、その頭上に淡い光が集まりだした。金の粒子(りゅうし)が、燐光(りんこう)のように舞う。この光こそが、女神の祝福《ギフト》の残(ざん)滓(し)なのかもしれない。

 期待して見つめていると、光はやがて、くっきりとした輪郭を結んだ。


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 また、あがった。

 ――こんな風に、心の奥を分けあえたことが、彼にとっても、何か特別な意味を持ったのだろうか。

 恋心という、曖昧で朧(おぼろ)げなものが小さな光の粒に、すっかり閉じこめられてしまう。それが可笑しくて、少し切ない。数字は明瞭(めいりょう)だ。なのに、エイミーの胸の裡(うち)には、測ることのできないものが揺れている。

「姉様、これもどうぞ」

 どこからかシドニーが駆け寄ってきて、エミリオの頭上に舞っていた光はふっと霧(む)散(さん)した。

「綺麗な石ね。ありがとう、シドニー」

 えへへ、とシドニーは嬉しそうに笑う。

 ふと視線を感じて顔をあげると、テラスのバルコニーに養親の姿があった。夕風にシャツの裾を揺らす父の隣で、青いヘッドスカーフを結んだ母が、白いカーディガンを羽織り、優雅にシェリーを傾けている。海を眺める二人の姿は、夏の夕暮れに馴染んだ一枚の絵のようだった。

「お義父さま! お義母さま!」

 エイミーが手を振ると、ひらひらと義母は手を振り返した。驚いたことに、義父も軽く手をあげて応えてくれた。

 シドニーも嬉しそうに手を振り返し、階段をのぼっていく。

 浜辺には、エイミーとエミリオが残された。

 まだ帰る気になれなくて、波打ち際の岩に腰をおろすと、エミリオも隣に座った。寄せては返す波の音が、二人の間(あわい)に横たわる沈黙を、優しく埋めてくれる。

「……海って、いいね。何時間でも見ていられそう」

 エミリオも小さく頷いた。

「うん。僕も」

「また、ここに来られるかしら」

 問うたつもりはなかったのに、声にだしてみると、思いのほか切実に聞こえた。

 エミリオは水平線を見つめたまま、

「もちろん、来られるよ」

 迷いのない声だった。それだけで、胸の奥にあった小さな不安が、ひとつ溶(と)けて消えた。

「帰りたくないな……」

 このひとときが、永遠に続けばいいのに――そう思う自分がいる一方で、いつか終わる夏に胸が疼(うず)く。幸せな時間ほど、瞬(またた)く間に過ぎ去ってしまうものだと、この夏だけでも、もう十分に思い知らされていた。

 そんな物思いを破るように、遠く港から鐘の音が、波間を渡ってゆっくりと届いた。

 顔をあげると、空は、海の向こうへとゆっくり燃え堕(お)ちていくところだった。エミリオの銀色の髪が、蜂蜜に濡れたように煌(きらめ)いている。

 海風が強く吹いて、エイミーの髪を結んでいたリボンが、はらりとほどけかける。

「……あ」

 押さえようとした指より先に、エミリオの手が伸びた。

「じっとして」

 ほどけたリボンを拾いあげると、彼は指先で丁寧に光沢のある生地を撫でつけてから、黙って結び直していく。

 このリボンも、七年前、彼から贈られたものだった。あの頃の彼は、こんな風に触れるどころか、まともに目をあわせようともしなかったのに。

 なのに今は、指先が髪を掬(すく)い、耳に触れる。風に攫(さら)われかけたリボンを、白い指が、そっと直してくれる。

「……できたよ」

 結び終えたエミリオが、そっと顔を覗(のぞ)きこんできた。至近距離で、菫(すみれ)色の瞳(ひとみ)とぶつかってしまう。

 視線を逸(そ)らそうとしたが、できなかった。

「……そろそろ戻る?」

 問いかけても、エミリオは答えない。じっと見つめてくるその瞳(ひとみ)の奥に、燻(くすぶ)るような熱が籠(こ)もっていた。

 落ち着かない心地になり、やっとの思いで顔を背けた。

「行きましょ、お義兄さま」

 平静を装って歩きだそうとすると、手首を掴まれた。

 はっとして振り向くと、エミリオも驚いたような表情をしていた。

「あ……ごめん」

 指先が、わずかに遅れて離れた。

「戻ろうか」

 そう言って彼は、隣に並んだ。

 取り返した手を胸の前で引き寄せると、掌のなかで乳白色の貝殻に幽(かす)かな温もりが残っているのに気づいた。そっとワンピースのポケットに滑りこませ、指先でその感触を確かめる。

 並んで歩く道すがら、指先が幾度となく触れそうになったが、どちらからともなく、その一歩手前で引いてしまう。もどかしいような、それでいて甘やかな距離感だった。

 テラスに続く階段をのぼりながら、エイミーはポケットのなかの貝殻をそっと握りしめた。

 乳白色の小さな貝殻は、もう海の冷たさを失っていた。それなのに、掌にはいつまでも、二人で過ごした夏の温もりが残っているような気がした。

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