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諦観という名の鎮痛剤

 エントリアルドに到着して三日目の朝。

 昨日、一昨日と、店や行く人々に黒翼族について聞いて回っていたが予想していた通り、有力な情報にはたどり着けなかった。分かったことと言えば、黒翼族という言葉自体を知らない人がそこそこ存在しているということくらいだ。

「じゃあ、今日は裏通りのお店だね。俺が居ないんだから、くれぐれもマントが外れないようにするんだよー」

「気を付けます」

 宿というにはいささか豪華すぎる建物の前で、ニーナはヒリュウと別れた。一緒に聞き込みをするよりも効率が良いだろうと判断したための別行動だ。

 ヒリュウに言われた通り、空色の翼がマントにしっかり収まっていることを確認して、ニーナはゆったりと歩き出した。

 ほぼすべての荷物を失ってしまったニーナに唯一残された例の薬。昨夜もその前の晩も、ニーナは一人になってからそれを飲んだ。

 考えてみればヒリュウは良い歳の男性で、ニーナはすでに子供とは言えない歳の少女である。四六時中、特に就寝時を一緒に過ごすことはない。

 他人と一緒に生活する際に一番の問題となる染翼の件が上手く隠せているのは、嬉しい誤算だ。

(それにしても、ヒリュウさんは親切すぎやしないか……?)

 ニーナはお金の入った服のポケットに手をやりながら、裏通りへの道を歩いていく。人が多く行き来する街で万が一はぐれた場合の保険として、ヒリュウはいくらかのお金をニーナに渡していた。昨日と一昨日の聞き込みでは、幸いにもその保険を使う事態に至らなかったため、渡されたお金は丸々ニーナのポケットに残ったままだ。金額は、およそ二食分に相当する。

 いくら、空翼であることを理由に追い回されている事や財布を無くした事に同情したとしても、小遣いまで与えてそばに置いておくだろうか。その上彼の反応を見ていると、お金にはそれなりに執着があるようだし。ただの金食い虫にしかならない自分を連れて歩くだなんて矛盾している。

(可哀想な女の子を、お小遣いを与えつつ自分の傍に置く男性って……)

 状況を言語化し無機質にしてしまうと、自分の置かれている状況がとても危ういものに思えてくる。というよりヒリュウが危ない人に思えてくる。

 とはいえそれは、言葉にしがたい感覚をすべて無視した時の話だ。基本的には優しくて親切な人である。……多分。

 悶々としている中、ニーナは暇そうにしている総菜屋のお姉さんを見つけた。中央通りから外れているとはいえ、近所の店には客が多いのに、そこのお店だけはあまり人が入っていないことがうかがえる。

「すみません」

「はい!」

 花が咲くような笑顔で彼女は笑った。満点が付けられる接客対応。

「ちょっとお聞きしたいことがあるんですけど……」

「…………なんでしょう?」

 途端に悲しげな表情になる。

「あの……黒翼族について、何か知っていることは……その、ありませんか……?」

 段々と声が小さく、弱くなっていく。なぜなら、黒翼族の名前を出した時にお姉さんの顔が一気に怪しげなものを見る目に変化したからだ。

「黒翼族? ……さぁ? そんなものただの迷信じゃないですか?」

「でも! その、昨日この街で見たって聞いたんです」

 ニーナは嘘をついた。昨日でも、この街でも、聞いたわけでも、ない。

「なら、その見たっていう人に聞いたらどうかしら?」

「あ……」

 彼女の言うことは正論だった。本当にそんな人物が居るのなら、その人に話を聞くべきだ。

 すでにニーナを客として見ていないのか、お姉さんは笑顔になることを忘れ、むしろ不機嫌丸出しの態度だった。

「黒翼族なんて、金持ちが暇つぶしに広めた噂でしかないわよ。そんなの真に受けて……馬鹿じゃないの。それならナキアの蒸発王子でも探した方がよっぽど良いわよ。そっちはまぁ……実在してたわけだし」

「ナキア……?」

 ナキアという国名に、聞き覚えはあった。大陸の南側中央に広大な土地を持つ大国だと父親が言っていた気がする。しかし、国はおろか村から出たこともほとんどなかったニーナには詳しい事は分からない。国名までは知っていても、そこがどんな名産や特徴を持ち、国民がどのような暮らしをしているのかなどは、知ろうとも思わなかった。

「って言っても、そっちも当てになる話じゃないけどね。行方不明って発表されたのが……確か、もう五年以上も前になるんだし」

 お姉さんは言うだけ言うと、近くにあった惣菜を片づけ始めた。

「あの……それ」

「これはもう随分時間が経ってるから……もう売り物にならないのよ。だから捨てるのよ」

 彼女が捨てると言ったのは――ほとんど売れなかったようで――たっぷりと皿を埋め尽くしている。

 皿が傾けられ、いよいよ食べ物がゴミへと変わる。丹精込めて作った物が、役割を果たせずにその役目を終える。そんな瞬間だというのに、彼女の顔には何の負の感情も浮かんでいない。

 ――習慣。ニーナはそう感じて、とっさに傾いた皿を掴んだ。

「それください」

「え……?」

「話を聞かせてくれたお礼です」

「大した話なんてしてないじゃない」

「いくらですか?」

 そこまで言うと、お姉さんは戸惑いながらも惣菜を詰めてくれた。

 柔らかい木の皮の間から、おいしそうな匂いがしてきて、ニーナは意識せずに呟いた。

「おいしそう」

「……ありがとう。食べる前にそんなに良い顔してくれた人はあなたが初めてよ」

 一瞬戸惑ったように瞠目したが、すぐに柔らかい笑顔に変わる。

「あたしね、料理が好きで……あたしの料理で皆を笑顔にしたかったの。でも、銀翼じゃないってだけで、どこのお店も雇ってくれないし。こうやって惣菜店を出しても、上手くいかなくて……。味を疑って改良しようとしても、自分じゃ美味しいとしか思えなくて、どうしようもなくなってたの。ほんと、種族の差って残酷だわ」

 食べ物を扱う関係上翼を覆ってはいるが、薄い布から透けて見えているのは間違いなく金色の翼だ。ニーナはそれを目ざとく確認した。

 ――金翼族が出している食べ物関係の店は流行らない。それはニーナも知っている常識だった。

その言葉通り、彼女の店は他の同系列の店に比べて客の数が少ないようだ。ニーナが話し込んでいる間にも、客は一人として来なかった。金翼族の店が流行らないというのは正確な言い方ではなく、銀翼族以外の店が流行らないという方が正しい。数の関係で金翼族が具体例として挙げられているだけだ。

 銀翼族は筋力や体力などの身体能力で金翼族に引けを取る代わりに、ほかのどの種族よりも五感が優れている。だから、必然的に嗅覚や味覚に定評のある銀翼族のお店に人が流れてしまう。

(種族の差か……)

 そう考えた時に浮かんだのは、空翼族の事だった。

 空翼族はその特性から疎まれている。悪事に使える能力があるという、ただの可能性だけで、人格については度外視して社会からはじかれている。

 納得できるはずもない。ニーナの危機を救ってくれたのは空翼族ばかりだったのだから。一部引っかかるところもあるが、危ないところを助けてくれたことに変わりはない。

「買ってくれてありがとう。また、来てください」

 お姉さんはそう言ってほほ笑むと頭を下げた。ニーナも軽く会釈を返す。

 社会を作っている主要な種である金翼族。その彼女でさえ能力の壁に阻まれて辛酸を嘗めている。

(もっと楽しいものだと思ってたのに)

 ――ここから出れば自由になれるから。

 ――ニーナが楽しいって思える場所を見つけてくるからね。

 両親は、モンダ村でない場所を語る時にいつも楽しそうに話していた。だからニーナも自然と、外の世界は幸福に満ちているのだと理解していた。

 けれど外で待っていたのは、決して個人では太刀打ちできない不動の理不尽ばかり。これでは……モンダ村と変わらないじゃないか。

 ニーナは自嘲とも取れるため息を吐いた。

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