それぞれの事情
弟が川に向かって落ちていくのを見て、ティーグルはすぐさま瞬間移動をした。
受け止めた弟の体は、今まで抱き上げた中で一番重かった。髪も頭も腕も足も羽も、すべてが自然にされるがまま。
ちょうどその時だった。右腕に抱えていたマリアが身じろいだ。
「マリア?」
「う……ん? ティーグル? ……っ」
痛々しく腫れ上がった顔。自らの意思で飛び込んできたとはいえ、戦いに巻き込んでしまったことに変わりはない。辛そうな顔を見ていると申し訳ない気分になってくる。
「ひっ……っつ!」
彼女から小さな悲鳴が上がる。怪我した箇所が居た無用で、その声すらも満足に出ていない。
マリアは手を顔に当て治療を行いつつ、ティーグルの腕から抜けだして、現実なのかを確かめるようにもう一度それを見た。ティーグルがもう片方の腕に抱えているそれを。
遅かれ早かれ彼女には説明しなくてはならないのだから、と覚悟を決めてティーグルは話し出した。
「終わったよ。……ヒリュウは死んだ」
「しっ……! そんな……」
確かに貫通している傷口を視界におさめ、彼の言葉が真実なのだと知る。
「……これが貴方の望みだったはずなのに、どうしてそんな顔をしているの?」
「……俺は、何か間違っていたのだろうか?」
仲間の娘を守るために自らを盾にして死んでいった。動く前に気づいていたはずだ。あのタイミングで割って入ればどうなるか。
(自分の命よりも、仲間の命を選んだのか)
空翼族を迫害するやつらを憎み、慈悲なく虐殺していた人間と同一人物だとは思えない。
「ヒリュウは変わっていなかったのかもしれない。俺の早とちりだったのかもしれない」
早とちりだった、では済まないところまで事態は進んでしまっている。ヒリュウはすでに亡くなり、仲間の盗賊達だって命を落とした者も深手を負った者もいる。
「ティーグル」
負傷した顔を左手で抑え、マリアは静かに、しかし力強く呼んだ。
「後悔してる場合じゃないわ。この戦いが間違いだと思うなら、する事はたった一つよ」
「マリア……?」
「戦いを止めましょう。これ以上誰も傷つかないように」
白翼族である彼女が、炎翼族であるヒリュウの攻撃を受けたのだから怪我が軽いはずもない。だというのにその事については一言も触れず、その鮮やかな紅に縁取られた唇から出るのは他人の心配ばかり。
気丈な彼女に励まされ、ティーグルはしっかりと頷いた。
「俺が始めた戦いだ。俺にはそれを止める義務がある」
空を飛ぶ事とはこんなに楽だっただろうか。もっと難しく、神経を使うものだった気がする。
視界に入ってきた翼を見て、ニーナ自身も驚いた。右はコウモリ、左は金翼。右のコウモリは想定内だったが、左の翼から染翼の効果が失われていたのは予想外だ。
けれどニーナにそれを気にするだけの余裕はなかった。
(時間がない。急がないと)
金色化をした今、目的は一つ。盗賊達の殲滅だけだ。
一番近くにいた盗賊に狙いを定め、掴みかかる。
(すごい! 負ける気がしない!)
完全な金翼族の力は今までニーナが有していた力とは一線を画していた。使える筋肉の量も力の安定感も何もかもがケタ違いで、力に酔ってしまいそうだ。
目の前の盗賊。先程までなら一撃で倒せるなんて想像すらできなかったのに、今はそれが当たり前のように体現できている。
(素晴らしい! なんて素晴らしい能力なの!)
次はどんな戦い方にしようか。そんな事を考える余裕も出てきた。
ヒリュウの敵討ちであることを忘れ、破壊そのものに楽しみを見出したニーナ。そんな彼女が振り上げた腕を、誰かが強い力で制した。
「誰?」
素早く手を振り払い距離を取る。
目の前に居たのは、他の盗賊たちとは異なり、森を思わせる緑色の翼を持った男だった。顔に覚えはある。けれど決定的に違う。
「どういう事なの、ホーンズ! ……あ、そういうこと」
反射的に、どうして緑翼なのか、と尋ねた。だが答えを聞く前に、彼の仕事を思い出し一人で納得した。
「それはこっちのセリフだ! お前のその姿はなんなんだ?」
「あぁ。このちぐはぐな翼の事? そんなの、少し想像力を働かせれば分かるでしょ? それとも何、空翼のくせに頭悪いの? もしかして翼の色を変えたら、頭が悪くなったの?」
「……」
今までの彼女とは異なる言動に、ホーンズは怯んでしまった。
意識できてはいなかったが、それは紛れもなく恐怖だった。知ってる人間が知らない人間になっているという恐怖。
「もしかして……お前はもともと、オッドウイングだったのか?」
オッドウイング。この言葉自体知っている者は多くない。
両の翼がそれぞれ異なる色をしている人間が居るなんて、普通に暮らしている人間には想像もつかないだろう。
ホーンズは以前、オッドウイングを持つ人間に薬を売ったことがあった。その人は、右と左で違う色をしている事を理由に人からバカにされ、ついに耐えられなくなって薬を買いに来たと話してくれた。なぜ自分のような社会に受け入れられない仕事をしている人間に個人的な事を話すのか、と疑問に思ったので強く印象に残っている。
「正解。右は銀、左は金っていう中途半半端でどうしようもない存在なの」
「ニーナ、自分の事そんな風に言うなよ」
ニーナは口元を歪めた。醜い笑みだ。
「私が卑下してこんな事言ってるとでも思ってるの? だとしたら的外れも良いとこ。違う翼を持つってことは、力のバランスが取れないってことなんだよ。空を飛べるようになるのも村一番遅かったし、金翼に比べると力もスピードもないのに、銀翼ほどの鋭い五感も持ってない。何もかもが中途半端で、何の役にも立たない人間。それが私なんだよ」
彼女はなぜか自慢気にそう言い切った。
「でもね今は違うの。金色化してみて分かった。今の私は金翼族と同じ、確かな力を持っている。誰であっても今の私を中途半端だなんて言えないんだよ。あはっ……あははははははは」
ホーンズは再び怯んだ。今の彼女の姿は、色ではなく形そのものが左右で違うというのに、それでも中途半端でないと言うのだろうか。
高笑いをするニーナに、誰もが近づけないでいた。ついさっきまでニーナを捉えようとしていた盗賊達も、彼女が金色化をしてしまってからは誰も近づこうとしない。
(確か……ニーナと俺は捉えるようにと言われていたな)
しかし、自分はともかくニーナを捉える事はもう無理だろう。そして同時に無意味である。
金色化した彼女を捉えるのは、通常状態の彼女にすら手こずっていたのだから現実的に見て難しい。なにより金色化したニーナを捕まえたところで、すぐに死んでしまうのだから労力の無駄遣いだ。
その時、ニーナとホーンズの間に一人の人間がふっと現れた。空翼族特有の出現方法だ。
「君たちに話がある」
現れたのはヒリュウの兄を名乗る男と恋人であろう女だった。
「あんたっ……!」
ニーナの表情がみるみるうちに憎悪へと変化していく。
「あんたさえいなければ!」
「君はヒリュウのしていたことを知っていたのかい?」
今にも飛びかかろうとしていたニーナに脅えを見せることもなく悠然と問いかけた。拳が彼に届く寸前で動きが止まる。
「ヒリュウさんがあんたを殺したって話なら聞いてるよ。ヒリュウさんが話してくれたもん。でもヒリュウさんはすごく後悔してたし……だから私は何も思ってないよ」
ニーナは、私は、の部分を強調していた。被害者であるティーグルが許せていなくとも無理はないと考えた結果、そういう口調になったのだろう。
それを聞いたティーグルは少し意外に思う。
(この娘は金色化したというのに自我を保てているのか?)
金色化した者は例外なく自我を失い、もはや人間とは思えぬ状態になって死んでいく。ティーグルはそのような人間を幾人も見てきた。不安定な状態になりながらも、人間としての意識を捨てていないニーナに違和感があった。
(半分は金翼だからか? いや、今はヒリュウの話だったな)
話そうと思っていた事からそれてしまいそうになる思考を無理やり戻し、話を続けた。
「いいや、俺にした事の話じゃない。俺が死んだ後、ヒリュウがどこで何をしていたのか知っているのかと聞いている」
「その後の事?」
首をかしげ、数拍考えたのちに視線をティーグルから、隣で静かに話を聞いていたマリアに移した。
「貴女を探してたみたいだけど?」
「え? 私を?」
話を振られた本人は目を丸くした。
「ヒリュウがそう言っていたのか?」
「……そうだよ」
「そうか。じゃあマリアを探しながらヒリュウがしていた事。それは知ってる?」
ニーナは姉を探していると聞いていただけだった。具体的にどのような事をしていたのかは聞いたことがない。
否定の意味を込めて首を振った。
「やはり知らなかったか……。話せなくて当然だろうがな」
「あんたはいったい何を言ってるの?」
「ヒリュウは……空翼族を虐げる連中を殺して周っていたんだ」
あのヒリュウがまさか、とは思わなかった。何回も共に戦ううちにヒリュウが残酷であることも知っていたし、それが如実に表れるのは空翼族をバカにしている連中に対してだという事も気づいていた。それを今さら聞かされようとも何も思わない。
「ヒリュウさんならあり得る話だと思う。でもそれだって、兄である貴方が命を落とした事を受けてそういう行動を取っていたってことでしょう?」
「だとしても、人を殺していいという訳ではないだろう」
ニーナに返ってきたのは、思った以上に厳しい口調だった。よく見ると、ティーグルの眉間には皺が寄り、苦悩しているようにも見える。
「俺はヒリュウにそんな事をしてもらいたいなんて思ってなかったんだよ。ヒリュウの事だって怨んじゃいない。……大切な弟だから」
ティーグルは弟の亡骸を抱きしめ涙した。
気持ちを言葉にした事で歯止めが利かなくなったのだろう。唇を強く噛みしめ嗚咽を抑えようとするが、どうにも漏れ出してしまう。
「ダメな兄貴でごめん。弱い兄貴でごめん。結局俺は……お前を救えなかった」




