満足感と憎しみと
突然の衝撃。ついに死んだかと思った。
(ヒリュウさん……?)
原因はヒリュウだ。敵ではない。
少し距離のあるところで戦闘中だった彼がどうしてここにいるのだろう?
「ヒリュウさ……ッヒ!」
名を呼ぼうとして、息が詰まった。
何かどろりとした生暖かいものが、左肩から腕にかけて触れている。
血だ。自分のものではない。
尋常じゃない量の血に、眩暈がした。しかしなんとか持ちこたえ、目の前の現実に意識を結びつけた。
「ヒリュウさん!」
密着したままでは傷の確認ができない。距離を取ろうとしたが、しかし途端にヒリュウがバランスを崩してしまい、思うように動けない。
「やだ……どうして」
ぐったりとして動けない様子のヒリュウを見て、口が震えカチカチと歯を打ち鳴らしてしまう。
怖い。
以前服毒してしまった時よりも強い死の臭いを感じる。
「に……な、怪我……して、ない?」
弱い息と共に、小さな声が吐き出された。
自身の身体が大変な事になっているというのに、彼はニーナの心配をしていた。ヒリュウが盾になった事で、ニーナに怪我はない。
「……っ」
返事ができなかった。
こみ上げる涙と息苦しさで声が出ないのだ。代わりに、ヒリュウを支えるために彼の背にまわしていた腕に力を込める。
「ま、さ……か、こん、なふ……に、ハァ、死ねる……なん、て、フゥ、……おも、てなか……た」
ハハッ、と小さく笑い声のような吐息が耳に掛かる。
「言わないで! ……死ぬとか、言わないでください」
「俺、さ。……ろく、な……死に、方、しない……て、思……てたから、こん、な……ふ、に、死、ね、る……なん、て……」
「なんでそんな遺言みたいなこと……。そ、そんなに話せるなら大丈夫ですから! ほら、生きるために今はしゃべるのやめませんか? また旅の途中にでも聞きますよ。ね、だから……」
ヒリュウの、空色の翼がだらりと垂れると同時に、体からも完全に力が抜けた。全体重がニーナ一人に掛かる。
「たい、せつ、な……人、を守……て、なん、て……。らしく、ない、しあ、わせな……」
言葉はそこで途切れた。
「え……」
嫌な予感がした。
もしかしたらもう二度と、彼の声を聞くことも、彼の象徴ともいえる笑顔を見ることもできないかもしれない。
「ヒリュウさん……?」
答えは返って来なかった。
ニーナの全身の力が抜け、ヒリュウの体が重力に従ってズルズルと滑っていく。それを防ごうと体を掴む。しかし、あ、という間に手から滑り落ちた。
重力以外の力を失った体は、無情にも自然の法則に従って真っ逆さまに落下していく。
「あ! ……え?」
慌てて後を追おうとするが、誰かに腕を掴まれて叶わない。
振り返ってみれば、そこにはヒリュウを刺した張本人である盗賊が居た。
「捕まえた」
悪びれもせずに、一言。人を刺し殺しておいて、平然とした様子でニーナの前で飛んでいた。
(なんでこいつは、こんな……こんななんでもない顔してんの?)
頭が熱い。胸が熱い。……全身が自分の身体じゃないくらいに熱い。
何かが、頭の中で弾けた。
いや、ニーナが自分の意思で壊したのだ。生存本能が守っていたリミッターを。
「っ! おい、やめろ!」
「うるさい!」
ニーナの身に何が起こっているのかを正確に理解し、それを止めようとした男。しかし変化が始まっているニーナの方に分があった。
男を振り払い、ニーナは距離を取る。
「あんた達全員……絶対に許さない!」
収まってきたとはいえ濁流との距離が近く、飛沫が足やマントの裾を濡らしている。
ニーナ達が戦っている空中より大分低い場所に位置する木にホーンズは身をひそめていた。
捕縛されそうになった時に、ミューやリンリを助ける事まではできなかったが、幸い自分の身だけは守れていた。それから急いで、商品である染翼の薬を飲んだ。そのため今ホーンズの翼は葉と同じ色をしている。
上空で起きている事態を眺め、ホーンズは先ほどと同種の恐怖がこみ上げて来るのを感じていた。
(ニーナの奴、金色化するつもりか)
ニーナから光がこぼれ出し、まるで太陽のようだ。目が眩む。
一際強い輝きに目を灼かれ、少しの間だけだが彼女の姿を見失った。次に見た時、ホーンズは自分の目を疑った。
ホーンズが予想した通り彼女は金色化をしていた。しかし目の前の事態は先ほど盗賊連中が金色化した時と異なっていて、理解が追いつかない。
何が違うかというと……半分なのだ。
ニーナの翼は右翼だけが金色化の影響から硬い羽へと変化していた。左の翼は、なんて事はない、その辺に溢れている金色の柔らかそうな翼だ。
(一体何が起きたというんだ)
空で起きている事とは対照的に川の氾濫は収まり、水位は高めなものの落ち着きを取り戻していた。




