命を掛けて守るもの
兄が死んで、マリアが姿を消した時から、生きることに楽しみなんか感じなくなっていた。それなのに罪悪感だけが、はっきりとした輪郭を持って現実を突き付けてくる。
二人が居なくなったことでヒリュウ自身も、声を上げて泣きたいほどの、悲しいという言葉に込めることが困難なほどの、喪失感と絶望感を抱いていた。けれどその気持ちの存在を肯定することすら、罪悪感が許さなかった。
(やっと終わる)
何もない自分が、兄の色だった空を助けるために続けてきた人殺し。残った人生の暇つぶし。
無理に笑うことに疲れを感じなくなったのはいつだっただろう。
無理に笑うことに疲れを感じるのはいつ以来だろう。
おそらくは本物の兄であろう男を前にして、ヒリュウは自分の中で起こっている変化に酔いしれていた。
(こんなに気分が良いのはいつ以来かな)
緊張も無理もない、心穏やかな自分。
「何笑ってんだ?」
「笑ってる?」
顔に手を当ててみると、確かに頬が盛り上がり笑みを作っているようだった。
いよいよどうかしている。もう自分で自分を制御することすら放棄してしまったらしい。
最後に、自分が生きたこの世界を目に焼き付けておこうとぐるりと辺りを見回した。うっそうと茂る森、右を見ても左を見ても緑ばかり。緑を背景に、ぽつんぽつんと人間が存在している。
悟りを開いた心持ちで、空に目をやる。そこには空。そして空と同化し、まるで重力を無視して浮いているように見える人間の姿があった。中心に一人、その周りに数人の男たちが囲むように浮いている。
中心の一人に対して踊りかかっている様子を見て、あー危ないなー、などとのん気に思いかけ……はたと気がついた。止まっていた思考回路は正常に動き出し、状況を的確に理解していく。
(あれ、ニーナじゃん!)
襲われているのがニーナだと分かった瞬間、体が脳を飛び越えて反応していた。
まだ死ねない。死ぬ前に彼女を助けなければ。
「ヒリュウ!」
今まで対峙していた相手が名前を呼び引きとめようとしたが、そんなので止まるはずもなくヒリュウは一直線にニーナの元へと飛び出した。
円を描いていた連中が代わる代わるニーナに向かって攻撃を繰り返している。今はなんとか防いでいて致命傷は受けていないようだが、それがいつまで持つか分からない。
ある程度近くまで行くと、聞き慣れた声がした。
「そこを退きなさい!」
「お前こそ大人しくしろ。……ったく、なんで空翼族のくせに俺たちに刃向うんだ? ティーグルさんは俺たち空翼族をまとめて面倒見てくる器の大きい方なんだぞ。今捕まったって悪いようにはならないから……大人しくしろよ」
「何が悪いようにはしない、よ。ヒリュウさんを殺そうとするなら、あんたたち全員敵だよ」
言いなりにならないニーナに舌打ちが飛ぶ。
「はーい、ストップ。そこまで」
近くにいた盗賊を殴り飛ばし、その人が居たところにヒリュウが収まった。突然現れたヒリュウに驚き、円を描いていた盗賊たちに動揺が広がる。
「ダメだよー。女の子には優しくしないと、ね。そんな雑な誘い方で、女の子が靡くわけないじゃん」
「お前は……!」
「こ、殺せ!」
誰かがそう言ったのをきっかけとして、盗賊の標的がニーナからヒリュウへと変わった。
心を乱したまま掛かってくる盗賊にヒリュウが負けるはずもなく、次々と返り討ちにされてしまう。
その様子に危機感を抱いたのだろう。一人が予想外の行動に出た。
風が変わった気がした。時が速度を落とした気がした。
ヒリュウの視界に一人の盗賊が入った。距離があるため、一回の瞬間移動で背後を取られるようなことはない……ヒリュウ自身は。
その盗賊の手に握られているのは手のひらほどの長さの刃がついた短剣だった。その男の見ている先にはニーナが居た。ニーナ本人も何人もの盗賊をあしらっているため、その男の行動に気づいていない。
ダメだ。その子に手を出すな。ゆっくりになった時の中で、素早く言葉が脳内に構築される。
言葉に出す余裕もなく、ヒリュウはニーナの元へ力強く翔け出した。その際翼で何人かをはたき落したみたいだが、そんなことは今はどうだって良かった。
(ニーナ!)
ほとんどはね飛ばす勢いで彼女を抱きしめた。それと同時に胸に衝撃を感じ、呼吸が一気に困難になる。
「……ッグ」
「ヒ、ヒリュウさん……!」
体に力が入らない。
背から胸に、刃が突き抜けていた。




