道しるべは己が手に
深夜、と言って差し支えない時間帯にそれは起きた。
光の柱が天を貫き、一瞬で街を昼に変えた。わずかな時間であったが、そのある種暴力とも呼べる強力な光は、本来誰にも確認されるはずがなかった悪事を浮かび上がらせる。
間違いなく夜だというのに、この明るさはいったいどこから来ているのだろう。何が起こっているのだろう。ありえない事態にニーナは困惑した。
モンダ村を抱く山を出てから南へ三日ほどの距離にある町。周りにあるのは村ばかりのためか、町としては小さめだがかなりの人が行き来している。けれどそれは昼の話であり、眠る町には数えるほどしか人は確認できない。その数少ない人間の中にニーナと取引相手の男も含まれていた。
光に目を焼かれた不快感が勝り、顔を隠さなければいけないのだと気づくまでに数秒を要した。その時間は視界に入れたものの形をはっきり認識するには十分だった。ばっちりと、相手の男と目が合ってしまう。相手の男にとっても想定外の事態だったようで、ニーナと彼は互いの驚き顔を視界に収めることになった。
(ど、どうしよう)
この事態が大変好ましくない状況である事はニーナにも理解できていた。ニーナの取引の相手というのは違法薬物の売人だ。買い手側のニーナも、売り手側の男も、つまり犯罪者という事になる。どちらも素性を公に出来る立場ではない。
光が治まり、辺りが時間に適した闇を取り戻す。いったい何が起きたといういのか。すべての知識が山中の小さな村に収まってしまうニーナには何が原因でこのようなことが起きたのか見当もつかない。
不測の事態を引き起こした原因を想像するよりも、顔を見られてしまったという問題の方がニーナには考えるべき重要事項だった。
先に動いたのは売人の男の方だ。
「……お互いに、忘れることにしよう」
男は低い声で我に返り、ニーナは視線を男に移した。男はすでにフードを深く被り直している。なにより適切な闇が二人の間にできていて、もう顔を確かめることはできない。
ニーナは男の提案にこくりと頷いた。
男は素っ気ない態度で商品薬を押し付けると、訝しげな声で問いかける。
「……ところで、本当に空色でいいのか?」
「うん。お金、あまり使いたくないし」
ニーナの即答に男は少しの間黙し、それからフードの縁を引き下げた。
「……そうか」
深くは追及せず、男はニーナに背を向けた。その行動は取引が終わったことを示していた。
ニーナもフードを深くかぶり直し、裏路地から立ち去ろうと、男とは反対の方向へ歩きだす。
手にした薬に興奮が起こる。
(ついに、買った)
所持にしているだけで拘束されかねないブツを手にし、満足感と恐怖が心の中で渦を巻く。これでようやく人生を変えることができる。畏怖や侮蔑といった迫害から解放され、人並みの人生を送る事が出来る。熱を込めて握りしめている薬にはその力がある。ニーナはそう信じていた。
不自由なく暮らしてきた人間にとってはただの悪い薬だろうが、ニーナにとっては自由へ繋がる鍵となるのだ。
晴れやかな気持ちで違法薬物に思いを馳せ、足早に町の出口へと向かう。人の来ない場所で、一刻も早く薬を服用したかったのだ。町の近くに、身を隠すのにちょうど良い岩場があった事を確認していたニーナは、そこを決行の地と決めていた。
――だが、息を弾ませてやって来たニーナを迎えたのは、またもや予想外の事態だった。
先客がいた。おそらく、二人だ。おそらくと表現するのは、一人の方はぐったりと体から力が抜けていて、生きているかも怪しいものだったからだ。もう一人がその人型の物を担ぎあげている。
(人が……死んでる……っ!?)
後ろめたさと、その異様な光景にニーナは硬直した。身の安全を確保しなければ、と思えば思うほど動けない。
その時、人影が動いた。
(……っ! こっち見た!)
こちらへ来るのか、と警戒したが、その人影はニーナの方へ近づくことはなく翼を広げて飛び立っていった。月の光がほのかに映し出した光景に違和感を覚え、ニーナはひとり首を傾げる。
(黒……?)
闇に溶け込む黒。月明かりに照らされて映ったその翼は、黒く見えた。
モンダ村で実際に目にした事がある色は金と銀のみ。けれど父の話では、この世界には他に五色――赤、緑、桃、白、空の色をした翼が存在しているという。
(黒はなかった)
黒い翼の人間など、ニーナは聞いたこともなかった。だが、聞いた事のない色の翼が何を意味するのかを判断できるだけの情報を、ニーナは持ち合わせていなかった。




