人のため
一月二日(水):
先日ほどの大雪はないが、変わらず記録的な寒波が押し寄せている。強い雪というより、溶けない雪。これは俺の直感なのだが、あと三日は続く。それでもあの店の繫盛はまだ燃焼しきっていなかった。
かなりこの生活に慣れてきた。店で接客をして、日記を書いて、暇があれば街を歩いては軽食を買って食べてみる。今日の昼頃、奏から休日に二人で街に出かけたいと言われた。これは流石に俺でもわかる、デートと言うやつだろう、聞いたことがある程度ではあるが。あの店は珍しく金曜日が休業日だ。てことは明後日。出かけて何をするのかを聞くのを忘れていた。念のためある程度の貯金は持って行くことにする。
一月四日(金):
奏と駅前で待ち合わせをした。俺は普通の服装で言ったが、着いた時の奏はかなりのおしゃれをしていた。鮮やかな赤の更生服で身を包み、髪はページボーイスタイル、赤が目立つ口紅。普段着の国民服で来た俺は選択を間違えたのだろうか。そんなことは奏は気にしていないようだった。
俺らは商店街を歩いた。俺はずっと食い物ばかり扱っていたが、服屋、靴屋、本屋、色んな店があった。
奏が立ち止まったのはアクセサリー店の前だった。中に入るとキラキラと装飾品が輝いていた。俺はこういうのに縁がない。とりあえず奏について行った。奏は並ぶアクセサリーの前で少し考えた後、一つのネックレスを取って俺に重ねた。小さく細い鎖で繋がれた中央に一つの綺麗な玉が付いていた。人造真珠と言うやつらしい。
奏は俺にネックレスをプレゼントしたかったのだろう。せっかくだから俺も何か奏に選ぼうと思った。装飾の何たるかをも知らない俺は直感でブローチを選んだ。銀色の枠に赤く丸いガラスがはめ込まれていた。奏は嬉しそうな顔をしてくれた。
互いに相手のアクセサリーを自分の金で払った。俺らは特に欲しいものがあった訳ではなかったので、金はかなり余っていた。奏はブローチを大事そうに持っていた。
次の目的地を聞いたが、そこまでは考えていなかったらしく、俺に決めて欲しいと言ってきた。俺はこの生活に充実していて特にこれといった欲はなかったのだが、映画を見てみたいと思い立った。
そこからは全く予定の組み込まれていない思いつきの行動に任せて映画館まで歩いた。恋愛系の内容だった。原理は理解できているとはいえ、壁一面に映像が映し出されるという光景はどうも不可思議なものだった。俺の勝手な選択で映画を見たが、奏も十分満足したようで感動的な場面では泣いていた。
映画を見終わってもまだ時間には余裕があったが、俺らは解散した。デートっていうのはこういうものなのだろうか。今日は色々なことを体験した。人に贈り物をすることは俺が思ったよりも重要な意味を成していることも分かった。ただ生活になれただけで俺は世の中を何も理解しちゃいない。もっと知る必要がありそうだ。
一月八日(火):
人を殺した。
今日は客足が比較的穏やかだったため、珠子さんと虎治郎さんの二人体制で今日は事足りると俺は仕事を上がった。今日も街を出歩いた。まだ俺の知らない店を求めていつもと違う場所も行ってみた。
そうして路地裏などを探索していると奏の声が聞こえた、かなり攻撃的な。声のする方へと路地裏を進んで行くと、奏が男三人に刃物で脅されていた。恐喝と言うやつだろう。戦後でまだ人々の生活は貧乏なままだ。こんなことをするのは大して珍しいことではないだろう。だが今回は違った。男たちは精神的にもかなり限界が来ていたようで、奏を殺して死体漁りをした方が楽だと判断した。
気づけば俺の触手が三人の胸部を貫いていた。無意識、いや、意識的なものではあったが、焦って判断を誤ってしまった。三人は即死。きっと何が起きたかもわからなかっただろう。
奏に触手を使ったところを見られた。俺は考えた。ここで目撃者である奏を殺すべきか。でもそれでは幸子先生の信頼を裏切ってしまう。いや、もう三人殺してしまってはもう手遅れか。仮に殺したとて結果がいい方に傾くだろうか。
そんなことを考えて硬直していた俺に、奏は一言「ありがとう。」とだけ言って走って行った。「あなたのその力は人を助けるために使って。」幸子先生、俺のあの行動は正しかったのでしょうか。何をするのが最善だったのでしょうか。俺は奏のために三人を殺してよかったのでしょうか。
ずっとあの光景が頭の中に残り続ける。奏はどうするのだろう。警察に言うか。珠子さんたちに言うか。それでも俺は奏を追いかける気にはなれない。明日の仕事、俺は行くべきなのか。
今日は眠れそうにない。
一月九日(水):
俺は考えた挙句店に行くことにした。そこには、田村家の二人と佐藤奏。珠子さんと虎治郎さん。二人は特に俺を見ても恐怖や憎悪の表情は見せず、いつも通りの様子でいた。奏も同じだった。まるで昨日のことが何も無かったかのように振舞っていた。俺は気まずくてあまり仕事が捗らなかった。
客たちの会話が耳に入ってきた。昨日の事件、路地裏で三人の遺体が見つかった。死因は心臓の破裂による即死。凶器不明、犯人不明。奏の視線がこちらを向いた気がした。俺の気のせいかもしれないが。
仕事が終わった後、奏から話がしたいと言われた。内容は考えるまでもなかった。
店から少し離れた空き地。外は暗めで人通りは少なかった。奏が特に何も言って来なかったので、耐えられなくなって俺から全て説明した。俺は人間ではないこと、施設から抜け出してきたこと、被爆者であること。
俺は今すぐにでも遠くへ逃亡したかった。目の前にいる奏を殺して目撃者を消すことがどうしてもできなかった。奏は「話してくれてありがとう。」と言った。俺はどうしたらいいのか分からなかった。化け物である俺を前にして平然としていられるのはあの人以外知らない。
俺は明日からでもすぐにここから離れて奏の前から消えると言ったら怒鳴られた。私はそんなことをして欲しいんじゃないって。幸子先生への裏切り、奏の俺への失望の不安、どうしたらいいのかわからないこの状況。情けないことに俺は混乱でその場に崩れてしまった。俺の頭を包んだ奏の腕の熱をまだ覚えている。助けてくれたことに感謝している。奏はただそれだけを俺に唱え続けた。俺は全てを奏に見透かされた気分だった。奏はきっとどうして俺がここまで動揺しているのか察しがついていたのだろう。
俺が落ち着いた後、俺は奏にどうして俺を恐れないのか聞いた。「どうして命の恩人を恐れる事があるんですか。」奏はそう言ってくれた。奏は俺を''自分を助けてくれた菅拓磨''としか見なかった。
別れる時もずっと奏は俺に笑顔を向けていた。あれが本物なのか、作られたものなのかは今の俺にもわからない。ただ一つわかるのは、奏は俺を人として認めてくれたということだ。
一月一一日(金):
"施設"の研究員の一人に出会った。
あれから変わらず奏は俺に普段通り接してきた。俺もその優しさに応えるように仕事に励んだ。
今日は休業日だ。俺は気分で街中の喫茶店に入ってカウンターに座ってはコーヒーを飲んでいた。
とある男が俺の隣の席に座った。俺と同じコーヒーを頼んでは飲んでいた。
「やあ、"勝"君。」その言葉を聞いた瞬間俺はこの男が元施設の人間であるとわかった。幸子先生はきっと生きている。なら他の研究員も生きていても不思議ではない。この男は"あの事件"の犯人が俺であると推測し、俺が盛岡に潜んでいると特定してきたのだ。男は俺の顔を覚えている。都市がわかれば俺を見つけるのは時間があれば可能だったろう。
男は意外にも普通のことを聞いてきた。生活は安定しているかとか、なんの仕事をしているのかとか。俺は単刀直入に俺をどうしたいんだと男に聞いた。男は特に俺を陥れたいとかはなかったようだった。鈴木幸子の"変異体の社会復帰"、それが本当に成し遂げられたのかどうかを個人的に確認したかっただけだと。
「どうして三人を殺した。」俺は正直に全て話した。男はそれを聞いて怒りもなく悲しみもなかった。一言、「いい男になったじゃねえか。」それだけだった。
「幸子先生はどこにいる。」俺は一つ質問をした。だが、それは男にもわからなかったらしい。あの米軍の襲撃から研究員たちの行方が完全にわからなくなったと。機密で行っていたあの施設の人たちは互いに住所を言うことはなかった。
それから特に大きな話はなく、「がんばれよ。」と男は言って店を去っていった。
昼から奏と出掛ける予定があったので俺も店を出て合流場所に向かった。今日の奏は前ほど力の入ったオシャレはして来なかった。
今回は特にどこに行くといった予定はなく、ただ気まぐれに任せて街中を二人で歩いた。屋台の食べ物を買ってみたり、ちょっとした丘の上に登って街中を眺めてみたり。
そんな時、奏は俺の触手を触ってみたいと言った。俺は少し躊躇したが了承した。触手を出すと服が破けるため、俺は上を脱いだ。敵を一撃で葬るための鋭い骨片とむき出しの筋肉。こんなものを触りたいと思うやつはたいそうな人間だ。触手は人間部分よりも敏感で、触られると少しくすぐったかった。「暖かい。」と奏は俺の触手に額をつけて言っていた。
街から少し離れた丘の上、奏は俺の膝に頭を乗せて眠った。ブローチが夕日の光を反射してギラギラと輝いていたことが印象に残っている。奏が目を覚ましたのは夕日が半分沈んだ頃だった。「今日はありがとう。」と奏と俺は別れた。少し歩いては見送る俺に振り返って笑いかけてきた。




