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1945年

十一月六日(火):

今日も珠子さんの下で飲食店の仕事をした。

昨日の初日の仕事日が最近のピークであったのがよくわかるほどここの店は客がほとんどやってこない。

朝七時から夜十一時までやっているのだが、今日は合計八人がやってきたらしい。

というのも、あまりにも人が来ないので、昼頃に「今日はもう上がっていい」と言われて最後まで俺は店にいなかった。

今日のピークは朝頃だった。飲食店とはいえ、居酒屋のような夜まで盛況するようなところではない。一人で来る者、友達と来る者、家族で来る者など様々だった。

この一人一人に人生があって、今日まで生きてきている。

”山本勝”はどんな人生を送ってきたのだろうか。両親とどんな話をした、一緒に何を食べた、何をした。

そんなことを考えてぼうっとしていたので、虎治郎さんから背中をひっぱたかれた。

”何を食べた”。その時俺は本州に着いてから何も食べてないことに気付いた。

飯を食わなくても死なないわけではない。だが俺はかなり常人より食事なしで長く活動できるらしい。

せっかくなので仕事を上がった俺は客としてこの店の定食を食べることにした。

珠子さんたちは突如客側に就く俺がおかしかったのか、たいそう面白がっていた。

驚いたことに、定食を無料で提供してくれた。”賄い”というやつらしい。

白米にみそ汁、サバの塩焼きと漬物の定食だった。施設で見たものと大して変わりなかったが、食べてみるととても美味かった。気付けば完食していた。俺は食をここまで楽しめたことは今までなかった。

飯を食うといつも人間を食った時を思い出す。爆弾が落ちて、食料がなくて、パニックになって。

味はあまり覚えていない。この定食よりも美味かったのだろうか。それを確認するときは今後一切ないだろう。俺はもう人を食う気はない。

仕事を上がったら俺は昨日と同じように街を歩き回った。今回は土地の把握というよりかは暇つぶしだった。すれ違う人々は俺を避けるように歩いていた。道路の橋の瓦の塀を眺めながら街中に広がる商店を横目で見ていた。馬車が荷物を引いていた。そこらに馬糞が落ちていたので、あまり雰囲気がいいとは言えなかった。でもこの街では日常の光景なのだろう。見る人は俺と比べほとんど痩せ気味だった。戦後で食料が枯渇しているのがよく分かった。珠子さんがいかに太っ腹かと感心させられた。あの店が繁盛してないのが不思議だ。隠された名店か何かだ。

そんなことを考えながら歩いていると、屈強そうな男から声をかけられた。軍服を着ているが、その手には瓦が握られていた。土木関係の人間だった。話を聞くと、柱を立てる作業をしていたが、人手が足りなかったらしい。そこで若そうな俺に声をかけたと。

暇だったので手伝うことにした。柱を押さえておくだけでいいので難しいことは考えなくてよかった。

他の人が一緒に支えてくれるそうだったが、俺一人でも十分に支えられる重さだったので俺一人が抑えて他の作業に専念させた。想定したよりもかなり早く仕事が終わったらしい。皆に感謝と駄賃をもらった。

これが人を助けるということなのだろうか、とても気分が良かった。

せっかくなので俺はその駄賃を使って焼きトウモロコシを買った。いい匂いがしてついつい買ってしまった。その匂いの期待通り甘くて美味かった。自分の気分で買って食う。これが自由というものだろう。

日が下りてきたので店に帰った。夕食も出してくれた。店には客がいなかったので皆で食べた。今回は主菜がクジラ肉のカツだった。美味かった。楽しかった。

傍から見れば家族団欒の空間だったろう。今日の出来事を皆で共有し笑いあう。この日常が幸せだ。

出身はどこかと聞かれた。広島と答えると珠子さんたちは驚いた。

”原子爆弾”が落とされた。戦後による報道解禁でこの全容は全国に知らされた。

事実を知っている珠子さんたちは、なぜ俺が無傷でここにいるのが不思議でたまらないらしい。

体が丈夫だからとか、再生したからなどとは当然言えない。俺はその時から岩手にいたと伝えた。納得してくれたのだろうか。次に両親の存在について聞かれた。両親は原爆でもういない。俺は顔も知らない。

捨てられたと言えば一番合理的だろうか。

両親に捨てられたと言うと珠子さんは泣きながら俺の頭を撫でてきた。その涙は俺に向けるべきものではない。”山本勝”に向けられるべきものだ。

「私は絶対に捨てない。」珠子さんから言われたこの言葉がずっと頭の中に残っている。


十二月十九日(水):

今日は大雪が降った。盛岡にきてから雪が降ってるのは見たことがあり、初めてではなかったのだが、ここまで多く降っているのは初めて見た。店に見に行くと、今日は店をやらないと告げられた。

俺が広島出身であることを伝えたときから珠子さんたちは過保護と呼べるほど優しくなった。もとから優しすぎるところはあったのだが、それよりもひどくなっている。大雪の中この店までやってきた俺に虎治郎さんは怒った。俺は大丈夫だと言っても聞いてくれなかった。普通の人間は、こんな中外を出歩こうとしないと。

ここからまた家に帰るわけにはいかないらしく、今日は俺は店の中で雪が弱まるのを待った。

中には俺、珠子さん、虎治郎さんの三人。奏は実家から通勤しているので、店にはいない。

俺自身は大したことはなかったのだが、寒いだろうとこたつに入れてくれた。寒くなくても暖かくて気持ちが良かった。あの暖房器具は画期的だ。おそらく何年たっても需要があるだろう。

最近俺の人間離れした身体能力が枷になってきている。あまり目立ったことはしない方がいいだろう。人間ならどう行動するか。それをまず考えるよう心掛ける。

大体午後三時辺りだろうか。雪が少し弱まった時があった。珠子さんたちは心配してくれていたが、俺は大丈夫だと店を後にして家に向かった、と言いたいが、街の様子が気になって誰も外に顔を出さない街を歩いてみた。

ちょっと前は砂地だった道路が今は雪に覆われて真っ白くなっていた。どこが道路なのかわかりにくくなるほどに。塀の瓦や家屋の屋根には雪が積もっていた。今にも潰れそうな高さまで積もっていた。

強い風が吹く真っ白な世界を歩いていると後ろから「拓磨さん?」と声をかけられた。奏だった。

まさか人が外に出てるとは思っていなかったので驚いた。普通の人間は、こんな中外を出歩こうとしないんじゃなかったのか。もしかして奏も普通の人間ではないのだろうか。

家の窓から外を見ると俺の姿が見えて心配で外に飛び出してきたらしい。

危ないから家の中にいろと言っても「こんな時に何してるんですか!」と話を聞いてくれなかった。

お前こそ何をしてるんだ。

奏は俺に、彼女の家に避難するよう言った。そこら辺の時だったか。奏の近くの廃墟となった空き家が雪と風の強さに耐えられず倒壊してきた。奏はそれを避けられそうになかったので、俺は彼女を抱えてその場から走り抜けた。そのまま彼女の家まで送った。奏の家に行ったことはなかったが、家の玄関に外を見渡す大人の影が見えたのでおそらく家を飛び出した奏を心配している両親だろうと判断してそこまで走った。

俺と奏は奏の両親にこっぴどく怒られた。奏はわかるがなぜ俺も怒られないといけないんだ。俺とは初対面だろう。

その後俺は奏の家に泊まることになった。じゃなくて、泊まらせられた。ちょっと街を歩いたら自分の家に帰るつもりだったのに、とんだ大誤算だ。

奏を助けたことに対して両親から礼を言われた。もちろん奏からも。言われた通り、俺はちゃんと人を助けている。

俺と奏の関係性は奏から両親に説明された。お宅の娘さんはよくやってくれてますよとか意味の分からない立場からものを言ったことは覚えている。笑われた。

佐藤家は三人家族で部屋が一つ余っていたため、俺はそこで寝ることになった。

日記は家においてきた。だからこの記録は次の日の朝家に帰って書いている。

奏の家を出るとき、両親は笑顔で送ってくれた。微笑ましい空間、これが家族というものなのだろう。俺にはない存在。人とは尊いものだ。


十二月三一日(月):

あれからクリスマスを越えて雪は落ち着いてきた。ようやく店が再開するらしい。店の中に入ると虎治郎さんが袋を手渡してきた。クリスマスプレゼントらしい。人からプレゼントなんてものは初めてだったので、反応に困った。

今日は残った雪の除雪作業から始まった。はしごを使って屋根に上り、シャベルを使って雪を落とした。雪を落とし切った店は心なしか重りから解放された爽快な雰囲気を漂わせていた。

大雪の反動もあってか、今日は食糧を求めた人々が入店してきた。店は大繁盛。通常の数倍の客が店を満たした。

酒を飲んで、わいわいと騒いで、年明けを待つ。年が明けたとき、きっとあの店がこの街の中で最も盛り上がった場所であろう。利益のためではなく、客の腹を満たすためだけにあの店は存在していた。珠子さんがなぜこの店を続けているのか、なぜこの店で生計を立てているのか分かった気がした。

これを機にこの店の名は売れていくだろう。民のためにある店として。

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