9輪目
愛とはなんだろうか。
すべてを捧げる程の献身だろうか。
すべてを肯定することだろうか。
共に歩むことだろうか。
その人の人生を考え、行動する事だろうか。
ただ一つ分かるのは、エヴァンジェリンにとって愛とは愛する人の望みを叶えることだった。
*****
マクミール家最後の一人であるエヴァンジェリンが処刑されたその後、国王夫妻はジルベスタの手によってすぐさま退位を迫られ、王都から離れた離宮に押し込められた。その際二人は激高し、ジルベスタに罵声を浴びせたが無表情のジルベスタがそれぞれの耳元で何かを囁くと一瞬で顔色をなくし、小さく震えながら馬車に乗った。
遠ざかる馬車を見送る中、ジルベスタがぽつりと零したのを聞いたのはラシューケだけだったのかもしれない。
「―――私はあなた方を、一生かけて恨みます」
実の両親に対してそう零すジルベスタの瞳には、凍てつくような色の中隠し切れない憎悪がちらちらと燃えていた。
王命によって婚姻をすることになったマリアンヌとジルベスタだが、作られた真実の愛に気づいてしまったジルベスタは、かつてのようにマリアンヌを愛することはできなくなっていた。
マリアンヌとて自分と同じで、いいように転がされただけだと理解している。
しかしそれでもジルベスタは、かつてのようにマリアンヌを愛することなんてできなかった。
そんな愛する人の変わりように、マリアンヌはむせび泣いた。共に真実の愛に目覚めたのではないのかと。
物語のように悪者を倒した二人は幸せに暮らすのではなかったのかと。
悲劇の主人公といわんばかりに悲嘆にくれる王妃に、ジルベスタだけでなく臣下である貴族ですら嘆息を零さざるを得なかった。
もし、マリアンヌが少しでもエヴァンジェリンに勝とうと気概を見せていれば、少しは変わっていたのかもしれない。しかしマリアンヌは自分を可愛がってくれる元王が傍におらず、さらには真実の愛で結ばれたはずのジルベスタからの凍てついた態度にただただ泣き伏すだけだった。
そうなれば真実を知らぬ貴族たちが不満を持たぬはずがない。
こんなおそまつな王妃ならば、不正を働いた家を持つも淑女と名高いエヴァンジェリンが幾分良かったのではないかと噂される。それが耳に入ればマリアンヌは泣き叫ぶ。恐ろしいほどの悪循環だった。
「―――ラシューケ」
「なんでしょうか、陛下」
「……これが、エヴァの望んだ未来だったのか?」
ジルベスタはただ一人ラシューケを呼びそう零す。
―――ただ、良き王になりたかった。
誰もが幸せにとまではいかずとも、それを目指せる王になりたかった。
なのに、どうしてこうなってしまったのか、ジルベスタにはわかっていても理解したくなかった。
「分かりませぬ。ただただあのお方は、陛下の望みを、幸せだけを望んでいらした」
「はっ―――これが、私が望んだ未来で幸せか」
ラシューケの言葉にジルベスタは鼻で嗤った。
「まさしく道化だな」
「陛下」
ラシューケの咎めるような声音に、ジルベスタは歪んだ笑みを浮かべる。そんなジルベスタにラシューケはずっと考えていたことをあくまでもと前置いて話し始めた。
「私が思うに、エヴァンジェリン嬢は壊れていたのだと思います」
「壊れていた?」
「はい。マクミール家の献身は、我々の間でも常軌を逸するほどでした。あの時はそうは思いませんでしたが、今思い起こせば異常としか言いようがありません」
「……幼子に洗脳するかのような教育だったからな」
幼いころのエヴァンジェリンをジルベスタは思い出す。そう、初めて会った時の彼女は、泣くことも笑うこともしない人形のような子だった。いつも殿下の良いように、と大人びた事しか言わない、自我を感じさせない子だった。
そんな彼女を恐ろしいとは思わず、ただただジルベスタは彼女の手を引いて走り回ったのだ。思い返せば、自分が知ったばかりのことを同年代の女の子に自慢したかっただけなのかもしれない。
戸惑いを見せながらもついてくる彼女に沸いた感情は、なんだったのだろうか。
「陛下は、ご存じで?」
「あぁ…。お前は知らぬだろうがな、幼いころの彼女は辛いと泣いたこともあった」
「そう、でしたか」
淑女の中の淑女と呼ばれるようになるまでに、エヴァンジェリンがどれほどの悲鳴と涙を飲み込んでいたのか、二人の男は一生知ることはない。だが、あの笑みの裏側には想像を絶する苦難と苦痛があったのだろうことだけは想像できた。
「あの方は、悲しいまでに壊れておられました。献身を当然とし、自己など顧みることなく王家に尽くすためだけに育て上げられておいででした。…そしてあの方は、マクミール家が望む形ではない方面では天才でした」
本来であれば王家としては望むべき天才。
しかしマクミールはエヴァンジェリンの処理能力を認めることはなく。そして王家はそれを利用し、彼女を壊した。
自分の家族が処刑されると知った彼女が泣かなかった理由も理解できる。
「なぁ、ラシューケ」
「なんでしょうか、陛下」
「……もし」
ジルベスタの言いよどむその姿は、きっとラシューケにしか零せないそれなのだろう。
「もし、私がエヴァンジェリンや両親の策略に乗ることなく、ただただエヴァンジェリンを愛していたら…」
―――このようなことにはなっていなかっただろうか。
声にならないそれは、ラシューケも幾度となく考えた事だった。
もし、エヴァンジェリンが元王たちのいう事を素直に聞いていなければ。もし、マクミールがエヴァンジェリンを認めていれば。もし、ジルベスタが真実の愛とやらをマリアンヌではなくエヴァンジェリンに感じていたら。
もし、もし、もし。
「……私に、何かを言う資格はございません」
ラシューケとてエヴァンジェリンの手の上で転がるだけだった。むしろ、彼女の手のひらで転がっていないことなどあるのだろうか。
そう思わせるほどに、彼女は鮮烈だった。
愛の為に生きた女、それがラシューケにとってのエヴァンジェリンだった。
「そうか」
ジルベスタは引き出しの中から何かを取り出す。
それはかさりと音を軽やかに奏でた。
「千日草、ですか」
「あぁ…ずっと、ずっと一緒にいようと、送ったんだ、彼女に」
今にも泣きだしそうに見える王の表情を知るのは、きっと自分だけなのだろうとラシューケは思う。
目の前にいるかつて幼かった少年は、もう誰にも心の内を曝け出すことはないのだ。
ある意味、エヴァンジェリンはジルベスタの唯一となった。彼に癒えることのない傷をつけたのだから。もしこれすらを見越していたのだとすれば、彼女は淑女ではなく悪魔か何かだろう。
ジルベスタは愛おしげにそれを撫でると、不意に冷たい表情でラシューケを見た。
「―――今後のことだが」
数十年後、ある王家はその血を途絶えさせることになる。
妻も居たはずの王には生涯子が出来ることはなく、種無しだったのではと囁かれた。
一時は民衆を熱狂させた真実の愛の相手である王妃は、結婚してからは一度として公に姿を現すこともなく、実は病を患っていたのではとも。そしてそんな彼女を王は一途に思い続けた結果、血が絶えることになったのだとも。
その後王位を継いだのはラシューケという王の一番の側近とも名高い公爵であった。
もちろんそれまでの道のりは決して平穏とは言い難く、公爵は一時妻子を国外へと非難させるほどのものであった。
しかしある時をきっかけに、反対派はそのなりを潜め、公爵を王とすることに反対しなくなる。
それがなぜなのか、過去の資料を漁っても見つからないため、現在に至るまでその理由はなぞとされている。




