8輪目
「―――そ、ん…な」
ジルベスタは与えられた情報に、頭が真っ白になるのを感じた。
彼女が、ただ自分だけを愛していた?
だからあのような真似をした?
「…最後に、エヴァンジェリン嬢が望まれたのが、これです」
「……?」
ラシューケ公爵は、懐から大事そうに布に包まれたものをジルベスタに差し出した。ジルベスタは、震える手でそれを開いていく。掌に収まるほどのそれを、エヴァンジェリンが欲したとは信じられずに。
「っ、これは…!」
それは、ジルベスタにはひどく見覚えのあるものだった。
「―――せん、にち…そう」
千日草。それは、幼き日にジルベスタがエヴァンジェリンに贈ったものだった。ずっとずっと、想い続ける、そう花言葉を交えて。
永遠に、一緒にいようと、誓ったその日に。
「あ、あぁ…」
あまり笑うことのなかったエヴァンジェリン。どうにかして笑ってほしくて、城の中を二人で探検した。
「え、ヴァ…」
少しずつ表情を見せるようになり、それが自分だけと知り、特別感に溢れた。
「ど、どうしてっ…」
彼女の境遇を知り、彼女を幸せにしたいと願った。そう言えば彼女は、控えめに微笑んだ。
「なんで、なんでっ…!!」
花開くように美しくなっていく彼女。
周りが普通だといっても、自分の目には一番に映っていたのに。
「どうして、なんで、エヴァ、エヴァ…」
愛していた。
確かに、彼女を愛していたのに、どうして自分は、ほかの女性に目なんて向けてしまったのだろうか。
例えそれが、エヴァンジェリンに仕組まれたものだからといって。
「なんで、なんで、こんな、こんなっ―――」
ぼろぼろと涙が零れる。
――あらあら殿下、男の方は涙を公にしてはいけませんのよ、私の前だけでなら、泣いてもいいですわ―――
かつてそう言ってくれた君は、もういない。
―――怪我を? すぐに手当てしなければ…!!
怪我をして手当をしてくれた君はもういない。勉強を教えあった君はもういない。
―――愛してくれて、愛した君を、自分が殺した。
「ああぁああ"あ"ーーーーっ」
*******
「―――私は確かに狂っているのかもしれないわ。だって、私にとって殿下だけが全てなのですから。殿下が―――ジルが幸せであれば、それでいい」
「…そこに、貴女の幸せがなくとも、ですかっ!? そんなのおかしいでしょう!? 貴女は、マクミールの献身を嫌いと言っておきながら、同じことをしているではないですか!!」
「あんな家と一緒にしないでほしいわ、公爵。あの家は献身を対価に、褒美を求める家だもの。でもね、私は、ジルが王族でも、貴族でも、平民でも愛したわ」
「なら、ならっ、どうして…!!」
エヴァンジェリンは奇異なものをみる目で見てくるラシューケに冷たい視線をやった。どうして、わからないのだろうか。こんなにも簡単なことだというのに。
―――たった一つの、私の真心だというのに。
「ジルが、王になりたいと言ったからよ」
ラシューケが、ぽかんとした表情で見てくる。彼がそんな表情をするなんて珍しい、そう思いながらエヴァンジェリンは見つめていた。
「―――そ、れだけ…?」
「それだけとは失礼ね、公爵。私はジルの願いと幸せを望むし、叶えたいと思っているのよ? それに彼が王になれば、平和な統治がもたらされるわ。だって、私のような狂った女にすら優しいのだもの。それに今のジルが王になれば、きっと清濁併せ持つ王になれるわ。それなのにどうして、貴方は怒るの?」
エヴァンジェリンには本当にわからなかった。少ない犠牲で国が成り立つのであれば、そうすべきではないのだろうかと壊れた理性で思う。
むしろ公爵という立場であるというのに、全てを理解していてなおエヴァンジェリンに会いに来ることすら問題だ。
マクミールという犠牲を払い、国は一時の禁忌の平和を手に入れる。
―――だが、それのどこが悪いのだろうか。
エヴァンジェリンは純粋にそう思っている。正直に言って、王家なんてものに意味を見いだせない。血を繋ぐだけで、過去全ての統治者が優れていたかと問われれば否としか言いようがない。むしろ今代は最悪にも等しい。
第一、血が繋がっているからといってなんになるというのだ。それで常に賢君が生まれるというわけでもない。特別な能力を有しているわけでもない。
だからといってもいいだろう。エヴァンジェリンにとって王家とは無価値なものに等しかった。
それでもジルベスタが王になり、国を良くしたいと言ったのだ。その心意気こそ買うべきであろう。彼が望むものを、自分が用意できる優越感や幸福感を、彼には理解できないのだろうか。
―――それは、幼少期より王家のためと虐待に近い教育を受けた反動だと知る者はいない。
「貴女という存在の犠牲の上に、ですか…?」
「犠牲だなんて。公爵、どうなさったの? 貴方はこの国の貴族よ? 貴族は国のために存在するのではないの?」
「……エヴァンジェリン嬢…私には、これが本当に良いことなのか、わかりません」
いつになく弱弱しく返すラシューケに、エヴァンジェリンは驚いた。どうして、彼ほどの人がそんなに弱弱しくものを語るのか。
「あぁ、公爵はお父様に恩義を感じていたのだったわね。大丈夫、王家のためとならば、あの人たちは死ねるわ」
「っ…それが、本当に国のためになると、殿下のためになると、思っているのですか…?」
「当たり前でしょう?」
エヴァンジェリンは、正しく壊れていた。度重なる折檻と称した教育に、自我を押しつぶされんばかりの献身を捧げよという家の教え。
そんな中で出会った…出会ってしまった、唯一の人。
「……わたしはっ…こんなことをするために、国を守護し、愛しているわけではない…!!」
擦れた声で吐くラシューケに、エヴァンジェリンは微笑んだ。いつものように。
「それでもいいと思いますわ。公爵。貴方には貴方の。私には私の守りたくて愛しているものがあるのは、十分に理解していますから。でも、私の愛を否定することだけは、許さないわ。私が貴方の愛を否定しないように」
知らなければ、エヴァンジェリンという令嬢をただただ悪役にするだけでよかった。だが、箱を開いたのはお前だと言わんばかりのエヴァンジェリンに、ラシューケは掠れた声で言った。
「………最後に、何か、欲しいものはありますか…。公爵家の名をもってして届けます」
「あら、本当に? じゃあ、千日草が欲しいの」
「千日草…?」
「えぇ、思い出の花なのよ。枯れてもなお、その色を失わないの」
そう、一番大切な、思い出の花。それを握って逝けるのであれば、この上ない幸せだとエヴァンジェリンは蕩けるような笑みを浮かべた。
そんなエヴァンジェリンを見たラシューケは、絶望とも悲哀とも憐みともとれるような表情を浮かべる。
そして彼女は、断頭台へと足を進めた。
エヴァンジェリンは、変わっていなかった。幼き日に渡した花のまま、自分を愛していた。あの頃のまま、国を支える―――いや、ジルベスタを王にしようとしていた。
変わったのはジルベスタで、彼女を裏切ったのもジルベスタだ。
一人になったジルベスタは、涙を零しながら、断頭台へと足を進めたエヴァンジェリンの心を思う。
いったい、どれほど悲しかっただろうか、どれほど辛かっただろうか。
約束したのに王家の都合で破られ、あまつさえ都合のいいように使われる。
そして、そうしたのは自分たちだ。
愛していたのに、守ると誓ったのに、ともに人生を歩もうと思ったのに。それを、自分は裏切ったのだ。
「っ…なぜ、なぜ、処刑など…!!」
処刑は、王が決定し強行したものだった。彼女の家族も同じように。
…本当は分かっている。王は、何が何でも処刑しなければならなかった。自分の、自分たちの欲を他人に漏らされる前に。それが例え、長年にわたって忠誠を、献身を捧げてくれている相手でも、信用できなかったのだ。
「…殿下、それは」
「わかっているっ…!!」
頭では理解できても、本能は理解したくないのだ。生きてさえいてくれれば、何とかなったのかもしれない。だが、それをエヴァンジェリンが望んでいないことくらいわかっている。
彼女は、最後まで自分のことだけを思い、断頭台に上がったのだから。
涙を流す資格なんて、自分にはないとジルベスタは気づいている。
だが、頬を伝うそれは止まることを知らない。まるで、壊れてしまったのかのように。
どうして、こうなってしまったのだろうか。
何を、掛け違えてしまったのだろうか。
叶うならば、時間が巻き戻って欲しい。
今戻れば、きっと自分は間違えない。
エヴァンジェリンの手を取って、野に下ることを選んだだろう。
―――でも、彼女の手は、もう、冷たい土の下だ。




