記憶
ああ、しっこしたくて限界!誰か!にゃ~を!にゃ~を!!
編入試験当日、朝早く帰宅した慎二に連れられてマンションを出る。
マンションから徒歩10分程の距離に、私立雨ヶ丘高等学校はあった。
敷地は狭く、校舎は古びた鉄筋コンクリートの5階建て。
日曜日だというのに部活の生徒が、狭いグラウンドにひしめいていた。
男装バージョンの慎二を見て、女生徒が黄色い悲鳴をあげている。
職員室に向かうと、数人の女生徒がゾンビのようにフラフラと、慎二の後をついて来た。
試験担当の先生に挨拶をし、教室に案内された。
「筆記試験の後に面接があるんだ。僕はそれまで理事長室でお茶でも飲んで待ってるよ。頑張って!」
男口調になっている慎二に背中を叩かれ、励まされる。
気合いを入れて試験に臨んだが、和人に習った記憶はあるものの、問題を解く事はできずに結果は惨憺たるものだった。
一教科目の試験が終わった時、他の教員が教室に入って来て、試験担当教員に耳打ちをし、琴子について来るようにと促す。
教員の指示に従って『理事長室』と書かれたプレートの付いている重厚なドア開けると、丸顔の人の良さそうなおじいちゃんがニコニコと笑って出迎えてくれた。
「試験はどうだった?」という慎二の問いかけに、泣きそうになりながら俯き、首を横に振る事しかできない。
琴子が泣きそうになっているというのに、それを見て慎二とおじいちゃんの二人は大笑いしている。
「ほらね、言ったでしょ。アタシに似て、お勉強はからっきしなのよ、この子」
「いやいや、キャサリンちゃんの姪っ子ちゃんだとわかってたら、最初から顔パスだったのに。新学期から登校してもいいよ。教科書とか全部用意しておくから、手ぶらで来てもいいよ」
「そうよねぇ、こんな進学校の授業にこの子がついて行けるわけないから、ノートも筆記用具もムダってもんよねぇ。手ぶらでいいわよね。あ、そうだわ、理事長さん。お礼に今度ボトル1本サービスしちゃうわよ」
「う~ん、それよりもボクは、1日だけでもキャサリンちゃんが他の指名を断って、ずっとボクの席についていてくれたら嬉しいなぁ」
男二人でキャッキャウフフとはしゃいでいる姿を、みじめな気持ちで見つめていた。
これは、裏口入学、いや、裏口編入の現場なのではないだろうか。
帰り道、洋服屋に寄って、既製の雨ヶ丘高校の制服と体操着を2着ずつ買ってもらった。
その後スーパーに寄って食材を買い、料理初心者入門編として、米のとぎ方からカレーの作り方、サラダのきれいな盛り付け方を慎二に習いながら昼食を作り、一緒に食べた。
食事が終わり、食器を洗った後、リビングで紅茶を飲みながら慎二が切り出す。
「まあここ数日でわかったと思うけど、アタシは年頃の女の子を育てるのには向いてないと思うわ。あまり一緒にいてあげる事もできないしね。どう? やっていけそう? 何か不満があるなら言いなさい」
「んー、不満って言うか……」
夜が怖い、とは言えない。
せめて夜は家に居て欲しかったが、慎二の仕事の邪魔をするような我儘は言えない。
「なによ、言いなさいよ」
「や、別に……なんでもない」
目を逸らすと、突然、慎二が声をあげて泣き始めた。
「やっぱり琴蔵、アタシの事がキライなのね、キモチワルイって思ってるんでしょ、いいのよ、わかってるのよ、うわ~ん」
気持ち悪くは無いが、本当に面倒臭い。
「ちがくて……」
「じゃあ何なのよ、言いなさいよ! 違うって言うなら言ってみなさいよ! キィィッ!」
襟を掴まれ、ガクガクと揺さぶられ、なんだか頭がぼうっとして何もかもどうでも良くなってきた。
「や、あの、慎さん、仕事だからしょうがないってわかってるから、無理にとは言わないんだけど、もうちょっと家に居てくれるといいのにな、って思っただけだよ」
慎二の顔にパァァッ! と光が差し、満面の笑みになった後で琴子を抱きしめる。
「やぁだぁ~、か~わ~い~いっ! 琴蔵は相変わらず慎ちゃんがだいちゅきなのね。わかったわ、じゃあもう仕事なんて辞めちゃおうかしら。琴蔵も学校行くの止めて、二人でずっとおうちに引きこもってようか」
うんざりだ。
「や、ほら、そしたら生活できなくなるし」
「貯蓄があるからあと10年くらいは大丈夫よぅ。その後はマンション売ったお金であと10年、兄さん達の保険金で更に10年、30年遊んで暮らした後は、二人で路上生活してもいいじゃない!」
まっぴらごめんだ。
「あの、悪いけど、慎さんと一緒に居たいって事じゃなく、ちょっと、一人で居たく無かっただけだから、気にしないで」
一生懸命両手を突っ張って慎二を引きはがすと、この面倒臭い叔父は、またメソメソと泣き始める。
「そ……そうよね、琴蔵、いきなり一人になって、寂しいのよね。ごめんなさい、わかってあげられなくて。やっぱりアタシ、仕事辞めるわ! 琴蔵の側に居てあげるからね!」
再度、ぎゅう~っと抱きしめられた状態から両手を突っ張って、慎二を引きはがす。
「や、あのね、えっと、そりゃ、寂しくないって言ったらウソになるかもしれないけれども、でもね、私ももう高校生だし、そんなにベッタリ一緒に居られたらウザいし、うち、結構放任主義だったし、お母さんもフルパートで働いてたから、むしろ今までの慎さんの距離くらいがありがたいって言うか……」
慎二が顎に人差指をあてて、かわいらしく小首を傾げる。唇はアヒル口になっている。
「ようするに、琴蔵はどうして欲しいの?」
自分の言っている事が支離滅裂だったと気付き、一瞬躊躇したが、この新しい自分の保護者に、全てを相談してみる事にした。
多分この人も、それを望んでいるのだろう、と。
「あのね、慎さん。私、ちょっと、精神的におかしくなってるみたいで、毎晩悪夢を見るんだよね。あと、昼間でも幻覚見たり……。やっぱり、いきなり家族が死んじゃったっていうショックもあると思うし、いきなりこんな都会に出てきて環境変わったっていうのもあると思うんだよね。いや、でも私、別にあれだからね。かわいそアピールしてるわけでもかまってちゃんでもないからね。ただ、本当にさ……変な……もの……」
話している途中で、視線が一点に釘付けになる。
慎二の斜め後ろの白い天井から、もずくのようなものが生え始めた。
もずくはどんどん成長し、べちょり、と、水っぽい音を立てて床にまで達した。
床からまた天井に視線を移すと、肌色の半円があり、何かと目が合った。
目の真下には、ダルマのようなヒゲがある。
見る間に、肌色の部分が長くなる。
あぁ、あれは、ヒゲじゃなく、眉毛なんだ。この人は逆さまになっているんだ、と理解する。
「私、きっと、頭が、おかしく、な、なっちゃったんだ。だから、あの、あれかな、びょ、病院、行かなきゃ、スキャン? 脳のスキャンとか? それとも、あれ、あれかな、心療内科の、ほう、かな、行かなきゃ、い……」
パンッ! と、慎二が空気が震えるほどの柏手を打った。
驚いてそちらを見ると、今までに無いくらいに真剣な顔をしている。
「琴蔵、こっちに来なさい」
慎二の仕事部屋に連れて行かれた。
相変わらず息が白くなるくらい寒かったが、慎二が部屋の真ん中の、囲炉裏のようになっている場所の小さな窯の上に固形燃料を置き、火を点け、その上に炭を重ねていく。
囲炉裏の真上の換気扇がグォングォンと音を立てて回り始め、まるで焼肉屋のようだ。
「そこに座りなさい」
有無を言わせない口調に気圧され、指示された座布団に正座した。
慎二はゆっくりと、炎の周りに丸太を組んで行く。両端共に10cmくらい内側を丸く削っていて、ブロックを組み立てるように、見る見るうちに囲いのようなものが出来上がる。
でも、あれは木だ。ある程度距離があるとはいえ、炎が移ってしまわないのだろうか。
木枠で囲まれた囲炉裏の周り、畳だし。
コンロの周りに貼り付ける、天ぷらガードみたいなもののほうがいいんじゃないだろうか、と思いながら、ハラハラと見守る。
きょろきょろと辺りを見回し、大きめの消火器が3つ設置されているのを確認し、ホッと息を吐く。
慎二が正面に座り、琴子の目の前に手の平を出してきた。
驚きながらもその手の平を見つめる。
部屋は炎で暖まり、だんだん眠くなってくる。
「琴蔵、何があったの? アンタはどうしてひとりで居たく無かったの? 何が怖かったの?」
今まであった事を話す。面倒臭い。このまま眠ってしまいたいのに、質問は続く。
「いつから? いつからそういうものが見えているの?」
ここ、に、来てから、だと、思う。
そう、心の中で思ったが、口に出していたかどうかはわからない。
「最初は? いつ?」
最初は……ここの駐車場で、エレベーターから正座したじじいが滑り出して来たのを見て……いや、違う。多分、そう、ハンドルを握っていて、車を運転していて、あれ、なんでだろう、ハンドルなんてゲーセンでしか握った事無いのに。でも、暗闇が迫って来て、迫って来て、迫って来て、私はハンドルを切って、逃げたはずなのに、暗闇が、暗闇が、暗闇が、暗闇が……。
パンッ! と、空気を震わせる音に目を開く。
琴子の目の前で、慎二が手を合わせていた。
「兄さん、義姉さん、ごめんなさい。琴子から離れてあげて。悪い影響出ちゃってるみたいだから。そうね、琴子は泣き虫だから、心配なのね。でも大丈夫。琴子の事はアタシに任せて。そう、そうなの。そういう事だったの。そっちもアタシが何とかするから。ええ、とりあえずアタシに移って来て。ほら、ボクちゃんも一緒に」
慎二がふぅ、と息を吐き、優しい眼差しで琴子を見つめる。
「封印が壊れちゃってるわ。中途半端なままじゃかえって危険だから、解いちゃうわね。目、瞑って」
言われた通りに目を瞑ると、額に指が2本あてられる。
頭全体に熱が伝わって来て、熱い。
心地よい音程で、慎二が何か呪文のようなものを唱えているのが遠くで聞こえる。
ものすごい眠気が襲ってきた。
「琴蔵」
慎二の声が聞こえるが、目を開ける事ができず、夢の中へ、体ごと落ちて行った。
ここは北海道の過疎の町。少子化も相まって同年代の子供は少なかった。
特に、私の家の近所はじじばば町と呼ばれていて、子供は私しか居なかった。
私はいつも、8歳年上の叔父、慎ちゃんに遊んでもらっていた。
でも、慎ちゃんが居ない時はいつも冒険に出て、その場で知り合った子供と遊んだ。
ケンちゃんとは、貯水池の畔で出会った。
ケンちゃんはぽっちゃりしていて、肌がまだらに青くて、いつも口から藻とか出している。
特技は人間ポンプで、よく口からゲンゴロウとかアメンボとか出してくれた。
ある日、貯水池でケンちゃんが服を着たまま泳いでいたので、頭にゴムボールをぶつけてみた。
「ヤメロヨゥ」
ケンちゃんは池の中からボールを投げ返してくれる。
もう一度ぶつけてみた。
また投げ返してくれた。
キャッチボールが楽しくなってきた私は、もう一度ボールをぶつけたが、ケンちゃんは返してくれない。
もっと遊びたかったので、そこいらにある小石なんかを手当たり次第にケンちゃんに向かって投げつけた。
ケンちゃんは本気で怒って私の足を掴んで貯水池に引きずり込もうとした。
「あはははは! まってまって、くつ、ぬぐから。まってって。ひっぱんないでって、ちょ、ま、あーーーーーーーー!!」
気が付くと私は知らないおやじにファーストキスを奪わ、いや、人工呼吸されていた。
貯水池の方を見ると、慎ちゃんがケンちゃんをすっごい怒って睨んでいた。
病院に運ばれて一晩入院して、翌日、貯水池に行ってみたけどケンちゃんは居なくて、それからずっと会っていない。
マー坊とはいつも崖のところで遊んでいた。
マー坊は頭が凹んでいて、体の関節が全部逆に曲がっている変わった子だった。
くねくねダンスを一緒に踊って遊んだりしていたんだけど、マー坊には敵わない。
ある日、思いつきでマー坊になんとなく膝かっくんをしてみたら、膝がちゃんと前にカクンとなって、マー坊は崖から落ちてしまった。
「あぁ、マーぼう、ごめん! だいじょうぶ?」
崖の下からちょっと怒ってるみたいなマー坊の声が聞こえる。
「ウ、ウン……ダイ、ジョウブ、ダヨ。コトコモ、オイデヨ。オモシロイカラ。バンジージャンプ、ダヨ」
「うん、わかった! いくよ~! って、え~、たかい~! え? ちょ、ま、あーーーーーーー!!」
あまりの痛さに気を失う直前、どこからかやってきた慎ちゃんがマー坊をすっごい怒って睨んでいた。
気が付いたら病院で、足を吊られていた。
退院してから崖に行ってみたけどマー坊は居なくて、それからずっと会っていない。
他にも、ヤッチンやリカちゃんやポンちゃんやショウくん、本当にたくさんの友達が居たはずなんだけど、みんな慎ちゃんに睨まれてからは会えなくなってしまった。
そして10歳の春、私は神隠しに遭った。
ゴールデンウィーク、桜はまだ三分咲きだった。
両親と慎ちゃんと私、4人で神社に花見に来ていた。
レジャーシートを敷いて座り、シートの真ん中でジンギスカンを焼く。
友達が誰もいなくてつまらなかった。
みんなに会いたくて、また一緒に遊びたくて、私は癇癪を起こしていた。
会いたくて、会いたくて、たまらなく会いたくて、呼んでいた。
「どうしてみんないなくなっちゃったの? 琴子の事、嫌いになったの? 誰でもいいから、出てきてよ!」
「ほら、琴子、いつまでもごんぼほってねえで、ジンギスカン食えってや」
母はジンギスカンを乗せた皿を私に差し出し、私はその手を振り払った。
皿が飛んで、肉や野菜が地面に落ちて……暗闇の中にいた。
『こっちじゃ。お主に会いたがっている者がおる』
小さな手に引かれて、光の方向に進むと、倉庫のような部屋に出た。
そこで、約束を交わした。
大きな手と、指切りをした。
「約束だ、琴子。ずっと待ってるから」
「また、ここで会える日を……」
なぜそんな悲しそうな顔をしているの?
そんなに泣かないで。ほら、私、来たでしょ? 約束通り、ちゃんと来て、あなたに出会った。だから……




