和人
ら~すくりすますあいぎびまは~、ばっざべりねくすで~い、にゃにゃにゃにゃにゃ~♪
でぃ~すいぇあ~、とぅせぶみふろむてぃあ~ず、にゃにゃにゃにゃっにゃっすぺっしゃ~る♪
あまりの痛さに意識を取り戻し、うめき声と共に数時間前に食べた朝食を吐き戻した。
体が動かない。
自らの吐瀉物を気管に吸い込んでしまい、咳き込む。
咳き込む度に、吐瀉物がまた気管に入り込む。
息を吸っても、吸っても、吸っても、酸素は入ってこない。
あぁ、僕はこのまま死ぬのか、と思った。
過去の記憶が走馬灯のように脳内を駆け巡る。
楽しかった。馬鹿もやった。恋もできた。
みっともない死に方だけど、それもいいか、と思う。
ふいに、頭を横向きにされた。
途端に、鼻からも口からも余計なものを飛び散らせ、ひぃ、ひぃとみっともない音を立てて貪欲に酸素を吸入した。
視界が明滅する。
僕の頬に添えられた血まみれの手。
「大丈夫?」
琴子さんの声が聞こえる。
あぁ、琴子さんが生きている。僕は彼女を守りたい。守らなければ!
そう思うのに、体は動かない。
大丈夫、と伝えたいのに、その言葉は出ずに、ひぃ、ひぃと、みっともない音を発するだけの僕の口。
「大丈夫なわけないよね、ごめん。すぐに救急車呼ぶから。ごめんね、給水塔、私じゃ動かせなかったから」
どうやら僕の体の上には給水塔がのしかかっているらしい。
あまりの痛みに、自分の体がどうなっているのかもわからない。
助からないかもしれない。
最後に、琴子さんの姿を見たかった。
必死の思いで首を動かし、なんとか、琴子さんの足元を視界に捉えることができた。
眼鏡の片方のレンズにひびが入っているらしく、それはちゃんとした形を成していなかったので、片目を瞑り、ただ彼女の姿を追った。
耳を澄ませ、目を凝らし、ただ、彼女を、彼女だけを、脳裏に焼き付けようとした。
せっかくのきれいな黒髪が、血で固まってしまっている。
かわいかったお団子も、ぐしゃぐしゃになっている。
彼女は僕のために救急車を呼んだ後、そのままスマホを地面に落とした。
カシャン、と、スマホの画面が割れる音が響く。
彼女は振り返り、まるでプレパラートのように、薄く、儚く、透明に、僕に微笑んだ。
「カズ、ごめんね。ありがとう。好きって言ってくれて、本当にうれしかった」
あぁ、きれいだ。
本当に、きれいだ。
固まった髪をばさりと翻し、彼女は何かを拾い上げた。
思ったよりも重かったのか、一度取り落としそうになりながらも、それを抱え上げる。
それは、マネキンの頭部に見えた。
――――タカに、よく似ていた。
「タカ、好きよ」
血まみれの彼女は、それに口づけ、ゆっくりと歩き出す。
どこかで見たことがある。
あぁ、サロメだ。
昔見た舞台。
『ヨカナーン、あなたの口に、口づけしたわ』
その先には破滅しか待ってはいない。
「……」
琴子さんを呼ぼうとしたけれど、声が出ない。
視界も、涙でぼやけていく。
屋上の端、フェンスの破れている箇所に立った彼女は、瞬きをした一瞬のうちに姿を消した。
そこから先は……覚えていない。
これでも随分と思い出して来てはいるのだけれど、まだ記憶が曖昧なのか、それともそこから先は気を失ってしまったのか。そんな所だろう。
意識を取り戻した時、枕元で父と母が号泣していたので、何事かと思って眼鏡を探そうとしたが、体がまったく動かなかった。
数日してから話を聞いてみると、どうやら僕は頭を強く打っていたらしく、なんと、3か月もの間、意識不明だったらしい。
更に、あちこち骨折していて、何故か火傷まで負っていたそうだ。
運の悪いことに、突風で給水塔が倒れ、避雷針も折れていて、水浸しになった屋上に雷が落ちたらしい。
しばらくの間は入院して検査を受け、筋肉がすっかり落ちてしまったのでリハビリもしなくてはいけないという事だ。
更に、火傷箇所がケロイド状になってしまっているので、そちらも手術を受けろと言われた。
胸から腕にかけての前面と、左のこめかみ辺りから頬にかけて。
男だから大丈夫だと言ったのだけれど、母が泣きながら懇願するので仕方なく手術に同意した。
「良かったわ。琴子ちゃんのためにも、絶対にその方がいいもの」
母の言葉に、耳を疑った。
母は、「琴子ちゃんもきっと天国で喜ぶわ」という類の無神経な事を言う人では無い。
真実を知るのが怖くて今まで聞けなかった、希望を失うのが怖くて聞けなかった一言。
「琴子さんは、無事なの?」
母は柔らかく微笑んで頷いた。
夜中に布団を被り、人知れず毎日泣いていたが、それとはまったく逆の意味の涙が、とめどなく溢れ出る。
母が優しく頭を撫でてくれた。
「ごめんなさい、お前の事で頭がいっぱいで、ちゃんと伝えてなかったわね。琴子ちゃんは無事よ。貴史君と櫻子ちゃんが守ってくれたのね、きっと。ただね、琴子ちゃんもまだ入院しているのよ。この病院に居るから、お互いに元気になったら、ね」
それからは、琴子さんに会う日の事を励みに、リハビリも頑張った。
警官が来て、事情聴取も受けたが、屋上に出ると突然突風が吹いて、それからは覚えていない、と答えた。
時折マスコミが忍び込んで来ては屈強な看護師(女性)に追い出されていた。
事件の詳細について僕が知ったのは、移動手段が車椅子から松葉杖に変わり、両親が四六時中付き添わなくなった頃。リハビリ室からの帰りに、お茶でも買おうと立ち寄った休憩室だ。
1冊の女性週刊誌が目に留まる。
表紙には大きく『呪われた学校?! 私立雨ヶ丘高等学校の謎』と書かれていた。
頁を捲ると、最初にまず事件概要が書かれている。
ほんの数週間の間に、1クラスから8名もの死傷者が出た事。うち、6名は死亡、2名は重体、と書いてある。
それぞれの死の状況が克明に記載されている。
屋上での事故は、突風や落雷などの自然災害に加え、フェンスや給水タンクを支える鉄骨等の老朽化も原因、との発表だったようだ。
『Tさんはフェンスの金網が破れて落下したと思われ、仰向けの状態で発見されたが、無残にもその右目から地面を貫き、避雷針が刺さっていた。本誌記者が避雷針メーカーのA氏に電話取材したところ、避雷針の先端はそんなに尖っているものでは無く、また、重心も先端では無いので、考えられない事だ、との返答だった』
『その隣には、K君がうつ伏せの状態で倒れていたが、その遺体には頭部が無く、頭部は少し離れた花壇の中で発見された。K君の遺体の側にはソーラーパネルのガラスが散乱していたが、屋上のソーラーパネルの破損は人為的な力が加わった形跡もあり、警察では調査中という事だ』
『Mさんはフェンスと一緒に落下したと思われ、途中でフェンスの一部が樹木にぶつかる等して減速し、更に、前述した2名の生徒の遺体の上に落下したため命は取り留めたが、金網が腹部を貫通しており、重体である』
『S君は給水タンクの下敷きになっており、現在も意識不明の重体である』
他には、田仲君の事故現場をSNSにアップした人達の自殺の件、憶測や、聞いたことも無い伝説等、割といい加減な事が書かれていた。
どの雑誌を読んでみても似たり寄ったりで、中には『生き残ったMさんの後見人は、地元CATVでは有名な占い師で、霊能力者として信者を集めているカルト教団の教祖だ。今回の事件は全て、このカルト教団の呪いによるものである』などと書き立てている雑誌もあった。
三神さんはもう戻っているのだろう。
これだけ騒がれているのだ。どんな田舎に居ても、耳には入るだろう。
琴子さんは一人では無い、とは思うけれど、早く琴子さんの側に行ってあげなければ、と、気ばかり焦る。
リハビリ時間以外でもトレーニングできるように健康器具を頼むと、個室なのを良い事に、父が、家にあった母のダイエット用の巨大なエクササイズマシーンを全て持ち込もうとして、屈強な看護師(女性)にこっぴどく叱られていた。
母が持ってきてくれた小ぶりな健康器具を使い、暇な時はベッドに寝ころんだまま、アンクルウェイトを付けて足を持ち上げたり、ハンドクリップで握力を鍛えたりした。
全ては、早く琴子さんと会うために。




