正体
頑張って投稿してみた!ドヤッ!!
「これは……」
思った以上に広い空間だった。
壁も床も天井も土が剥き出しで、補強のつもりなのか、柱で骨組みだけはしてある。
壁の一面は木造の棚になっており、茶色く変色した紙の束と何冊ものノート、そして、無数の小瓶が置いてあった。
間違い無い。ここが、佐東が書いていた隠し部屋だ。
「そうか、そうだよ。病院の建物の中に隠し部屋があるはずが無かったんだ。病院のほうには、あの5人が来た時に窓を割って初めて入ったんだ。それ以前に佐東さんはここを見つけてたんだった」
カズが今更そんな事を言う。
ただただ、無駄な時間を使い過ぎた事が悔しい。
手近にあったノートを一冊手に取った。
波打って、ページがくっついている。
バリバリと音を立てて開いたページは、所々かびていて、文字も滲んでいる。
和人がノートを横から覗き込み、読める部分を解読した。
「今日は、……子を始末。爪の再生をまつてみるものの、表面が波打ち、……かつた。ひとりの女人から取れる爪は10枚までなり。まことに……である」
ノートや紙の束の判読は和人に任せ、再度、辺りを見渡す。
ここで何が行われていたのか。
「おい。この小瓶、全部持ち帰ってお焚き上げするぞ。中身だけでいい。荷物全部出して鞄に詰めろ!」
貴史の声に頷くが、一点、どうしても気になる箇所があった。
壁の一ヶ所、他は磨きこんだように滑らかなのに、一ヶ所だけ手で掘ったように窪みがある。
「うん、ちょっと待って」
貴史の舌打ちが聞こえたが、そこに吸い寄せられるように近付き、手を当てた。
意識を集中し、感覚を研ぎ澄ませる。
耳元で、誰かの荒い呼吸が聞こえた。
ソレに呼吸を合わせ、ゆっくりと目を閉じた。
暗闇。荒い息。逃げなければ。ここから逃げなければ。
喉に痰が絡み、咳込む。
咳が止まらず、口元を手で覆った。
痰と唾液が掌に付着する。
ティッシュを出さなければ、と、咳が落ち着いてから口元から手を離すと、手が、真っ赤に染まっていた。
ああ、自分は死ぬんだな、と思った。
でも、こんな死に方は嫌だ。
こんな死に方だけは嫌だ。
――――どんな?
どんな死に方をしたと思う?
私がどれだけ苦しかったか、教えてあげましょうか?
咳き込み、口をハンカチで押さえる。
ハンカチ? ハンカチ、いつ出したっけ? それにこれ、私のハンカチじゃない。
白いガーゼのハンカチには、血の混じった痰が付いていた。
この町には、そう、とても親切なお医者さんがいると聞いて、ずっとひとりで山道を歩いてやって来た。
私みたいな貧乏人でも、肺病に罹った人を、お金も取らないで助けてくれるお医者さんがいる、と。
やっと、やっと辿り着いた。森の中のサナトリウム。
玄関に入り、助けを求める。
「ごめんください、ごめんくだ」
咳き込んでまた血の混じった痰を吐く。
数人のナース服を着た女性に支えられながら、ベッドのある部屋に連れて行かれた。
薬湯を飲ませてもらい、そのまま眠りについた。
翌日、院長の待つ診察室に連れて行ってもらった。
診察をするのに、院長は聴診器で胸の音を聞き、喉の奥を見た後で、なぜか私の手を取り、じっと見つめた。
「あなた、きれいな爪をしていますね。ふふふ」
私の手を持ち上げて、爪に接吻をし、熱い眼差しで私を見つめてくる。
院長はまだ若く美しい青年だったので、私はちょっとだけいい気分だった。
そんな私を見て、ナース達が暗い顔をする。
廊下を歩いていても、彼女たちは私を見てこそこそと何かを話している。
私は、それを彼女達の嫉妬だと思っていた。
私はまだ、夢見る少女だったのだ。
更に翌日、私は暗い顔をしたナース数人に、病室から連れ出された。
「どこへ行くのですか?」と聞くと、個室に移動させると言う。
胸が高鳴った。
お金も払えない私に個室を与えるということは、やはりあの院長は、私に一目惚れしたのかもしれない。
それゆえの特別扱いなのだ。
きれいな個室に入り、注射を打たれて眠りについた。
――――意識が戻って来て、寝返りを打とうとしたが、体が動かなかった。
手足をベッドに固定されていて、指先は何か布で巻かれているようだ。
目を開いても真っ暗で何も見えない。
「だれか、だれかいませんか? 誰か!」
しばらく叫んでも、誰も来る気配は無かった。
咳き込んで、顔を横に向け、喉に絡んだ痰を顔の横に吐き出す。
何時間か経った頃、物音が聞こえ。ふいに部屋の中がぼんやりと明るくなる。
周りを見渡す。
ここは……防空壕だろうか? 土を掘りぬいただけの壁に、机と椅子がひとつ。棚には小さな瓶が沢山並んでいる。
天井から足が2本見えた。
ああ、あそこに梯子があるのだ。
「あの、すみません、動けないんですけど。これ、ほどいてもらえませんか?」
懐中電灯を手にした、白衣を着た男性が下りて来た。
「助けてください! これ、ほどいてください!」
振り向いた男性の顔を見て、私は安堵の涙を流した。
院長だ。院長先生が助けに来てくれたのだ。
彼は笑みを浮べてこちらに近付いて来る。
良かった。
私も彼を見つめて微笑みを返す。
「お目覚めでしたか。お待たせしてしまいましたね。ふふふ」
私の手を愛おしそうに撫でる。
「ふふふ、もう少しだけ待ってくださいね。今準備をしてきますので」
優美な動きで棚から小瓶をひとつ取り、机の引き出しから何か器具を取り出す。
「さて、どちらからにしましょうかね」
にっこりと笑って問いかけてくる。
どちらの手から先に縄を解きましょうか、という事だろうか。
「どちらからでも」
見つめ合って微笑みを交わす。
「そうですか。では右からにしましょうね。あなたは左のほうが美しいので、お楽しみは後に取っておくことにしましょう。ふふふ」
院長は私の右に回り、包帯を解いて私の手を強く握る。
拘束を解いてくれると信じて疑わなかったので、私は院長の丹精な顔を見つめていた。
指先に冷たい器具が触れて
「ぃぎっ!」
激しい痛みに目の前が真っ白に染まる。
呼吸が速くなり、あまりの痛みに吐き気が襲ってくる。
「おっと、いけませんね。吐いたものが喉に詰まって死んでしまっては大変だ。ご遺体から爪を剥いでもね、何故か美しくないんですよ」
首を横に向けられ、そこに吐き戻してしまう。
「ほら、見てください。きれいでしょう。まるでさくら貝のようだ」
ガーゼで血のりを拭き取りながら、何か白っぽい、薄くて小さなものを私の目の前に翳す。
「あぁぁ、美しいいぃぃぃ、なんて美しいんだ。こんなに美しい爪は3年ぶりですよ」
それを口に含む。
「あまぁぁぁぁぁい、甘美な味です! すばらしぃぃぃぃ~い!」
舌の上からそれを取り出す。
よだれで糸を引いたそれを、またガーゼで磨き、チリン、と、ガラスの小瓶に入れる。
小瓶には私の名前が書いてあった。
「もう吐き気は収まりましたか? 大丈夫そうですね」
口に丸いものを詰め込まれ、チューブを入れられて、猿轡をされる。
「すみませんね。別に大声を出しても平気なんですが、舌を噛まれると困りますのでね。痰が絡むと苦しいでしょうから、吸入もしておいてあげますね」
手に包帯を巻き直し、点滴を腕に刺される。
「大丈夫ですよ、栄養剤と睡眠剤です。1日1枚。お楽しみはまた明日ですね。おやすみなさい」
瞼が重くなり、意識が遠のく。
手がズキズキと痛み、暗闇の中で目が覚める。
あれからどれくらいの時間が経ったのだろう。
頭がぼうっとして、悪夢を見ていたのかと思ったけれど、指は痛むし、あたりは真っ暗で、手足を動かせず、口を閉じることさえできない。
夢じゃない。これは現実なんだ。
涙が止まらない。
何故私がこんな目に……。
逃げなきゃ。ここから、逃げなきゃ。
腕や、足を動かそうとするが、ピクリとも動かない。
誰か、助けて。助けて。助けて……。
そしてまた、その時間がやって来る。
前日と同じように、院長がやってきて、爪をもう1枚剥いでいく。
いやらしく笑い、剥いだばかりの私の爪をこれ見よがしに舌の上で転がし、小瓶に入れて光に翳してうっとりして、私に点滴を打つ。
次の日も、またその次の日も。
5日目、縄が緩んだのか、手が痩せ細ったためか、右腕が、動いた。
手首が擦れて痛かったが、爪を無くした指先の痛み程では無かった。
私は必死に腕を動かして、縄を解く事に成功した。
右手には爪の残っている親指だけに包帯が巻かれている。
猿轡を外し、歯と、痛む右手を使って左手の拘束を解き、包帯を解いた。
足の拘束も解き、やっと全身が自由になる。
暗闇に目は慣れている。
梯子を上り、出口の蓋を押し上げようとしたが、びくともしない。
叩いても、引っ掻いても、何をしてもその鉄の蓋は、どれだけの重さがあるのか、少しも動くことは無かった。
――――すぐにでも奴が来てしまうかもしれない。どうすればいいんだろう。
この出口は、井戸だろう。まぁるくコンクリートで固められている。
梯子を下り、がむしゃらに土の壁を爪で掻いた。
無事だった左手の爪が割れて剥がれても、掻き続けた。
あんな奴に剥がされて嘗め回されるくらいなら、そのほうがマシだ。
必死に土を掻き続けていると、天井のほうから物音がして、部屋が懐中電灯の灯りで照らされた。
「あぁ、あああああ、ああああああ! 神様、神様!」
壁の隅に走る。
どこにも逃げ道は無い。
隠れる場所も無い。
何か、何か武器……武器になるものを。
何も見当たらない。
いや、ひとつ。
棚の中にあった小瓶を床に叩きつけて、割れたガラスの小さな欠片を手に持つ。
喉か、目。そう、目を刺せば、隙をついてあの梯子で。
「あああぁぁあ、ああああ、なんてことを! なんてことを! 私の爪を、爪の瓶を!」
院長が突進して来る。
狙いを定めて、院長の眼にガラス片を突き出したが、ガラス片は院長の瞼を傷付けただけだった。
喉を掴まれ、押し倒される。
頭を何度も打ち付けられ、意識が遠くなる。
私の左手を握りしめ持ち上げて、院長はまた叫び始めた。
「あああああああ、あああああ、せっかくの美しい爪まで……何て事を……何てことをぉおおおぉぉ! このクソアマ! ぶっ殺してやる! ぶっ殺してやる!」
喉に手が伸びてきて、強い力で床に押し付けられる。
ゴキッという音がして―――
気付くと私は、奴の、院長の、横に立っていた。
院長は泣きながら、私の抜け殻の喉を絞め続けていた。
「ちくしょう……ぢぐじょう……このクソアマ、おでの、おでの爪を滅茶苦茶にしやがってえぇぇぇ~~……あ、しまった、殺しちゃった。爪が伸びるまで生かしときゃ良かった……くそっ!」
立ち上がり、私の体を蹴り上げる。何度も、何度も。
私は、モノのように蹴られ続けている私の体を、傍らで見つめていた。
後片付けをして、私の体を担いではしごを上っていく院長の後についていく。
外が見えているのに、透明な壁に阻まれているようで、私はその先に進む事ができなかった。
私はこの部屋に囚われてしまったのだ。
部屋の隅に黒い霧が蠢いている。
じっと見ていると、霧の中に女の顔がいくつもいくつも浮かんでは消える。
あぁ、彼女達も、あの院長に爪を剥がされ、殺されたのだ。
ひとつの想い、ひとつの恨み。何十人もの悲しい恨みの塊。
お前も一緒に、私たちと一緒に、と、私を呼んでいる。
私は必死に抗った。
その後も、数人の女が部屋に連れて来られて、爪を剥がされ、殺され、渦の中に組み込まれていった。
何度も彼女達に話しかけ、助けようとしたが、私には何もできなかった。
いつの頃からか、新たに女が運ばれてくる事は無くなり、毎日部屋を訪れ、小瓶から爪を取り出ししゃぶっている院長も、日に日に老いていった。
瓶の中の爪は小さくなり、院長の日記のノートだけが増えていく。
院長にも死の影が忍び寄って来た。
数ヶ月間部屋を訪れなくなり、ある日、黒い霧がざわざわと騒ぐ。
院長が死んだのだ。
これで彼女達も自由に――――。
「ぅおいこらぁぁっ!!」
両頬に痛みを感じ、ガクガクと揺すぶられていた。
貴史が、琴子に往復びんたをしながら襟首を掴んで揺すぶっていた。
ひどい。父さんにもぶたれたことないのに。母さんと慎さんにはあるけど。
「お前が勝手に同調するから、見てみろ、この有様を! どうすんだこれ」
黒い霧が、辺りに立ち込めていた。
それは、見る見るうちにどんどんと密度を濃くして、光を奪っていく。
「どう……しようか……ね?」
和人だけがわけがわからないようで首を傾げていたが、琴子と貴史は鼻の穴を広げ、脂汗をたらたらと垂らしていた。




