第二話 効率化(ロジック)と生存の境界線
レベルが2に上がった瞬間、俺の視界はわずかに鮮明になり、肺に取り込める酸素の量が増えた実感が湧いた。
だが、依然として俺は丸腰だ。手にあるのは、先ほど魔物の返り血で汚れた鋭利な石ころ一つ。
「……次は、正面衝突を避ける。これが鉄則だ」
俺は暗い森の中を、一歩ずつ慎重に進み始めた。
かつて深夜のビル巡回で、不審者が潜んでいそうな死角を一つずつ潰していったあの感覚を呼び覚ます。
異世界の森は、一見すると無秩序なジャングルだが、注意深く観察すればそこには明確な「導線」が存在する。
草が踏み固められた跡、樹皮が削れた痕跡、そして微かに漂う獣の体臭。
これらを繋ぎ合わせれば、魔物たちの移動の経路が分かってくる。
「ここか……」
二つの巨木が門のようにそびえ立ち、その間を獣道が通り抜けているポイントを見つけた。
まさに「罠」を設置するのに最適なチョイスだ。
俺は周囲を見渡し、使えるリソースを確認する。
通販スキルを使えばワイヤーもトラップも買えるが、今の俺の残高は、レベルアップに注ぎ込んだせいで再び「ゼロ」に戻っている。
なら、自作するしかない。
俺は頑丈そうな蔓をナイフ代わりの石で削り出し、重なり合った倒木を利用して、古典的な「括り罠」と「落とし重し」の複合トラップを構築し始めた。
かつて資格試験の勉強で、複雑な数式や論理構造を整理した時のように、俺の脳は冷徹に「致死率」を計算していく。
この角度で蔓が引かれれば、上の倒木がどの軌道で落ちるか。
魔物の初速がどの程度なら、回避不能なタイミングで発動するか。
35歳のオッサンが、泥にまみれて黙々と仕掛けを作る。
それは、華やかな魔法無双とは程遠い、あまりに地味で、あまりに泥臭い光景だった。
「……セット完了。あとは、餌だ」
俺は自分の腕を軽く傷つけ、数滴の血をトラップの中央に垂らした。
自分の血をコスト(経費)にするのは気が引けるが、これ以上の呼び水はない。
俺は近くの茂みに身を潜め、息を殺した。
手元の『ステータス』画面を、暗所でも目に優しい輝度に調整し、レーダーのように周辺警戒を続ける。
――ガサッ。
来た。
現れたのは、先ほどの狼もどきよりも一回り小さい、だが背中に鋭い棘を持つ「スパイク・ラット」とでも呼ぶべき魔物だった。
それは鼻を鳴らし、血の匂いに引き寄せられるように、俺が作った「検問所」へと足を踏み入れる。
一歩。
二歩。
バキィッ!
乾いた音が森に響いた。
仕掛けた蔓が魔物の足を払い、連動して頭上の大木が容赦なく叩きつけられる。
「ギュッ……!」
断末魔の叫びすら上げられず、魔物は即死した。
その体から光が溢れ、俺の目の前に**「魔石」**が転がる。
さらに、今回は魔物の死体が消えず、その場に残った。
「……よし。計算通りだ」
俺は茂みから這い出し、まずは魔石を回収する。
【所持魔石:1】
画面上の残高が増える。この瞬間だけが、俺の心を安らげた。
裏切らない、確実な報酬。女たちの甘い嘘より、この一石の方が遥かに価値がある。
さらに俺は、獲物の死体を見つめた。
見た目はグロテスクだが、これは貴重な「食料」だ。
通販で「保存食」を買えば1魔石が消える。だが、これを自分で解体して食えば、1魔石を温存できる。
俺は石の破片を使い、苦労しながら魔物の皮を剥いだ。
内臓を取り除き、可食部を切り分ける。
生で食う勇気はない。俺は再び『通販』画面を開いた。
「……ここが投資のしどころか」
俺は、血で汚れた指で画面を操作した。
• 使い捨てライター:1魔石
購入ボタンをタップした瞬間、虚空からプラスチック製の安っぽいライターが、俺の掌に落ちてきた。
「……感触は、完全に日本のコンビニで売ってるやつだな」
カチッ、という小気味いい音と共に、小さな炎が灯る。
異世界の森で見る、日本の文明の灯。
枯れ枝を集めて焚き火を作り、魔物の肉を串に刺して炙る。
脂が爆ぜる音と共に、香ばしい匂いが立ち上った。
味付けなんて何もない。だが、空腹という最強のスパイスが、それを極上のステーキに変えた。
「……うまい。生きてるな、俺」
熱い肉を咀嚼しながら、俺は次の「予算案」を練り始めた。
現在、レベル2。所持魔石はゼロ。
次は、レベル3に上げるのに魔石が5個必要だ。
さらに、『通販スキル:Lv.2』に上げるためにも、同様のコストがかかるだろう。
レベルを上げれば、罠の設置スピードも上がるし、戦闘の生存率も上がる。
スキルレベルを上げれば、塩やスパイス、あるいはもっとマシなナイフが買えるようになるかもしれない。
「どっちを優先すべきか……」
俺は、空中に浮かぶ半透明のウィンドウを見つめる。
この無人島は、巨大な「オフィス」だ。
俺はここで、誰にも邪魔されない自分だけのプロジェクトを進めている。
敵は、魔物。
資源は、魔石。
目標は、この島を「完全な安全圏」へと最適化すること。
肉を食い終えた俺は、焚き火の明かりの中で、次の罠を仕掛けるポイントをマップにメモし始めた。
女なんていらない。
贅沢なんて後回しだ。
俺はただ、この『通販』画面のカタログが、俺の努力(魔石)で埋め尽くされていく光景を夢見ていた。




