第十八話 性能評価(ベンチマーク)と傍観の原則
街道を街へ向かって歩き出して数十分。
風に乗って、微かに鉄がぶつかり合う乾いた音と、悲鳴じみた怒号が鼓膜を揺らした。
「……ん?」
同時に、『気配察知』のレーダーに複数の赤いドット(敵性反応)がポップアップする。前方約200メートル。
俺は即座に足音を消し、街道を外れて森の茂みへと滑り込んだ。極限まで高められた『隠密』スキルが、俺の存在をただの背景へと書き換える。
木々の隙間から、通販で買った小型双眼鏡で前方の状況をズームした。
「……なるほど。ファンタジー名物、『馬車襲撃イベント』か」
街道のど真ん中で、一台の馬車が立ち往生していた。
木箱を積んだ商人などではない。金の装飾が施され、扉にはどこかの貴族の家紋らしき紋章がデカデカと描かれている。
それを守るように円陣を組んでいるのは、磨き上げられた銀の鎧を着た5〜6人の騎士たち。だが、彼らを包囲している薄汚れた武装集団――盗賊の数は、優にその3倍はいた。
「助けて恩を売る……なんて、三流ラノベの主人公みたいな真似は絶対にしねえぞ」
俺は先ほど制定したばかりのコンプライアンス『第1項:非干渉の原則』を即座に適用し、安全圏からただの「監視カメラ」としてこのインシデントを見届けることにした。
そもそも、俺はこの世界(大陸)の一般的な「戦力基準」を知らない。これまでに戦った人間は、あの絶海の無人島に漂着した海賊たちだけだ。
この襲撃劇は、現地の標準的なスペック(レベル帯)を測るための、絶好の性能評価テストだった。
観測:大陸の戦力水準
俺は双眼鏡を下ろし、目を細めて『鑑定眼』を起動した。
視界の中の人物たちに、次々とステータスのポップアップが表示されていく。
【対象:王国騎士】
【レベル:14〜16】
【対象:野盗】
【レベル:9〜12】
「……低いな」
俺は思わず呟いた。
無人島で俺が死闘を繰り広げた海賊の頭領、ガッツ・ザ・ブラッドはレベル25だった。彼が異常に強かった(あるいはネームドの強敵だった)のか、それともこの大陸の平均レベルがこの程度なのか。
盗賊の集団の中で、ひときわ大声で指示を出している大柄な男――おそらくボスだろう――に焦点を合わせる。
【対象:野盗の頭領】
【レベル:18】
「頭でもその程度かよ。……ガッツの足元にも及ばない雑魚じゃねえか」
俺(レベル35)からすれば、どちらの陣営もワンパンで沈められる低スペックの群れに過ぎない。この大陸の人間が全体的にこの水準なら、俺の身の安全は完全に保証されたと言っていい。
傍観:多勢に無勢という物理法則
戦闘は、長引かなかった。
騎士たちは個々のスキルや装備の質では盗賊を上回っていたが、圧倒的な「数の暴力」の前には無力だった。
「右が薄いぞ! 押し込めェ!」
盗賊の頭領が叫び、数人がかりで一人の騎士を押し倒す。鎧の隙間に汚い短剣が次々と突き立てられ、断末魔の叫びが街道に響いた。
陣形が崩れれば、あとはただの作業だ。騎士たちは一人、また一人と血まみれになって地に伏していく。
最後に残った騎士が首を刎ねられると、盗賊たちは歓声を上げながら馬車へと群がった。
荒々しく扉が引き開けられ、中から豪奢な服を着た初老の男が引きずり出される。
「き、貴様ら! 私を誰だと……ぐあっ!」
貴族の特権を主張しようとした男の言葉は、盗賊の頭領が振り下ろした棍棒によって、あっけなく物理的に遮断された。
頭を砕かれた貴族は、ピクピクと痙攣したのち、完全に沈黙する。
「……ご愁傷様。だが、自力で身を守れないなら、その家紋はただの『的』でしかないってことだ」
俺の心には、憐憫も怒りも一切湧かなかった。
日本で会社員をしていた頃なら、目の前の殺人劇に震え上がっていただろう。だが、あの島で無数の魔物を解体し、血と泥にまみれて生き抜いてきた今の俺にとって、これは「弱者が強者に喰われた」という、極めて当たり前の自然現象に過ぎなかった。
結論:安全マージンの確認
盗賊たちは馬車の中から金目のものをごっそりと運び出し、貴族や騎士たちの遺体から身ぐるみ(装備)を剥がすと、満足げに森の奥へと撤収していった。
彼らの気配が完全に『気配察知』の範囲外に消えたことを確認してから、俺は茂みからゆっくりと立ち上がった。
街道に出ると、そこには無惨に転がる死体と、血だまり、そして車輪の壊れた馬車だけが残されていた。
血の匂いが鼻を突くが、ブルー・キラーシャークの解体に比べれば大したことはない。
俺は死体には一切触れず、ただの障害物を避けるように、血だまりを跨いで歩き出した。
「……結果は上々だ」
この大陸の標準的な戦力は、俺の想定を大きく下回っている。
コンプライアンス『第3項:無制限の自己防衛』を行使することになっても、あの程度の雑魚なら、メイスを一振りするだけで一掃できる。
他人の命など知ったことではない。
重要なのは、俺がこの世界で「安全かつ快適に、誰にも脅かされることなく生きていける」という確証が得られたことだ。
足取りは軽い。
凄惨な事件現場を背に、35歳のオッサンは、遠くに見える巨大な城塞都市へと、再びマイペースな歩みを進めていった。




