第九話 招かれざる客(リスク)とセキュリティホール
水平線の彼方から近づいてくる帆船を、俺は拠点の防刃ネットの隙間から、通販で買った高倍率望遠鏡で凝視していた。
『気配察知』のスキルは、まだその距離では微かな気配としてしか相手を捉えていない。だが、視覚情報は刻一刻と、その船の情報を俺に伝えてきていた。
「……遠目には立派に見えたんだがな」
近づくにつれ、船体のディテールが明らかになる。
白かったはずの帆は煤け、無数のパッチワークで修復されている。木製の船体には、何かに激しく衝突したような亀裂や、焦げ跡、そして矢が突き刺さったままの箇所がいくつも見受けられた。
それは、優雅なクルーズ船でも、正規の貿易船でもない。死線を幾度も潜り抜けてきた、ボロボロの「戦場帰りのカラス」だった。
「オレのデータ分析によれば、あれは『救助』を目的とした船じゃない。……『逃亡』か、『略奪』の果てだ」
俺は望遠鏡を構えたまま、舌打ちをした。
女に散々騙されてきた人生だ。期待など最初からしていない。だが、いざ「外界からの初の接触」がこれだと、改めてこの異世界の世知辛さを痛感する。
船は、俺が漂流物を発見したあの砂浜から少し離れた、天然の良港となっている入江にゆっくりと進入し、錨を下ろした。
鑑定:海賊
接岸と同時に、船から威勢のいい、だが粗野な怒鳴り声が聞こえてきた。
俺は『隠密』スキルを発動させ、自身の気配を森のざわめきに同化させながら、入江を見下ろす茂みへと移動した。
『身体強化』された脚は、音もなく複雑な地形を走破する。
茂みの隙間から、『鑑定眼(上級)』を全開にして、浜に降りてきた連中を観察する。
最初に降りてきたのは、片目が潰れ、顔中に傷のある大男だ。腰には無骨なカットラスをぶら下げ、返り血を浴びたような革鎧を着込んでいる。
【対象:ガッツ・ザ・ブラッド】
【ランク:C】
【職業:海賊頭領】
【レベル:25】
【脅威度:中】
「……キャプテン、ね。レベル25。俺より上か」
警備員としてのリスク管理脳が、即座にアラートを鳴らす。
続いて降りてきた連中も、似たり寄ったりのツラ構えだ。武装はバラバラだが、誰もが「殺気」を隠そうともしていない。
女も数人混じっていたが、日本の夜の街にいたような、甘い匂いを漂わせたATM狙いの女じゃない。男以上に凶暴な眼光を放ち、短剣を弄ぶ「雌狼」たちだ。
「接触して交渉? ……不可能だな。」
俺は、メイスを握る手に力を込めた。
海賊と交渉なんて、リターンよりリスクがデカすぎる。女に騙されるのは金と心だけで済むが、こいつらは命ごと持っていく。
方針は決定だ。
接触は完全に回避。こいつらが去るまで、俺はこの「要塞(島)」の奥深くに身を潜める。もし俺のテリトリーに土足で踏み込んでくるなら、その時は――罠とメイスで、一人残らず排除する。
情報収集:盗聴
俺は海賊たちの行動を観察し続けた。
彼らは船から怪我人を運び出し、浜辺に簡易的なテントを張り始めた。どうやら、ここを一時的な補給と休息の拠点にするつもりらしい。
船の修理についての議論も聞こえてくる。
「……マストが逝っちまってる。この島でマシな木を探さねえと、次は沈むぞ」
ガッツと呼ばれていた頭領が、ボロボロの船体を見上げて吐き捨てた。
俺は『気配察知』と強化された聴覚を研ぎ澄まし、彼らの会話から情報を抜き出していく。
「王国の海軍め、しつこく追い回しやがって……。まさか、こんな絶海の孤島まで追っては来ねえとは思うが」
「……『王国』。海軍があるほどの文明国家か。少なくとも、ここから脱出できれば、人がいる場所には辿り着けそうだな」
俺は頭の中の「異世界データベース」に新しい項目を追加した。
彼らは、王国の海軍との戦闘に敗北し、嵐に巻き込まれてこの島に漂着したらしい。目的は補給と修理、そして追手からの逃亡だ。
「……なら、長居はしないはずだ。修理が終われば、とっとと出ていく」
俺は、拠点のセキュリティを確認した。
彼らが浜辺に留まる限り問題はない。だが、もし修理のために「木材」を求めて森の奥へ入ってくれば、俺が張り巡らせた「キルゾーン(罠エリア)」と衝突することになる。
俺は通販画面を開き、追加のセンサーと、より強力な爆発系の罠をポチった。
魔石の残高はまだある。投資を惜しむ場面じゃない。これは「必要経費」だ。
発覚:想定外のセキュリティホール
三日が過ぎた。
海賊たちは、浜辺で船の修理と怪我人の手当てに専念していた。俺は『隠密』を維持しつつ、彼らの動向を完全に把握していた。
ここまでは、俺のシミュレーション通りだった。
だが、四日目の朝。
一つの想定外なことがおき、俺の完璧な防衛システムを貫いた。
海賊の一人、ネズミのような顔をした小柄な男が、漂流物を発見したあの砂浜の付近をうろついていた。
俺は、その場所の痕跡はすべて消したつもりだった。だが、オレとしたことが、痕跡を見落としていた。
男は、砂に半分埋まった、色褪せた布の切れ端を見つけた。
それは、俺が転移初日に着ていたスーツの、破れた一部だった。
「……おい、頭! こいつを見てくれ!」
ネズミ顔の男が、布を掲げて叫んだ。
ガッツが、不機嫌そうに近づいてくる。
「あぁ? なんだ、ただの布じゃねえか」
「違いますよ! こいつの織り方、見たことがねえ。王国のもんじゃねえし、帝国のとも違う。……それに、まだ新しい」
ガッツが、布をひったくるようにして眺めた。その目が、獲物を見つけた猛獣のようにギラついた。
「……ふん。漂流者か? あるいは、先客がいるってわけか」
ガッツは布を砂浜に投げ捨てると、カットラスを引き抜き、森の奥へと視線を向けた。
「おい、野郎ども! 休息は終わりだ! この島には、俺たち以外の『客』がいるらしい。……とっとと炙り出して、船の修理を手伝わせるか、海に沈めるか決めてやるぜ!」
「オォォッ!!」
海賊たちが、武器を手に鬨の声を上げた。
俺は、茂みの中で舌打ちをした。
「チッ……セキュリティホールは、俺自身だったか」
迎撃:システムの起動
彼らは、俺が構築した「ゾーンA」のキルゾーンへと向かって進み始めた。
接触は回避できない。
俺はメイスを強く握り直し、全身の『身体強化』をアクティブにした。
「……いいだろう。なら、ここを『騙される側』じゃなく、『搾取する側』のテリトリーだと、身をもって教えてやる」
俺は『隠密』を維持したまま、彼らの先回りをすべく、森のショートカットを駆け抜けた。
誰かに騙される人生は、もう終わりだ。
この島にあるのは、俺が稼いだ魔石と、俺が構築した力だけ。
招かれざる不審者どもを、一人残らず「買い叩く」。
35歳のオッサンの、本当の異世界サバイバルは――この瞬間、本格的な戦闘フェーズへと移行した。
「そこだ!」
突如、海賊の中から一人の女が、俺が潜んでいた茂みを正確に指差した。
彼女の目には、『鑑定眼』とは異なる、異様な魔力の輝きがあった。
「……ッ、魔法使い(サーチ持ち)か!」
隠密が破られた。
ガッツがニヤリと笑い、カットラスを俺に向けて振り下ろした。
「見つけたぜ、ネズミめ。……出てきやがれ!」
海賊たちが、一斉に俺の居場所へと武器を向ける。
俺は茂みから飛び出し、メイスを構えた。
騙す女もいない、媚びる上司もいない。
ここにあるのは、敵と、俺と、そして俺が培った「力」だけ。
「……ようこそ。俺の要塞へ。」
男の咆哮と共に、無人島の静寂は、鉄と魔石がぶつかり合う爆音によって、完全に引き裂かれた。




