2章-2
「え?」
突然聞こえた声に、踏み出しかけた足が止まる。
もともと大きな目が、驚きにさらに見開かれた。
(この声……)
恐る恐る、振り向く。
――だが、そこには誰もいない。
「僕の声、忘れてしまいましたか」
静かに、語りかける声。
「お、お兄ちゃん……?
いるの?」
薄桃色の、誰もいない空間に問いかける。
姿は見えない。
けれど、この声は――間違いない。
「お久しぶりですね、フウタ」
その声とともに。
誰もいなかったはずの空間に、
人影が、ゆっくりと近づいてくる気配がした。
その人影は、だんだんと濃くなり…。
「3年ぶり…、ですかね?」
とうとう、その声の主はフウタの前に現れた。
その姿は生前の姿そのままだった。
「お兄ちゃん…。」
姿を現したのは、眼鏡をかけた青年。
成長した自分をそのままなぞったかのような面影——けれど、その表情だけは、どこまでも穏やかだった。
「ダメじゃ無いですか。魔脈、無理矢理開いたんですよね。」
怒るでもなく、ただ優しく諭す声。
「ご…、ごめんなさ…。」
言い終わらないうちに頭にポンとフウキの大きな手が添えられる。
「いえ、怒ってませんよ。
いずれこうなることは分かっていましたから。」
「?」
「いえ、こちらの話です。」
どこか悲しげに微笑みながら、フウタの頭を優しく撫でる。
「へへ…。あのね、いろんなことがいっぱいあったんだ。話したいこともいっぱいあるんだ。」
「ほぅ?」
「僕はもう死んでるんだよね?ここにいても良いんだよね?」
「……フウタ、それは。」
フウキの手が、ほんのわずかに止まる。
その沈黙が、やけに長く感じられた。
「……ダメですよ。」
静かな声だった。
責める響きはない。
けれど、はっきりした否定。
「え……。」
フウタの顔から、笑みがゆっくりと消えていく。
「ごめんなさい。君にお礼が言いたくて、一時的に呼んだんです。
期待を持たせてすみません。」
フウタの目が揺れる。
「やっぱりお兄ちゃんは死んでるの?
僕は生きてるの?
お礼って何?」
首を傾げると、フウタの目からは大粒の涙がこぼれた。
「僕は死んでいて、君は生きています。
これは事実です。」
その言葉に、フウタの胸が締め付けられる。
「そして、お礼は。」
頭に添えてあった手で、フウタの両手を包み込みながら
「私の友人を助けてくれて、ありがとうございます。」
フェルトの友人としての感謝だった。
一瞬、意味を理解出来なかった。
「……とも、だち?」
フウタの声が震える。
「はい。そうですよ。」
フウキは、穏やかに頷いた。
「彼女を……フェルトを、守ってくれたでしょう。」
その名前を聞いた瞬間——
胸の奥に、別の熱が灯る。
「あ、あの時は頭の中がパニックで、その……。」
「君が守ってくれたんですよ。誇って良いです。
だから、私は安心していられる。」
その言葉は、どこか“託す”響きを帯びていた。
「さぁ、もう時間がありません。
すぐにここもバレるでしょう。」
「え?お、お兄ちゃん?」
突然慌て出したフウキに驚く間もなく、背を押されるフウタ。
「あ、あの——」
「すみません、フウタ。
本当は、ゆっくり話したいんですが……時間がない。」
狼狽するフウタをよそに、フウキは言葉を重ねる。
「魔脈が無理矢理開いたので、2〜3日は動けないと思います。
だから、動けるようになったら——カグヤの元へ行ってください。」
「え?だ、誰?」
「カグヤです。ツクヨミのカグヤ。
今、使者が来ているでしょう。」
一歩、後ろへ下がるフウタの背を、さらに押す。
「彼らと行動を共にしてください。」
「僕も話したいことは、いっぱいあります。
でも、バレるわけにはいかないんです。」
一瞬だけ、言葉が途切れる。
それでも——
「それでも、君と話したかった。
お礼を言いたかったんです。」
まっすぐに、フウタを見る。
その瞳は、もう迷っていなかった。
「さぁ——」
ふっと、あの日と同じ笑みを浮かべる。
「ここからが、君の物語の始まりです。」
強く、背を押す。
「え——」
フウタの身体が、淡いピンクの雲へと溶けていく。
「お兄ちゃん——!!」
伸ばした手は、もう届かない。
最後に見えたのは——
どこまでも優しく、そして少しだけ寂しそうに笑う、兄の姿だった。




