~シルフ舞う滑走路~ 4
【白蓮会登場】
このあとに控えているコトに比べたら、苦手な数学の授業のほうがいくらかましだ。 倫子はそう思うと、心ここにあらずと、ぼーっと先生の話を聞いていた。
「集合でェ ‥『 Ā かつ B 』と書かれている場合は‥‥‥。
A ̄∩B というように表わされ‥‥‥。 重なった部分がこのようにですね ×××× 」
チョークの音が「カツカツカツッ」と鳴り響く。
それは数学の先生が、この欠伸さえも漏れるほどに静まり返った教室の中で、唯一の存在を誇示させるように、思い切りの愛と力をこめて黒板を爪弾く音であった。 そしてそれは、この後に行われる《死刑執行》のタイムカウントのようだと倫子は思っている。
「それにしても、黒板に大きく描かれたあの記号、なぜだかわからないけどとーっても! 気持ちをイラだたせる。 それに、授業が終わったら、あのコと一緒だっていうのがね。 からまれると、なんだかいつものような調子がでないんだよ」
倫子はそうつぶやきながら、深月のほうをチラリと見ると、机の上に顔をうずめてなにやらブツブツと呪いの言葉をつぶやいているのが見えていた。 すると、深月は覚悟を決めたかのように顔をあげると、倫子の視線に気づいたのか‥‥‥ 今まさに数学で習ったばかりの記号を真似て、【A ̄∩B 】(アカンベー)というポーズをとって見せた。
「あぁぁぁぁぁ なんでこんなに腹立たしい気分になるのかと思ったら、あの黒板の記号、あのコの顔にそっくりだ!!!! 」
そんなことに憤慨をしていると、終業の鐘が「ゴーン」「ゴーン」と7回鳴って、今日の授業が終わりを告げた。 倫子は、少しアッシュグレーの入った前髪をかきあげて、おでこに手をあてると、思い切りのタメ息をついた。
「ハァ‥‥ それにしても気が重い。 先生たちからのお小言だったらどうしよう。 いろいろとやらかしちゃってるからなぁ‥‥‥ 」
「やーん。 リンコちゃん、恋煩い? このあと、素敵な逢瀬がまっているんでしょー?? 」
同じ弓道部の友理奈が、両腕を自分の脇にまわして、くねくねとおどけてみせる。
倫子は、《弓道のQちゃん》のマスコットがつけられた筆箱を鞄の中へ放り投げ投げると、
「ハァ? ばっかじゃないの? 」 と大声で言いながら、机の上に『ばんっ』と音をたてて両手をついた。 すると、友理奈は「センパイたちには、うまく言っておくので、どうぞごゆっくり~~」と、返しながら、投げキッスをして教室から離れていく。 そして扉から出ると、もう一度右手だけを見せて『バイバイ』というポーズをして去っていった。
「人の気も知らないで、アイツはもう! 」 そういいながら、倫子は急いで荷物をまとめると、誰とも目をあわせないようにして、逃げるように廊下へと出て行った。
深月は放課後の喧噪を避けるように、誰よりも早く廊下へと出ていた。 すると、いつも深月の後ろをついてくる、クラスメイトの少女がすかさず声をかけてくる。 あの時に校庭を全速力で追いかけてきたユキという名の少女だ。 深月とは対照的に、どこにでもいるような、噂好きで、明るくて、誰の嫉妬も受けずに、いつでもクラスに溶け込むことができる得な性格と風貌をしている。
「まってミヅキちゃん! 学校やめちゃうの? なんかそんな噂も聞こえてきたから‥‥ 」
深月は少し怪訝な表情をすると、腕時計をチラっと見て『時間がない』という素振りを見せながらこういった。
「あんた、ユキっていったっけ? そんなコトも噂になってるんだ。 まあ、隠してもしょうがないから言っちゃうけど、そういうコトを考えてないこともない。 わたしさぁ、別にこの学校にそんな思い入れないから」
ユキは悲しそうな顔をしながら言葉を返す。
「そんなぁ。 ミヅキちゃんがいなくなったら、みんな淋しがるよ」
深月は、ユキの言葉には何も返さずに、そのまま無視するように早足で廊下の角を曲がると、淋しそうな顔を見せながら心の中でつぶやいた。
「わたしなんかより、アンタのほうがよっぽどクラスに大切な存在だよ。 誰もハレモノのようにしか私には接してこない。 ぶつかってくるヤツなんていやしない。 そうアイツ以外は‥‥‥。 そういえばアイツ。 なんで、アイツの顔を見ると、ついつい悪態をついちゃうんだろうね。 別に嫌なことをされたわけじゃないのに‥‥‥ 」
アイツの、背骨から腕、脚へと放射されるように続く伸びやかな姿。 そして遠くを見通しているような澄んだ茶褐色の瞳を見ると、大地を蹴って大空を駆けてゆく気高い伝説の獣を想像させる。 一瞬、わたしを乗せて、どこまでも続く風の中へと連れて行ってくれるのかと夢想させるのに、アイツの身体全体から見え隠れする『揺れ動く心』を感じとると、それは無理なのかと余計に強い諦めを感じさせていく。 だからいてもたってもいられなくなる。
そんな事を考えながら、2階の廊下の窓の前で一瞬脚を止めると、菩提樹の大きな木が空風に吹かれて揺れているのが見えてきた。 その菩提樹の高枝には誰かが巻きつけていていった、赤いダマスク柄のリボンが舞いながら、春の芽吹きを感じさせるようにかわいらしくゆれている。 じっと、そのリボンを眺めていると、なぜだか心が少し素直になっていくような気がしてきた。
「でもね、それは、わたしの我儘なんだ。 私の《風の滑走路》は‥‥‥。 進むべき道は、自分で見つけないとね。 だから、このあとで『風月庵』でアイツに会ったら、いいすぎてゴメンって言わなくっちゃ」
そうつぶやくと、深月は、すたすたと、学院の東へと向かう外廊下をめざして歩いて行った。
東側の庭園を抜けて石段を少しあがると、うっそうとしたやぶ椿が見えてくる。 その蕾たちの前を通り抜けると、こぶりな数寄屋門が顔をだす。 そこが『風月庵』の玄関だ。
倫子は玄関を抜けて、庭の先まで進んでみたが、今の時間は座敷へと続く入戸が閉じられていたので、しかたなく左側へとまわって茶室の時に使うにじり戸を使い、『風月庵』の中に入っていくことにした。 そうしてにじり戸の前までくると、今まさに深月が中に入ろうとしている場面に出くわしてしまう。 倫子は、気まずい!というオーラを全身から発したが、深月はそれに気づきながらも、そそくさと無言で戸をくぐり『風月庵』の中へと進んで行ってしまった。
「あー やっぱり無理! 素直にごめんね。 なんて言えるわけないじゃん! 」
深月は伏し目がちになりながらも、苦虫をつぶしたような顔をして心の中でつぶやいていた。
いつもの悪態を見せない深月に、少し拍子抜けをしてしまった倫子は、首をかしげると「まいっか」とつぶやきながら、身体をおもいっきりかがませて、頭をぶつけないように気をつけながら、せまいにじり戸をくぐりぬけていった。
二人がそのまま、身体をかがめた状態で前へと進んでいくと、なんと奥座敷には加奈子さんではなく、高等部の上級生たちが待ちかまえていたのだった。 そして、待ってましたといわんばかりに、リーダー格の気の強そうな上級生が、腕をくみながら、一歩前へとでるとこう話しを切り出す。
「アタシたちは、第百十九代『白蓮会』。 知っているよね? 」
この学院では、生徒会を『白蓮会』と呼んで、学院内で絶対的な権力を持っていた。 同時に全生徒を導く姿は、この学院すべてのものたちの尊敬の対象でもある。 そして、この学院の秘密を取り仕切る、裏の側面も持っていた‥‥‥。
そう、『白蓮会』とは、上級生から下級へと連綿と受け継がれる学院の守り神たち。 それを継ぐには、誰もが認める学院での活躍と現役世代からの指名を以って、候補生に選ばれることだという。
「実はさ。 二人に折り入って頼みたいことがあるんだ。 ちょっとしたお願いなんだけどね」 さきほどのリーダー格の上級生が、真面目な顔をして話し出す。
「今度夜中に、今の代のアタシたちと、次のコたちの引継ぎっていうのかな? ちょっとした儀式というか、演奏会をやるんだけど、二人に箏の奏者として手伝ってほしいんだよね」
その言葉を追うようにして、やまもも色の髪をふっくらした内巻きにカールをさせた上級生が、おっとりとした口調で話しを続ける。
「あのね。『追儺雅楽』っていうんだけどぉ、みんなで曲を弾いたり、踊ったりしてね、まぁついでに悪いコトも祓っちゃおう! ってくらいのカンジなのかな? 」
「えっ? 《追儺》って『オニは~ ソト~~ 』ってヤツでしょ? なんでそんなものにアタシたちが付き合うんですかー? 体育科の先生あたりが鬼のお面でもつけてやればいいじゃんっ! 」
深月が不機嫌そうにそう答えると、つられて倫子も上級生たちとは目をあわせないように、上方の鴨居のほうを見ながらこう言った。
「いや、なんていうかですね。 そういった大それたことは、もっと適任って申しますか、若輩ものの私たちではなく、優れた先輩たちが執り行ったほうが良いかと‥‥‥ 」
「だいたいアンタがねー! そういう自信なさげなこと言うから、わたしまで巻き込まれるのよ! 」 ついに、いつもの深月の毒舌が顔をだす。
それを聞いていた、スポーツマン風で、切れ長の瞳の上級生が、いてもたってもいられずに怒鳴りだした。
「えーい! 五月蠅い! つべこべいうなっ! 箏の奏者は、裳着する前の14歳のコから選ぶって、前の前のそのまた前の、遠ーい昔からきまってンだ!! だいたい、オマエラみたいな凸凹コンビじゃないと、面白くなンないじゃないかよ!! 」
すると追うようにして、長い髪の少し落ち着いた表情の別の上級生がこう言った。
「大丈夫。 私たちが全力で二人を守るから。 安心して」
「えっ? えっ? どういうこと?? 守る、安心って、それって危険なことなの???? 」
倫子は、胸をドキンとさせると、長い両手をバタバタとさせて答えた。
そんな倫子の心配を意にも介さず、リーダー格の上級生は話を続ける。
「はい。 これ覚えておくように」
そういって、『鬼やらい』と書かれた、なにやら古い譜面を渡すと、こう付け加えた。
「午前中に二人の『春の海』、聞いたよ。 当日は、あのとき以上に仲良く、呼吸をあわせて、お願いね」
深月、倫子の二人は、お互いの顔を見合わせると、上級生たちに向かってこう叫んだ。
「「ぜっっったいに ムリ!!!! 」」
そのときの、深月と倫子の声は、かくも綺麗に重なっていた。




