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第三話 「白金の騎士と黒鉄の少女」★

 ――カインは魔王を討ち倒した大戦の英雄として称えられ、神教国サタネルの聖王より莫大な財と領地と公爵の爵位を与えられた。 また同様に七つの軍団を率いた黄金の騎士全てに同等の褒賞が与えられ、彼らは人々から『七英雄』と呼ばれるようになった。


 またこれを期に、黄金の騎士よりさらに上位である『白金しろがね』の位が新たに作られ、カイン以下七人の黄金の騎士は『白金の騎士』に昇格した――。


 ――この国では、騎士の位を金属の種類と色で分けている。

 現在は上から『白金しろがね』、『黄金おうごん』、『白銀はくぎん』、『赤銅しゃくどう』、『黒鉄くろがね』、『青鉛せいえん』である。


 ここで言う白金とは、普段は白銀に近い色をしているが、太陽の光を反射すると虹色の輝きを放つとされ、金剛石以上の硬度に、鋼以上の剛性、鉄以上の靭性と、黄金のような不変性を兼ね備えていると言われる幻の金属のことである。


 貴族階級であれば最低でも青鉛の位から始まり、貴族階級ではない平民からの志願兵や徴兵の場合、便宜上、金属ではない『石英せきえい』(無色の石)と呼ばれる。

(老いて前線を退いたり特別な事情があり『灰錫かいしゃく』と呼ばれる者もいる)

 カインは石英からたった五年で白金まで駆け上った唯一の騎士だ――。




 ――それからさらに三年の月日が流れた……聖王暦一一〇年(醒暦ニ〇二一年)。


「兄上、そろそろ聖王様の召集に応じられてはどうですか?」

「は、やァーだよ! どうせまた周辺国とのイザコザを平定してこいって言うんだろ? そういうのは他の奴らにやらせとけよ。 俺はこれ以上、領土争いとかそういう面倒臭い仕事はやりたくねェーの! 他の奴らなら喜んでやるだろ? 特にイザヤとか」

 ――ここで言う『他の奴ら』とは、すなわち自分以外の『白金の騎士』のことである。


「俺はこのムダに広いテメェーの領地を治めるだけで精一杯だし、自分の力をそんなことのために使いたくねェーんだよ!」

 ――この『そんなこと』とは、平たく言えば『サタネルと周辺各国の政治的領土争い』のことであり、カインはこの政治が絡んだ争いが特に大嫌いだった。


 魔族との戦争が終わった後、世界はそのまま平和を取り戻すのかと一時は思われたが、現実は魔族から奪った領土の人間同士による奪い合いに端を発し、国家間に軋轢が生じ、魔族の領土とサタネルが隣接していたこともあって、周辺各国からは大きな圧力と煽りを受け続けることになった。


 それは三年経った今もまだ国家間に大きな溝として残っており、時折大小の領土争いが起きては鷹翼の聖騎士団が駆り出され、その諍いを治めていた。


「しかしですね兄上! この際ハッキリ言いますが、これまで兄上が領地を治めるためにしてきたことと言えば、領地に無法に侵入してきた者達や領地内で内乱を起こした者達を武力で黙らせ追い払っただけで、それ以外の雑務は全て私に押し付け何もしてこなかったではないですか!」

「ぅぐっ……!」


「兄上は昔から剣の天才などともてはやされ、剣術一辺倒な生き方をしており、ついには七英雄と呼ばれる程の人物になりましたが、ソレ以外のことはハッキリ言って人並以下!」

「ぐぐぐっ……!」


「私がいなかったら、せっかく聖王様から頂いたこの領地も公爵の爵位も、とっくの昔に無くなっていてもおかしくないんですからね!」

「ぐぬゥゥー……」

 こう言われるとカインは押し黙るしかなかった。悔しいがソレは全て事実だからだ。

 一言で云うならば『剣術バカ』、それがこのカイン・ルースという男だ。


(カインってば、弟さんを困らせちゃダメですよ。 こんなに良くできた弟さんなのに)

(リリアうるさい! お前はなんでいつも、弟ばっかり褒めるんだ)

(それはカインがそう思ってるからでは? 私のせいにしないでください)

(なんだよ! だったら少しは俺の喜ぶようなことも言ったらどうなんだ!)

(カインの好きな私は、そんなにあなたに都合のいい女なんですか?)

(そうじゃないが……あぁもう、だったら黙っててくれよ!)

(なんですか、もう! そんなに言うなら、二度と口を利いてあげませんからね!)

(うぐっ……す、すまない……それだけは許してくれ)


 三年前の出来事以来、カインの意識の中では『幻想リリア』とでも言うべきか、カイン自身の記憶と願望などが入り混じった妄想のリリアが頻繁に話しかけてくるようになっていた。

 これはカイン自身の未だに癒えない心の傷。 リリアを失ったという絶望で心が壊れてしまわないよう自己防衛のために脳が見せている幻で、心の傷を癒やし、三年前の絶望を自身で乗り越えるまで消えることはないだろう。


「それとですね、今回の聖王様の召集はどうやらいつもとは事情が違うようですよ?」

「んァー?」

「詳しくは聞いてませんが、領土争いの平定とは仰っておられませんでした。 騎士団を連れてくるようにとも言われていませんし、何か別の用件での呼び出しであるように私は思います」


「ふゥーん……けどセト、お前がそう思うってだけで確証は無いんだろォー?」

「それは、そうですが……しかしいい加減、聖王様の召集をお断りする理由を考える私の身にもなって下さい。 もう限界ですよ……聖王様が痺れを切らし爵位と領地を徴収すると言い出したらどうするつもりなんですか……」

「そん時はさすがに聖王都に行くさ。 何だかんだ言ってもあそこは俺たちのもう一つの故郷でもあるんだからな……別に行くのが嫌って訳じゃない」


「そう思うんでしたら、どうか……」

「あァー、分かった! わァーったよ! セト、今回はお前の顔を立てて行ってやる!」

「兄上……! 分かってもらえましたか。 では早速、聖王様へ早馬で書状を送り聖王都までの足の準備もしておきます」

「たァーだし! 一つだけ、条件がある!」

「……えっ? は? 条件……ですか?」


 カインはニヤリと一つ笑みをこぼすと、再び告げた。

「そ、条件だ……」




 ――二日後、カインは聖王都へ向かう身支度を整え、一路聖王都への道を歩み出した。

 それもたった一人……徒歩で、である。


 仮にも公爵の地位を持ち、直属の近衛騎士団まで従えているカインが、護衛も付けず、馬車や馬すら使わずに、愛用の剣といくらかの金、そして数日分の食料や水、野営道具を持って、徒歩で聖王都までの道を歩き始めたのである……。

 ――そう、つまりこれがカインの提示した『条件』であった。



 ……二日前――

「えぇっ!? せ、聖王都までの道をたった一人で行く!? しかも馬車も馬も使わずに!?」

「そォーだ! 護衛も馬車も馬もいらん。 剣一本持っていけばそれで充分だ!」

「わ、ワケを、訳を聞かせて下さい!」


「訳か? そうだな……まず一つは最近体が少し鈍っている気がするから身を引き締めるためにも聖王都まで歩いて行こうと思ってな」

「鈍るって、日々騎士団との修練は怠ってないじゃないですか……それにそれでしたら、騎士団から数人だけでも護衛を共に連れて行かれても……」

「騎士団の召集は受けてないんだろ? なら俺一人で十分だ。 生半可な護衛などいても役に立たないどころか足手まといだしな。 俺を誰だと思ってる? 仮にも魔王を倒した白金の騎士様だぞ? そこいらの盗賊やゴロツキに遅れを取ると思うか?」


(カイン、私を倒したことは別に自慢にならないと思いますよ?)

(リリア、今はセトと話してるんだから横から口を挟まないでくれ)

(私は弟さんの言うことを聞いておいたほうがいいと思いますよ? だってカイン)

(うるさい、それ以上言うな)


「それは誰よりも良く分かっていますが、しかし……」

「とにかくさっき言った通りだ、護衛も馬車も馬もいらん! 金と食料と水だけ用意してくれればそれでいい! 分かったなセト!」

「………………わ、分かりました……言われた通りにしておきます……」

 ――そうして今に至るのであった。



「はあぁぁぁ、どうか何事も無く、兄上が聖王都まで辿り着けることを神に祈ろう……」

 そんな弟の心配をよそに、カインは意気揚々と聖王の召集に応じるべく聖王都へと歩を進めるのであった……。




 ――それから五日程経った夕方、カインは聖王都へ向かう途中の森の中を歩いていた。

「うーむ………………」

 そろそろ夜を明かすための野営の準備をしなければいけない頃合いなのだが、カインは頭を悩ませていた。

「いかんな……これはどうやら――」



「――迷った」



 カインは致命的なまでに方向音痴だった。


「確か聖王都までの道にこんな森は無かったはずなんだが……どこで道を間違えた?」


(もぅ……だから弟さんの言うことを聞いておけば良かったのに……)

(うるさい! 仕方ないだろ! 行けると思ったんだよ!)

(どうして行けると思ったんですか! 言っておきますけど私はカインが知らないことは何も助言できませんからね! 私をそんな便利な女だと思わないでくださいね!)

(言い方ァ! 言われなくても、最初からリリアは当てにしてない)

(むぅ、それはそれで失礼ですね……ちょっとは頼ってほしいです)

(本当にめんどくさい女だな!)


 そもそもカインの領地から聖王都までの道は国道を通った一本道で、馬なら四日、徒歩でも六日あれば辿り着けて、普通なら迷うこと自体が難しいはずの道のりであり、セトが過剰に心配していたのはこの致命的な方向音痴が主な理由である。

 子供の頃も山に剣の修練に行くと言ったきり、丸一日帰ってこれず父親を始め村の男衆総出で捜索が行われ、見つかった時は普段滅多なことでは怒らない母親が泣いて怒鳴ったこともある。


「まぁ迷ってしまったものは仕方ない……とりあえず今日はこの辺りで一晩明かしてから明日、人のいる所まで出てそこで道を尋ねよう……」

 カインは近場で野営に適した場所が無いか探索することにした。

「いっそ野盗でも現れてくれれば、そいつらに道案内させるんだがなァー」

 物騒なことをサラリと言いつつ、カインは歩を進める。


《――パシャッ!》


「!?」

 野営地を探す途中、カインは一瞬森の奥で水の弾けるような小さな音に気付いた。

(魚が跳ねた音か? だが川の流れのようなものは感じない……しかしわずかだが確かに水の匂いがする。 近くに水場があるのか。 なら野営はそこでするか……)

 カインは先程の水音がした方向へ足を向けると、静かに慎重に歩を進めた。


《――パシャッ!》

 再び水音が響く。 今度の音は先程よりハッキリと聞こえた。

 草むらの向こう側に大きな水の溜まり場、いや湖のようなものが見える。

 カインはガサガサと勢い良く草むらをかき分け、湖の前まで一気に足を踏み入れた。

「……えっ!?」

「ん?」


 ――そこには、一糸まとわぬ姿で水浴びをしていた美しい赤髪の少女の姿があった。


挿絵(By みてみん)


「「………………」」

 二人共、突然のことに固まってしまい互いを凝視したまましばし無言の時が流れた……。

「えェーと……アレ?」

「き……」


 ……ようやく事態を把握した二人がほぼ同時に言葉を発する。


「きゃあああああああああああああああああああああああああああああああ!!」

「すっ、すまァーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーん!!」

 カインはとっさに後ろを向き、少女は胸元を両手で隠しながら湖に腰を沈めた。


「痴漢! 変態! 覗き魔! 強姦魔!!」

「ご、誤解するな! 俺は道に迷って野営地を探してたら、たまたま水の音がしたここに湖があるのを見つけて……! ……っと、とにかくスマンっ!!」


「うるさいうるさい! いいから早くどこかに行って!! こっち見ないで!」

「見ない! 見ないし近寄らないから話を聞いてくれ! 俺は道に迷ってここがどこかも分かってないんだ……だっ、だからできれば聖王都かせめて人里までの道だけでも教えてもらえないか、お願いしたいんだが……!」

「~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~!?」


 少女の羞恥と怒りの視線を背中に突き刺さるほど感じながらも、カインは己の置かれた状況と事情を説明し、なんとか説得を試みる。

「……だ、ダメだろうか……? 嫌だというなら、このまま振り返らずここを去るが……できればお願いしたい……本当に困っているんだ!」


「~~~~~~~~~~~~!!」

「………………っっ!!」

「くっ…………!」


「わ、分かったわ……あなたの言うことを完全に信用した訳じゃないけど、もし本当なのだとしたら、騎士として困ってる人を見過ごすことはできない……!」

(!? 騎士……?)

 そこでカインは、初めて自らの傍らにある少女の衣服とおぼしき物に気付いた。 その服には騎士の章印が付いていた。 印の位は黒鉄。 それも鷹翼の騎士団の物である。


(この女の子が騎士……? それも鷹翼の騎士団の……)

 ここでカインは一瞬、己の素性を明かせば事は簡単かとも思ったが、カインに猜疑心を持っている少女が素直にその事実を受け入れるとは考えにくく……現状、このまま『道に迷って困っている人』で通した方が楽だと結論づけた。 いや、事実その通りなのだが。


「それじゃああなた! まずそこから少し森の奥の方……私の姿が見えなくなる位置まで移動しなさい! あなたのそばに私の服があるから……まずそれを着るから!」

「わ、分かった……見えない位置までだな……」

 言われた通りに、カインは少女の姿が完全に見えなくなる位置まで移動した。


「言われた通りに離れたぞォー! これくらいでいいだろォー!?」

 返事はないが、少女が湖から上がって衣服を着始めているような気配がした。


(姿は見れないが、すぐそこで美少女が着替えてるのかと思うと、なんかモヤモヤするな……そういや、すごい胸も大きかったし)

(カイン、あなた……)

(なっ、なんだよ! いいだろ! ちょっと想像するくらい! 俺だって男なんだよ!)

 七英雄などと呼ばれていても、そこはまだ二十二歳の健全な青年。 邪な考えの一つも浮かんでくるのである。


(別にいいですけど。 私のことを好きって言いながら、本当は可愛い女の子なら誰でも良かったんですね。 カインがそんな人だったなんてガッカリです)

(おま、俺のことを振ったくせにそんなことを言うのか!? なんてずるい女だ)

(女はずるいんですよ。 教えましたよね?)


「……ちょっと」

「はいっ!?」

 カインがリリアといつものやり取りをしている間に、少女はすでに衣服を身に着けて、カインのそばまで歩み寄っていた。


「何驚いてるのよ……」

「い、いやァー何でもない何でもないよ! それじゃ早速で悪いんだけど、聖王都までの道を教えてもらえるかな……いや、なんだったら近くの人里でも構わないが」

 カインがしどろもどろになっていると、少女はカインの腰の物に目を付ける。


「あなた、剣なんて持ってるのね……」

「え? あァー、うん、まぁ、一応ね」

「何のため? 護身用?」

「そうだけど、それがどうかしたか?」

「………………」


 少女は次第に怪訝そうな顔つきに変わっていく。

「あなた聖王都に向かっているそうだけど、目的は? 何をしに行くのかしら?」

「え? あ、あァー……まぁ里帰りと墓参りってとこかな……」

 本当の目的を云う訳にもいかないので、とりあえずそう言っておく。

(嘘ではないしな……)


「そう……」

 ――そう言うと、少女は腰に掛けていた鞘から剣を抜き放った。

「!? お、おい!」

「最近、この辺りで旅人を狙った野盗が現れるって噂を聞いているわ」

「へ、へェー……?」

(そんな奴がいるなら、さっさと現れてくれりゃ良かったのに……)


 不謹慎にそんなことを考えていると、少女の警戒心が高まっていくのが分かる。

「あなた、嘘をついているわね!?」

「は!? いや、別に嘘なんて……」

「あなたが持っているその剣の鞘、貴族の家紋がついているわ」

(!? しまった……!)


「あなたが仮に貴族だとしたら、聖王都に向かうのにこんな滅多に人も通らない森の中を護衛の一人もつけず、そんな軽装でノコノコ歩いているなんて、おかしな話よね……」

(それは至極ごもっともな話だが、それが事実なんだよなぁ……)

「そしてあなたが仮に本当に聖王都に里帰りをするつもりの平民だとしたら、なぜそんな貴族の家紋のついた高価そうな剣と鞘を、護身用なんかに持っているのかしら……?」

(あぁ……これはヤバい。 かなりヤバい予感がしてきたぞ……)


「私の推論では……あなた、貴族からその剣と鞘を盗んで売り捌こうとしている盗人ね」

(あぁー……やっぱりそうなりますか……)

 嫌な予感が的中し、カインがどう言い訳したものかと思案し始めたその時――。


「動かないで! 一歩でも動いたら問答無用で斬るわよ!」

(おう……これは困った。 完全に盗人だと思われてしまったようだ)

(カイン、何をそんな呑気にしてるんですか……ちゃんと説明しないと)

(いや、そう言われてもな……)


「い、いやァー……騎士様ともあろう方が、武器も手にしていない人間を問答無用で斬るなんて、そんな非道なことをする訳がありませんよねェー」

 物は言いようである。

「そうね……あなたが大人しく縛に付くというなら、この剣は下げても構わないわ」

(盗人として捕縛されるのは困るなー)


 今さら本当のことを言ったところで信じてもらえるとは到底思えない。 だがこのまま黙って大人しくしていたら、確実に盗人の汚名を被せられ捕縛されてしまう。

(仕方ないな。 ここは一つ)

 ――カインは意を決し、腰の剣に手をかけた。

「! 動くなと……!」

 少女はカインの動きを見て瞬時に剣を振り下ろした――


《ガキィン!!!!》


 ――次の瞬間、カインの剣が一瞬で少女の剣を横薙ぎに弾き返した!

「――っっ!?」

「おっ?」

 凄まじい衝撃に少女の手は強く痺れたが、それでも剣は決して手放さずすぐさま体勢を立て直そうとする。 だがカインはそんな少女を気にも留めず振り返り、凄まじい勢いで森の奥へと駆け出していた。

「ま、待て!」

(――って言われて待つ奴がいるかよ!)


 少女はカインを追って走り出そうとしたが、体勢を立て直そうとするわずかな間にもうカインの姿はどこにも見えなくなってしまっていた。

「くっ、なんたる失態だ!」

 少女は追走を早々に諦め、剣を鞘に収めた。 そして未だ痺れる己の右手を見て呟く。

「私が剣を振り下ろすよりも速く私の剣を弾き返した……しかもこの力、あの逃げ足……ただの盗人ではないのか……?」


 まさか自分が相対した相手が、かつての大戦の英雄であるなどと露ほども思っていない少女には、カインの正体が何者かなど知る由もなかった……。

(一体何者だったんだ……?)


(いやー、やばかったな。 危うく盗人にされちまうとこだった……)

 少女を振り切った後も、しばらく森の中を走り続けていたカインは、そんな間の抜けたことを思っていた。


(やばかったな。 じゃありませんよ、もう……本当に考えなしなんですから)

(あれは仕方ないだろ。 俺だってこんなことになるなんて思わなかった)

(まぁカインが向こう見ずなのは、今に始まったことじゃありませんからね)

(うるさいな! なんだよ、前はちゃんと先のことも考えてるって言ったくせに)

(それは私ではない、本物の私が言ったことでしょう?)

(ぐっ……)


(それにしてもあの女の子、黒鉄の騎士とは思えない剣筋だったな……それに俺の剣撃をまともに受けても剣を手放さなかった。 剣の腕だけなら白銀級以上はありそうだった。 なかなか筋がいい。 もし俺の元で鍛えたら、相当強くなるだろうな)

 カインは、まるで新しいオモチャを見つけた子供のように目を輝かせていた。




 カインは少女から逃げおおせたあと、日が落ちきる前に湖からそれなりに離れた場所で急ぎ準備を済ませ、野営を開始した。

 その日は月明かりもほとんどなく、日が完全に落ちると、森の中は焚き火の光が当たる部分以外はほぼ完全な暗闇になっていた。


 カインが荷物から干し肉を取り出し一齧りすると、そこに三人の武装した怪しい男たちが現れる。

「よう兄ちゃん、こんな森の中で一人で野営かい? 火の扱いには気をつけないと、森が火事になっちまうぜ?」

「誰が兄ちゃんだ。 俺はお前みたいな厳ついツラの弟を持った覚えはない」


 カインは知ったことではないという態度で、口に含んだ干し肉を咀嚼し飲み込む。


「おいおい、ひでぇ言い草だ。 人がせっかく親切で忠告してやろうってのに」

「忠告?」

「このへんは危ないぜ。 なんせ人を襲って金目のものを奪っていく魔族が出るんだよ。 もし良けりゃ俺らを護衛として雇わねぇか? 護衛料はちと高いが安全は保証するぜ?」


「………………へぇ、そいつはありがたい忠告だな」

 カインは男たちが全く気付かないほど、ほんの一瞬だけ眉を吊り上げ、残りの干し肉を全て口の中に押し込んで咀嚼し一気に飲み込む。


(カイン。 この人たち、さっきの女の子が言っていた野盗ですよ)

(あぁ、分かってる)

(三人しか姿を見せていませんが、暗がりの奥のほうにまだ八人ぐらい隠れてますね)

(それも分かってる。 ご丁寧に、獲物に逃げられないよう前後左右に二人ずつで囲んでいるな)


 隠れている八人は、焚き火の光が届かないギリギリの位置や木陰に隠れており、いかにカインでも月明かりもない暗闇の中で姿を視認することはできていなかった。

 リリアもそれは同じで、別にカインに見えないものが見えている訳ではない。

 ただカイン自身が認知しているものを確認として言葉にしているに過ぎない。


 なぜ完全な暗闇の中でカインが正確に野盗たちの位置を把握できるかと言うと、秘密はカインの鼻にある。

 カインは人並み外れて嗅覚が鋭く、野盗たちが身にまとっている防具に染み付いている返り血などの匂いを敏感に感じ取っていた。

 森の中で焚き火の煙や、木々と草花や獣の匂いに混じり、戦場で嗅ぎ慣れた血の匂いが漂ってくるのだ。

 暗がりの奥に隠れていても、カインは相手との距離まで正確に把握できていた。


(けどよりにもよって、カインの前で魔族を脅しに使うなんて愚かな人ですね)

(そうだな。 暗くて俺の顔が分からないか、それともただ知らないだけか……)

(さっきの女の子の誤解と同じような理由かもしれませんね)

(あぁ、その可能性のほうが高いかもな……)

 カインはこの国ではあまりにも有名な存在だが、有名すぎるゆえに、こんな風に一人、森の中で野営している姿はその人物像とかけ離れていて頭の中で存在が一致しないのだ。


(それにしても自分たちの悪事を、言うに事欠いて魔族のせいにするなんて、私少しだけ気分が良くないです。 魔族はそんなことしませんよ)

(分かってる。 このあたりは聖王都と俺の領地の境に近いだろうし、これも俺の仕事のうちだ。 野盗をのさばらせておく訳にもいかない)

(久しぶりに、カインの立派なところを見せてくれるんですか?)

(言い方は引っかかるが、まかせろ)


「おい、どうした兄ちゃん。 俺らを雇うのか? どうするんだ?」

「あぁそうだな。 お前らは俺の前で絶対しちゃいけないことをしたからな――」

「あん? 何のことだ?」

「――交渉決裂だ」




 ――次の日。


 カインは、野盗たちの中で最初に話しかけてきた頭目の男一人を除いた十人を、身動きできない程度に痛めつけ森の中に置き去りにし、頭目の男は聖王都まで案内させるついでに衛兵に突き出し、衛兵に命じて森に残してきた残りの野盗も全て捕縛させた。


 野盗たちは、金目の物を多く持ち歩いている相手は直接襲って金品を奪ったり、あまり金目のものを持っていなさそうな相手には、カインに交渉したように護衛を買って出て、あとから法外な護衛料を請求するということをしていた。


 これまでにも多くの行商人や貴族、旅人などが被害に遭っていたらしい。

 それをたった一人で、野盗十一人を相手にして一人も命を奪うことなく、自身は全くの無傷で捕らえたことで、カインの英雄譚がまた一つ増えることになった。


「ちょっとばかり余計な寄り道になっちまったけど、聖王都にも無事に着けたし、終わり良ければ全て良しだ。 さっさとオヤジに会いに行くとするか」


(今回は珍しく、カインのダメなところがいい方向に働いてくれましたね)

(なんだよ、リリア……たまにはもうちょっと素直に褒めてくれたっていいだろ)

(うーん、私の役目はカインを諌めたり反省させたりすることだと思ってるんですけど、でもそうですね。 今回はカインも立派なところを見せてくれましたし、『飴と鞭』って言葉もありますから、たまにはご褒美も必要ですかね)


 そう言ってリリアは、ごく当たり前のことのように、カインの頬に軽く口づけをした。

(立派でしたよカイン)

(ほっぺたかよ……どうせなら、口にしてくれりゃいいのに)

(私のご褒美はそんなに安くないんです。 それに、いつか訪れる未来のカインの運命の相手に申し訳ないですからね)

(そんな相手、現れない気がするけどな……)

(そんなことないですよ。 もしかしたら、もう出会っているかもしれませんし)

(絶対無い……とは言い切れないんだよな。 これもリリアが言っていたことだ)

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