第十四話 戦前の夜
帰路の途中、光一の目に夕陽が映った。
いやな予感がするな、と思いながら階段を上り、横断歩道橋を渡ろうとする。
「……光一殿!」
真ん中に差し掛かったところで、後ろから景久の声が聞こえた。
声が聞こえる方を振り向けば、景久は走ってきたようで、少し息が荒かった。
「……うん、どうした?」
光一の問いかけに、景久は真剣な眼で彼を見る。
「……まともにデートする気、無いんでござろう?」
「……それは、メンタルケア。接待みたいなものだからな」
しらばっくれる光一。
「それすらする気が無いんじゃないか、という話でござる」
「……人間、そこまで分かるものなのか」
「伊達に杯を酌み交わした仲ではないでござるよ」
昔、確かに二人は杯を酌み交わしたことがある。
小さな子供の頃で、お遊びの様なものだったが、それから彼らは長い付き合いをしていた。
そんな事を思い出した光一は、自分は隠し事を見抜けなかったな、と心の中で自虐をする。
「……実際、どうするつもりなんでござるか?」
「彼女の話を聞いてから決める」
「何を」
「…………」
有無を言わさぬ語気の強さだったが、光一は平然とした顔で答えようとしなかった。
それだけあれば、景久が察するには十分だった。
「……なぜゲルグ殿や真希奈殿に相談しない」
「……絶対に止められるからな」
景久は思わずため息をつき、髪の毛をぼりぼりと掻く。
「なぜそこまでする!? クルセイダーだからと言って、ここまですることは無いでござる!」
「……そればかりは、俺の性分としか言いようがない」
ここまで意地になると、光一は梃子でも動かないという事を、景久は知っていた。
息を大きく履いて、落ち着きを景久は落ち着きを取り戻す。
「光一殿」
「うん?」
日が落ちて、星明りの無い夜が来る。
そんな夜空を眺めながら、景久は言った。
「……死ぬなよ」
「……お前もな」
言うだけ言うと、二人は背中を向け合い、互いに帰路を歩く。
先程まで何も感じなかったのに、光一は一人で歩くのが、少し寂しかった。
◇
光一と洋一は、二人して黙々と食事をしていた。
テレビから流れるバラエティ番組の音だけが食卓に流れていく。
今となっては、この光景が当たり前の日常になっていた。
そんな中、ご飯を食べ終わった光一が口を開いた。
「ねえ、父さん」
「うん? どうした」
洋一が笑みを浮かべて首をひねると、光一は情けない声を絞り出す。
「……がんばれって言ってほしい」
「どうした、急に」
今までそんな事を言われたことがなかった洋一は、突然の事に目を丸くさせる。
「……目が覚めたら、女性をエスコートしないといけないんだ」
「え」
突然の告白に、戸惑う洋一。
それもそのはず。今まで色気のいの時も知らず、不順異性交遊から避けてきた息子がそんな事を言うのだから、戸惑うのも無理は無かった。
「上手くいくか、自分でもわかんないんだ。だから、応援して欲しい」
「……そうか」
何と言うべきか、洋一は迷った。
妻が死んだばかりで、気の迷いでそんな事をしているのではないか? という不安もある。
だが不安なのは息子も同じであり、恋路の邪魔をするのは気が引けるところがあった。
「いい人なのか?」
「実はよくわかってない。SNSの友達でさ」
「ああ……そうなのか」
どこか遠い目をして、言うべき言葉を頭の中で模索する洋一。
何せ、ネットのオフ会というのは、洋一にとっても痛い思い出があった。
「実物が予想と違っても、決して泣くなよ。男でも泣くなよ」
「……うん、覚悟はしてる」
光一は苦笑いを浮かべて、神妙に頷く。
これ以上話を続ければ、余計な事を言いそうになる予感がした洋一は、最後一言だけ送ることにした。
「ファイト」
「……ありがとう。ごちそうさま!」
いざ言われるとどうも照れくさいようで、光一は食器を洗い場において、自分の部屋まで走り去ってしまう。
洋一も食べ終わり、食器を洗い場に置くと、そのままリビングにある仏壇の前まで移動した。
お鈴を鳴らし、洋一は笑みを浮かべて拝んだ。
◇
眠りについた光一が気がつけば、そこは見慣れた街並み。
空を見上げれば、雲一つない青空が広がっている。
そう、光一がやってきたのは、ティアナの『堕ちた迷い星』だった。
「おや、これはこれは。一体このような場所に、どのようなご用件かな?」
そこへ、甲冑の王女が歩み寄ってきた。
「…………」
何も言わず、敵意も見せず、光一は平然と向き合う。
「我が姫に会いに来たのかな? だが残念な事に、姫君は眠っている最中だ。明日の逢引が楽しみなのはわかるが、最低限の礼儀ぐらいは守っていただかなくては困る」
その言葉に、光一は思わず吹き出した。
「……あまりに無作法だ。躾が必要かな?」
甲冑の王女は飄々とした声を出そうとしているが、言葉の端々に怒気が漏れていた。
だというのに、光一は焦る様子も無く、真面目に話す。
「これは失礼した、甲冑の王女殿。実は、貴女お願いしたいことが三つある」
ほう? と、甲冑の王女は興味深げに笑みを浮かべる。
「ああ、ティアナが何故この世界の記憶を持っているのかを知りたいのかな? ふむ、実に簡単な話。それは余の手によるものだ。方法は……機密と言う事にしておこう」
「今はそんな事どうでもいい」
光一の発言に、驚きの表情を見せる甲冑の王女。
それがあまりにおかしくて、笑いそうになってしまう光一だが、二の舞は踏むまいと何とか堪える。
「オルター・エゴは、心が折れた時に生まれた存在。なら、ティアナさんはどうして心が折れてしまったかも知っているんじゃないのか?」
「余がわかっているとでも?」
光一の意見を、鼻で笑う甲冑の王女。
「オルター・エゴは、主人格との記憶を共有していると聞く。なら、心当たりぐらいは、あるんじゃないかと思った」
「…………」
その言葉に、甲冑の王女は口を噤む。
「貴方は以前、殺されたいと言った。……協力していただけないだろうか?」
「……どうやら貴殿は、余の想定より強かな男のようだ。ドライ、と言ってもいい」
嬉しい様な、悲しい様な表情を浮かべると、甲冑の
「それで、どうなんだ?」
「…………ふむ」
彼女は幾分か迷った素振りを見せる。
「……さて、どこから話すべきか」
そういった迷いか、と光一拍子抜けした。
「……ティアナという女は、昔から周りに完璧を求められていた」
ポツポツと、甲冑の王女はティアナの話をしだした。
「家柄もよく、世間一般ではお嬢様と呼ばれる部類に入る。だが、どこかの漫画のように、少女は両親の束縛を嫌い、自由を求めた」
光一は、固唾を呑んで彼女の話を聞いていた。
「彼女はアイススケートを始めた。最初はただ楽しかったから。次第に、これを極めれば、家に縛られなくて済むと考えた。両親もそれに賛同した。彼女の選んだ選択を、初めて認めた瞬間だ」
「……スケート選手」
口にはするが、光一はどうにも引っかかるところがあった。
本来のティアナ・ヴァイス・ロックハートの身長は自分と同じ程ではなかったか? と。
ティアナは光一の様子を見て、暗い表情で頷いた。
「……貴殿の杞憂は当たりだ。彼女は大きくなり過ぎた。身長は百八十を越え、靴も規定以下の物が入らなくなる。女性の象徴も見る見るうちに肥大化し、次第に世間では『枕をしているのではないか?』などとうそぶき始める始末」
そう語る彼女の目には、憎悪が宿っていた。
「追い詰められた彼女は、舞台の上で足を怪我した。……こうして、氷上に舞う彼女の翼は折られたわけだ」
だが、それも一瞬の出来事。すぐに演技かかった語りで話し始める。
「だがこれは、二年ほど前のお話だ。これには続きがある」
◇
翼の折れた彼女は、父が轢くレールに乗ろうと考えた。
自分から降りたいと言ったというのに、随分と厚顔無恥な女だ。
……さて、そこで問題が生じた。
もう父親は、翼の折れた彼女に興味を示さなくなった。彼女の将来に、期待をしなくなったのだ。
ああ! 何と言う業の深い親子か!
見捨てられたのが怖くなった彼女は、求められもしない完璧を追いかけて、勉学に励み、一流の大学に入学した。
……だが、そうしても彼女を見なかった。それが当然だと思われていたからだ。
そこで彼女は、もう自分等どうでもいいのかと、手を抜き始めた。成績は悪くなり、次第に大学へ足を運ぶ回数も減っていった。
すると、どうしたことだろう。彼女の父親は、成績が下がったことを叱り始めた。叱られるなど、彼女には初めての経験だった。
身勝手な親だ。期待はしていないというのに、娘のグレードが下がるのだけは嫌がったのだから。
だというのに、愚かな彼女には二つの感情が芽生えた。
見捨てられていなかったという嬉しさとに、今度こそ見捨てられるという恐怖心。
父親の信頼を取り戻そうと必死に追いつこうとした。
……だが、過去の栄光はどこへやら。結果は完璧とは程遠い成績に、彼女は絶望した。
◇
「――――とまあ、下らない理由で心が折れたのが、ティアナ・ヴァイス・ロックハートだ」
甲冑の王女は喋りつかれたのか、虚空からお茶の入ったカップを取り出して飲みだす。
「……なるほど」
本当の事を言っているのだろう、と光一は彼女の言葉を信じた。
人の顔を伺うのが得意な光一は、嘘や隠し事には敏感だった。もっとも、景久は例外だが。
「では、後二つの頼み事を聞いてもらいたい」
「……一体何かな? 王子殿」
甲冑の王女は、苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた。




