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6:中庭

「そちらは逆方向です」

 アレクセイが方向を間違えたのだと私は思った。彼はアビゲイルの婚約者候補として何度か訪ねてきたことはあったが、いつも応接間に通されていたのでこの屋敷には不案内なはずだ。

 ホレイショの部屋は、中央棟へ戻ってから東翼へ向かう方が近道だった。


「同じ道を辿っても、面白くありません」

 アレクセイは足を止めずに、半ば私を振り返りながら答えた。

「本当は全ての部屋を確認したいところですが、先に警備の確認をしておきましょう」


 西翼の裏階段で、年若い兵二人が少し臆した様子でアレクセイを迎えた。

 私が追いつくまでに、アレクセイは彼らにさっきの私と同じ質問をした。

 いつからここを守っているか、誰か階段を利用した者がいるか。

 先ほど主階段にいた兵たちとほぼ同じ答えが返ってきていた。

 中庭で騒動が起こってからここに到着するまでに10分程度かかったこと。

 それ以降、家人を含め誰一人階段を利用した者はいない。


 このことを確認しておかないと、何らかの証拠が見つかったとしても、あとで出入りした人間が置いた可能性が出てきてしまう。

 そのことを理解しているアレクセイは、確かに探偵役として有能らしい。


(警護兵が到着するまでに細工をされていたら、意味をなさないのだけれど)

 重要事項として、この考えに赤線で下線を引いた──手帳が欲しい、と私は思った。

 筆記用具のある場所へ辿り着くまでに、忘れないでいられるかしら?


 その後、裏階段を下り始めたアレクセイに、警護兵は戸惑った表情を浮かべた。

 私のように現代日本の記憶を持っていたら気にならないが、普通の貴族なら、洗濯物を抱えた使用人とすれ違うかもしれない裏階段を使うなんて考えない。

 護衛のウィラーも焦った様子で急いで階段を下り、アレクセイの前に回り込んだ。

「アレクセイ様。引き返してください」


「この階段のどこかに犯人が隠れていたらどうするんだい、ウィラー?」

 アレクセイは穏やかな声で反論した。

「使用人とすれ違うのが嫌でここを調べることを怠り、その結果犯人を取り逃がしましたと言い訳することになるかもしれない。その方がよほど貴族として恥ずかしいと僕は思うよ」


 貴族としての体面よりも、実利を取るという考え方に好感が持てた。

 私の中で、アレクセイ・グラント小公爵の評価が一段上向いた。


「しかし……」

 ウィラーは自分の傍をすり抜けて先に下りていく主人に、追いすがった。

「犯人が隠れているかもしれないのなら、なおのこと危険です!」

「今のは喩えだからね。隠れているのかいないのかを、実際にこの目で確かめなくては気が済まないんだ」


 仕方なくウィラーは、主人の向かう先に殺気の籠もった視線を飛ばしながら一緒に階段を下りていく。

 その後を私が追う形になった。

 幸い、一階に下りるまで使用人の誰ともすれ違わなかった。

 犯人も隠れている様子はなく、私たちは一階廊下端にある扉を抜けて、中庭に出た。


 そこは西翼の北端で、扉を開けて右手側には遺体の落ちていた場所がある。

 一階から中庭に通じる扉は、今出てきた西翼と、東翼の北端に1つずつ、それから最初中庭へ出た時に使った中央棟の裏口の三カ所に設置されており、それぞれ警護兵が一人ずつ立ち番をして人の出入りを見張っていた。

 私たちがアビゲイルの部屋を調べている間に遺体は運ばれたらしく、見当たらない。


(どこに遺体が保管されて、医師がどういう所見を書くのかをあとで確かめること)

 私の心のメモに一行追加。

 あとでちゃんと思い出せるのか心配になる。


 アレクセイは、中庭の花壇を眺めていた。

 色とりどりのチューリップが咲き誇っている様子は、いかにも春らしい。

 花壇は中央の広い道を挟むようにして、六つあった。

 それぞれで花の色が違っている。

 紫紺、赤、黄色、ピンク、白に加えて、珍しい緑色もある。

 花壇の周囲にある土の地面は硬く踏み固められ、綺麗に整えられていて雑草は見当たらない。


「北側は林になっているのですね。その向こうには何があるんでしょうか?」

 彼は中庭の外れを指さした。

 林の先は見通すことができない。


「古い離れがあります。庭師が道具をしまったり、洗濯係がその周囲で洗濯物を干したりするので、本邸から見えないように木々を配置しているのです」

 裏方の仕事を貴族の目に晒してはいけない、という考えがそこにも現れていた。

 正直なところ、それは王政を厳密に敷いていた頃の古い考え方で、近代化しつつある社会情勢にはそぐわない気はしている。


「なるほど」

 アレクセイは木々の緑に目をやった。

 春の爽やかな風が通り過ぎ、花壇のチューリップを揺らす。


「庭師……そういえば、庭師なら建物の外にいたはずですから、何か目撃してはいないでしょうか?」

 アレクセイは、遺体が落ちていた場所を振り返った。

 ケイラの足が乗っていた花壇は、黄色いチューリップが何株かひしゃげてしまっている。


「今日は月曜日ですので、庭師はお休みです」

 と答えると、彼は納得したようだ。

「そういえばそうでしたね」


 週の初めは、庭師の休日だった。

 これは私が読んだ原作『ヴァンダイク侯爵家の殺人』だけの話ではなく、古い時代を舞台にしたミステリー小説ではしばしば出てくる風習だ。

 前世で日本の美容院が基本的に月曜日休みなのと似ている。

「それに、使用人たちにとっては昼食を終えて片付けや掃除に取りかかる時間帯でもありますから、残念ながら三階を掃除していたアーチボルト以外は誰も庭には注意を払わなかったのでしょう」


「皆が勤勉過ぎたというわけですね」

 アレクセイは、東翼の北端へ歩き出した。

「今日は事情がありまして、使用人がいつもよりも忙しかったのです」

 貴方が先触れもなく突然来訪したせいですよ、と私は危うく口を滑らせそうになったが、騒動の発端はこちら側なので言わずにおいた。


「ところで、ケイラもそのアーチボルト同様、アビゲイル嬢の部屋で掃除をしていたということでしょうか?」

 私に質問しつつ、アレクセイの視線はあちこちを彷徨っている。

 何か手がかりになるものがないかと探っているようだ。


「おそらくそうなのでしょう。アビゲイルは私たちと一緒に応接間におりましたでしょう? 本人が不在の時に掃除をするのが普通です」

 来訪したアレクセイを私と父がもてなしている間、アビゲイルは自室で昼食をとった。

 世話をしたのはケイラだろう。

 昼食後、父は応接間にアビゲイルを呼んで謝罪の機会を設けた。

 ケイラは掃除に取りかかった。


「他にも侍女はいますので、確認は必要ですが」

 だろう、で済ませて実は違っていたら真実に辿り付けない。

 心のメモは増える一方だった。


「普段はいつ掃除することになっていますか?」

 そう尋ねられて、私は妹の日々の予定を心の中でなぞる。

 アビゲイルは午前中自室で家庭教師に学び、午後は母の裁縫室で刺繍を教わっていた。掃除はアビゲイルが裁縫室にいる間にケイラかもう一人の侍女が行うはずだ。

「……今日と同じ時間だと思います」


 東翼の扉の前で、アレクセイは足を止めた。

 彼が見つめる先には、赤いチューリップの花壇がある。

 ケイラの足が載っていた黄色い花壇の、道を挟んで向かい側に位置していた。


「……どうしました?」

 私の問いには答えず、アレクセイはそちらに向かって歩き出した。

 護衛のウィラーが、そのすぐ後を追う。

 ウィラーはその辺の茂みから何者かが飛び出してきて、アレクセイを襲ってくるのではないかと警戒しているようだが、チューリップの花壇に隠れられる人がいるとは思えない。

 彼の大げさな様子は、少し滑稽に映った。


(もしも誰か隠れられる人がいるとしたら、親指姫ぐらいじゃない?)

 親指姫が、針ほどの凶器を持って襲いかかるホラーな絵を想像してしまって、私は口元を押さえた。


 アレクセイは東翼の壁に歩み寄ると、ホレイショの部屋がある三階を見上げた。

 それから、すぐそばの花壇を見た。

 彼は上着のポケットからハンカチを取り出すと、優雅な仕草で屈んだ。


 赤いチューリップの根元に手を差し入れたアレクセイは、何かをハンカチで拾い上げると、そのままポケットにしまい込んだ。


「何があったのですか?」

 戻って来たアレクセイにそう尋ねると、彼は微かに笑みを浮かべた。

「あとでお見せしましょう。ここだと、犯人が見ているかもしれないですからね」


 アレクセイは東翼の扉を開けて裏階段を上り始め、ウィラーは再び不満げな表情になったが、今度は何も言わなかった。











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