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5:西翼

 廊下を歩き出した私の横に並びながら、アレクセイが尋ねてきた。

「裏階段はいくつあるのですか?」

「二つです」

 上下水道の設備がないこの世界では、貴族の目につかないよう、汚水や汚れ物を運ぶ必要があった。そのために設けられたのが裏階段だ。王族の住むような大邸宅なら四つも五つもあるだろうが、ヴァンダイク邸の規模では二つで充分だった。

「西翼と東翼のそれぞれ北端に一つずつあって、一階部分から中庭に出られます」


 中央棟の三階廊下は東西方向に延びている。

 主階段はその中央にあった。

 階段の東側には応接間と執務室、西側には両親の部屋、父の書斎が並んでいて、廊下の両端が東翼と西翼に繋がっている。

 私たちはさっきいた応接間とは反対の西側に進み、角を右に曲がって、西翼にあるアビゲイルの部屋に向かった。


「部屋が三つ並んでいますね」

 アレクセイが廊下を歩きながら扉を確認している。

 西翼廊下の突き当たりには、さっきと同じ制服を着た警護兵二人の姿が見えた。

「あそこが裏階段か。……君の部屋はどこです?」


「妹の部屋の隣です。さっき行き過ぎました」

 私はアビゲイルの部屋の扉に立って、一瞬躊躇した。

 現代社会なら指紋に気を付けるところだが、この世界では指紋に粉を吹きかけて浮かび上がらせることができたとしても、誰かのものと照合したり、保存して証拠にする技術はない。

(そもそも何の粉だったかしら? ……小麦粉?)

 気にしないことにして、扉の取っ手を掴むと、押し開けた。

 

「アビゲイル嬢は、真ん中の部屋ですね」

 アレクセイは左右に部屋があることを確認した後、私と共に中へ進んだ。

 護衛のウィラーは扉の外で待機している。

「隣の空き部屋は、日中は高級使用人の待機所に使っています」

 私は説明を追加した。


「西翼と東翼が同じ造りだとしたら、向こうにも部屋が三つ並んでいて、ホレイショ君の部屋はその真ん中ですか」

 アレクセイは扉から見て正面の壁にある二つの窓を見ていた。

 窓もカーテンも開け放たれている。

 右手の壁際にはカバーを掛けられたベッド、左手の壁には暖炉があった。


「その通りです」

 ホレイショは一年ほど前から滞在していた。

 父は、彼が領主の補佐をこなせるようになったら私と結婚させるつもりでいた。

 原作では、ホレイショは妹を愛してしまい、婚約破棄を申し出た。

 彼には思い入れなどないから、現実でもそうなったらその時に対応を考えようと思っていた。


(まさか探偵役に求婚されるとは……)


 迷った時には一旦保留。

 あとで考えることにして、今は目の前のことに集中しなければ。


 ベッド、クローゼット、暖炉と確かめながら、アレクセイは窓に近づく。

「普段、窓やカーテンは開けているのですか?」

「普段は閉めています。この時期の午後なら、掃除の直後で風通しを良くするために開けていることが多いです」

 ベッドにカバーがかかっているところを見ると、ケイラは死ぬ前に掃除をきちんと済ませていたようだ。


「ああ。そう言えば」

 アレクセイは窓から下を覗き込んでいた。

「さっきの高級使用人も、ホレイショ君の部屋を掃除していて窓を開けたと言っていましたね」

 私も並んで立ち、下を見る。


 中庭で立ち番をしている警護兵たち数名の姿が見えた。

 一人がスケッチブックを持って、ケイラの遺体をスケッチしている。

 ケイラの遺体はおそらくこの後、地下にある涼しい部屋に安置されるのだろう。

 地下には倉庫や武器庫、作業部屋、大昔に使われていた牢などがある。

 あるいは、少し北に建っている古い離れかもしれない。

 そこは洗濯場や庭師たちの倉庫として使われていた。


 私はいつもと変わりないアビゲイルの部屋を見渡した。

 妹の部屋には物が多かった。

 両親は、ベッドにいることの多いアビゲイルが欲しいとねだったものは、できる限り揃えてやっていた。

 ぬいぐるみ、最近流行の高価なビスクドール、芸術品、生花。

 様々な雑貨がベッド脇の棚に並んでいた。

 ベッド下にも、子どもの頃に使った玩具類が大量に置かれていた。


「あの絵」

 と、アレクセイはベッドの向かいにある壁にかかった絵の一つを指さした。

 それは深い森の中で、妖精が楽しげに遊んでいる幻想的な絵画だった。

 右下に"シルヴァン・ヴィンセント"という署名が入っている。

「あれはあなたが買ったものでは?」


「ええ」

 私は驚いた。

「よくご存じですね」


「同じ画家の個展に、僕も行ったのですよ」

 アレクセイは静かな声で打ち明けた。

「そこで若い女性が『妖精の宴』を買ったと噂になっていました。居合わせた客の一人から、画廊の主がヴァンダイク侯爵令嬢と呼んでいたと聞いたのです。僕と感性が同じなんだなと思って、嬉しく思いました。貴方の御父上はアビゲイル嬢が買ったのだと言っていましたが、彼女はシルヴァン・ヴィンセントの名を知らないようでした」


「二年前に王都であった個展ですね」

 その頃、グラント公爵家からアビゲイルに縁談の話が来たことを私は思い出した。

 この絵がきっかけだったのかと、納得した。


「この絵はとても高かったので、妹が欲しがったことにしました。父は、妹の買い物には文句を言わないのですよ。父を騙し続けるため、絵はここに飾ってあります。私は見たい時にいつでもここに見に来ることができますから」

 私は苦笑した。

「今更バレても問題はないのですけれど、当時なら父は、若い娘が買うようなものではないと返品したでしょうね」


「そういうことだったのですか」

 アレクセイは小さく溜め息をついた。

「道理で、アビゲイル嬢とは話が合わないと思いました」


 やはりアレクセイは、原作の彼とは性格が違っている。

 原作での彼はアビゲイルの美しさに傾倒していて、話が合うとか合わないとかは問題にしていなかったはずだ。


 その後アレクセイは、ベッドの下や窓の周囲を見て回っていた。

 私も妹のクローゼットや文机の引き出しを開けて、不審なものがないか確認していった。


 一通り調べ終わった後、アレクセイは開いた窓から東翼の方向を指さした。

「次はホレイショ君の部屋を見たいのですが、今から行ってもいいですか?」

「もちろんです」


 私たちは再び廊下へ出た。

 東翼へ向かおうと中央棟の方向へ戻りかけたところ、アレクセイが逆方向へと進み始めたので、私は驚いた。

 そちらには裏階段しかなかったからだ。











⋈ ・・・・・・ ⋈ ・・・・・・ ⋈

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