37、巨角熊
「それから、アイや神父様たちはできれば、馬車に戻って欲しい」
お父さんがそう言うと、神父様は少し困ったような顔をした。
「それは、難しいかもしれませんね」
「難しい?」
「先ほど、カインのお母さんに、私もカインの近くにいると伝えてしまったのです」
神父様はカインに目を向けた。
「もしここで馬車に戻ってしまえば、お母さんとの約束を破ることになります」
「ですが、神父様...」
お父さんが困ったようにそう言うと、神父様は巨角熊のいる方を見て言った。
「ただ、カインの近くにいると伝えた以上、何もせずに馬車へ戻るわけにもいきません」
「...そうですか」
お父さんは困ったように頭をかいた。
「俺としては、アイと神父様には馬車に戻ってもらいたいんですがね」
「お父さん、私も魔法で手伝えるよ」
私は思わず口を挟んだ。
「アイの水属性の魔法では、十分に足止めできないだろう」
「うっ」
カインのように泥を作って魔物の足を止めることもできないし、兵士さんたちのように剣を使うこともできない。
「それでも、何かできるかもしれないよ」
私がそう言うと、お父さんはしばらく黙って私と神父様を見て言った。
「……分かった。ただし、俺の近くから離れるな」
「うん」
お父さんは神父様に向き直った。
「神父様も、カインの近くにいるということなら、俺が護衛します。カインが足止めをする場所まで一緒に行きましょう」
「ありがとうございます」
神父様が頭を下げてお礼を言う。
「ですが、危険だと判断したら、すぐに下がってください。カインのことは俺たちが守ります」
「分かりました」
お父さんは周りの兵士さんたちに目を向けた。
「それでは、一旦集まれ」
お父さんの一言で兵士さんたちが再び集まる。
「まず、俺たちが巨角熊を開けた場所へ誘導する。そこでカインに泥を作ってもらい、動きを止める」
お父さんが地面を指差した。
「カインは、俺たちが合図するまで魔法を使わないでくれ」
「はい」
カインは静かに返事をした。
「アイは、カインが泥を作る場所の近くにいること。巨角熊が近づいてきたら、できるだけ水の魔法で援護してほしい。やらないよりはマシだろう」
「分かった」
(援護って何すればいいんだ)
作戦が決まると、兵士さんたちが巨角熊に向かう者と離れた場所へ向かう者に分かれて静かに動き始め、巨角熊はまだこちらに気づいていない。私たちはお父さんの後ろについて歩き出した。
森の中を進んでいくと、木々の間から少し開けた広い空き地のような場所が見えてきた。
「ここで足止めをする」
お父さんが小さな声でカインに言った。カインは空き地の中央を見つめている。
「カイン、あの辺りに泥を作れそうか?」
「できます」
カインが頷く。
「では、合図があるまで待っていてくれ」
お父さんはそう言うと、私たちを空き地の端にある木の近くへ連れていった。
「ここなら、巨角熊が来ても少しは身を隠せる。神父様とカインたちはこの辺りにいてください」
「分かりました」
神父様が返事をする。
カインは空き地を見ながら、じっと黙っていた。
私には、三メートルもある巨角熊が近づいてくるなんて想像するだけで怖い。でも、カインはいつも通りの顔をしていた。
しばらくすると、森の奥から兵士さんの声が聞こえてきた。
「こちらです!」
巨角熊が、ゆっくりとこちらへ向かってくる。兵士さんたちは巨角熊から距離を取りながら、空き地へ誘導していた。巨角熊は何度か立ち止まったが、兵士さんたちを追うようにして進んでくる。
その姿が近づくにつれて、体の大きさがはっきりと分かってきた。
(やっぱり、大きい……)
頭にある角は遠くから見たときよりもずっと大きく見え、巨角熊が空き地に入ると、兵士さんたちは左右に分かれた。
そのとき、お父さんが手を上げた。
「今だ!」
カインが一歩前に出る。
「はい」
カインが地面に手を向けた。すると、巨角熊の足元前に気づかれない程度の泥だまりができた。
巨角熊が一歩踏み出すと、足元にあった泥が一気にその足へ纏わりついた。泥は地面と一体化しており、これではもうその場から動けないだろう。
「グオオオオオッ!」
巨角熊が大きな声を上げて体を揺らし、足を引き抜こうとしたが、泥に足を取られて思うように動けていない。
「今だ!攻撃しろ!」
お父さんが大声を上げると、兵士さんたちが一斉に動き出した。
兵士さんたちは剣を構え、巨角熊の周囲を取り囲むように走り出した。
巨角熊は必死に泥から足を引き抜こうとしながら、近づいてくる兵士さんたちに向かって荒々しく角を振り回す。
兵士さんたちは、その角を避けながら攻撃を続ける。だがなかなか傷がつかない。
(硬い...)
私は木の近くで、カインの様子を見ていた。カインは地面に手を向けたままだ。しかし、巨角熊の動きは思ったほど鈍くなっていなかった。
「カイン、もう少し泥を作れるか?」
お父さんがカインに声をかける。
「……はい」
地面に広がっていた泥がなかなか増えていかないことにカインの顔が少しずつ険しくなる中、巨角熊は足を動かして泥から抜け出そうとしていた。
「グオオオッ!」
巨角熊が大きく体を揺らし、その勢いで、足が少し持ち上がった。
「まずい!」
兵士さんの一人が声を上げる。
巨角熊が前へ進もうとする。足元にまだ泥が残っているものの、今にもそこから抜け出してしまいそうだった。
「カイン、もう少しだ!」
お父さんが大声で叫ぶ。
カインは地面に手を向けたまま、必死に魔法を使っていた。
「……っ」
しかし、泥は思うように巨角熊の足を捕らえない。
巨角熊が再び足を踏み出すと、その巨体は兵士さんたちの方へ向かって突き進んでいった。
「下がれ!」
お父さんが叫び、兵士さんたちは巨角熊から距離を取ったが、巨角熊は足を引きずりながらも、少しずつ前へ進んでいる。
(このままだと、カインの魔法だけでは止められないかもしれない)
私は巨角熊の足元を見た。泥が足に絡んでいるけれど、まだ足りない。
(そうだ。私の水魔法で地面を濡らせば、カインの泥をもっと広げられるかもしれない)
私は両手を地面に向けて広げた。自分の魔力が巨角熊の足元へと向かっている。
魔力が水に変わり、地面に水が染み込み、土が少しずつ柔らかくなっていき、巨角熊が足を踏み出すと、ぬかるんだ土に前足が沈んだ。
「グオオオッ!」
巨角熊が前足を引き抜こうとするが、泥に絡まった後ろ足は思うように動かない。
「カイン、今だ!」
お父さんが叫ぶ。
「はい!」
カインが地面に手を向ける。
ぬかるんだ土とともに、カインの生み出した泥が、まるで雁字搦めにするかのように熊に纏わりついている。
「止まった!」
兵士の一人が声を上げると、お父さんたちはその隙を狙って攻撃を仕掛ける。
地面の土と水が混ざり、巨角熊の足元はさらにぬかるんでいく。




