35、お母さん
今回の話では、カインのお母さんの視点で進みます。
「あら……カイン?」
私は、アイちゃんと神父様の後ろに立っているカインを見る。
神父様とアイちゃん、それにカインまで一緒に来るなんて、いったい何があったのだろう?
「皆さん、どうしたんですか?」
神父様が一歩前に出て、私に話しかけてきた。
「突然お邪魔して申し訳ありません。少しお話ししたいことがありまして」
「お話、ですか?」
「はい。カインさんについてです」
その言葉を聞いた瞬間、カインを見る。
「カインが何かしましたか?」
「いえ、そういう話ではありません」
神父様は落ち着いた声で答え、その声は、私は少しだけ安心させる。
「実は、街の近くに大きな魔物が現れまして」
「魔物……?」
「はい。巨角熊という魔物です」
神父様は、今回の討伐について、事の経緯を最初から順番に説明してくれた。
兵士の方から、カインに協力してほしいという要請があったこと。
カインが土属性と水属性の魔法を使えるため、魔物の足止めを頼みたいということ。
そして、アイちゃんもカインと一緒に行くこと。
私は黙って話を聞いていた。話を聞く限りでは、カインに危険な事をさせようとしているわけではないらしい。
「……そういうことだったのですね」
「もちろん、カインさん本人の意思だけで決めてよいことではありません。まだ子供ですから、ご両親の許可が必要だと思い、こうして伺いました」
「分かりました」
私は少し屈んでカインと目を合わせる。
「カインは、行きたいの?」
「うん」
カインは頷いた。
「アイも一緒に行くなら」
「そう……」
私は、カインの顔をじっと見つめる。
昔のカインは他の子供たちと積極的に遊ぶような子ではなかった。
外で同年代の子供たちが遊んでいても、自分から混ざろうとはしないで、みんなが走り回っているのを少し離れたところから静かに眺めていることが多かった。
私は、それを特に気にしていなかった。
この子は、こういう性格なのだろうと思っていた。
家に帰れば、私のところへカインはたまに来ていた。
「お母さん」
「なあに?」
「今日ね……」
その日の出来事を、淡々と話してくれる。
畑で何を見たのか、誰が何をしていたのかという些細なことばかりを聞くのが好きだった私は、カインのことを分かっているつもりだった。「赤ちゃんの頃の記憶がある」なんて言った時には私は笑っていた。
この子はこういう子。
何を考えているのか、わからないと夫は言っているけれど、私には何となく分かる。
何が好きで、何が嫌なのかも、長く一緒に暮らしていれば自然と分かるものだと思っていた。
けれど――。
いつからだっただろう、以前よりもよく笑うようになり、人と話すことも増え、私が何かを頼めば明るい声で返事をするようにカインが変わったのは、アイちゃんと仲良くなったことで人と接することに慣れ、成長したのだと最初は思っていたのだった。
(良いこと……なのよね)
そう思うのが普通なのだろう。この子が笑い、友達と楽しそうに過ごしている。
それなら母親として、喜ぶべきことなのかもしれない。
ただ――。
私は、少しずつカインに近づくことをためらうようになっていた。それはカインのことが、分からなくなってきたからだ。
以前なら、カインが笑っていたら嬉しいのだと分かっていたが、今は違う。
笑顔を見ても、それが本当に嬉しくて笑っているのか分からない。
明るい声で返事をされても、本当にそう思っているのか分からない。
以前なら、顔を見れば何となく分かった。
嫌なことがあれば、帰ってきたときの顔ですぐに分かった。
そういう小さな変化を見ていれば、カインの気持ちは何となく分かった。
けれど今は、それが分からない。だから、私は以前のように気軽に声をかけられなくなっていた。
何かを尋ねることにも少しだけためらいを感じ、この子は今どんな気持ちなのか、私がこう聞いたらどう答えるのか、その答えは本当にカインの気持ちなのだろうかと考えてしまうようになり、私はいつの間にかカインと少し距離を置くようになっていた。いや、互いに少しずつ距離を取っているのかもしれない。
それは、嫌いだからではない。
むしろ逆で、母親でありながらずっと一緒に暮らしてきたこの子のことがどうしてこんなにも分からなくなってしまったのだろうと怖くなり、分からないからこそどう接すればいいの分からない...。
私はもう一度、カインを見ると隣にはアイちゃんがいる。
二人は自然に並んでいる。カインは、アイちゃんといるときが一番楽しそうだ。
(……アイちゃんと一緒にいるようになってから、変わったのかしら)
そう考えると、少しだけ納得できる気もする。
友達と過ごすうちに、相手の話し方や仕草がうつることはあるからだ。
けれど――。
最近のカインには、それだけでは説明できないような違和感がある。
笑うときの表情も、人の話を聞くときの頷き方や誰かに何かを尋ねるときの声も、そのどれもが以前のカインとは少し違っていた。
そして、その仕草の全てがアイちゃんによく似ている。
(まるで……アイちゃんの仮面を被っている?)
そんな考えが、一瞬だけ頭をよぎったが、すぐに打ち消した。
(そんなわけ...ないわよね。仮面を被っているなんて、ただ真似をしてるだけよね)
自分にそう言い聞かせる。
「危険は……ありませんか?」
気がつけば、私は神父様にそう尋ねていた。
「危険がないとは言えません」
「だからこそ、私も同行します。また、兵士の方々にも安全を最優先していただくようお願いしています」
「そうですか……」
(……この子は、自分で行きたいと言っている)
しばらく考えたあと、私は神父様に向き直った。
「分かりました。カインが行きたいというのであれば、私は反対しません」
「ありがとうございます」
私はカインを見る。
「ただし」
少しだけ声を強くして、カインに言う。
「危なくなったら、すぐに逃げるのよ」
「うん」
「それから……」
私は「帰ってきてね」と言いかけたが、結局は別の言葉を選んだ。
「……頑張ってきてね」
「うん」
カインが頷く。
私は結局何も言えず、ぎこちなく微笑んだ。
(……私は、この子のことをちゃんと見てあげられているのかしら)
それでも――。
(どうか、無事に帰ってきて)
私は、馬車に乗り遠ざかっていくカインの姿を見つめていた。




