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最弱の地図術士、ダンジョンを書き換える 〜敵の巣窟を自由自在に変えて最速クリアします〜  作者: いおにあ


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第1話 転生しても、役立たずだった件


 一ヶ月前。朝の冒険者ギルドは、活気と喧騒に満ちていた。


 石造りの重厚な扉をくぐれば、酒と汗と革鎧の匂いが混ざり合った独特の空気が広がる。壁一面に貼り出された依頼書、天井から吊るされた魔物の剥製、そして何より、屈強な男たちの野太い笑い声が、この場所が“戦う者たち”の聖域であることを物語っていた。


 その中心で、彼らは輝いていた。


「おいおい、B級昇格おめでとう! さすがだな!」

「次はA級ダンジョンに挑戦だってよ。貴族の御曹司は違うな!」


 もみあげまで整えた銀髪の若者――ギルバート・シュタイナーが、取り巻き連中に囲まれながら酒杯を掲げる。彼の纏う銀の鎧は磨き上げられ、天井から差し込む光を反射してきらめいていた。いかにもエリート、いかにも英雄。誰もが羨む、このギルドの星だった。


――その端っこで、一人の少年が縮こまっていた。


 観月トオル。十六歳。


 彼は柱の影に凭れ、分厚いスケッチブックを膝の上に広げていた。右手に握る鉛筆が、かさかさと紙の上を走る。彼の視線は、ギルドの中心の喧騒ではなく、自分が今座るこの場所――柱と壁の角度、出入り口までの距離、天井の梁の構造――をなぞっていた。


 彼が描くのは地図。あるいは空間の“解剖図”だった。


「……ここ、無駄に広いな。動線が悪い。受付から依頼板までの最短経路は、あのテーブルを避ければ……でも、あそこに座る冒険者たちが邪魔で……」


 ぶつぶつと呟く声は、誰にも届かない。

 というより、誰も聞こうとしなかった。


「あら、今日も隅っこで描いてるのね」


 通りかかった受付嬢が、呆れと哀れみを半分ずつ混ぜたような視線を向ける。トオルは顔を上げずに、こくりと頷いた。


「はい。今日は……人が多いので、混雑のパターンを記録してます」

「ふーん……ま、頑張ってね」


 彼女の足音が遠ざかる。トオルは小さく息を吐いた。


 彼の職業は【地図術士】。スキルは【地図術】――ダンジョンの地図を正確に描くことができる、それだけの能力だ。攻撃魔法も使えない。剣もまともに振れない。ギルドが定める戦闘職のランクは、最下位のF。すでにダンジョン内の地図は完成しているこのご時世に、無用な職業だった。


 誰もが口を揃えて言う。

 役立たず。足手まとい。ギルドの肥やし。


 時折、地形測量のクエストでパーティに誘われることもある。しかしそれは、「戦力にならないからせめておとりにでもなれ」という捨て駒のような扱いだ。報酬は雀の涙。今日食べる分がやっとで、明日のことは考えたくもなかった。


「なあ、そこの地図描き」

 突然、声をかけられた。顔を上げると、筋肉隆々の男が二人、腰に手を当てて立っている。戦斧を背負った戦士と、鎖帷子を着た槍使いだ。どちらも顔に無数の傷跡があり、ギルドの古参であることを物語っている。


「はい……」


 トオルがおずおずと返事をすると、戦斧の男が顎をしゃくった。


「お前、ギルドの隅で一日中絵を描いてるって聞いたぜ。暇なら俺たちの荷物でも持ってろよ。報酬の一部はやってもいい」


 槍使いが笑う。「でもよ、こいつ戦えねえんだろ? だったら、筋力も最低レベルだろうし、荷物持ちにもならねえんじゃねえか?」

「ははは、そりゃそうだ!」


 トオルはスケッチブックを抱え、黙って首を振った。それ以上の返答はしない。何を言っても無駄だと、もうとっくに学んでいたからだ。


「つまんねえ奴だな」


 男たちは笑いながら去っていく。トオルはその背中をぼんやりと見送り、再び鉛筆を動かした。手は震えていない。もう慣れていた。


――前世でも、そうだった。


 トオルは覚えている。日本で浪人生だった頃の自分を。机に向かって何時間も参考書を睨みつけても、模試の成績は上がらなかった。偏差値の低い順に並べられた名前の、いつも下から数えた方が早い位置に、自分の名前があった。


「お前は役に立たない子だね」


 父の言葉は、今でも耳の奥にこびりついている。


 役に立つこと。それが全てだった。良い大学に入って、良い会社に就職して、社会の歯車になること。それが“正しい生き方”だと信じていた。なのに、自分はその歯車にすらなれなかった。


 どれだけ勉強しても成績は上がらない。どれだけ考えても、答えは出ない。自分には何かを「生み出す」才能がない。ただ、街並みをスケッチすることが、唯一の心の逃げ場だった。


 十六歳という、三つほど若く転生したこの世界でも、同じだった。


 役に立たなければ価値がない。この単純な方程式だけは、どちらの世界も変わらない。


 この世界に来てから、どれだけの冒険者に「役立たず」と罵られたかわからない。最初は傷ついた。でも、もう慣れた。心が麻痺するというのは、こういうことなのだろう。


「……」


 トオルは鉛筆を置き、スケッチブックを閉じた。今日はもう帰ろう。誰とも目を合わせずに、そっとギルドを後にする。それが彼の日課だった。


 扉に向かって歩き出す。柱の陰から、影のように。


 その時だった。


「うわああああっ!」


 女性の叫び声が、ギルドの入り口付近から聞こえた。トオルは反射的に声のした方を見る。


  金髪の猫耳が、空中で一瞬止まってから、派手に床に倒れ込んだ。


「いててて……!」


 倒れたのは、少女だった。猫獣人――リュカン族特有の、金色の猫耳と同色のしなやかな尻尾。年齢はトオルより一つか二つ下だろうか。着ている革の防具はあちこちが擦り切れ、ところどころ補修の跡がある。背中には小型の短剣が二本、乱暴に差されていた。


 彼女の前に立っているのは、先ほどトオルを嘲笑った戦斧せんぷの男だ。


「おいおい、歩くときは目を開けて歩けよ、迷子猫ちゃん」

「て、てめえ! ぶつかってきたのはお前の方だろ!」


 少女が跳ね起きる。猫耳が逆立ち、尻尾が逆立っている。戦斧の男はにやにやと笑いながら、


「あん? F級のお荷物が、オレ様に文句言うのか? お前、この前のE級ダンジョンでも迷子になって、他のパーティに迷惑かけたんだろ? 噂になってるぜ」

「うっ……」


 少女の耳がぱたりと垂れた。図星だったらしい。


「方向音痴のくせに冒険者なんてやってられるかよ。お前は地図描きのあのガキと一緒だな。ギルドの肥やし同士、仲良くやってろよ!」

「……」


 少女は拳を握りしめ、唇を噛みしめている。その目には涙が滲んでいたが、決してこぼそうとしない。


 ――役立たず。足手まとい。ギルドの肥やし。


 自分に向けられるのと同じ言葉が、今、この少女に浴びせられている。


 トオルの胸の奥で、何かがざわりと動いた。


 あの日、自分も同じように笑われた。誰も助けてくれなかった。誰も庇ってくれなかった。ただ黙って、やり過ごすしかなかった。


でも――


「……あの」

 トオルの口が、勝手に動いていた。


 二人の視線が彼に向く。戦斧の男が「あん?」と眉をひそめる。トオルは後悔した。だが、もう止まらなかった。


「その……通路の件ですが、先週のE級ダンジョン『土竜の巣穴』、第二層の分岐点ですよね。あそこは確かに、目印になる岩が三つ並んでいるように見えて、二つ目と三つ目がほぼ同じ形なので、右か左か判断しづらい構造になってます。あれは設計のミスというか、自然にできたにしては不自然な配置で……」

「はあ?」


 男はギロリと睨みつけてくる。だがトオルはひるまずに言葉を続ける。


「だから、彼女だけが悪いわけじゃ……その、構造に問題があるというか……」

「お前、何が言いてえんだ?」


 戦斧の男の目つきが鋭くなる。トオルはたじろいだが、スケッチブックをぎゅっと抱きしめて、かろうじて立っていた。


「……誰かを責める前に、まず構造を直すべきだって言いたいだけです」


 沈黙が落ちた。


 数秒後、男は呆れたように鼻を鳴らした。


「はっ、役立たずが偉そうに。構造がどうこう言ったところで、てめえに何が変えられるんだよ?」


 そう言い捨てて、男は仲間と共にギルドの奥へ消えていった。


 残されたのは、トオルと、猫耳の少女だけだった。


「……」

「……」


 気まずい沈黙が流れる。トオルはさっさと立ち去ろうとした。余計なことをした。関わらなければよかった。そう思って背を向けた。だが――


「おい!」


 肩をつかまれた。振り返ると、少女が真剣な目で彼を見つめている。


「お前、さっきの話、本気で言ったのか?」

「……何がです?」

「構造が悪いから迷うんだってやつだ。うちは方向音痴だってずっと言われてきた。自分でもそう思ってた。でも、お前は違うって言うのか?」


 トオルは答えられなかった。ただ、自分のスケッチブックを見下ろす。


「……正確に測れば、原因はわかるんです。迷いやすい場所には、必ず理由があります。見た目が同じ分岐とか、光源の偏りとか、足場の傾きとか……」

「それ、見せてくれ!」


 突然、少女がスケッチブックをひったくった。トオルは「あっ」と声をあげるが、もう遅い。

 少女はぱらぱらとページをめくり、目を大きく開いた。


「……すげえ」


 彼女の声が、尊敬の色に変わった。


「これ、全部お前が描いたのか? 通路の幅、天井の高さ、魔物の痕跡まで……こんな正確な地図、見たことない」

「そ、それは……」

「なあ、お前、名前は?」

「……トオルです」

「うちはリリエン! リリエン・フェルステ!」


 少女――リリエンは、満面の笑みを浮かべて言った。


「なあトオル、これ、うちにくれないか? すごく正確だな! うち、これが欲しかったんだ!」

 トオルは言葉を失った。誰かに自分の描いた地図を“欲しい”と言われたのは、これが初めてだった。


「あ、あの……それは……」

「ダメか?」


 耳がしょんぼりと垂れる。トオルは慌てて首を振った。


「ち、違います。その……コピーならお渡しできます。原本は僕が書き足したりするので」

「本当か! ありがとな、トオル!」


 リリエンはスケッチブックを返しながら、目を輝かせた。


「でも、ダンジョンの地図なんて、安いのがいつでも買えますよ」


 トオルの弱気な言葉を一蹴するように、リリエンは首を振る。


「違う! この地図、あんな量産品とは全然違う!!!」

 

 どうやら、トオルの書いた地図をいたくお気に召したようだ。

 

「お礼に、今度ダンジョンに連れてってやるよ!」

「え……?」


「うち、E級ダンジョンならソロで潜れるんだ。でも、迷うからいつも時間かかってさ。お前の地図があれば、もっと早くクリアできるかもしれない!」

「で、でも、僕は戦えませんし……」

「いいんだよ。お前は地図を描いてりゃいいんだ。それに――」


 リリエンはにっと悪戯っぽい笑みを浮かべた。


「お前のその地図、どれだけ正確か、実際に見てみたいしな」


 トオルは、彼女の無邪気な笑顔に、何と言っていいのかわからなかった。


 断るべきだ。自分は戦えない。足手まといになるだけだ。そう思えば思うほど、言葉が出てこない。


――でも。


 心の奥底で、何かがざわりと動いた。

 誰かに必要とされることが、こんなにも温かいなんて、知らなかった。


「……じゃあ、少しだけ」


 トオルがそう答えた時、リリエンの猫耳がぴんと立った。


「決まりだな! じゃあ明日、朝一番でここに集合だ!」


 彼女はくるりと回って、軽やかな足取りでギルドを飛び出していく。その背中を見送りながら、トオルはそっとスケッチブックを開いた。


 自分が今まで描いてきた地図の数々。誰も見向きもしなかった、ただの落書き。


「……僕の地図で、誰かの役に立てるのかな」


 呟いた声は、誰にも届かなかった。


 トオルはそっとスケッチブックを閉じ、ギルドの扉へと歩き出した。外の空気は冷たく、夕暮れが街を橙に染めている。


 明日、彼は初めて、誰かと共にダンジョンへ向かう。


 そのことが、彼の――そしてこの世界の“地図”を、大きく塗り替える第一歩になるとは、まだ誰も知らない。

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