結界の修復
翌日、私とミレーヌ聖女は、エルフィンド城最上階にある空中庭園へと向かった。
この場所で、結界を修復することになったのだ。
なぜ、城の最上階が選ばれたかと言えば、少しでも空に近いほうがいいだろうという誰かの案からだった。
ミレーヌ聖女は、笑いながらそっと私につぶやいた。
「ほんの少し距離が縮まったからといって、別に何も変わらないけどね」
王族や貴族、宮廷に関わるすべての人々が空中庭園に集まり、ミレーヌ聖女の一挙手一投足を見守っていた。
その中には、エルフィンド王国の聖女であるセレナの姿もあった。
空を見上げると、小さな黒い点ができている。
まるで、青い空の上に、墨汁を垂らしたかのように輪郭線のぼやけた点だった。
「思ったより小さなホールで安心したわ。これなら大丈夫よ」
ミレーヌ聖女が空を向き両手を広げると、聖なる力が空気を伝い黒点へと向かっていく。
すると、ゆっくりとだが穴が小さくなっていった。
「おお! 結界が閉じられていく! さすがはミレーヌ聖女だ!」
やがてホールは完全に消失してしまい、ミレーヌ聖女はほっとした顔でこう言った。
「もう大丈夫だと思います」
「ありがとうございます。これで王国の人々が安心して暮らせます」
ミレーヌに近づき、そう感謝を述べたのは、アレクシオ王子だった。
城に集まった人たちも、ほっとしたのだろう。それぞれ、思い思いの言葉を話しはじめた。
「よかった……」
「さすがは偉大な聖女様だ……」
「ほんと、うちの聖女とは大違いだわ」
ただ、そうやって皆がほっとしているのもつかの間だった。突然、どこからか轟音が響き渡り始めたのだ。
「え?」
「空だ! 空が変化しているぞ!」
「まただ……。また、結界が破れている……。しかも、今度はかなり大きい……」
周囲人たちと同様に、私もすぐさま上空に顔を向けた。
すると、視界の先には、先ほどとは比べ物にならない程の巨大ホールが出現していた。
「あれは……」
ミレーヌ聖女の表情が固まった。
「あれは、ビックラプチャーよ……」
ビックラプチャー……。これを修復しようとして、お母さんは……。
「もう一度やります」
そう話すミレーヌ聖女に私はすぐさま駆け寄った。
「無茶です。ミレーヌ聖女はもう魔力を使い果たしています」
「けれど、放っておくわけにもいかないわ」
「……でしたら、私がやります」
「それは駄目! あなたにそんなことはさせられない!」
そう話すミレーヌ聖女を無視し、私は左手の小指から魔力封じの指輪を外した。
次の瞬間、私の体の中にすっと魔力の風が流れ込んできた。
そんな私の様子を見て、ミレーヌはこう言った。
「わかったわ。だったらその指輪を私に預からせて」
「指輪を?」
どうしてミレーヌが魔道具の指輪を預かるのか不思議に思ったが、言われるがままにそれを渡した。
改めて空を見上げ、巨大ホールを見つめてみる。
お母さん、どうか私に力を貸してください……。
そう心のなかでつぶやき、魔力を溜め込む。すると、私の身体が白く輝き始めた。
魔力が蓄積されたことを確認すると、私は手を頭上に掲げ、ビッグラプチャーに向かって一気にその力を放出した。
「す、すごい……」
周囲にいる人たちが、声を上げた。
「あんなに大きかった裂け目が、どんどんと小さくなっているわ」
「あのお方は……、大聖女様なのか……」
このままいけば、巨大ホールを閉じることができそうだ……。
けれど……。
実際にビッグラプチャーに魔力を注ぎ込むと、ミレーヌ聖女の話していたことが改めてよくわかった。
彼女はこう言ってていた。
……自分では魔法が止められなくなってしまい、魔力が自動的にどんどんと吸い込まれ、最後は命を失ってしまうと……。
今の私が、まさにその状態だった。
魔力は尽き果てようとしていたが、自分で魔法を止めることができなくなっている。
怖い……。
きっと母も、同じ恐怖を感じながら、ビックラプチャーを修復したに違いない……。
このまま私は……、お母さんのところに行けるのだろうか……。
そう思い、死を覚悟した時だった。
私の視界の端に、ミレーヌ聖女が現れた。
そして、なぜかミレーヌは私の左手に触れてきた。
彼女は何をしているのだろう……。
意識が朦朧とする中、ミレーヌの言葉が聞こえてくる。
「あとは私に任せて」
気づけば、なぜか私の魔法は強制的に停止していた。
なぜだかよく分からなかったが、もう私の魔力がビッグラプチャーに吸い込まれずに済んでいる。
朦朧としていた意識がよみがえり、目の前が明るくなってきた。
見上げると、ビッグラプチャーは完全に閉じられ、青空の中には黒い染みなど一つもない状態だった。
「やった。結界が修復した!」
「これで私たちも助かるんだわ!」
人々の明るい声が耳に届きはじめてくる。
けれど……。
ふと見ると、私の横でミレーヌ聖女が地面に倒れている。
彼女は、まるで人形のように全く動かなくなってしまっていた……。
そんな彼女を見て、私はすぐさまミレーヌに回復魔法をかけようとした。
慌てて両手を彼女の身体に当てようとしたとき、あることに気がついた。
私の左手小指に、魔力封じの指輪がはめられていたのだ。
それを見て、なぜ私が助かったのかが分かった。
ビッグラプチャーに魔力を全て吸い取られてしまう前に、ミレーヌが私に指輪をはめ、私の魔法を強制的に止めてくれたのだ。
だから私は助かった……。でも、その代わりにミレーヌは……。
私は指輪を外すと、それを上着の右ポケットに入れた。
改めて魔力を込め、回復魔法をミレーヌにかける。
けれど、魔力が不足しているため、私の手はほんのりと白く光るばかりで、とてもミレーヌを助けることなどできそうになかった。
もう彼女はピクリとも動いていない……。
手遅れかも……。
「すぐに、ミレーヌ聖女を救護室に連れて行くんだ!」
そう叫んだのは、アレクシオ王子だった。
王宮騎士団が駆け寄り、慌ててミレーヌ聖女を運び去っていく中、力尽きた私はその場で座り込み、ぼう然と彼女が運ばれていく様子を眺めていた。
そんな時、誰かが私に近づいてきた。真っ赤な靴が目に入ってきた。
「結界を修復して生命を落とすなんて、聖女の鏡ね。でも、愚かな聖女と思う人もいるでしょうけど」
座り込む私を見下ろしながらそう述べたのは、エルフィンド王国の聖女、セレナだった。
何もしなかったセレナが何を言っているのだろうか……。
この女は、逃げてばかりいたくせに……。
「それにしてもアリア、その指輪のおかげでやっとあなたの正体が分かりました」
セレナは、口を歪め冷たく笑っている。
「魔法の使えるアリアと、使えないアメリアがどうしても結びつかなかったけれど、そういうことだったのね」
よく見ると、セレナはあの本を手に持っていた。あの老けメイクの方法が書かれた本を……。
セレナは勝ち誇った顔をしながら声を上げた。
「この女はアメリアよ! 変装してアリアになりすましているだけよ!」
人々のざわつく声が聞こえてくる。
「アレクシオ王子、今から面白いものをお見せしますわ」
「……」
「さあ、この女の化けの皮をはがしてやりましょう」
セレナの取り巻きたちが、私の両腕をつかむと、引きちぎるようにしてカツラとメガネを外していった。
「ふふふ、面白いショーになりそうね」
セレナが私の顔を覗き込み、液体を私の顔に塗りはじめた。
強いにおいから、それが除光液であることが分かった。
強烈な液体を乱暴に塗りたくられた私の顔は、アリアからアメリアへと変化していく。
最後は頭から水をぶっかけられ、ずぶ濡れになった私の顔は、完全にアメリアへと戻ってしまっていた。
「これであなたも終わりね」
セレナは耳元でそうつぶやくと、いっそう小さな声で誰にも聞こえないようにこうささやいた。
「あなたの指輪、私が預からせてもらうわ。魔力封じの指輪なんて国宝級の魔道具よ。死刑になる人が持っていても勿体ないだけでしょ」
そう言いうと、アメリアは私の上着の左ポケットにそっと手を入れ、そこから指輪を奪い取ったのだった。




