第6話「難民街へ行こう」その①
君子は義に喩り、小人は利に喩る。
――孔子
1
昔、祖母からもらった安全祈願の御守り。それは、こころが一番大切にしていたモノである。それを両手で包み込み、
大丈夫。きっと、うまくいくから。
と唱える。
これは、昔の友達に教えてもらった自分自身を落ち着かせるためのおまじないである。つまり、心の準備をしていたのである。それは何故か。なぜなら、彼女はリアの部屋へと招待されていたからだ。本来であれば大した事では無いが、こころにとっては友達の部屋に入るのはプライマリースクール(※1)以来だった。そのため、どことなく緊張感があった。
様々な思いを抱えたまま、部屋を出る。彼女達は能力者専用施設の寮に住んでおり、リアの部屋は、こころの住んでいるところより1階上の一番左端にあった。そこに辿り着くまで、スマホで何度もリアの部屋番号を確認したり、またしまったりの繰り返しである。そして、そうこうしている内、あっさりと部屋の前にたどり着いてしまった。
部屋の前に佇むこころ。しかし、呼び鈴を鳴らす勇気が出ない。指を恐る恐る、慎重にボタンに近づけていく。押す手前になった瞬間、扉が開いた。こころは、思わず身構えてしまった。
「!?」
「来てたのかよ、呼び鈴を鳴らせよな…。って何だよそのポーズ。」
その姿は、古代ギリシア彫刻のディスコボロス(※2)に近かった。リアはその姿にため息を吐き、部屋に入るように促す。こころはポーズを解除して、日本語で小さく「おじゃましまーす…。」と言いながら、そそくさと入っていった。
彼女の部屋は、病室にありそうな白で統一されたベッド。そして、24型の小さなテレビとゲーム機が床に置いてあるだけの、殺風景なものだった。空虚な空間に思わず彼女の性が顔を出しかけたものの、なんとか抑え込んだ。ただ顔には出ていたらしく、リアはこころの表情を見て、不審そうに尋ねた。
「なんだよ?」
「ううん、なんでもないよ…。」
こころを呼び寄せたところで、リアは部屋の真ん中へと座り込み、早速主題を話しはじめた。
「こころにどうしても協力して欲しいことがあるんだ。」
2
始まりは昨夜のことだった。アクアの事件からすでに1週間が経っていたが、リアにとってはまだ終わっていなかった。それは、事件に関する報告書をWFUに提出しなければならなかったからである。床を机代わりにして、寝そべりながら仕上げている最中。突然、充電中のスマホから着信音が鳴り出した。それはリスクからだった。
リスクには、以前姉探しに協力を頼んだ経緯もあったため、リアは期待感を持ちながら電話に出た。
「リスクか。どうした?」
『昨日のアニメ見た?』
「切るぞ」
『あぁ、待て待て!』
リスクは電話を切られまいと、慌てて本題に入った。
『実はこころの事でな。今、あの子に連絡しようとしたんだけど、通じなくて。やむなくお前に掛けたんだよ。』
「私に伝書鳩の務めを果たせって?…ったく。この時間はもう寝てんだよ、アイツ。」
『早寝すぎるだろ!まだ9時半だぞ!?』
何故リスクがこころに電話しようとしたかというと、どうやら彼は予定のため、その日の授業はないとの連絡だった。授業とは何か。実は以前からこころはリスクに弟子入りし、ハッカーとしての技術を教わっているのであった。リアはそのような話は初耳だったために、驚いていた。
リスクは最近こころとリアの関係について尋ねる。どうやら彼にも親心が芽生えてしまったのか、リアとこころは無事に上手く行っているのかと心配していたようだった。そこから、いつの間にかこころについてのただの世間話へと話題が流れていた。
『…向上心の塊で努力家だ。ハッカーとしてのセンスもある、あんな逸材は居ないね。ただ…』
「ただ?」
『話のネタに困る。というのも全く趣味が合わん…。あんなにオタク趣味に興味がないハッカー見たことないぞ。恐らく世界初だ。』
「だろうな。」
そんな話にリアは納得する。こころが好きなのは創作物ではなく、実際の人物録だったからである。だから、お話好きなのだろう。
しかし、リアにはそんな事を考えるよりも気になっている事があった。リスクとの長年の付き合いから、こころの話が本題ではないという事はすでに見抜いていたので、彼女は単刀直入に問いかけた。
「で、わざわざそんな話をするために電話を掛けたわけじゃないだろ?本当は。」
リスクはわずかの沈黙のあと、バレてたかと言わんばかりにやれやれと小声でつぶやく。
『…ったく、慌てんなよ。折角俺がとっておきのネタを用意して来たのに。』
リスクが本題を話し始めると、リアは飛び起き、立ち上がった。
「本当か!?」
『あぁ、1台監視カメラにお前が言っていた姉の特徴を捉えた女が映った映像をオレの仲間が発見したんだ。しかしその映像がだな…。』
「勿体ぶってないで場所を早く言えよ!バカ野郎!」
『おいおい、バカ野郎はないだろうバカ野郎は…!話をちゃんと聞け!…で、その監視カメラの映像なんだが、映像を保存する媒体がかなり古い規格(※3)でデータとして渡せないんだよ。VHS(※4)って知ってるか?』
全く聞いたことのない単語。というより、そもそも彼女は軍事に関する電子機器以外には全く知識も関心も持たなかったので、そんな単語を知る手段は無かったのである。リアは即答する。
「知らん。」
『だろうな。まぁとにかく、こればかりは俺としてはどうしようもないから、直接行って映像を貰ってきてくれ。お前も早く見てみたいだろ?』
「あぁ。」
『”リスク”って名前を出せば分かるはずだ。んで、映像を管理しているソイツはサントスって名前だ。そんでもって、その場所が…。』
3
「…それで難民街に行くって話になったの?」
「あぁ、そういうことだ。ただ、場所が場所だから、こころに能力でサポートして欲しいんだよ。」
「えと…それは、もしかしてわたしが相棒だから!?」
こころはニンマリとした表情で飛びつく勢いで接近する。リアにはこころがいつまでも相棒に固執している理由が分からなかった。それより彼女の顔がやたら近かったので、両手で力ずくで元の位置に引き戻した。
「なんでそういう話の方向になるんだよ。それはともかく、その難民街、情報が無さすぎて私にはどうしようもないんだよ。もっとそういうツテがいれば良いんだが…。」
「どうして、私をリアの部屋に呼んでくれたの?」
「あぁ。なんでわざわざこころを呼んだかって話だけど、まず最初にめんどくせー女が関わるからな…。作戦会議だよ。」
(面倒臭い女って、マリーカのこと…?)
実は、10キロ以上の距離の外出許可はWFUの北海道支部か、もしくはリア達の護衛官兼監視役の茉莉花がその判断を下している。そのため彼女が首を縦に振らなければ、リア達は難民街に行くことは出来ないのである。
リア達は早速、2~3時間にわたって作戦会議を行った。当然マリーカの事だけでなく、難民街の情報収集も行われた。そこで大方調べ上げた情報が以下である。
その難民街は北海道の南西部に位置しており、それは大戦末期から現在にかけて形成された。
元々日本に流れてきた難民があらゆる場所に住んでいた状況だったのだが、全域の治安悪化を見て、政府が彼らの住居地と仕事を提供する目的で一部の地域に集中させた。
その難民街も指定された地域の一つであったが、大戦が終了しても彼らは元の国に帰る事は無かった。それもそのはず、その大戦に巻き込まれた地域はどこも壊滅的な被害であり、復帰の便も存在していない状態であり、帰ろうにも帰ることが出来なかったのである。
そのうち難民への援助政策も打ち切られはじめ、彼らは安堵を求めて自ら難民街を運営し、そして独自のコロニーを形成していったという経緯である。その難民街は日本の公共サービスが行き届いていないのもあって、スラム状態と化して治安や衛生状態は悪化し続けており、周辺住民や自治体にはこの街の撤去を求められているようである。
ネットで収集した情報はこのようなものであった。しかし、その地域の実状を含んだ情報は殆ど無かったために、結局実際には行ってみないと分からない、というのがリア達が出した結論だった。
茉莉花対策と難民街へのアクセスの仕方を決めたリア達は、その日の内に茉莉花を寮へと呼び出し、その事情を説明…する前に、まず世間話で茶を濁していた。前日のリスクがやってたのと同じ手法である。しかし、あまりにもわざとらしい話の誘導により、茉莉花はあっさりと気がついてしまった。
「…なんで私を呼び出したの?もしかして、どこかに行くつもり?ちゃんと私に言わないとダメでしょ!」
(めんどくせー女…。)
リアは思春期の子供が親に持つ感情をようやく理解する。しかし、言わなければ先に進むこともないため、はっきりと行き先を伝えた。
「北海道最大の難民スラムだよ。」
「え!?」
茉莉花は驚き、すぐさま猛反対をする。それは、リア達が予想していた結果だった。
「あんな所に行くなんて危ないわ!治安が悪いし、ルカを襲ってきた奴らは皆例の難民街に住んでいたじゃない!?」
「全員が全員暴漢って訳じゃないから大丈夫だろ。大体襲ってきたらすぐ返り討ちにしてやるしな。それに…。」
リアは、口を噤もうとする。しかし、あえて理性的にではなく、自身の感情をぶつけるように本心を打ち明けた。
「それに、すぐにでも見たいんだよ、その映像を。どうしても…。ようやく探してたものの痕跡を掴んだんだ…!絶対に逃すわけには行かないんだよ。」
「リア…。」
こころは、それほどに姉に会いたい気持ちに深く同情する。リアは、そのような話をしたことがない。というより、余り話したがらないと言ったほうが正しい表現である。しかし、今回はこころに真っ先に力を借り、そしてリアには珍しく本心を打ち明けて相手を説得しようとするのだ。彼女は理解する。今回の一件がリアにとっては重たいものなのだと。
肝心の茉莉花は、その訴えに思わずため息を漏らす。しかし、この思いの丈をぶつける作戦は、成功の兆しを見せはじめた。
「わかった。わかったわよ。」
こころの表情は明るくなり、リアの方へと視線を向ける。
「ただし!」
その一喝で、再び茉莉花の方を向かざるをえなかった。
「ただし、一つだけ約束ね。絶対に私無しで行動しないこと!それだけは約束しなさい!それが出来ないなら私は認めないわよ!」
「へいへーい…。」
条件付きであったものの、茉莉花に外出許可が引き出させる事に成功した。しかし、一度GOサインを手に入れた以上、主導権はこっちが握ったのも当然だった。
※1 プライマリースクール…イギリスなどで用いられる初等教育機関の呼称で、日本の小学校に相当する。
※2 ディスコボロス…古代ギリシアの彫刻家ミュロンが制作した、円盤を投げる直前の競技者の姿を表現した彫刻作品。「円盤投げ」とも呼ばれる。
※3 古い規格…映像機材が古すぎる事の彼なりの言い回しである。
※4 VHS…1976年に日本で開発された家庭用ビデオテープの規格で、磁気テープに映像や音声をアナログ方式で記録するもの。




