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再会の大地 その2

 エリザベートちゃんへの一方的な愛情を注いでいると、早苗さんの「まあ~っ、可愛い~っ!」というメロメロな黄色い歓声を筆頭に、お母さんやお父さん、あっきーの声が聞こえてきた。そして、こちらにやってきてエリザベートちゃんに一番興味を示したのは、言わずもがな早苗さん。しかも、私を遙かに上回るテンションで。目をきらんきらん輝かせて、声もとろんとろんに溶けて、まるで小さな女の子になってしまったかのように可愛いという単語を連発し、エリザベートちゃんを撫で続けた。

 ここまで早苗さんがノックアウト状態になった姿を見るのは、過去の記憶をどれだけ漁ってもこれが初めて。それだけ、エリザベートちゃんの破壊力が凄いということなのだと感心していると、お父さんが苦笑し、私に言った。

「六年前のお前と渚を見てるみたいだな」

「え? 私、こういう感じだった?」自分ではここまでメロメロにはなっていなかったと思っていたけど、言われてみると否定できない自分が確かにいる。まあ、今の早苗さんの姿を自分に置き換えてみると、ちょっとだけ恥ずかしい気もするけど、だからといってエリザベートちゃんの愛くるしさに抗えるはずもなく、抗う必要もない。そもそも当時の私は八歳。だから問題なし。ついでに、あのときのお母さんも八歳。今の早苗さんも八歳。これでどうだ。

 それからしばらく、早苗さんはエリザベートちゃんから離れられず、一足先にお父さんとあっきーが釣り竿を借りて川辺に向かった。残った私とお母さんと早苗さんは、もうしばらくエリザベートちゃんと過ごしてから竿を借り、おじさんから簡単なレクチャーを受けて川辺に行った。そして、どこで釣ろうかと三人で場所を探し始めてすぐ、私は猛烈な誘惑に襲われた。

 二時を少し過ぎた日差しは決して弱くはないというのに、蒸し暑さを全く感じず、むしろ上流から一緒に流れ下りてくる涼しい風が肌を心地よく撫で、とても気持ちが良い。そして、釣りをする場所を探すそのすぐ側では、どこまでも澄んだ川の水が中央では勢いよく、川辺ではさらさらと流れている。

 となれば、どうしたって川の中に素足を浸したいと思うもの。私はその誘惑に易々と屈し、釣り竿を置き、水際の側で靴下と靴を脱ぎ、日差しで少々熱くなっている河原の石の上を数歩、そろそろと歩いて、川の水にそっと足を浸した。思ったとおり水はとても冷たく、ひゃっと声を上げてしまったけど、すぐに冷たさよりも気持ちよさが上回り、「気持ちいい~」と気の抜けた声を上げた。そしてもう数歩前に進んで、くるぶしまで浸かった。

 冷たい水と、足をくすぐるような川の流れ、そして足裏のツボを手当たり次第押してやろうとしているような石の感触。そのどれもが私の背骨をどこかに隠してしまいそうな勢いで、私をふにゃふにゃにした。こうまで気持ちがいいと、是非ともお母さんと早苗さんにも味わってもらいたい。私はさっそく、気持ちいいから二人も入りなよと勧めた。でも残念ながら、二人ともストッキングを穿いていたので入ることはなかった。

 足下の気持ちよさについつい釣りのことを忘れそうになった私は、せっかくだから釣りもしましょうとお母さんに苦笑されて思い出し、移動するのも面倒だからここで釣ることにした。

 私のフィッシングポイントが決まると、お母さんと早苗さんもここで釣ると言った。まず間違いなく、困ったときに私に頼るためだろう。そういう意味で言うと、お父さんかあっきーの側にするという手もあったのだろうけど、釣った魚の数を競っている二人の側にいっては迷惑になると考えて、その選択は最初から排除されていたと思う。

 釣りを始めておよそ三十分。途中何度か場所を移して、結果どうにか一匹釣ることが出来た。お母さん早苗さんペアはゼロ。それでも二人は十分に楽しんだ様子だった。そしてお父さんとあっきー。釣った魚はどちらも二匹。なら引き分けでいいじゃないと思っても、白黒つけなければならないと二人とも引き分けを認めない。そこで、より大きい魚を釣った方が勝ちということになり、勝者は僅差であっきーとなった。あっきーはすごく勝ち誇り、お父さんは暗い顔で落ち込んでいる。ということは、何か賭けていたわけね。もしくは負けた方が罰ゲームとか。

 そんなこんなで、私たちは釣った魚を河原で塩焼きにして、清流を眺めながらみんなではふはふと美味しく食べ、ここでの時間を存分に楽しみ終えると、何枚も一緒に記念撮影をしてくれた、というかさせられたエリザベートちゃんに別れを告げて、バスで次の目的地へと向かった。

 今度は、この川の支流にある滝の見学。上流へ向かって再びバスに揺られること二十分、滝の音が遠くから聞こえてくるバス停で降りた。さっそく入口で入場券を買い、滝の姿をなかなか見せようとしてくれない細い山道を歩く。しばらくすると音は一歩進む毎に大きくなり、ぐるりと回り込む最後のカーブを曲がった途端、まるでわっと脅かすように、迫力ある滝の全身が目の前に現れ、滝壺の轟音が私たちを打った。

 びっくり箱を開けたような登場の仕方に、特にあっきーと早苗さんが歓声を上げていた。

 この滝の落差は、およそ百十メートル。上三分の一は少し傾斜があり、大きなコブがいくつもある。コブの表面は、長い年月を経て滑らかな曲面を描いていた。前回来たときのように水量が少ないときは、そのコブの間を縫うように流れ、いささか迫力が減ってしまうのだけど、今はコブそのものを削り取ってしまおうかというぐらいの勢いで、大量の水がすべっている。そしてその下は垂直に切り立っていて、霧状の飛沫をまき散らしながら真っ逆さまに滝壺へと落ちていく。滝壺はその落ちてきた大量の水を、けたたましい音を立てながら次々と飲み込み、四方八方に水飛沫をまき散らしている。

 深緑の中でそびえ立っているその景観は、圧倒的で、自然の力を見せつけられているような気分になった。

 滝壺のすぐ側まで張り出している観覧エリアの柵越しに、それぞれ感動の言葉を口にしながらたくさんの飛沫を浴びた私たちは、瞬く間にしっとりと濡れていた。ひとしきり下から観賞すると、今度は滝を上から観賞すべく移動。滝によっては展望台へと駆け上るエレベーターが設置されていたりもするけど、この滝にはそういったものはなく、私たちがとる方法は三つ。駐車場に戻って滝壺と滝上とを結ぶシャトルバスを利用して移動するか、その道をてくてく歩くか、もしくは滝壺の観覧エリアからそのまま進んだ先にある、山の斜面をジグザグに削り取っていって造ったような、上へと続く坂道というか階段を登るか。

 一番楽なのは、考えるまでもなくシャトルバス。その反対は当然ジグザクな階段。二十六、七階建てのビルの最上階へと階段で上がっていくようなものだから、体力に全く自信のない人にとっては、間違いなく早々にうんざりして回れ右をしたくなるコースだ。八歳の女の子であれば、なおさら回れ右をしようというもの。だけど前回来たときの私はというと、そんな苦労を微塵も想像することなく、その階段を登りたい一心で、お父さんに階段で行こうと言った。お父さんはすごく嫌そうな顔をしたけど、ため息を一つついてから、諦めたように私の手を握って一緒に登ってくれた。そして私は途中で、お父さんに肩車してもらうことになり、大きなその肩の上で大はしゃぎした。

 今考えると、子供だったとはいえなんて無茶なことをしたんだろう、しかもお父さんにたくさん迷惑かけて、とちょっとばかりどこかに隠れたくなる。

 ちなみにお母さんは、一瞬たりとも迷うことなくシャトルバスを選んでいた。

 そんな記憶をお父さんも思い出したようで、「もう肩車はなしだからな」と私にチクリ。

 むう、やっぱり憶えていたか。でも、ソフトボール部の練習で毎日のように鍛えてる私を甘く見ないでね。

「お父さんこそ。途中でへばらないでね」

「それは俺に言うんじゃなくて、子供相手に大人げない力自慢をしまくってる、どっかのおじいちゃんに言った方がいいんじゃないか?」

「小僧~、だ~れがおじいちゃんだあ? ああ?」

「あんただ」お父さんは感情のない顔でびしっとあっきーを指さした。そして私は思う。あっきー、ツッコミどころはそこじゃないよと。

「けっ。さっき負けた腹いせか」

「なわけねえだろ」そう返すお父さんの表情は変わらなかったけど、確かに肩がぴくりと動いた。相手を選んでいるのは分かっているけど、なんだかなあ。

「まあいい。負け犬の遠吠えにムキになるほど、俺様はガキじゃねえからなあ。それよりもだ、小僧。俺様をなめるなよ? こちとら毎日毎日、早苗の作るパンのせいで町内で追っかけっこしてんだ。しかも、早苗の殺人的なパンをくわえながらだ。それがどれだけすごいことか、てめえは分かってねえみてえだな」

 え、ここでそんなこと言っちゃあ……。

「私のパンは、私のパンは……、追いかけっこをさせてしまう、殺人パンだったんですね~っ!」

「し、しまったぁっ!」

 早苗さんが両手で顔を覆いながら駐車場方面へと駆け出し、あっきーが「てめえのせいだぞっ!」とお父さんに一言文句を言ってから、「俺は死なねえ~っ!」といつもの調子で早苗さんを追いかけた。

 こういう場合、私はお母さんのように微笑むべきなのだろうか、それともお父さんのように、困るべきなのだろうか。

「あ~あ。たく、どこに行ってもあの二人は同じなんだな」

「お父さんとお母さんらしいです」

「ここで“らしさ”を出されても、はっきり言って迷惑なだけなんだが……。んで、どうする? 俺は汐と二人で先に行こうと思うけど」

「そうですね……、私はここで、ちょっとだけ待ってみます。それで戻ってこなかったら、バスで上に行きます。ここに誰もいなければ、みんな上に行ったと思って、あとから来るでしょうから」

 ということで、私とお父さんはお母さんに見送られて、百十メートル頭上の展望台へと階段を登り始めた。六年ぶりの階段に、しばらくの間、こんなだったっけかなと何度か首を傾げた。前回は、なんで一段一段がこんなに高いんだろうと思いながら、はあはあふうふうと必死に登ったのだけど、今回はそんなに高いとは思わないし、苦しいとも思わない。

 でもそれもそのはず。六年の間に私の身長は三十センチ近く伸びているんだし、体力だってうんと増しているんだから。そう思うと、私も成長してるんだなあと実感が湧いてくる。まあ、今一つ成長してくれていないところもあるけど……。でもっ! ここではむしろ重荷にならずに済んでいるから、かえっていいのだっ!

 ……ああ、虚しい。なんて虚しい独り言なんだろう。

 なんて一人でツッコミを入れると、不意に、隣を歩くお父さんが言った。

「なに落ち込んでんだ?」

「へ? あ、ううん、なんでもない! なんでもないから」

「そか。で、まだ平気か?」

「なにが?」

「体力だよ」

 気が付けば、長い階段の三分の二あたりまで来ていた。

「倉橋先生に鍛えられてるからね。まだまだ。それよりお父さんこそ、そろそろきつくなってきたんじゃない?」

「俺だって、仕事で毎日身体動かしてるからな。それに、これぐらいでへばるような体力じゃ、仕事にならないよ」

「それもそうだね」

 なんて軽口を言う私たちの前後を登っている数少ない人たちの多くが、疲労感をあらわにしたり、息絶え絶えといった感じで登っている。お父さんよりもずっと若そうな男の人たち数人の集団が、みんな文句たらたらでどうにか登っていたりもする。でも中には、決して速いペースではないけど、ほぼ正確に一定のリズムを刻みながら着実に登っているおじいちゃんもいる。しかもさほど息の乱れを感じない。恐るべし、おじいちゃんぱわー。

 ついさっき追い抜いて、私たちの少し後ろをゆっくり登っているそのおじいちゃんのことをちらりと振り返って一瞥した私は、すぐに前に向き直って「ねえ、お父さん」と声を掛けた。

「ん?」

「お父さんがおじいちゃんになったらさ、今度は私が、お父さんのこと負んぶしてあげるね」

「なにを急に言い出してんだ? まあ、その時はよろしく頼むけど」

「うん。よろしく頼まれる」

 おじいちゃんになったお父さんなんて、正直言うと、まだまだリアルには想像できない。おばあちゃんになったお母さんだって。さらに言えば、見た目的にすっかりおばあちゃんになった早苗さんや、すっかりおじいちゃんになったあっきーも。せいぜいが髪の毛を白く塗りつぶして、ペンで顔にしわを数本書いたような映像しか浮かべられない。まるっきり、下手な仮装そのものの映像だ。けど、いずれは現実としてそうなる。生きている限り、時間は決して止まってくれないのだから。

 そして、誰であろうといずれは止まってしまう。だから、一瞬一瞬を大切にしたい。大切な思い出にしていきたい。そのときを迎えるまで。

「お父さん」

「今度はなんだ?」

「またいつか、来ようね」

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