再会の大地 その1
私は今、電車の窓から外を眺めている。流れ来ては瞬く間に去っていく風景は、前回来た六年前とたいして変わっていない、と思う。鮮明な記憶が一片の欠落もなく残っているわけじゃないから、断言なんてできるはずもない。でも、この風景の中で日々を暮らしているのなら、きっと驚くような変化となって私の目に映っていたことだろう。
外の人から見れば、取るに足らない些細な変化でも。
そして、私の座席から通路を挟んだ隣の、向かい合う四人掛けの席へと視点を移すと、そこには驚くような劇的な変化があった。
「ダウト」と極めて平静なお父さんの声。その正面に座っているあっきーが「な、なんだと小僧! 俺が嘘ついてるとでも言うのか!」と、動揺を顕わに言った。
「そう言ってんだけど。つか声でけえよ」
「るせー! てめ、この俺様をバカにしてんのか! 俺が嘘を付く人間だと――!」
嘘を付くも何も。持っていない数字のカードをさも「持ってます」と言わんばかりに場に出して、ダウトと言われずに何食わない顔でやり過ごして勝つっていう、いわば、いかにして嘘を嘘と見破られないようにして相手を欺して、いち早く手持ちのカードを全て場に出しきるか、それを競うゲームなんだから。
などと思う間に、あっきーの隣に座る早苗さんが「秋生さん。私は信じてますから」とにこりと一言。
「早苗……。ふっ。さすが俺の女だぜ」
「私はパパを信じます。お父さん、ときどき嘘つきますから」お母さんは隣に座るお父さんに加勢。
「なんだと~っ! 娘よ~、お父さんは悲しいぞ~」
「だから声でけえって言ってるだろ」
ちなみに私は、もうしばらく外の景色を眺めていたかったので、トランプをやろうという提案に「もうちょっと眺めていたいから」と加わっておらず、よって中立。
「とにかく早く見せてみろよ。オッサン」
「うっせえ! 誰がてめえなんかに見せるか!」
「ガキかあんたは……。ま、てことはつまり、そういうことなわけだな。早く全部持ってけよ」鼻で笑うようにあっきーに言うお父さんも、あんまり人のこと言えないと思うよ。
「ぐぬぬぬっ……! 小僧……、ここで俺にダウトしたことを、後悔するなよ!」唸るような声でそう言ったあっきーは、突き合わせているみんなの膝の上に置かれた、特設テーブルという名の早苗さんの大きめなトートバッグの上に重ねられているトランプを、悔しさ満点の顔で全てすくい上げた。それを見た早苗さんが、声を潤ませて悲しげに呟いた。
「秋生さん……、嘘ついていたんですね……」
「早苗よ、男にはなあ、嘘を付いてでも勝たなくちゃならない勝負があんだよ」
「なんて悲しい勝負なんでしょう……」
格好良く言ってやったぜ的な顔で言われても、そもそもそういうゲームなわけだから。それに早苗さんも、そこまで悲しそうにしなくても。というか早苗さん、すでにお父さんとお母さんに対して計四回ダウトしているんだけど。という私の感想を代弁するかのように、お父さんがいつものように呆れ顔で言った。
「お願いですからこんな場所であほあほコントせんで下さい。次は早苗さんですよ」
「はいは~い」よよよと悲しげだったはずの早苗さんは瞬時に消え去り、語尾にたくさんの音符をつけたような明るい声と笑顔で答えて、場にカードを出した。
そう。これが劇的な変化。
ちなみに、ローカル線の電車の中でダウトをしていることが、ではない。
毎年この時期、我が岡崎家は家族三人で旅行をする。私がうんと小さい頃からの恒例行事で、私にとって夏休み最大の楽しみでもある。そして今年は、その家族旅行にあっきーと早苗さんが一緒なのです。私の強い要望と策略によって。
もともと、二人も一緒になって、みんなで旅行をしたいという希望は子供の頃からあった。この恒例行事もその例外ではなく、まだ小さい頃、一度だけお母さんとお父さんに、あっきーと早苗さんも一緒にと頼んだことがあった。二人はあっきーと早苗さんに頼んでくれたのだけど、答えは言わずもがな。私は納得がいかず、直接あっきーと早苗さんに頼み、二人は断った理由を話してくれた。
お店のこととか早苗さんの塾のこととか、お父さんと直幸おじいちゃんのこととか。
二人の話してくれたことをちゃんと理解するには、私は幼すぎた。恥ずかしながら、半べそをかきながらけっこう駄々をこねたことを今でもうっすらと覚えている。でも結局は、早苗さんのごめんねという申し訳なさそうな顔に、子供ながら諦めるしかないと思ったらしい。そこらへんの感情の記憶はほとんど残っていないので自信はない。
というようなことがあって、以来この旅行に二人を誘うことはしなかったのだけど、なぜか今回は、思い出したように猛烈に二人を誘いたくなり、まずは正面から誘って結果は案の定のもの。これは策を弄する必要があるとあれこれ考え、作戦を立案。そして実行し、めでたく今の状況になったのでした。
ひょっとして、私って策士の資質あるのかな、なんてちらりと思ってみたけど、そんな私を指さして大笑いするたくさんの友達の顔が思い浮かぶと同時に、どうせ資質の“し”の字もないですよとその考えを捨てた。そして、私と同じように策士としての資質の“し”の字もないと思われるお母さんが、なんとダウトで一抜けを果たした。
最後の二枚を場に出したお母さんは、「あがりですっ!」と心底嬉しそうに勝利を宣言した。これに対して、早苗さんは素直に「渚、すごいです」と微笑み、それとは対照的に、そんな馬鹿なと動揺を隠せないお父さん。正直、私も焦った。なんていうか、今まで自分と同じぐらいのレベルだった人が、いきなりずっと上の遙か彼方に行ってしまい、ぽつんと取り残されてしまった自分を必死に否定するような感じで。そしてあっきーもひどく動揺して、そんなことがあるはずがないと叫び、ダウトを宣告した。
結果はすでに言ったとおり。あっきーは、悪夢だ、と呟きながら山となっている場のカードをかき集め、手持ちのカードの枚数を倍に増やすこととなった。これで全カードのほとんどを手中に収めたあっきー。当然、その枚数に喜ぶはずもなく、がくりと項垂れた。
次に上がったのはお父さん。あっきーはお父さんの出した最後のカードに問答無用でダウトを宣告したけど、さらに手持ちのカードを増やす結果となった。
そして次に上がったのは早苗さん。というか、早苗さんのにこやかに訴える眼差しに、あっきーが明らかに屈したその結果だった。
こうして初戦は、誰もが予想していなかったお母さんが一位を取った。でも、お母さんが一位を取ったのはそれが最初で最後。続く二戦と三戦は、早苗さんが勝利。第四戦にお父さんがかろうじて一位を取ったけど、第五戦は早苗さんの返り咲き。ちなみに、最終的にお母さんとあっきーで二回ずつ、お父さんが一回最下位となり、早苗さんは、初戦を除けば常に二位以上だった。
早苗さんのこの強さに、意外だけど意外じゃないというなんとももどかしい気持ちにもなったけど、対戦相手をぐるりと見渡せば、やっぱり意外な結果でもないなと一人納得していた。
第五戦が終わったところで、疲れたからとお母さんが離脱し、代わりに私が参戦。ついでにゲームも『大貧民』に変更となって、計五戦した。ここではあっきーが汚名返上とばかりに五戦中二勝し、私が一勝にお父さんが二勝、早苗さんは一勝も出来なかった。そしてトランプはお終いとなり、ほどなくして目的の駅に着いた。
ローカル線の駅とあってそう大きな駅舎ではないけど、駅前はきれいに整備されていて、いかにも観光地ですと言いたげな、地元の名産品をこれでもかとアピールするような看板やのぼりを掲げる飲食店やお土産屋さんがずらりと並び、その向こうには連なる山々が見えて、私たちの旅行気分がさらに上昇した。
駅の改札を出た私たちは、駅前のロータリーで出発時間を待っている数台のバスの中の一つに乗り込み、夏を謳歌している自然にすっぽりと囲まれた道で揺られることおよそ三十分、最初の目的地に着いた。木々や草花の揺れる涼やかな音に、鳥たちのさえずる楽しげな鳴き声、それと少し不機嫌そうな川の流れる音が道路脇から聞こえてくるそのバス停で降りると、あっきーは「良い感じじゃねえか」と笑顔で感想を口にし、早苗さんは目をきらきら輝かせながら、盛大な感激の声を上げていた。その姿を見て、やっぱり二人を連れてきて本当に良かったと、私の心がさらに躍った。
ひとまずの感想を言い終えると、周囲の自然に目と耳を向けながら、バス停から百メートルほど離れた場所にぽつんと一軒だけある建物へと向かった。大きなロッジといった外観の建物には『お食事処 つってけ』という、笑いを取りたいのか本気なのかよく分からない店名の看板が掲げられている。ここは看板どおりのお食事処なのだけど、食事以外にも楽しみがあった。ここでは釣り竿を借りることが出来て、目の前の川で釣った魚を塩焼きにして食べることが出来るのだ。それと、とても個人的な楽しみが一つ。
車が二台止まっているお店の駐車場を通り過ぎ、中に入ると、お店の人の出迎えの声が響いた。店内の様子は、外観と同じくロッジのような印象が強く、家族連れのお客さんが二組、それとおじいちゃんとおばあちゃんの老夫妻が一組、テーブルで食事したり雑談したりしていた。河原に下りればもう何人かいて、釣りを楽しんでいると思う。
私としては、ここですぐさま釣り竿を借りて河原に下りたいという思いが少なからずあった。もっと言えば、竿を借りなくても良かった。河原に下りて、もう一つの楽しみを実現できれば。だけどお父さんの提案は、ひとまず落ち着こうというもので、結局、川を眺められる窓際のテーブルに陣取ることとなった。窓の向こうでは、やっぱり何人か釣りをしていた。
私たちが席に座ると、人懐こそうな中年の女性店員さんがタイミングを見計らって、お水とメニューと、川釣りの案内を持ってやってきた。
「いらっしゃいませ。ようこそお越し下さいました。ご注文がお決まりになりましたら、お呼び下さい」店員さんはにこやかにそう言いながら、持ってきたものを丁寧にテーブルに並べ、お父さんはその店員さんに「あとで釣り竿を借りるつもりなんですけど、大丈夫ですか?」と尋ねた。
「はい。皆様の分、ご用意できますよ。竿はたくさんありますので」
「そうですか。それじゃあとでお願い――」
とここで、早苗さんが「あの、朋也さん」と遮った。
「はい?」
「私は、遠慮しておきます」
「なんでですか?」
「釣りなんて、やったことないですし」
「ああ、それなら心配ないですよ。なるようになるもんです」
なんともお父さんらしい説得の仕方。店員さんも、よろしければ基本的なことはお教えできますよと言ってくれた。そして、お母さんと早苗さんで一竿借りる、というところで落ち着いた。これで話がついたところで、店員さんはテーブルから離れようとしたのだけど、私はどうしても聞かずにはいられず、思わず呼び止めた。
「あの、すみません!」
「はい。なんでしょうか」
「エリザベートちゃんは元気にしてますか?」
私のこの質問に、店員さんは「あの子をご存じなんですか?」とどこか嬉しそうに答えてくれた。
「六年前に一度来たことがあるんです。ここに」
「そうでしたか。もう結構なおばあちゃんになってますけど、下で元気にしてますよ。どうぞ会ってあげてください」
この言葉を聞いて、私はますますエリザベートちゃんに会いたくなった。そう、私の楽しみの一つが、エリザベートちゃんに会うことだった。そしてエリザベートちゃんは、釣り竿を貸してくれる、河原へ下りた場所にいる。
「そういや居たなあ。ああ、それで汐はそわそわしてたのか」
「え? 私、そわそわしてた?」
「そりゃもう。俺はてっきり、お前が――」
「お父さん。その先は言わないでね」私はお父さんがその先を言う前にぴしゃりと言った。デリカシーのないお父さんがいま何を言おうとしているか、なんて分かり易すぎるぐらい分かる。それはもう、娘だからこそちょっと情けなくなるぐらいに。
「それじゃあしおちゃん、先に下に下りてる?」
「うん」私はお母さんの後押しを借りて席を立ち、店内から下に下りられる階段へとダッシュ。転げ落ちないように手すりに手を掛けながら石階段を駆け下り、エリザベートちゃんのいる場所へと走った。そして六年ぶりにその姿を目に留め、思わず名前を呼んだ。
「エリザベートちゃん!」
私の声に、エリザベートちゃんのすぐ側にいたおじさんは反応してこちらを見てくれたけど、当のエリザベートちゃんは知らんぷり。でも、無視されたからといって怒る相手ではない。まあ、ちょっと寂しかったりするけど。
なにせエリザベートちゃんは、このお店のオーナーさんがペットとして飼っている、豚さんなのだから。




