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台風、襲来 その2

 聞こえてきた風ちゃんの声に、私は台所から弾き出されるように飛び出す。そして玄関にいる、薄いピンク色の花柄が白い生地にびっしりと描かれているチュニックブラウスに、ダークブルーのショートパンツを穿き、右手に紙袋、左手にバイクのヘルメットを持ったその人に向けて、私は歓喜の声を上げた。

「風ちゃん!」

 駆けだした私の足音とその声に反応して私を見るや否や、お父さんと対峙していた風ちゃんの顔がぱっと花開き、「汐ちゃん!」と、手にある荷物を問答無用でお父さんの胸にどんと押しつけ、手を使わずに器用に靴を脱ぎ捨てて家に上がり、駆け寄る私を抱き止めた。

「会いたかったです~!」

「私もだよ!」

 お互いに喜びを確かめ合うようにしっかりと抱き合う。風ちゃんは昔から、会うと必ず私をぎゅっと抱きしめてくれた。子供の頃からそれが嬉しくて、今でもこうして風ちゃんをぎゅっと抱きしめ返している。昔と違うのは、当たり前の話だけど私が成長することによる、ハグしたときの体勢ぐらい。今では風ちゃんとほぼ同じ背丈だ。

「ん~、汐ちゃんの匂いです~」

 耳元の風ちゃんの声。およそ七ヶ月ぶりに聞く声。そして温もり。風ちゃんが帰ってきたことが実感となって染み入ってきた。こうしてしばし喜びを分かち合うと、今度はお母さんが喜びを分かち合う番。と言っても、お母さんと風ちゃんが抱き合うわけではない。

「お帰りなさい、風ちゃん」

「ただいまですっ! う~っ! お二人にまた会えて、風子、とっても感激ですっ! 感激しすぎて、もうどうかなっちゃいそうです!」ハグしあっていた私たちはひとまず離れ、喜びをぎゅっと握りしめるように両の手を強く握る風ちゃん。

 見る人によっては、七ヶ月ぶりの再会にしては大袈裟に感じるかもしれない。なにぶん、七ヶ月前までは、少なくとも二、三ヶ月に一度は会っていたし、数年前までは、多きときは月に数回うちに遊びに来ていた。もっと昔は毎日のように。

 お母さんはそんな風ちゃんの手をそっと包むように握り、「私も嬉しいです」と満面の笑みで答えた。そして、歓喜の声に湧く中でただ一人、お父さんだけが声を荒げていた。

「俺とは嬉しくないのかよっ! つか、年中どうかなってるだろうが! お前の頭はっ!」

「なに言ってるかさっぱりです。それに、嬉しくないからさっき最悪と言ったんです」風ちゃんは身体の向きと表情をくるりと変えて不機嫌そうにそう言うと、「そんなことも分からないのですか。はあ、困ったものです」と、呆れるように両の手のひらを上に向けて、やれやれとため息をついた。

「困ってんのはこっちだ!」

「ああ言えばこう言う。まったく、岡崎さんは相変わらず失礼です」今度は腹立たしげに両の拳を腰に当てて言った。

「こんな朝っぱらに連絡なしでやって来て、俺の顔見るなり露骨に『うわ、最悪』って顔をして、口を開いたと思ったらそのまんま『最悪です』なんてぬかすヤツの方が、よっぽど失礼だろ!」

「岡崎さんが失礼だからです」

「どっちがだ!」

 う~ん、二人ともどこまで続ける気なんだろう。と、一観客気分で思っていると、風ちゃんが突然、何か重要なことを思い出したかのように「はっ!?」と口を開いた。私もお母さんも、どうしたんだろうと見守り、お父さんはやや疲れたように、今度は何だと怪訝な顔をした。

 私たちが見守る中、風ちゃんは腰に当てていた手を前に出して、見つめる自分の空手を二、三度にぎにぎした。そして再び顔を上げ、お父さんを見るともう一度びっくりした。

 いったいどうしたのか、何となく察しがついた。それはお父さんも同じで、心底疲れた顔をしていた。

 風ちゃんは、びしりと指さした。お父さんに向けて。正確に言えば、お父さんに抱きかかえているヘルメット、ではなく紙袋へ。

「イリュージョンですっ! 岡崎さん、いつの間に風子のおみやげを猫ばばしたんですかっ!」

「お前の頭の方がイリュージョンだっ! お前が俺に押しつけたんだろうがっ! ついさっき!」

「は? 汐ちゃんに抱きつくのに邪魔になったからといって、目の前にいた岡崎さんに押しつけたりなんか、私がするはずないじゃないですか」

「……しっかり覚えてんじゃねえか。しかも具体的に」

「とにかく、人のモノを無断で取っては駄目です。それと、うるさくして風子たちの邪魔をしないで下さい」

 あ、なんかお父さんの表情が変わった。なんていうか、ハイテンションな怒りから、氷原のすぐ下のマグマが、ゴゴゴと音を立て始めているような。といっても、いかにも怒っているようでその実、本気で怒ってはいないんだけど。言ってしまえば、こうしたやりとりがお父さんと風ちゃんの日常会話みたいなものだから。

 そして、お父さんがゆらりと言った。

「……なら、うるさく思わないようにしてやろうじゃないか」

 その声に本気を感じるのは気のせい? 日常会話、だよね……?

 本気か冗談か、半分本気で半分冗談かはさておいて、どうやら実力行使に打って出ることにしたお父さんが、ヘルメットと紙袋を床に置いた。お母さんはすぐさま「パパ、乱暴は駄目ですっ」と機先を制するように言い、私も「そうだよお父さん」と注意する。でも、そこは風ちゃん。

「まさか……、風子を襲う気ですか! 風子があまりにも魅力的だから、めろめろになってしまって、女の人に飢えた獣になってしまったんですか! ああっ! 風子は、とても罪な女ですっ!」

 風ちゃんのこの返しに、氷原を割ってマグマを吹き出す、のではなく、割れた氷原の隙間にずぶずぶと落ちていくような感じで、お父さんの体勢が崩れかけた。危うくそのまま両膝を付きそうになったお父さんだったけど、ぎりぎりのところで踏ん張り、堪えきった末の渾身の一言を放つ。

「なるかあっ!」

 その直後、力を使い果たしたかのようについに膝が完全に折れて床につき、両の手のひらもぺたしと床につき、ため息を一つこぼしてからぽつりと呟いた。

「なんで朝っぱらから、こんなに疲れなきゃならないんだ……」

 さすがのお父さんも、この時間からハイテンションを維持し続けるのは厳しかったみたい。ということで勝負あり。お父さんの戦意喪失により、風ちゃんの勝ち。

 こうして、お父さんと風ちゃんの日常会話が一区切りつくと、ここで立ち話もなんだから、居間に行きましょうというお母さんの提案で、私たちは移動した。その最中、風ちゃんはきょろきょろと家の中を観察していた。新しい我が家に来たのは、今日が初めてだからね。

 居間に入ると、例に漏れず風ちゃんは感嘆の声を上げた。ただしその声は、純粋な喜びに満ちたもの。たいていの人は、喜ぶにしろまずはこの光景に驚く。気持ちは分かるけどね。

「うわあっ! だんご大家族が大家族ですっ!」

「うん。やっと一つ屋根の下で一緒になれたんだ」

「そうですかあ。良かったですねえ」だんご大家族の前に駆け寄って、どこかうっとりとした声と眼差しの風ちゃん。その言葉はこの子たちに向けられたものだと思うけど、私やお母さんにも向けられているように感じて、嬉しくて思わず「みんな大喜びしてるよ」と自慢げに言った。

「やっぱり、家族一緒が一番です」

「私もそう思う」私は、ごく当たり前にそう答えた。

 二人でだんご大家族を眺め始めてすぐ、お母さんが「風ちゃんは、朝ご飯まだですよね」と尋ねた。時刻を考えればそう判断するのは間違っていないけど、やたら断定的な言い方に、あれ?と思った。

「はいっ、まだですっ! とってもペコペコですっ!」

「胸張って言うな」とお父さん。

「大きなお世話です。それにしても、渚さんすごいです。なんで分かったんですか」

「つい今し方、公子さんから電話があったんです」

 なるほど。聞き逃していた間に、そんなような会話を公子さんとしていたのか。

 というわけで、お母さんはさっそく風ちゃんの朝ご飯を作るべく、片付け途中だった食器を持って台所に入り、私は運びきれなかった残りの食器を運んだ。そしてお父さんは、「朝からこれ以上疲れるわけにはいかない」と、会社に向かうべくセカンドバッグを手にした。

「風子が来たというのに、もう行ってしまうのですか。どこまで失礼な人なんですか」

「俺と会って、最悪なんじゃないのか?」

「さっきまではそうでしたが、今は違います」

「じゃあ、今は最悪じゃないっていうのか?」

「はい。“プチ最悪”です」どこか疲れを感じるお父さんとは違って、どうだ、とばかりに満面の笑みで答えた風ちゃん。

「どっちにしろ最悪って文字入ってんじゃねえか!」

 でもこの場合の“最悪”は、本来の“最悪”という意味とは違うから。というか、お父さんに対して使う“最悪”という言葉は、常に本来の意味では使われていない。まあそれはともかくとして、ある意味コントな会話をする場合、たいていはペースをコントロールできるお父さんなんだけど、風ちゃん相手となるとそうもいかず、ペースを握られっぱなしになるのが常。そんなお父さんの姿を見るのも、正直言って楽しかったりする。だからもう少し二人の日常会話を楽しみ続けたいところなんだけど、このままだと本当に遅刻しかねないし、娘として黙認するわけにもいかない。

 いつも出る時間には数分の猶予があったし、その時間を二十分ちかくオーバーしても遅刻にはならないぐらいの余裕は持っていたけど、再び二人が日常会話が始めてしまえば、その余裕もどこまで信頼できるか、正直疑問なのだ。

「お父さん、そろそろ出た方がいいんじゃない?」

「ああ、そうしたいんだけどな……」そう言って、風ちゃんに非難の目を向ける。

「仕方ありません。汐ちゃんに免じて、許可しましょう」

「そりゃどうも。んじゃ行ってくる」

 私もお母さんも「いってらっしゃい」と言葉を掛け、腕組みをして答えた風ちゃんは、ちょっと残念そうな顔で見送る。そしてお父さんは、居間を出る直前で足を止めると半身を返してにこやかに言った。

 それまで、なにも知らない人から見れば険悪な仲にも見えるようなこの日常会話が、まるで嘘のように。

「お帰り、風子」

 風ちゃんはその言葉に、「ただいまです!」と真っ直ぐな笑顔で答えていた。

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