恩師の長くて短い一日 その3
剛田さんが加わっての賑やかな時間の中で、気がつくと、時計の針は五時半を少し回った時間を示していた。当初の予定から三〇分ほど長居していることになる。お母さんがお父さんに「パパ、そろそろ」と言うと、そこで時間に気付いたお父さんが、幸村先生と剛田さんに「すみません、俺たちはこれで帰ります」と告げた。そのとき、幸村先生のお家の電話が鳴った。
なんとなく、これってデジャヴ?と思うと同時に、まるで、私たちが帰るのを引き留めるようなタイミングのこの電話に、「なんだ、もう帰ってしまうのかい? そいつは残念だなあ」と心底残念がる剛田さんと、正直ちょっと残念に思っている私の気持ちが届いたのかな、などと冗談で思った。
そして、なんとそれは、冗談ではなく本当のことだった。
「もしもし、幸村ですが。おお、大森か。どうしたのじゃ? こんな時間に。ん? まあこちらは問題ないと思うが、ちょっと待ってくれんか?」
そこでいったん受話器から顔を離し、「これから大森が来るんじゃが、剛田はかまわんだろう?」と尋ねた。返事は満面の笑みによる「もちろんですよ。大歓迎です。やあ、大森くんに会うのも久しぶりだなあ」という言葉。
「こちらは大丈夫じゃ。うん? ああそうじゃよ。剛田がおる。岡崎と岡崎のご家族に、春原もおるが、そろそろ帰るらしい。おいおい、そう言われてものお。無理強いするわけにもいかんだろう。うん? ああ分かった分かった」
幸村先生は、やれやれといった様子で「岡崎、大森が代わってくれと言っておるが」とお父さんに言った。
電話の向こうの大森さんがどうしたいのかは考えるまでもない。なので、大森さんがんばれと内心でこっそり呟いていた。
ちなみに、大森さんとは何度か会っていて、お父さんは私やお母さんよりも会っているらしい。初めて会ったのは、幸村先生のお祝いのとき。大森さんもお父さんたちのことは知っていて、他の人たちと同じように「君が岡崎くんか」と握手していた。お母さんたちより一五歳ぐらい年上で、とても面白い男の人。
「お久しぶりです。え? はい、そのつもりですけど。いや、そう言われても……。な、なんスかその笑いは……。え、ええっ! ちょっと待て! なんでそれ知ってんですか! 情報網なめるなって、ンな迷惑な情報網なんて今すぐ壊してください! てかなんてことしてんスかあんたらは! しかも笑いながらもう遅いとか言うな! てかまさか――!」
お父さんはそこでハッとしたように言葉を切り、ごくりと唾を飲み込み、ちらりとお母さんを盗み見した。
「なんでしょうか」
「な、なんでもないなんでもない……」にこやかなお母さんの返事に対して、お父さんも笑ってはいるけど引きつっていて、あからさまに動揺の色を見せている。そんなことされると、私だって更に気になるじゃない。大森さんが何を言ったのかを。
「だ、大丈夫って……、全然信用できないんですけど。まあ、そう言われればそうですけど……、はあ、分かりましたよ。そうします。はいはい。は? そりゃいいですけど……、絶対に余計なこと言わないでくださいよ」
お父さんは釘を刺すように最後にそう言うと、「春原」と陽平おじちゃんに受話器を渡した。陽平おじちゃんは「ども、久しぶりッス。はい、はい。分かりました。任せてください」と電話の向こうの大森さんと話し、お父さんは――。
「たく、ろくでもない大人たちだ……」
深いため息混じりの呟きをこぼした。想像するに、お母さんをちらっと見て、しかもあの動揺を考えると、お母さんに対して何か後ろめたい弱みを突きつけられたっぽい。むむ、気になるなあ。あの様子だと、お父さんに聞いても絶対に教えてはくれないだろうから、大森さんが来たらこっそり教えてもらおう。
なお、お父さんの言っていた情報網とはまず間違いなく、幸村先生の元教え子で作る『幸村先生を慕う会』の情報網のことでしょう。
とにもかくにも、大森さんの途中参加により、急遽幸村先生のお家で晩ご飯を食べることになった。しかもみんなで。ちょっと迷惑かなとも思ったけど、幸村先生はむしろ喜んでいたようだった。
ということで、こちらに向かっている最中の大森さんとも携帯電話を使って、晩ご飯のメニューをどうしようと相談した。一番簡単な方法は、店屋物をとってしまうこと。幸村先生も、お寿司でもとろうと提案してくれたし、お父さんたちもそれでいいんじゃないかと言ったけど、お母さんがそれを許さなかった。
「たいしたものは作れませんけど、せっかくですから、何か作らせてください」
お母さんはそう言って頑と譲らず、結局みんな折れ、献立はお母さんに一任された。手の込んだ物を作る時間はないので、ひとまず冷蔵の中を確認し、それから何にするかを考え、足りない分を買い足しに私とお母さんで駅前のスーパーへと向かう。お父さんたちも荷物持ちとして一緒に行こうかと言ったのだけど、そんなに買う物はないし、自転車を貸して頂けるから大丈夫ですと断っていた。実は私のこともお母さんは断っていたのだけど、こればかりは私も頑として譲らず、半ば問答無用で同行した。
そんなに買う物はないと言われても、結構な量を買わないと間に合わないことは明白だから。
お母さんは何度か「本当に私一人で良かったのに」と、自転車の荷台でぼやいていたけど、私は聞こえない振りをして自転車を漕いだ。
スーパーに着くと、カートのカゴに品物を入れながら、お客さんで賑わう店内をぐるりと回る。そしてレジに並んだときには、品物が山と積まれていた。思ったとおり、とても「一人で良かったのに」なんて言える量ではない。
「お母さん。本気でこの量を一人でどうかしようって考えてたの?」
「まさか。しおちゃんも一緒だと思ったら、ついつい余計に買ってしまったんです」
嘘だあ、とちくり言おうかと思ったけど、お母さんの笑顔に負けて、そういうことにしてあげた。
買い物を終えた私たちは、荷物の三分の一を自転車の前カゴに入れ、三分の一をハンドルにぶら下げ、残りは自転車の荷台に手で押さえながら置き、来た道を歩きで引き返した。
幸村先生のお家に戻り、荷物を抱えて上がると、居間に大森さんがいた。私たちが戻ってくるちょっと前に来たそうだ。さっそく、お母さんからご挨拶。
「こんばんは。お久しぶりです、大森さん」
「こんばんは。やあ。すまないねえ、帰ろうとしていたところを引き留めてしまって。せっかくの機会だったから」
「いえ。いいんです」
そんなごく自然なやり取りを、お父さんが不安の色をにじませて眺めている。
だからそういう風にされると、どんどん気になっちゃうってば。
大森さんが電話越しに何を言ったのだろうかという興味が膨れあがるのをどうにか抑えつつ、お母さんの次に私がご挨拶。
「こんばんは」
「やあ。しばらく見ないうちに大きくなったねえ。何歳になったんだっけ?」
「一四です」
「それじゃあ中学生か。うん。だから前会ったときよりも、ぐっと大人っぽくなったわけだ」
こう言われて嬉しくないわけはないけど、いかんせん、身長の伸び具合と比較して、胸の成長がやたらのんびりしている気がしてならないので、喜びもその分差し引かれてしまっていたりする、という事実を知っているのはお母さんだけ。
手に荷物を持っていたので、大森さんとのご挨拶は早々に終わらせて台所に行き、すぐにお料理開始。私もお野菜を洗ったり皮を剥いたり、調味料を手渡したり、お皿を出したり、茹で上がった麺をお水で冷やしたりと、お母さんを手伝う。
中学に入ってからは、部活で帰りが遅いことが多いから手伝う機会がぐんと減ってしまったけど、それまでは毎日のように手伝っていたので、事細かく指示してもらわなくても、やるべきことはだいたい分かっている。なので、お母さんも次ああしてとかあまり言わなかった。
それはいいのだけど、ただ、今立っている場所は勝手知ったる我が家の台所ではないので、諸々の置かれている場所を探さなければならず、それが一番の苦労となった。なにせ、一人暮らしだというのにモノが豊富にあるから。
今夜のメニューは、そうめんと天ぷら。あとスーパーで買ったお総菜がちらほら。
天ぷらなら、揚がったものを順次テーブルに運ぶようにすれば、晩ご飯の時間が遅くならずに済むという理由での採用だった。
ということで、サツマイモやら人参やらカボチャやらごぼうやらピーマンやらと、何種類ものお野菜を次々と仕込んでは、衣をつけて油の海に放り投げていく。その隣では、沸騰したお湯の中で麺がゆらゆら揺れ、天ぷらと同様に、頃合いを見てすくい上げていく。
そして第一弾の分が揃うと、せっせと居間に運んだ。この第一弾でもけっこうな量に見えたけど、ちゃぶ台を囲む顔ぶれを見れば、すぐになくなってしまうのは目に見えている。カートに積まれていたときの光景を思い出すと、あのときは多すぎなんじゃないかと思ったけど、今ここで改めて考えると、お母さんは間違っていなかったと断言できた。
さすがお母さん。参りました。
そうめんと天ぷらは、案の定次々とみんなの胃の中に消えていった。私はというと、台所でひたすら天ぷらを揚げ、そうめんを茹で続けるお母さんのお手伝いをしながら、揚がったばかりのさくさくの天ぷらをつまみ食いしていた。
そうして、もう十分だろうというところで、ようやく私とお母さんは居間に戻った。お父さんたちの手は止まっていなかったけど、そのスピードは明らかに落ちていて、これ以上作る必要はないことを物語っていた。
晩ご飯の時間は瞬く間に過ぎ、やがて「ごちそうさま」の声が上がった。ついでに、お腹いっぱいで「当分動けない」という声も。もちろん、「美味しかった」というみんなの感想も。
食事が終わると、食後の歓談。わいわいと昔話が再開された。
そのほとんどが、過激というか洒落になっていないというか、友達が聞いたらちょっと引いてしまうかもしれない内容だった。
やがて、時刻は九時を大きく回った頃。
「すみません、私としおちゃんはそろそろ帰りますね」
「そうだな。俺らもそろそろ――」お母さんの言葉に、お父さんもそう言った。
「ワシならかまわんぞ? 剛田も大森も、まだおるんじゃろ?」
「先生がいいって言ってくれるなら、朝までだっていますよ」と笑いながら剛田さん。
「なら、まだゆっくりしていってもいいだろう」
「そういうわけにもいきませんので」
お母さんが頑固モードに入ったらテコでも動かないことは周知の事実となっているので、ここで押し問答になることはなく、「それじゃパパ、春原さん、お酒を飲み過ぎてみなさんに迷惑を掛けるようなことはしないでくださいね」と席を立ち、私もぺこりとご挨拶して玄関へと歩いた。
正直、大森さんから電話が掛かってきたとき、お父さんは何て言われたのか、それを聞き出すチャンスがないまま終わってしまったのがとても心残り。だから、という部分も多少あり、帰る間際、玄関まで見送りに来てくれた幸村先生に、一度聞いてみたかったことを尋ねてみた。
「あの、幸村先生。変なこと聞いていいですか?」
「なんだね?」
「幸村先生は、怖くなかったんですか? その、怖い教え子がたくさんいて」
そう。元教え子の人たちの話を今までいくつも聞いてきて、相当怖い人も少なくなかったことは知っている。いくら血気盛んな頃の幸村先生でも、怖いモノは怖いだろうし。というか、怖いと思うのが普通だと思う。それでもまっすぐ立ち向かっていけたことが、私には不思議でならなかった。
そんな私の疑問に、幸村先生は当たり前のように答えた。
「ははは。今にして思えば、相当無茶をしてきたなと驚いたり呆れたりすることもあるが。あのときは、ただただ必死だったからのお。子供らの粗暴さに怖いと感じる暇などなかったわい」
「それじゃ、怖いモノなんて何もなかったんですか?」
「そりゃあワシにだって怖いモノはあったさ」
でも、他に怖いモノなんて存在するのかな。
私は少し考えてみた。これだろうかと思ったものもいくつかあったけど、きっとそうだと思えるものは一つも浮かばない。私は降参したように、「それって、何ですか?」と聞いた。幸村先生はふうと一息ついて、教えてくれた。
「ワシが一番怖かったことは、道に迷ったり、道を踏み外している子らを、卒業までにちゃんとした道に導いてやれないことさ」
私はごつんと衝撃を受けた。誰よりも子供たちのことを真剣に想い、考え、実行してきた幸村先生。だからこその、この言葉。
「じゃから、いつも頭から離れなかった。今ワシが子供らにしていることは、間違っていないのだろうか。今までワシがしてきたことは、本当に間違っていなかったのだろうか。もっともっと、良い方法があったのではないか、とね。それは、今でもここにあるよ」
幸村先生はそう言って自分の頭を指でちょんと指し、小さく笑った。
その表情に、どうにも切ない気持ちが疼いて――。
「まあ、職業病みたいなモノだから。死ぬまで居座り続けるんじゃろうな」
私が言える、精一杯の言葉を伝えたくて――。
「間違ってません! だって、みんな幸村先生のこと大好きじゃないですか。今日だって」
私は言った。少しばかり感情的な声であることは喋りながら分かっていたけど、これでも抑えたつもり。とは言え、平静な声ではないのだから、驚かせてしまったかなとちょっと心配になった。でも幸村先生は、穏やかな笑顔をしていて、驚いてはいなかった。
「ありがとうの。そうじゃな、汐さんの言うように、ワシは間違っていなかったのかもしれないの。現に、これだけの月日が流れていても、こうして教え子たちが来てくれとるし。今日に限らず、色んな教え子が遊びに来てくれとるしな」
「そうだよ! だから、心配する必要なんてどこにもないよ!」
「うむ。それじゃ、今日からはもっと自信を持って生きていかねばな」
幸村先生はそう言って、私の頭をそっと撫でてくれた。お父さんとは違った手。それはとてもこそばゆいものだった。
そうして私とお母さんは幸村先生のお家を後にした。お父さんが帰ってきたのは、なんと翌日のことだった。ついでに言うと、二日酔いで一日頭を抱えていたお父さんは、その日の夜、お母さんにたっぷり怒られた。
Episode「恩師の長くて短い一日」 -了-




