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ステージは燃えているか その4

「以上、ことみちゃんでした」という私の言葉でインタビューが終わると、拍手と歓声が起こった。本来、ことみちゃんにだけ向けられるものなのだけど、私にも向けられているような気がする。ん、気のせい気のせい。

「ちょっとだけ緊張しちゃったの。でも、とっても楽しかったの」

 ことみちゃんがふわりと微笑むと、聞いていたこっちも楽しかったという声が続いた。それは茶化した意味ではなく、ことみちゃんのコメントが良かったという意味で。何と言っても、家族へ宛てた言葉の締めくくり。気持ちのこもった、家族全員への "I love you." は、なんかジンときた。

 控え室にお邪魔して早二十分以上。インタビューの終了で一区切りつき、私たちは引き上げることにした。

「それではみなさん、演奏がんばってくださいね」お母さんがそう言うと、頼もしい言葉が返ってきた。

「期待してください。汐ちゃんのおかげで、テンションもこのとおりばっちりですから」これは叶さん。なぜに私?

 仁科さんも「そうですね。いい具合にリラックス出来ましたし」と笑顔で答えて、ことみちゃんも「家族のためにも、絶対に良い演奏するの」と気合い十分といった感じ。杉坂さんも、「ありがとうございます」とぺこりとお辞儀していた。

 控え室を出た私たちは一階に降りた。智ぴょんの姿はなく、お父さんがそのことを口にすると、少し前に出たとスタッフの人が教えてくれた。プレハブを出て、隣のプレハブの控え室を覗き、美佐枝さんがいないことを確認すると、三人分の席を確保すべく観客席に向かう。

 私としては、ことみちゃんを撮すことを考えると、ステージに近ければ近い方が好ましい。そのぶん撮影時の障害が減るから。そして、そういう意味で特等席とも言える最前列中央に、美佐枝さんの姿があった。その周囲に陣取っているのは、たぶん男子寮関係の人たちだろう。美佐枝さんを中心にとても盛り上がっている。

 ステージに近い列で三つ並んだ空席は見当たらず、ぽつりと一つ空いている席がちらほらと点在しているだけ。こんなことなら先に確保しておけば良かったかなと少し後悔した。まあでも、後方にはまだまだ空席があり、三人バラバラになることはないし、例え前の方に座れたとしても、目の前に背の高い人に座られてしまったり、ことみちゃんたちの演奏中に、周りの人たちにがやがやと音を立てられたりしたら、きれいに記録するのは難しくなる。

 つまり考えようによっては、どこに座ろうと確実に撮影できるとは限らないわけで、確率の問題になってしまうということ。なら、少々後ろの方に座ったからといってがくりと落胆するほどのものでもない。

 ということですぐに気を取り直し、席を探していると、芳野さんと奥さんの公子さんを発見。二人が座っている数列前にも三つ並んだ空席はあったけど、たかだか数列、撮影に大きく影響するわけではないしと、二人のすぐ後ろの空席に座ることに決定。ここでいったん、お留守番担当のお母さんにポーチを預け、お母さんは席へ、私とお父さんは露店へ足を向けた。

 第二部開始まで三〇分以上ある。何を買うかは既に目星をつけていたから、どれにしようか迷いながら露店を渡り歩くこともなく、食べ物と飲み物を買う時間としては十分すぎるぐらい余裕。四方八方から漂う誘惑の香りと再び対峙しなければならないという問題は、まあ大丈夫でしょう。何と言っても、さっきと違って指をくわえて見るだけじゃないから。

 戦利品が約束されていれば、気合いだって入ります!

「おーっ!」

「なに気合い入れてんだ?」

「美味しい食べ物を前にした女の子は、誰だって自然と気合いが入るものなの」

「自分がそうだからって、周りの女の子を巻き添えにするのはどうかと思うぞ? まあそれはともかく、気合い入れるのは良いが、早すぎるんじゃないのか? 本番は第二部の後だろ?」

 確かにそのとおり。第二部が終わったあと、ことみちゃんも一緒に露店巡りをすることになっていて、そこで思いっ切り食い倒れをしようということになっている。でも――。

「それはそれ。これはこれ」

「たく、汐のこの食い意地は、誰から受け継いだんだか」

 私の食い意地云についてはさておき、「お父さん!」と指をびしりと向けて即答。

「俺はお前ほど、食い物に執着心はないつもりだが?」

 う、否定できないところが悔しい。かといって、お母さんというわけでもない。とすると、アッキーか早苗さん? 直幸おじいちゃんという線も。意外なところで志乃おばあちゃんとか。

 などと考えているうちに、最初の目標地点となる焼きそば屋さんの前に来た。香ばしいソースの匂いと音と煙を前に、考えることをすぱっと捨てて、「焼きそば二つ!」と力を入れて注文した。

 その後、イカ焼きのお店の前でお父さんの足が止まり、一つお買い上げ。そして次の標的に選んでいたたこ焼き屋さんの露店に移動。作り置きはすでに売れてしまっていたので、しばらくお店の前で待つことになった。私としては少しでも温かい方が良かったので問題なし。それに、たこ焼きを作るときの、くるりと回転させてきれいな球形にする様子を眺めるのもわりと好きなので、さらに問題なし。

 と、唐突にお父さんが「もしかしたら」と私に話しかけた。たこ焼きが出来上がっていくその光景を食い入るように見つめていた私は、「ん?」と振り向く。

「渚かもな」

「何が?」

「お前のその、お祭りのときの気合いの原因」

 私のお祭りに対するテンションの高さは恥ずかしながら認めるけど、それがお母さんから引き継いだものと思えるはずもない。お祭りにはしゃぐお母さんの姿なんて、一度も見たことないもん。

「それはないでしょ」

「いや、そうでもないと思うぞ?」

 またお父さんの冗談が始まったのかなと一瞬だけ思った。けれど、冗談を言っている顔には見えないし、ましてや私をからかっているようにも見えない。優しくて、真っ直ぐな表情をしている。

「でも」

「お前が叶えているからなのかもしれないからな。渚の、子供の頃の夢をさ」

 お母さんの、子供の頃の?

 え~と、それはつまり……。

 お母さんは、私を産んでからは体調を崩すことがほとんどなくなったけど、それ以前はよく体調を崩して、長いときは数ヶ月も続いたそうだ。だから友達と遊ぶこともほとんどなく、そもそも友達を作れなかった。

 そして、お祭りを楽しむことも。

 早苗さんから聞いた話だと、お母さんは一度も自分からお祭りに行きたいとは言わなかったらしい。きっと、アッキーと早苗さんを困らせたり二人に迷惑をかけるのが嫌だったからだろうとお父さんは言ってた。私もそう思う。お母さんのことだから。

 そしてお母さんは、お祭りへの期待や夢を、心の奥に押し込み続けて、そのときの想いを、私が代わりに叶えていると。

 まあ、お父さんと出会ってからはほぼ毎年のようにお祭りに来ているのだけど、それはそれとして。

「なるほど。お祭りに気合いが入るのは、子供の頃のお母さんの夢を叶えるため、ね。うん。そうだね。絶対そうだよ!」

 なんか、すっごく嬉しくなった。嬉しくて嬉しくて、その嬉しさを爆発させたくて、思わず「さっすがお父さん! いいこと言う!」とお父さんの太い腕をバシンと力一杯叩いた。

「いってぇっ!」

「あ、ごめんごめん」お父さんの本気の叫びと、腕についた真っ赤な跡に、我に返る。そして、智ぴょんの感心した声が聞こえた。

「良いこと言うじゃないか。岡崎。頭でも打ったのか?」

「あ、智ちゃん!」

「汐ちゃん、お母さんの夢を叶えるのはいいけど、たこ焼きはいいの?」

「へ?」

 その言葉に誘導されるように視線を露店に戻す。たこ焼きはすでに出来上がっていて、露店のおじさんが困ったような顔をしてこっちを見ていた。どうやら私たちに声をかけるタイミングを待っていたみたい。我に返っても嬉しさはまだまだ私の中に充満していたので、満面の笑みと大きな声で「ありがと!」と、出来たてのたこ焼き二パックを受け取った。

 本日三つ目の戦利品。私はたこ焼きのパックを焼きそばの入ったビニール袋の中に入れた。その隣で、お父さんがお金を払っている。そこで、ふと思った。

 お母さんの夢を叶えているのは、ある意味、お金を払っているお父さんなのでは?

 むう。それはそれ。ということにしよう。

「さて、あとは飲み物か。智代はイベント見ていくのか?」

「ああ。そのつもりだ。悠二さんと晴樹が来てるしな」

 晴樹くん来てるんだ。これは是非とも会わねば。

 と思っていたところで、またも知り合いの声が。所詮は田舎町のお祭りだから、知り合いとバタバタ遭遇するのは別段不思議なことではないのだけど。

「うーしおーっ」

 変な節を付けてそう言ってきたのは、今日プールで一緒に遊んだ右藤こよりちゃん。ノースリーブのシャツにショートパンツ姿のこよりちゃんは、私の側に来るなり「謎が解けたぞ!」と言ってきた。

「って言われても、何の謎?」

「おおきぱんのおばあちゃんたちの会話だよ!」

 そう言えば、そんな話をしてたっけ。どうでもよくなってたから、すっかり忘れてた。

「それで、解けたって?」

「区画整理だって!」

「クカクセイリ? ああ、区画整理ね。……え?」

 しばらくの間、私はその意味に戸惑うことしか出来なかった。



 ステージでは第二部が始まり、厳しい予選を勝ち抜いた人たちが一生懸命パフォーマンスを披露していた。色々と趣向を凝らしてジャグリングをする人たち。コント風にアレンジしたコミカルな、そして華麗なラップダンスをする人たち。アコースティックギターを弾きながら、サラリーマンや主婦をテーマに替え歌を披露する人。何故かラジオ体操をBGMに、人間ピラミッドの限界に挑戦する人たち。どれも驚いたり笑ったりで、みんな素人のはずなのにと、そのレベルの高さに驚かされてばかり。

 ただし芳野さんに関しては、替え歌のとき「ギターの弾き方がなってない」と苛立たしげに貧乏揺すりをしていたけど。

 そして、ステージに全身白タイツ集団が現れた。白タイツ集団と美佐枝さんのやり取りを、少し前に芳野さんと公子さんに話していたので、「あの子たちが、相楽さんの?」と公子さんに改めて質問された。

 直接目で確認したわけじゃないから、「のはずです」と答えたのだけど、その直後、白タイツ集団がそれを証明してくれた。パフォーマンスを始める前に、「光坂高校男子寮寮生を代表して、相楽美佐枝さんに捧げます!」と声高らかに宣誓したからだ。

 きっと美佐枝さん、最前列の席で凄いことになってるだろうなあ。凄すぎて想像できないほどに。お祭り会場に来る途中、本当は来たくなかったと言っていた意味が、今よく分かった。

 でも、この光景が芳野さんには違って見えていた模様。

「相楽は相変わらず寮生に慕われているようだな。これは、寮母見寄に尽きるというものだ。きっと、心から喜んでいることだろう」

「そう、かなあ」少し困った笑顔で疑問の声を投げかける公子さん。なんとなく、公子さんの苦労がちょっとだけ垣間見えたような気がしてしまった。

 なお、白タイツ集団のパフォーマンスは、寮則と時事ネタを掛け合わせたネタを、オチをつけて応援団風に声を張り上げるというもの。

「ひとーつっ! 寮生たる者ーっ」と先頭に立つリーダーが言うと、後ろにずらりと並ぶ人たちが復唱。そしてリーダーがネタを言い、やはり後ろの人たちが復唱。しかも、ちょいちょいミニコントを挟みながら。

 それがとても面白くて、私は大いに笑い、観客席も盛り上がった。そして盛り下がった人が確実に一人。というか頭を抱えているであろう人が。あの人たち、無事家に帰れるのかな。とちょっと心配になる。

 白タイツ集団のパフォーマンスが終わると、拍手と歓声が沸き起こった。私も盛大に拍手を送る。ところで、白タイツに何の意味があったの?

 パフォーマンス大会は順調に進行し、およそ一時間強、全出場者のパフォーマンスは終了した。このあとは和太鼓の演奏。その次に、いよいよ仁科さんと叶さん、そしてことみちゃんの登場となる。それが終わるとパフォーマンスの審査結果が発表されて、第二部の幕が下りる。

 ステージに和太鼓が次々と並べられる間、観客席は一息入れるざわめきで騒がしくなった。私も、「ふう」と一息つき、お父さんも一息つくと、前に座る芳野さんに冗談めいた声で「芳野さんも、来年出場してみたらどうですか?」と言った。するとお母さんが「それは素敵です」と笑顔で反応。お父さんの冗談と本気はわりと分かりやすいんだけど、お母さんのそれって、すごく分かりづらいんだよね……。全部本気にしか聞こえないから。

 一方公子さんは、「祐くんの場合、別の舞台の方が良さそうな気がしますけどね」と笑顔でもっともな反応。でも、あのステージでシュールなギャグを淡々と披露する芳野さんも見てみ……、たくないかも……。 

 そして当の本人はと言うと、顎に手を当てて真剣な表情で考え込み始めた。これにはお父さんも「あの、芳野さん? 冗談で言ったんですけど」と慌てて補足。それを聞いたお母さん。「え、冗談だったんですか?」

 やっぱり本気で言ってたんだ……。

 そんなことをしているうちに和太鼓の準備が終わり、演奏が始まった。威勢の良い掛け声とともにバチが一斉に振り下ろされ、太鼓の音が鳴り響いた。その大きくて力強い響きは、会場の大気をビリビリと震わせて、聞く人の耳を揺さぶり、耳だけでなく目も、肌も、そして心臓も揺さぶった。巨大なエネルギーの固まりをぶつけられるような感覚に、私は思わず「おおお」と声を上げる。

 ここまで圧倒的な迫力の和太鼓を聴くのは初めて。去年も和太鼓の演奏はあったけど、太鼓の数が去年の倍になっているから当然と言えば当然。私の座っている場所でこうなのだから、もしかしたら美佐枝さんの猫さんは逃げ出しているかもしれない。なんせ、最前列だから。

 太鼓の音は、ときに激しく、ときに軽快に、大気を駆けめぐる。太陽はそれから逃れるかのように、西の地平線にその姿のほとんどを隠し、替わりに、暗転した空できらめく星々が耳を傾けている。

 そして子供たちは、呆然とした顔でステージを見つめたり、目と耳をぎゅっと塞いだりしている。

 あまりの演奏に、私たちが今こうしているこの世界が、目の前でうねり狂う巨大な渦に飲み込まれていくような感覚に襲われ、ふと、そんな私たちを別の世界が天上から眺めているような気がしていた。

 交わるはずのない、異なる二つの世界。でも奇跡はいつだって、私たちのすぐ側にある。例えば、今この時、この場所――。

 そして世界は、奏者の掛け声とともにバチを振る腕が中空でぴたりと止まると同時に、残り香のような僅かな残響音に覆われた。でもそれは本当に僅かな時間。観客席からわっと湧き上がった拍手が、息を飲むような静かな余韻をなぎ払い、覆い尽くした。私もしばらく拍手を送っていたけど、実は心の一部は別のところを漂っていた。

 ついさっきまであった、とても不思議な感覚。それは寄り道の最中に出くわす感覚に近い気もするけど……、どちらかと言うと、引っ越し当日の、住んでたアパートを出るときに感じたあれに近いかな。


 和太鼓が終わると次はいよいよ。

 太鼓が速やかにステージの端に移動されると、入れ替わって漆黒のグランドピアノが慎重に運び込まれる。その間、司会の人が「いやあ、迫力のある、素晴らしい演奏でしたね」などと場を繋いでいた。

 会場のざわつきはしばらく続き、ようなく落ち着いてくると、タイミングを見計らっていた司会の人が「さて次は、一転して優雅な時間をお届けしたいと思います」と言って、ステージに上がる仁科さんと叶さんを紹介した。私はすかさず、白を基調とした、肩口に花飾りの付いたドレスを纏った仁科さんと、淡い紫色を基調とした、やはり肩口に花飾りの付いたドレスを纏った叶さんがステージに上がる様子に、携帯のカメラを向けた。

 二人の登場に、歓声が上がった。どんな歓声かは考えるまでもないでしょう。ドレス姿の美人二人が登場すれば。

 そして司会の人との短い掛け合いをしたのち、二人は演奏を始めた。

 司会の人が言ったとおり、和太鼓とは打って変わった、叶さんの軽やかなピアノの音と、仁科さんの伸びやかで優雅なヴァイオリンの音が、まるで清流のように会場を流れ始めた。つい今し方の興奮が、涼やかな音色で静まっていくよう。

 動から静へ。

 もしくは、太陽から月へ。

 世界は、僅かな合間でその場所を移した。

 一曲目が終わり、和太鼓の時とは違う、ゆったりとした拍手が起こる。仁科さんと叶さんが笑顔で答え、「それでは次に、楽しい気持ちになるような曲をお贈りしたいと思います。この曲を一度は耳にしているという方は、けっこういらっしゃると思います」という仁科さんの曲紹介で、二曲目が始まった。

 私もこれは知っていた。ただ、仁科さんに『ビゼーのカルメン序曲』だということを教えてもらうまでは、映画音楽だと思っていた。『がんばれベアーズ』という、もうずっと昔の、問題児だらけの弱小少年野球チームの映画だ。私が小学生の頃、アッキーと近所の野球少年たちとで一緒に見た。そのときのことは今でもよく覚えている。

 こんなヤツいないよ、なんてみんな言いながらも、釘付けになって見ていた。

 たくさんの楽しげな声と、たくさんの楽しげな笑顔がそこにあった。

 それがきっかけかどうか分からないけど、ふと、私は思い出した。露店の前でこよりちゃんから聞いたこと。そして、智ぴょんの言葉を。


 区画整理という言葉の意味を、何となくは分かっているけど、具体的な説明を求められると、やっぱり何となくしか答えられない。私はこよりちゃんにさらなる説明を求め、こよりちゃんが「つまり、あの辺り全部なくなっちゃうかもしれないってこと!」と答えた。

「なくなる?」

 ということは、おおきぱんもなくなっちゃうっていうこと? 牛みたいな猫さんも、どこかに行ってしまうということ?

「智ちゃん、本当っ?」私は思わず、飛びつくように、側にいた智ぴょんに聞いた。

「議案としてね。でも具体的な内容はまだ何一つ決まっていないから、再開発を視野に入れた大規模なものになるかもしれないし、小規模な部分的措置で終わるかもしれない。議案そのものが白紙撤回される可能性もある。それは、これからの話し合い次第になるわね」

「でもさ、大規模にやるってなったら、なくなっちゃうんだよね」

「一旦はね。そこに住んでいた人たちが、できるだけ以前と同じような生活が出来るように配慮はされるだろうから、何もかもがなくなるというわけじゃない。でも、風景はどうしたって変わるし、余所へ越す人もたくさん出るかもしれない。こればかりは、どう転がるのか誰にも分からない」

 でも、越してしまう人たちの中におおきぱんのおばあちゃんとおじいちゃんも含まれるかもしれない。そんなの嫌だ。

 そういえば前に、お父さんが言ってたっけ。

 町の風景が変わっていくことに、大切な思い出が根こそぎ奪われてくみたいに思えたって。実際におばあちゃんたちがいなくなったら、私もそう感じるのだろうか。

「なんで、そんなことするの?」

 別に、智ぴょんを責める意味で言ったわけじゃない。そもそも、誰に向かって言ったのか、私にも分からない。でも言わずにはいられなかった。

 そんな私を、お父さんは「汐」と諭すような声で止めようとした。

「いいんだ岡崎。汐ちゃん、この案件はね、何年も前からあったものなの。ただ正式な議案として市議会に提出されていなかっただけで。あの辺りは古い建物が多くて、耐震補強が不十分な建物も多いの。救急車や消防車が通れない狭い道も多いし、袋小路もたくさんある。もしも災害が起きたら、周辺一帯が大惨事になってしまう危険性が、低いとは決して言えない。最悪、たくさんの住民の命と財産が失われることになるかもしれない。それを見過ごし続けるわけには、どうしたっていかない」

 それはそのとおりなのだと思う。

 でも、それでも納得できない。

 ううん、違う。納得したくないんだ。おおきぱんのおばあちゃんとおじいちゃんのことを考えると。

 五〇年以上、二人はあの店で毎日パンを焼いてきた。二人にとって、楽しかったことや辛かったことがぎっしりと詰まった、大切な場所だと言ってた。おばあちゃんたちだけじゃない。あの場所で何十年と暮らしてきた人たちがたくさんいる。そしてその場所には一人一人のたくさんの思い出が詰まっている。

 私が引っ越ししたとき、一四年間暮らした家から離れることを辛く思った。私はお父さんの言葉で、それを受け入れることが出来た。笑顔でばいばいと言うことが出来た。でもこれは違う。思い出の場所が消えてしまうのだ。跡形もなく。

 それに、思い出を失うのは“町”も同じ。

 もしも大規模な再開発をすることになって、もしも、それを“町”が望んでいなかったとしたら、やっぱり悲しいと思うのではないだろうか。そしてその悲しみを、誰が癒してあげられるというのだろう。

 そう思ったら、「“町”は?」という言葉がぽとりとこぼれた。

「え?」

「もしも“町”が、変わりたくないって想っていたら、それでも変えちゃうの?」

「そうね……」

 智ぴょんは少し間をおいてから、戸惑いのない真っ直ぐな声で言葉を続けた。

「私はこう思うわ。きっと私たちは、“町”の願いのとおりのことをすることになるって」

「どんな願い?」

「もちろん、この町に暮らす人たちが、平和で安全な日々の中で、幸せでいられること」

 そんなことは分かってる。そして、今の自分が如何に子供じみたことを言っているのかも分かっている。まるで、引っ越しに反対したときの自分のようだということも。だから、「それはそうだけ……」と口を閉じるしかなかった。

 こよりちゃんとはそこで別れ、それから観客席に戻るまでの間、私は気持ちと頭の中を整理することに努めた。もしもあの辺りの家が全て壊されてしまったらと考えると、どうしても心がざわざわする。でも、あの辺りを実際どうこうすることになるとしても、ずっと先の話になることは間違いとお父さんも智ぴょんも言うし、何も決まっていない段階であれこれ想像して、一人で落ち込むのも不毛だろうと言われて、完全に割り切るにはまだまだ時間は必要だけど、席に座るときには今この場においては十分な程度にざわつきを鎮めることが出来ていた。

 すると今度は、それとは別のものが頭の中でぐるぐると回り出していた。そのことに全ての意識が集中することはなかったけど、頭の片隅にはずっとあった。パフォーマンスを見ていたときも、和太鼓を聴いていたときも、仁科さんと叶さんの見事な演奏を聴いているときも、そして、仁科さんの紹介で、淡いピンク色のドレスを着たことみちゃんが、ヴァイオリンを手にステージに現れた今この瞬間も。

 ことみちゃんの登場に驚きを含む大きな歓声が上がった。実はことみちゃん、けっこう有名人。

 この歓声に圧倒されたみたいで、ぺこりとお辞儀をしたことみちゃんは緊張した面持ち。大丈夫かな、とカメラ越しに心配になったけど、すぐに私たちを発見したみたいでホッとしたように笑顔を見せてくれた。もちろん私はそんなことみちゃんに大きく手を振る。

 歓声と拍手が止み、一瞬の間を取ってから叶さんのピアノから、三人の演奏がしっとりと始まった。


“町”の願い――。


 そこに暮らす人たちが、平和で安全に、幸せであること。

 でも、全ての人が同じように幸せになれるわけじゃない。どんなことにも、喜びを得られる人がいれば、対照的に苦しみや悲しみを強いられる人がいる。例えば、区画整理のことでも。

 それが現実。

 なら、幸せでない人を見て、“町”はどう思うだろう。仕方がないと諦めるだろうか、それとも、悲しいと涙するだろうか。

 もしも悲しんでいるとすれば、それはなんて、残酷なことだろう。

 叶わない願い。それでも願い続け、その先にあるのは、やっぱり叶わない現実。

 だから私は願わずにはいられない。

 私たち一人一人が幸せを得られるように、“町”も幸せになれますようにと。幸せの中、心から笑顔でいられますようにと。

 ことみちゃんに仁科さん、そして叶さんの奏でる優しい音色は、そんな私の願いを届けてくれようとしているかのように思えて、それがたまらなく嬉しくて、あったかくて、いつの間にか私はぽろぽろと涙を落としていた。



Episode「ステージは燃えているか」 -了-

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