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ステージは燃えているか その2

 午後四時。

 朱鷺色の生地に白い花をたくさん咲かせている浴衣に着替えた私は、水色の生地に数匹の鯉がゆったりと泳いでいる浴衣を着たお母さんと、地味でも派手でもないTシャツにGパンというまったく協調性のない出で立ちのお父さんと、三人でお祭りの会場へと向かった。

 私がまだ小さかった頃は、私の要望でお父さんも浴衣を着てくれていたのだけど、いつの頃からか着なくなり、私も懇願しなくなり、そして今に至っている。どうしても着て欲しい、なんてこの年になって思うはずもないけど、少しは空気を読もうよとは言いたくなる。

 ちなみに、友達とはすでに解散となっていて、それぞれ自分の家に帰ったり、別の友達のところにいる。ことみちゃんたちも、イベントに備えて出立していた。

『光坂納涼祭』へと続く道には、楽しげな人たちの姿がいくつもあり、会場に近づくにつれて、その数は次第に増していく。そしてその数に比例して、私のテンションも自然と上がっていった。

 何から攻略していこうかと相談しながら歩いている子供たち。

 缶ビールを片手にお喋りしながら歩いている大人たち。

 その他諸々。

 それらの中でやっぱり目が向いてしまうのは、いちゃいちゃしながら歩いている若いカップルもそうだけど、やっぱり小さい子供とその両親との風景。五歳ぐらいの子供がお母さんとお父さんの手を引っ張りながら先を急ごうとしていたり、着いたらあれ買いたいこれ買いたいと早速おねだりをしていたり、はしゃぐ幼い子供たちに困った様子の母親を、その父親が傍観していたり。そんな様子を見ていると、微笑ましくて心がほっこり温かくなるし、懐かしい気持ちになる。

 私も散々、同じことをしてきたからね。

 そんな感傷的な気持ちで、目の前を歩いている親子を眺めていると、横から不意にお父さんの声が飛んできた。

「なんだ、お前もああして欲しいのか?」

「へ?」

 まさか、目の前でお父さんに肩車をしてもらっている小さな女の子と同じことをして欲しい、なんてこの年で思うわけない。さてどう切り返そうかと逡巡して、こう答えた。

「お父さんがそうしたいんでしょ?」

「ああ」と笑顔で即答。むう、そうきたか。

「そんなに自分の娘にセクハラしたいの?」

「馬鹿だなあ、こういうのは、親子のスキンシップって言うんだ。さあ、遠慮なんてしないで――」爽やかにそう言ってくるお父さんに、私は「お母さん助けて! お父さんが私に変なことしようとするうっ!」と、お母さんの陰に隠れた。

「こらこら、人聞きの悪い言い方するな」

「お父さんの変態っ。こっち来ないでっ」

「へ――!? へん……たい……!?」

 まさに雷に打たれたような顔で呟くお父さん。そしてがっくりと項垂れ、虚ろな声でぼそぼそと呟きだした。ちらりとその横顔を見ると、不気味な笑顔を浮かべている。

「言われちまった……、娘に変態って、言われちまったよ……、娘を持った父親って、結局、こんなもんなんだなあ……、なあ、父さん……、俺さあ……、俺さあ……」

 う~ん、状況が許してくれればこのまま放って、傍観していてもいいんだけど、見ず知らずの人たちからの変な視線が私にも向けられたままでいるのは、ちょっときついなあ。などと考えている間に、お母さんがお父さんに救いの手を差し伸べた。

「パパ、大丈夫ですよ。しおちゃんはパパのこと、大好きですから」

「でも、俺のこと、変態って……」

「それでもしおちゃんは、パパのこと大好きですから。だから安心してください」

 ちょっと待った。お母さん、それじゃあお父さんが変態さんだって認めることになるんだけど。

「そう、なのか?」

 う、なんか悲しそうな目でこっち見てる。ていうか、そろそろ終わりにしないと、周囲の視線がちょっと痛い。

「変態じゃないお父さんは、ね」

 てっきり、自信に満ちた顔で元気に「なんだ、なら大丈夫だ」とか言ってくるかと思いきや、視線を地面に落とすと深い深いため息を一つついて、「やっぱり、俺のこと嫌いなのか……」と呟いた。

 ここで認めないでよ。話が終わらないでしょうが。まさかと思いたいけど、まだまだ引っ張る気なの? 仕方ない、負けを認めるみたいでちょっと悔しい気もするけど。

「もういいから、そろそろ終わりにしようよ。みんな見てるんだから」

「見たいヤツは、見ればいいさ……、この、哀れな父親の末路を……」

「だあかあらあっ!」

 杏先生か智ぴょんだったら、悪のりを止めようとしないお父さんに回し蹴りでもして、言うことを聞かせるのだろうけど。

 あ、もう一人いた。ジャーマンスープレックスってプロレス技で言うことを聞かせる人が。

 と思った瞬間、まさにその人の声が後ろから聞こえてきた。しかも、語尾にはっきりと音符マークが見えるほど楽しげな声色で。

「んじゃあ、私が更に哀れな末路を提供してあげようか」

 足を止めて振り返ると、相楽美佐枝さんがいた。それと、美佐枝さんに抱っこしてもらってる猫さんも。

「こんばんはです、美佐枝さん」そう挨拶するお母さんに続いて、私もご挨拶。そしてお父さんはというと、さすがに身の危険を察知したみたいで、元気な声で「ちーっす」と挨拶した。

「なあにが『ちーっす』よ。たくこいつは……。渚さんも汐ちゃんも大変ねえ、毎日こんなの相手しなきゃなんないなんて」

「パパの悪ふざけは、昔っからですから」

「そりゃあまあ、そうだけどさあ……」美佐枝さんはため息混じりにそう言ってお父さんをちらりと見る。そして一言。

「はあ……、二人が不憫だわ……」

「……本気で不憫そうに言わんでください」

「あら、私は本気で不憫に思ってるんだけど?」

「……」

「んで? どんな末路がいい? とりあえず、もうこれ以上ないってぐらい哀れな方が良いわよね」

「なんでそんな楽しそうなんスか。てか、良いわけないでしょ」

「何言ってるの、中途半端が一番良くないのよ?」

「過激すぎる方がよっぽど良くない!」

 お父さんはそう言うと、「渚、汐、このお――姉さんに殺される!」と必死の目で訴えてきた。それはいいけど、その間はわざと掘ったの?

「もう恥ずかしい真似しないなら、助けてあげてもいいよ?」と、仕方ないといった仕草で応える私。

「しない、もうしないっ」

「本当だよ?」

「本当だ!」

「だ、そうなんで」

「汐ちゃんにそう言われたらねえ。引っ掛かるところもあったけど、勘弁してやるか。たく、これじゃどっちが親でどっちが子供か分かんないわね」

 こうしてこの一幕は終わり、私たちは一緒にお祭りの会場へと歩き出した。

 改めて思ったけど、周囲の視線をものともしない陽平おじちゃんとか、色々な意味で凄いんだなあ。

 騒がしい一時が過ぎると、一転して穏やかな空気が流れる。私はお母さんと並んで歩き、その前をお父さんと美佐枝さんがお喋りをしながら歩いている。そして私の腕の中には、美佐枝さんの猫さんがいた。気持ちよさそうに目を閉じて丸まっているその姿は破壊力抜群で、あまりの愛らしさに、どうしたってにへらっと顔を緩めてしまう。何度こうして抱こうとも。

 初めてこの猫さんを抱っこしたのはもうずっと昔で、私の記憶に残ってないほど幼い頃。だから、気が付いたら当たり前のように抱っこしていたというのが私の感覚。お母さんたちの話によると、猫さんを抱く美佐枝さんの姿に、私も抱っこしたいとせがみ、まだ加減が分からないだろうからと少し心配気味のお父さんに、美佐枝さんが「大丈夫さ。岡崎の子なんだから」と言って、私に抱かせてくれたらしい。そのとき猫さんはとても大人しくて、嫌がる素振りは何一つなかったそうだ。

 余談だけど、この猫さんで変な自信を持ってしまった幼い私は、目に付いた見ず知らずの猫さんを半ば無理矢理に抱こうとして、思いっ切り嫌がられて、しかも見事に引っ掻かれ、しばらく盛大に泣き続けたらしい。しかも、懲りずに何度か挑戦していたそうで、そんなめげなかった自分を褒めていいのか呆れていいのか、正直、今でも迷うところだったりする。

 そしてこの猫さんのことでもう一つ。

 正確な年齢は美佐枝さんも知らないとのことだけど、少なくとも二〇歳ぐらいにはなっているらしい。人間に例えれば九〇歳ぐらい。おじいちゃんもおじいちゃんなのだけど、全然そんな雰囲気がないところが凄いというか何というか。

 たまに、この子は本当に猫なんだろうか、ひょっとしたら、見た目は猫だけど全く別の動物なんじゃないのだろうか、しかも寿命がすごく長くて、などと思い、お父さんにそのことを言ったことがある。

 そしたらお父さんは、「美佐枝さんの側にずっと居たいって思いが、あいつをそうさせてるんだよ。だから、不思議なことなんてないのさ」と説明してくれた。普通だったら、この説明に納得する方がおかしいのかもしれないけど、私はすっかり納得してしまった。だって、強い願いや思いが、ときに信じられない奇跡を生み出すって、本当に思えるから。

 そんなことを思い出していたら、腕の中の猫さんに「君は、本当に好きなんだね」と口にしていた。それを聞いたお母さんが「よっぽど気持ちいいんですね」と微笑んだ。

「え? あ、そういう意味じゃなくて」

「違うの? それじゃあ、しおちゃんのことが?」

「じゃなくて」

「えと、それじゃあ……」お母さん、なんか悩み始めてる。

「美佐枝さんのことが」

「美佐枝さん? それはそうだと、私も思うけど……」

 当たり前だけど、私の心の中での話の流れを知る由もないお母さんは、それ以上の言葉を見つけられない様子。その代わりというわけじゃないけど、前を歩く美佐枝さんが振り返って、「私がどうかした?」と話に加わり、その隣のお父さんもまた振り返ってきた。

「いえ、猫さん、美佐枝さんのことが好きなんだなって、なんとなくそう思って」

「そりゃ、まあ……。でも、どうして急に?」

「なんとなくです。ほんと」

「そう……?」

 美佐枝さんは怪訝な顔をしていたけど、まあいいかと前を向いた。お父さんもすぐに前を向いたけど、そのとき一瞬見せた横顔は、私が何を考えてそう言ったのか分かったっぽいものだった。そしてお父さんと美佐枝さんは、再びお喋りを始めた。最近の寮生は根性というものがまったく足りないとか、寮生活に根性がいるのかとか、タップするのが早すぎるのよ、とか。

 学生寮で、格闘技の大会でもしてるのかな。

 お父さんから聞いた昔の話を思い出すと、そんな馬鹿なと笑いながら切って捨てられない。まあ、お父さんと陽平おじちゃんの話がどこまで事実かという問題は拭えないし、ここは一つ、美佐枝さんと一緒に寮の管理人室で暮らす猫さんに聞いてみようかしらと、胸元の猫さんに視線を落とす。もともと冗談のつもりで、加えて、どうせスヤスヤと目を閉じているのだろうと思っていたので、目を開けていたことにちょっとだけ驚いてしまった。

「なんだ、起きてたんだ」

 私は独り言のように、猫さんに言った。猫さんは耳をちょこんと一度動かしただけで、その目はじっと空に向けられている。その揺るがない眼差しに、「何か見えるの?」と私も空を見上げてみた。けど、これといって興味を引くようなものは何一つない。

「しおちゃん、前を向かないと転んじゃいますよ」

「うん……」と生返事ひとつ、目は空に向けたまま。そしていったん猫さんに視線を戻して、「ねえ、何を見てるの?」と質問。けれど猫さんは黙ったまま、じっと空を見据えている。もう一度、猫さんの視線を追うように空を見上げる。

 広い空に、雲がところどころ浮いているだけで、これといって目に付くものはなく、それとはまるで対照的に、お祭りの会場がもうすぐそこだということを盛大に告げようとする賑やかな音が、乱雑に、そして軽快に踊り出していた。

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