ステージは燃えているか その1
朝一番から友達三人と市民プールで遊んだ私は、お昼には切り上げてその友人らを引き連れ、お気に入りのお店へと向かった。その道中、夏休みに入ってからはまだ足を運んでいなかったので久しぶりな感じがしていたのだけど、お店に着いておばあちゃんの顔を見ると、昨日もここに来たような錯覚をしてしまいそうになっていた。
「こんにちは。おばあちゃん」
いつものシワだらけの笑顔にそう声を掛けたのは、私だけではなかったりする。友達もおばあちゃんとは顔見知りになっているので、親しげに声を掛けていた。もちろん、店の奥でパンを焼いているおじいちゃんとも顔見知り。そしてそんな友達にこのお店、『おおきぱん』を紹介したのは、他ならぬ私。
さしずめ、私はおおきぱんの宣伝部長ってところかな。もちろん、古河パンの宣伝部長もちゃんとやってます。ただ、古河パンの場合、学校の帰り道に立ち寄れる場所にないので、残念ながら私の宣伝はあまり効果がないみたい。
「いらっしゃい、お嬢ちゃんたち。今日も暑いねえ。これから遊びに行くのかい?」
「ううん、プールで遊んできたところ」と私。
「そうかいそうかい。こう暑いと、なおさら気持ちよかっただろう」
「そっれはもうっ!」
誰よりも早くそう力を込めて答えたのは、四人の中で一番の元気印の右藤こよりちゃん。私や他の子も、負けじと後を追って盛大に同意した。なんだか、我こそが一番と祖母に自慢合戦する孫娘たちって感じの勢いで。それから、おばあちゃんはもう何十年も海にもプールにも行っていないという話になり、完全に井戸端会議と化した。
この状況を、私たちは本来の目的を忘れて楽しみだしていた。でも、私たちの胃袋は楽しんではいなかった模様。おばあちゃんを海に連れて行っていないおじいちゃんに抗議し、おじいちゃんがおばあちゃんに「お前が変なこと言うから」と文句を言ったところで、四人の胃が揃って抗議の音を鳴らした。
こうもぴったり音が揃うと、私たちは実は血のつながった姉妹なのかも、などと本気で思ってしまいそうになる。ほら、例えば、双子は感覚を共有する時がある、なんて話があるし。
とにもかくにも、私たちの胃の抗議は無事、私たち自身に聞き届けられて、ついでにおばあちゃんたちにも聞き届けられ、ようやく本来の目的を果たすこととなった。
「おやまあ、お昼まだなのかい?」
お昼時に来た私たちにこの台詞というのも、普通に考えればちょっと変だけど、店先で近所の人とよく井戸端会議をするおばあちゃんらしい言葉とも言える。私たちも私たちと言われてしまえばそれまでだけど。
「あはは……、聞かれちゃったとおり、まだなんです。だから、私はコロッケパンとやきそばパンと、それと……、チョコクリームパン! あと飲み物は……、オレンジジュース!」
私がそう言って、照れくささを誤魔化すように後半勢いをつけて自分の分を注文すると、間髪入れず友達も頼んでいった。そうして私たちが矢継ぎ早に注文していったために、おばあちゃんに「そんないっぺんに言われてもねえ。年寄りの頭じゃあ覚えきれないよお」と苦笑され、おじいちゃんにもこっそり苦笑するかのように目尻を細められて、恥ずかしさが少しばかり増してしまっていた。
こうして、私たちはようやく目的の第一段階を終え、おばあちゃんがパンを一つ一つショーケースから取り出していくのを眺めながら、まったく気の利かない胃袋なんだからと我らが胃袋たちを笑い合った。もしもお腹が鳴ったのが一人だけなら、その一人が自分だったら、そんなちょっとばかりゾッとする思いをその表情なり言葉尻なりにちらつかせながら。
そして一人ずつ会計が始まり、お金を支払っているところに、四〇過ぎと思われる一人のおばさんがお店にやって来た。お客さんと断定した言い方をしないのは、なにぶん『おおきぱん』は井戸端会議の会議場でもあるわけで、訪れる人すべてがお客さんとは限らないから。それにこのおばさんは、順番待ちの間の暇つぶしかもしれないけど、「ちょっとおばあちゃん、聞いた?」と、古めかしいレジスターを丁寧に操って、小銭を出し入れしているおばあちゃんに向かって、口調も表情も少々興奮気味に話しかけていた。
私たちにとっては「何を?」と言いたくなるようなおばさんの切り出しだったけど、おばあちゃんは即座に思い当たったようで、「たぶん、聞いてると思うよ」と、言葉は曖昧でも自信ありげに答えていた。どうやらおばさんは話が一致したと確信したようで、「誰から聞いたの? 私はついさっき志田さんから聞いてさあ」と話し始める。
「そんなことより、私も話も逃げやしないから、もう少し落ち着きなさいな。はい、三〇円のおつりね」
「落ち着けって、これが落ち着いていられますか」
「でもねえ、今からそんな慌てたところで、何がどうなるっていうんだい?」
「んもうっ! おじいちゃん! おじいちゃんだって困るでしょ?」
「困ってるのは、お前さんの横のお嬢ちゃんたちだ」
「は?」おばさんは、やれやれといった顔のおじいちゃんの指摘に、くるりと私たちに視線を向けた。自分たちに振られるとは夢にも思っていなかった私たちは、四人とも間の抜けた顔で「へ?」と呟いてしまった。
「あ、ごめんなさいね。私ったら」
「い、いえ、全然大丈夫です」などと、不意打ちを食らった私たちは動揺も露わに答えることとなった。
「はい、九〇円のお釣りね。いつもありがとうね」
璃香ちゃんがお釣りを受け取り、これで全員、お会計終了。当初、お店の軒先で食べようかという話にもなっていたけど、なんとなく退散した方が良さそうな雰囲気ということもあり、次に向かう場所の検討会を始めた。そしておばさんは、やっと自分の番だとおばあちゃんに話し始めた。
「もし本当にそんなことになったら、どうなっちゃうのかねえ」
「どうなるも何も、なるようになるしかないさね」
「またおばあちゃんたら。そんな悠長なこと言ってると、いざそうなった時に困るよ?」
「と言われてもねえ。そういう話が出たってだけでしょう? 今日明日で決まるようなもんじゃあないし、だいたい、具体的にどこをどうってのが、まだなあんにも無いって話じゃないか」
「らしいけどさあ……。でも分かんないわよお? 裏で誰が何をしてるかなんて分かったもんじゃないしさ。それに、政治家とかおっきな組織とか企業とかが絡んでたら、それこそ明日の朝には決定事項にされてるかもしれないじゃない」
何の話をしてるのか分からないけど、なんとなく、それテレビドラマの見過ぎ、と心の中で呟いていた。
妙に真剣味のない検討会の末、とりあえず近くの公園に行こうという結論を出した私たちは、おばあちゃんとおじいちゃんに手を振ってお店を後にした。
個人的には、おばあちゃんたちが何の話をしていたのかとちょっと興味があったので、立ち去ることに後ろ髪を引かれる思いが少しだけあり、私の耳は、瞬く間に遠ざかっていく会話が完全に聞こえなくなるまで、おおきぱんに向けられていた。
そしてついに聞き取れなくなり、耳に届くのは自分たちの足音だけとなったとき、あれ?と思い、お店を離れてから今まで、誰も喋っていないことに気が付いた。どうやら、みんなも気になっていたらしい。
「あれって、どんな話だったんだろうね」
いくらか独り言のような口調で璃香ちゃんがそう言うと、私も含めて「あ、やっぱり気になってた?」といった、同意の言葉が口々に出て、それぞれの勝手な推論が飛び交いだした。それはまるで、息を潜めて獲物を狙っていたライオンの群れが、静かな号令のもと、訪れたチャンスに飛びつき、見事しとめてその獲物にかぶりつくようだった。
四頭の肉食獣たちのそれは公園に着いても熱を帯びたまま、というか時間的な意味でも始まったばかりで、示し合わせたように何の迷いもなく公園のベンチに腰を下ろし、パンを食べながら続けられ、食べ終わってもまだ続いていた。
推論は主に、政治や経済に関する最近の大きなニュースをもとにしたもの。ただし、それらのニュースに対する知識は悲しいかなとても浅く、「で、そうなるとどうなるの?」といった指摘が入ると、大抵「そこまでは知らないよ」と尻切れトンボになり、徐々に身近で小さなニュースが挙げられて、最後に出てきたのは、まさに今日この日に行われる『光坂納涼祭』だった。
これについては、四人には温度差があり、もしも祭がなくなったらという話になったとき、一番寂しいと感じたのは私だった。
そしてこのお喋りは、途中から趣旨が大きく逸れて、いつものような長話になると思いきや、意外なことに開始わずか一時間で一区切りついた。ただでさえプール帰りで火照り気味だった身体が、真夏のお昼時、日除けになるものが一切ない公園のベンチに座り、直射日光を浴び続けていたことで更に火照り、「場所、変えない?」という提案が出たのだ。
耐えられないほどの火照りではなかったけど、気が付けばみんな汗だくだったし、別に我慢大会をしているわけじゃないから、そうだねと立ち上がり、お尻を軽くはたいて場所を移した。
そして向かった先が私の家。四人の中で一番近いというのが最大の理由。これに私もすぐに同意した。反対する理由もなかったし、早いところ涼みたかったし。
途中のコンビニで飲み物とお菓子を買って、我が家に到着。
「ただいまあ」と先陣を切って玄関の扉をガラガラと開けると、お母さんが居間から「お帰りなさい」と出迎えに出てきた。そして汗だくの私たちの姿を見た途端、あらまあと言わんばかりに口を開け、続いて、にこやかに「いらっしゃい。それじゃ気持ち悪いでしょ。お風呂は沸いてないけど、シャワーだけでも浴びたら?」と言った。
それ、ナイスアイデア!
私たちは、さっそくぞろぞろとお風呂場へと向かう。
その途中、居間の前を通ると、そこにはお父さんがいて、「ただいま」と声をかけた私の姿を見た瞬間、なんだか失礼な顔をしてきた。こういう時のお父さんは、まず間違いなく失礼なことを言ってくる。
「なんだ、その格好でプールに入ってきたのか?」
とか、そんなところを言いたそうな感じ。
それはそれで、いつものことと流せるのだけど、友達もいることだし、ここは相手にしないでさっさと通り過ぎた方が良さそうだと瞬間的に思った。けど、そのために居間にいるお客様までも無視するなんて私には出来ない。そのお客様が、私の大好きな人の一人であれば尚更のこと。
「いらっしゃい、ことみちゃん」
「こんにちはなの、汐ちゃん」
ことみちゃんが日本に帰ってきて三週間近く経つ。相も変わらず忙しい中、今日この町、そしてこの家に来たのは、お祭りのとあるイベントに参加するため。もともと参加予定などなかったのだけど、ことみちゃんお帰りなさいパーティーの時にそのイベントの話が出たところ、ことみちゃんが「私も、出来たら参加したいの」とぽつり。そこに智ぴょんが「難しいとは思うけど、聞いてみましょうか?」と申し出て、途中なんやかんやあり、ここに至っている。オビーさんたちもいれば私的にも更に盛り上がるところだったけど、既に数日前に帰国している。オビーさんの仕事の都合で予定通り帰らざるを得なかったそうで、子供たちと同様にオビーさんもひどく残念がっていた。
イベントの模様は私がビデオカメラに撮って、それをディスクにして送ることになっていて、それが唯一の救いかも知れない。でもそれはつまり、カメラマンとなる私の責任が重大ということで。
うう、なんかプレッシャーを感じてしまう。
後ろで友達が足を止めていることもあったから、ことみちゃんとはひとまずの挨拶だけにして、私は再びお風呂場へと歩き出した。友達も、お父さんとことみちゃんにちょっと浮き足立ってるっぽい挨拶をしながら私に続いて脱衣室に入った。そして戸を閉めると、「やっぱかっこいいよねー」とか「私初めて見たー、マジでうちのお父さんと取っ替えて欲しー」などといった、お父さんへの感想を経てから、ジャンケンで勝った人から順番に軽く汗を流していくことになった。
そのルールは、二番目のはずのこよりちゃんが、一番目である私がシャワーを浴びている最中に乱入してきたことによって破られ、早々に何でもありのハチャメチャ状態になっていた。そんな私たちに、バスタオルと私のTシャツ四枚を持ってきたお母さんは「楽しいのは良いことだけど、ほどほどにね」と苦笑していた。




