雨の日の出来事 その3
美樹ちゃんの言葉で幕を開けたような第三幕は、短い休み時間中のコトとあって長引いたり拡大したりすることはなかった。そもそも、美樹ちゃん曰く「今更の話だしね」だそうで。第二幕のような大きい騒ぎになるまでの話題ではなかったということなんだけど、今更ってなに。
とにもかくにも、波乱の始まりに今日一日大丈夫かなと心配になったけど、さすがに第四幕が上がることはなく平和に過ぎていった。高瀬くんに抱きとめられたという事実に対しても、誤解がすぐに解かれたこともあって、概ね羨ましがられるに留まってくれた。ただし、ごく一部の女子にはすっかりやっかまれてしまったみたいだけど。
女の妬みはタチが悪いって言うし、めんどくさいことにならなければいいなあ。
などと思うと、助けてくれた高瀬くんにはほんと申し訳ないけど、受け止めてくれたのが女の子だったり、あまり目立たない男の子だったらと思ってしまう。
こんな罰当たりな私でも効き目があるのかどうか分からないけど、これも有紀寧お姉ちゃんのおまじないに頼るとしよう。私がその子たちに何を言っても、神経を逆撫でするだけだろうから。
そうして、いつもよりずっと長く感じたこの日の学校が終わった。
みんなが次々と教室から出ていく中、私も教室を出る。向かう先は部室ではなく、有紀寧お姉ちゃんのお店。
この日の部活は倉橋先生の一声で中止。こうも廊下が濡れていては、校舎内での基礎トレーニングは危険だから、というのが理由で、その知らせがあったのはお昼の時間。副部長がわざわざ教室まで来て教えてくれた。
「で、こんな雨の中、二人とも本当にくるの?」
教室を出た私の横には美樹ちゃんと、まだ湿っている制服に着替え済みの亜矢ちゃんがいる。私がこれから行くところに、二人とも一緒に行くと言い出したのだ。
「なんか嫌そうだねえ。まさか誰かさんと逢い引きしようっていうの?」と亜矢ちゃんが訝しげに言う。
「またそういうことを言う」雨脚は今朝ほどじゃないけど、決して弱くはない。付き合わせるにはちょっと申し訳ない気がするだけ。
「冗談冗談。まあ、深刻な話でもするっていうなら、話は別だけど」
そんなことないけど、ここは一つ。
「うん、ちょっと深刻な話なんだ」
「そっか。じゃあ一緒に行こう」
「だから深刻な――」
「ふふふ。ウッシーごときに騙される私とお思いか?」
「汐の嘘は、下手とかそういう次元じゃないからね」
なんかひどい言われようだ。
まあ、二人が行きたいと言っているのを無理に拒む理由はないので、有紀寧お姉ちゃんの喫茶店に三人で向かうことになった。ちなみに、二人はそのお店に行くのは初めて。当然、有紀寧お姉ちゃんと面識はない。今回が初対面になる。
きっと二人とも、有紀寧お姉ちゃんのこと好きになるだろうな。
学校を出ておよそ三十分。
徒歩と二駅分の電車移動で到着。
その途中、犬専用のレインコートを着た一匹の犬を連れて、傘を差して歩いている人を見かけた私は、今朝学校に行く途中で見かけた犬のことを、ふと思い出した。
あのときは、雨などものともせず悠々と散歩してるのだと思っていたけど、改めて考えてみると、そうじゃない可能性も浮かんでくる。例えば、勝手に飛び出したはいいけど、迷子になっているところだった、とか。実際、そういう飼い犬もいるらしいし。
心配性なお母さんの性格が私にもいくぶんあるようで、ちょっと心配になってしまったけど、私にどうにかできる話でもない。すぐに切り替えて、二人のお喋りに付き合っていた。
名前とギャップを感じる、お洒落な雰囲気のお店の前にやって来た私たちは、カランカランと出迎える『喫茶店ぎゃらんどぅ』の扉を開く。その音に、別々の席に座っている背広姿の男性客二人がこちらをちらりと見て、エプロン姿の有紀寧お姉ちゃんもカウンターから「いらっしゃいませ」と笑顔を見せてくれた。そしてお客が私と分かるなり「あら、汐ちゃん」とちょっと驚いていた。
平日の、しかもこんな雨の中、わざわざ電車に乗ってやって来るとは思わないよね。
先頭に立ってお店に入った私は「こんにちは。有紀寧お姉ちゃん」と挨拶をして、傘立てに傘を置いてから座る席をどこにしようか考えた。たぶん後ろの二人はテーブル席の方が良いのだろうけど、ここに来た目的を考えると、カウンター席の方が都合が良い。気兼ねなく有紀寧お姉ちゃんとお話しできるから。
なので、カウンター席に座ることにした。
「こんにちは。こんな天気の中、よく来てくれました」
「うん。ちょっと相談したいこと、っていうか、またおまじないを教えてほしくて」
「おまじないですか。いいですよ。でもその前に、何か飲みますか?」
有紀寧お姉ちゃんは、カウンター席に座った私たちにお水を出しながらそう聞いた。喫茶店に来ておきながら何も注文しないというのも悪いと思った矢先、美樹ちゃんが「ついでにケーキ注文したら? 汐のぶんは亜矢っちが出すって言ってるし」と言った。
そういえば、謝罪として私にケーキを奢るとか言ってたなあ。じゃあ、奢ってもらうことにしようかな。手加減なしで。
「それじゃ遠慮なく」満面の笑みを向けて亜矢ちゃんにそう言い、私はアップルティーに豪華スペシャルミックスケーキ、亜矢ちゃんはダージリンティーにマロンケーキ、美樹ちゃんはミルクティーにチーズケーキを注文した。
旦那さんは用事があって外出中のため、有紀寧お姉ちゃん一人ですべてやらなければならない。慣れた様子で用意をしているけど、邪魔しちゃ悪いかなと思い、亜矢ちゃんたちと本題とはまったく関係のない雑談をしながら待った。
そうして、私たちの前に飲み物とケーキが燦然と輝きながら並ぶと、もうおまじないどころではなくなった。やっぱり、ケーキは女の子にとって凶器にも値する代物だよ。
ひとしきり私のスペシャルミックスケーキへの外観的感想が飛び交ったのち、それぞれ自分のケーキを、歓声を上げながらじっくり堪能。食べ終わったあともケーキの話題で盛り上がり、本題に入ったのは、「それで、どういったおまじないをご所望ですか?」と有紀寧お姉ちゃんに苦笑しながら言われてからだった。
「それは――」と、下駄箱でのことから始めて、どんなことがあったかを順を追って話す。ただし、私が重度のファザコンであるという噂話については割愛。
一通り話し終えると、それまで黙って耳を傾けていた有紀寧お姉ちゃんが、つまり、とこれから私が言おうとしていたことを話し始めた。
「汐ちゃんとしては、その高瀬くんっていう男の子に助けてもらった話が、変な方向に広がらないで欲しい、出来ることなら、一刻も早く風化して欲しい。
それと、嫉妬している女の子が変なことをしないようにして欲しい、出来ることなら、嫉妬そのものをどうにかして欲しい。
ということですね?」
「はい、まったくそのとおりです」
あまりにも的確だったので、さすが有紀寧お姉ちゃんと感心し、亜矢ちゃんと美樹ちゃんも、おおーと小さく歓声を上げていた。
「自分でも虫の良い話だとは思うけど、どうにかならないかなあ」
「う~ん、そうですねえ……。それにぴったり合致するもの、となると難しいですが、近いおまじないなら。ただ、あくまでもおまじないですから、あまり期待しないでくださいね?」
「うん。それは分かってる」
それと、有紀寧お姉ちゃんのおまじないが、実はおまじないの域を完全に超えているということも。
「ではまず、嫉妬している女の子の方ですが」
説明してくれたのは、相手の邪念を消し去る、というおまじない。邪念と妬みが同質かという点で自信がないようだったけど、私的には同質なので問題なし。
「まず、自分の口元に、両の人差し指と親指で三角形を作ります。そして、相手に向かって『消えろ消えろ邪念よ消えろ』と三回唱えます。相手との距離は、近くても遠くても構いません。相手の姿がちゃんと見えてさえいれば」
「それは、一人一人にしなきゃいけないの?」
だとしたら、けっこう大変だ。
「はい。基本一人一人にです」
……けっこう大変なことになってしまった。
「次に、助けてもらった話ですが、この前教えてあげたのが一番効果的なんですが、あのおまじない、下手に使うと世界が破滅してしまうかもしれないんですよね」
この前のおまじないとは、「この三流」と三回唱えるというあれ。ということは、あのとき世界が破滅しちゃってたかもしれなかったってこと?
「そ、そんな危険なおまじないだったの?」
「ある意味、ロシアンルーレット的なおまじないなんです。しかも回数を重ねる毎に、破滅する確率が上がります。といっても、所詮はおまじないですから、破滅なんてありえませんけど」
そう言ってくすっと笑っても、有紀寧お姉ちゃんに言われると、そうだねって笑って返せないよ。ていうか、変な汗が出てきたような気がするんだけど。
このおまじないは永遠に封印しておこう。世界の破滅を回避するために。
結局、別のおまじないを教えてもらった。こちらは一人一人にというものじゃなくて、ちょっとほっとした。ただ、そのおまじないの方法が見た目恥ずかしそうだったので、家に帰ってこっそり実践することにした。亜矢ちゃんたちはここでやれと言ってたけど、そんなこと出来ません。お父さんじゃあるまいし。
こうして当初の目的を果たした私は、すっきりした気分で、心おきなくここでの時間を楽しむことにした。
話題はいろいろ。でも、途中から一気に雲行きが怪しくなってしまった。その発端は、有紀寧お姉ちゃんが口にした、学校でもさんざん聞かれた素朴な疑問。
「そんな女子に人気の男の子に助けてもらって、汐ちゃんは嬉しくないの?」
特別うれしいとは思わない、という答えは学校でもしていたので問題ない。
ただ、むしろ騒ぎにならない相手だった方が良かったかな、という答えは、思いはしたけど口に出してはいない。
学校でそんなこと言ったが最後、どれだけの敵を作ることになるか。でもここは学校じゃないし、大丈夫だろうと思って言葉にした。これに対し、亜矢ちゃんも美樹ちゃんもどうせそうだろうと思っていたようで、なにも言ってこなかった。だけど有紀寧お姉ちゃんは、あらあらと苦笑して「そんなこと言っては、高瀬くんに悪いわよ? まあ、気持ちは分かりますけどね」と言ったのち、こんな言葉を続けた。
「でも、そんな男の子に何も感じないなんて、ひょっとして、好きな男の子がいるの?」
「それが、いないんだよね」
私はため息混じりに答える。そして、待ってましたとばかりに亜矢ちゃんが嬉々とした感じで言い放った。
「お父さん以外眼中にないからね、ウッシーは」
「まあ、そうなの?」
「そうじゃないよう!」
ここから、私のファザコン話が始まってしまった。亜矢ちゃんと美樹ちゃんは、私の必死の否定など意に介さず、有紀寧お姉ちゃんにあれやこれやと喋り立てる。有紀寧お姉ちゃんも、なんだか楽しそうに聞いている。
もう、好きにして……。
そして二人がひとしきり喋ったところで、ようやく場が落ち着き、それまで聞き役に徹していた有紀寧お姉ちゃんが口を開いた。
「まあでも、私が汐ちゃんだったら、やっぱり汐ちゃんみたいになっちゃうでしょうね。岡崎さん、かっこいいですから」
フォローしてくれないんだ……。
「そこなんですよねえ。重度のファザコン娘の父親があれじゃ、そりゃ戦意喪失する連中が続出するのも無理ないですよねえ」
美樹ちゃん、だから私は重度じゃないとあれほど。っていうか、戦意喪失ってなに?
むう。今ここで、美樹ちゃんと亜矢ちゃんに邪念を消すおまじないをしてしまおうか。
などと思いつつ、話は男の子の好みがどうだとか、まさにガールズトークとなり、気が付けば相当な時間が経っていた。
さすがにそろそろ帰らなくちゃいけない時間となったので、私たちは「またいらしてくださいね」という有紀寧お姉ちゃんの笑顔と、ガールズトーク中に帰ってきた旦那さんの笑顔に見送られて、『喫茶店ぎゃらんどぅ』を出た。
あ、そうだ。有紀寧お姉ちゃんの名誉の為に言っておくけど、お店の名前を考えたのは旦那さんです。先生曰く「朋也や陽平じゃあるまいし」だそうで。
そしてその帰り道。
雨はまだ降っていて、雨脚は来たときよりもやや強い。
だけどそんな雨を吹き飛ばすように、私たちは有紀寧お姉ちゃんの話題で盛り上がった。将来、ああいう大人の女性になりたい、といった感じで。ただ、亜矢ちゃんが有紀寧お姉ちゃんみたいになるのは無理というのは私も美樹ちゃんも同意見で、二人で「性格が違いすぎるから絶対無理でしょ」と全面否定していた。
そんな最中、正直タイミングが悪いんだか良いんだか分からない遭遇が起きた。
歩いていると、どこかで見たようなバンの後ろ姿が、前方の路肩に見えた。まさかね、と思いつつ近付いていくと、バンの横に書いてある文字が見て取れて、思わず立ち止まってしまった。
二人は、急に止まった私に、「どうしたの?」と足を止めた。
「え? あ、ううん。なんでもない」
私はそう答えて、再び歩き出そうとした。目の前のバンがお父さんの会社の車だとしても、この車に乗っているのがお父さんとは限らないし、わざわざ二人に説明することでもないと思ったから。
でも二人は、目を細めて「嘘は良くないよ?」と追求してきた。ま、隠し通すほどのことじゃないから、素直に白状してもいいんだけど。
そんなときだった。私たちが立ち止まったていたすぐその脇のビルから、工具箱や他にもいろいろ入った段ボール箱を抱えたお父さんが出てきた。
なんだか、ご都合主義のサスペンスものみたいな展開としか言い様がない。
お父さんは私を発見するや否や急ブレーキをかけて立ち止まり、驚いている私に、驚いた顔で言った。
「汐っ!? なにしてんだ、こんなとこで」
「あ、うん。有紀寧お姉ちゃんのお店に行ってたの。今ちょうど帰るところ」
「なるほど。そういやあいつの店、この辺りだもんな」お父さんは納得した顔でそう言うと、亜矢ちゃんと美樹ちゃんに軽く挨拶をして、バンの後ろを開けて手にしていた荷物を押し込み始めた。
とそこに、少し遅れて芳野さんがビルから出てきた。芳野さんも、私との思わぬ遭遇に少し驚いていた。
「やあ。汐ちゃん」
「芳野さん。こんにちは」
「なんだ、今日は友達を引き連れて、こんなとこまでぶらりと寄り道か?」
「今日はぶらりじゃないんです」
私の寄り道はわりと有名だったりする。ただしそれは、主にお母さんとお父さん繋がりの人たちの間で。
「それで、三人ともこれから帰るところかい?」
「はい」
「そうか。こっちも事務所に戻るところだから、途中までなら乗せていってあげられるが、どうする?」
芳野さんのこの提案に、お父さんは渋い顔していたけど、亜矢ちゃんと美樹ちゃんがいる手前、はっきりと反対するわけにもいかないようだ。私としても、二人がいる手前、はっきりと遠慮するわけにもいかない。
なので、とりあえず二人に確認を取ろうとした。でも二人とも、聞くまでもないでしょと訴えるような顔を私に向けていたので、回れ右をするように視線を芳野さんに戻した。
「いいんですか?」
「ああ。ただし先客が一人いるが、それでも構わなければ、だが」
「先客?」
私はバンの窓から車内を見る。
その先客とは、なんと一匹の犬だった。
しかも、今朝見た犬と同じ犬のような気がしてならない。毛色とか首輪とか、外見的な部分でそう思えるのだけど、でもそれ以上に、さもここにいることが当然のことのように、悠然とシートに座っている姿が、呑気に雨の中を歩いていた姿とどこか重なり、私に強くそう思わせた。
ただ、あのとき間近で見ていたわけじゃないから、あくまでも似ているとしか言い様がないし、芳野さんが「ナオジ」と呼んだこの犬が、あの時の犬と同じだと確認する術は何一つない。けど、きっとあのときの子だと思う。そう思うことにしよう。それで誰が迷惑するわけでもないのだから。
というわけで、君はあのときの子に決定です。
なお、このナオジくんは、社長さんのお知り合いの犬で、勝手に家を出てそのまま迷子になっていたらしい。もし捕獲したら、連れて帰ってきて欲しいと社長さんに頼まれていて、仕事していたところ偶然ナオジくんが通りかかりあっさり捕獲できた、とお父さんが説明してくれた。この子がナオジくんかどうかは、首輪に書いてあるナオジくんの名前と住所、その他諸々の事前情報で確認できたみたい。
そんなナオジくんは、私たち三人が乗った為に狭苦しくなってしまった後部座席で、隣に座る私にときおりわしゃわしゃされては、大きな欠伸をしていた。そして亜矢ちゃんと美樹ちゃんは、ときおり芳野さんをちらりと見ては、私に「恵まれすぎだよね」と文句を言っていた。
何が言いたいのか分からない私は、あえて二人に問い質そうとはしなかった。聞いてしまったがために、この空間で変な話題に広がるのが恐かったから。
その後、亜矢ちゃんと美樹ちゃんが降り、私も家の近くで降り、ドタバタで始まった一日もやっと落ち着きを取り戻してくれようとしていた。
家に着くと真っ先にお風呂に入り、あとはこのまま平穏に一日が終わるだけ。だけど、まるで嫌味のように最後の一幕が残っていた。というか完璧に油断してしまっていた。
自室でおまじないをしているところを、私の声を聞いて何事かと戸を開けたお父さんに目撃されてしまったのだ。しかも、悲しそうな目を私に向けたまま無言でその戸を閉められてしまった。
「お、お父さん! ちょっと待って! これお呪いなの! 有紀寧お姉ちゃんに今日教えてもらったやつで! ねえ聞いてる? お父さん!」
ああ、なんて一日だろう。
Episode「雨の日の出来事」 -了-




