春来たる? その4
お姉さんの言葉をどう受け取ればいいのか悩みどころだけど、少なくとも、陽平おじちゃんに対してわりと好印象だということは分かり、私の表情が驚きの中でちょっと緩んだ。周りを見ると、お母さんも私と同じリアクション。お父さんと杏先生は、そんな馬鹿なと顔をひくひくと引きつらせている。陽平おじちゃんは大いに驚き、興奮気味にその真意を確認しようとした。
「あ、あの、御久島さん……、それってつまり、ボクのこと、すすす、好きってこ――」
でも杏先生の無言の脳天チョップがその言葉と意識をつかのま断つ。チョップじゃなくてもいいんじゃ? そして、引きつった笑顔で先生が質問。
「むしろ大嫌いってことよね?」
杏先生、それ日本語として間違ってない? まあそれはおいといて、お姉さんは「いえ」と否定すると、言おうかどうしようかちょっとだけ迷ってから「明るい人って、けっこう好きです。それだけで幸せにしてくれそうですし、私にはないものですから」と答えた。
またもや部屋の中の時間が止まった。
これってつまり、やっぱりそういう意味? と思考を再開させたと同時に、杏先生が必死の形相でお姉さんを諭し始めた。
「ちょーっ!? ちょちょちょ、ちょっと待ちなさい! ね? い、いい? こいつが明るいことは認めるけど、救いようのない馬鹿なのよ? それにだらしないし、へたれだし、経済力ないし、セクハラおやじだし、顔も終わってるし、それからそれから……」
そこまで言わなくても。
それに、これが陽平おじちゃんへの告白と決まったわけじゃないから。
そしてお母さんも「杏ちゃん! いくらなんでも言い過ぎですよ。春原さんが可哀想ですっ」と陽平おじちゃんをフォロー。この援護射撃に、陽平おじちゃんがチョップされた頭を押さえながら「そおだそおだ!」と復活。
「なら渚! あんたは陽平のいいところを言えるの?」
「それは……! その……、明るいところと、優しいところと……、それと、え~と……」
あ、陽平おじちゃんが落ち込んだ。
「次っ! 汐ちゃん! 渚が言った以外のこと!」
えっ! 私? しかも制限あり?
「ええとね……、周りを楽しくしてくれること、かな」
「それは渚と被ってる! 次っ! 朋也っ! って聞くまでもないか」
さらに落ち込ませちゃったみたい。
「こいつに良いところなんてないからなあ」
まあそう言うとは思ってた。
「あんたらそれでも長年の友達かあっ! 少しぐらいボクを持ち上げてくれてもいいじゃないかっ!」
「と、まあ。こいつはただの脳天気バカなだけなのよ。だから今ここで、しっかり目を覚ましなさい? まだ若いんでしょ?」
「二十二です」
「に、じゅう……、ってずいぶん若いじゃない。じゃなくて、こいつは今年で三十四よ? 干支一回り違うのよ?」
「はい、知ってます」
「知ってるって……、あなた、男の人と付き合った経験ないでしょ。男を見る目がないと、あなたが不幸になるばっかりよ?」
「あの、今まで何人かお付き合いした人はいました。それと、昔から同じようなことよく言われてます。男を見る目がないからダメ男に引っ掛かるんだ、だから早急に目を養いなさいって」
……なんていうか、それって、陽平おじちゃんがダメ男だと宣告してるようにも聞こえるんだけど、気のせいだよね?
「実をいうと、今まで私がお付き合いした人って、みんなあんまりいい人じゃなかったんですよね。
別れた後もしばらく私をストーキングしてた人とか、
知らないうちに私名義で借金をした人とか、
私のお給料を競馬や競艇につぎ込んでた人とか、
私に変な格好を強要した人とか、
夜のお仕事をさせようとそういうお店に勝手に応募してた人とか、
一番ショックだったのは、高一の時の初めての彼氏で、そういう年頃だから我慢しきれなかったんでしょうけど、私が寝ている間に私のショジ――」
「っとストーップ!」
杏先生が慌ててお姉さんの口を塞いだ。
ショジ……、所持? 所持品? 何か大事なモノが盗られたってこと?
「カミングアウトはもういいから! っていうかそれ以上はアウトしすぎっ!」
お姉さんは頷き、ふうとため息をついて杏先生が塞いでいた手を放す。そんなに慌てるようなことをお姉さんが言おうとしてたのかな。う、ちょっと興味が湧いた。けど、聞いても杏先生に駄目って言われるだろうから諦めよう。
「とにかくっ、あなたがダメ男専だということはよく分かったわ。でもね、だからこそ一刻も早く足を洗わないと、本当に取り返しのつかないことになるのよ? あなたの人生ズタボロで終わっちゃうわよ?」
「それはそうでしょうけど……、だからといって春原さんがそうだとは……。それに、お付き合いを始めたわけでもないですし、交際を申し込まれてもいませんから」
じゃあ、申し込まれたらどう返事するつもりなんだろう。という興味が湧いていると、陽平おじちゃんもそう思ったようで、すかさず真剣な眼差しでお姉さんに申し込んだ。私たちがいる前でするなんて、しかもベッドの上で、右足にはギブスをつけて、寄りにも寄ってパジャマ姿で。
さすがだなあ。
「御久島さん。いや、朝子ちゃん、ボクとお付き合いして、幸せになりませんか? 君のその不幸な人生に、ボクがビロードをつけてあげるから」
「ンなモンつけんなよ」とお父さんが呆れ顔で突っ込む。
ピリオドって言いたかったのね。それにしても、陽平おじちゃんってほんとチャレンジャーだよね。好印象を持っていたとしても、だからといってそれが恋愛感情とは限らないのに。
と思ったのだけど、ところがところが。
「はい」とお姉さんが答えた。
「……え、ええええっ! マ、マジでえっ!?」とは陽平おじちゃんの叫び声。
「はい」
私も信じられない気分。お父さんと杏先生も愕然としている。この日最大の衝撃と言っても過言じゃないでしょ。
「あ、あは、あははははは……、じょ、嘘とか冗談とかじゃ、ないよね?」
「はい」
「え、え~とお……、ど、どうしようか、ボク、どうしたらいい? 岡崎」
OKしてくれるとは陽平おじちゃんも思ってなかったんだね。まあ、今までOKしてもらえた試しがないから、困った顔でお父さんに助けを求めてしまうのも仕方ないのかもしれないけど。でも、この状況で相談するならお母さんにすべきだよ。だって、今のお父さん、明らかに冷静さを欠いてるもん。ついでに杏先生も。
「ま、まずはだ! これが夢か現実か確認する必要がある! ということで杏、こいつの右足をへし折ってみてくれ! 痛ければ、夢じゃないって分かるから」
「分かったわ……。いくわよ、陽平!」
「お、おう……! って、それ痛いじゃ絶対に済まないでしょ!」
「じゃあどうやって確認しろっていうんだよ!」
「自分のほっぺたでもつねろよ! なんでボクの足を折って確認しようとすんだよ!」
「あ、そうか……」
これが素だっていうところで、どれだけパニックになっていたかがよく分かる。で、お父さんも杏先生も自分の頬をつねり、これが現実だと言うことを確認した。
「そうか、これは夢じゃないのか……。なんてこった……」
「……なんで残念そうなんだよ。てか、どうすりゃいいんだよお」
「どうもこうも、自分でコクっておいて俺に聞くな! ていうかあんた、長年こいつのアホアホ振りを見てきた俺からの忠告だ。今すぐ前言撤回しろ。さもないと――」
お父さんがお姉さんにそう言い掛けたところで、お母さんが笑顔で「私は、とても良いお話だと思いますよ」と割って入った。
「渚っ! あんたなに言い出すの! この子の人生が滅茶苦茶になっても構わないっていうの!」
「滅茶苦茶なのはあんたらでしょ!」と陽平おじちゃん。そしてお母さんは、動じることなく、当たり前のことのように言ってのけた。
「そんなことにはならないと思います。だって、春原さんはとても優しい人ですから、きっとこの人のことを大切にします」
「ぐっ……! 汐ちゃんからもお母さんに何か言ってあげてよ!」
「え~っ! えと、私も、ちょっとお姉さんが心配だけど、お母さんの意見も間違ってないとは思うし、それに、これは陽平おじちゃんとお姉さんの問題だし、今すぐ結婚するっていう話じゃないんだし……」
「ぐうっ! 陽平! あんたから直接言ってやんなさい! 俺と付き合ったら、塵すら残さず破滅させてやるぞって!」
「誰が言うかっ! ていうかボクは悪魔ですか! 半マゲ丼ですかっ!」
「まあまて、杏。汐の言うことにも一理ある」
あれ? お父さんは反対派じゃなかったの?
「朋也までっ!」
「だから落ち着けって。いいか? 汐の言うとおり、今すぐ結婚するわけじゃない。それにだ、実際に付き合えばこいつの本性がよく分かるし、そうなれば彼女は愛想を尽かして、春原はめでたくフラれて、万事解決だ」
「でも、その間にこの子が受けた傷はどうなんのよ!」
「あんたらねえ! どこまでボクを貶めれば気が済むんですかっ!」
「そうですよ二人とも。きっと彼女とうまくやっていけます」
「渚ちゃん……、渚ちゃんだけだよ、ボクの味方は~っ!」よっぽどお母さんの援護が嬉しかったようで、涙と鼻水を流しながら喜んでいる。でも、お母さんもまるっきり心配していなかったわけじゃなかったみたい。
「ただし、もしも彼女を泣かせるようなコトしたら、絶対に許しませんからね」
お父さんや杏先生、智ぴょんなら、どう許さないのかなんて考えるまでもないのだけど、お母さんがどう許さないのか、それがまったくの未知の世界なだけに、お母さんの笑顔は違った迫力を纏っていた。泣いて喜んでいた陽平おじちゃんが、ぴしりと凍り付いたほどに。
お母さん、腕を上げたね。かなり早苗さんに近付いてきたよ?
杏先生は納得しかねる様子だったけど、ひとまず何かあったらお姉さんからお母さんに連絡を入れて、内容によってはお父さんと杏先生が陽平おじちゃんを叱ったり粛正したりする、ということで納得した。
なんだか、お母さんとお父さんと杏先生が、正式にお姉さんの保護者になったような。
それはともかく、これで陽平おじちゃんとお姉さんのお付き合いが私たちの中で公認のものとなったわけだけども、果たしてこの話、この場にいない人のどれだけが信じてくれるだろうか。早苗さんと有紀寧お姉ちゃんはすぐに信じてくれるだろうけど、少なくとも智ぴょんと芽衣ちゃんは、実際にその目で確認するまでは信じてくれないと思う。
そうそう、芽衣ちゃんといえば、明日お見舞いに来ることになっている。旦那さんと、今年小学一年生になったばかりのマリアちゃんとタケルくんも連れて。そのあと私の家に寄ってくれることになってるので、とても楽しみにしていたりする。
こうして、まさに青天の霹靂と言える衝撃展開が一段落つくと、お見舞いは終了となり、その余韻がいっこうに消えないまま、私たちは病院を後にした。ちなみにお姉さん、御久島さんも一緒に部屋を出て、私たちとはバス乗り場で別れた。
そして帰り道。
「しっかし、世の中わからないもんだなあ」
「ほんとよねえ……。神様の悪戯というか、誰かの作為としか思えないわ」
誰かの作為? つい最近、私もそんな事を思ったけど。……まさか、有紀寧お姉ちゃんのおまじないが効いてないってこと? もう一回、あのおまじないをした方がいいのかな。
「にしても、あの子でホント大丈夫なのか? 随分と大人しそうだし。やっぱ春原には、手綱をしっかり握れる姉さんタイプの方がいいと思うんだけどなあ。例えば杏みたいな」
「あ、それいいかも」
と思ったのに、杏先生の体がぞわぞわって震えて、明らかに拒否反応を示した。
「そこで私の名前を使うなっ! 虫ずが全速力で走ったじゃないのっ! 汐ちゃんも肯定しないっ!」
「でも、けっこう息合ってると思うよ?」
「そういう問題じゃないのっ! くは~、全身鳥肌立ったまんまよ」
杏先生はそう言って自分の腕を見る。うわ、確かに鳥肌まみれだ。
するとお母さんが、「私は、あの二人はとてもお似合いだと思いますよ?」と言った。
「何の根拠があってそう言ってんの」
「根拠はないですけど……、なんとなく」
「なんとなくって……。そんなんでああも自信満々に言えるとは、さすが渚ね……。まあ、端から見て釣り合いがまったく取れていないようで、結局こうして釣り合っちゃった渚の言う言葉だから、無下には出来ないのかもしれないけどね。ねえ朋也?」
にやりと牽制する杏先生の視線に、お父さんが「ンなことより、お前の方はどうなんだよ」とちょっとだけ恥ずかしそうな顔をして、ぶっきらぼうに言葉を返した。
「何が」
「新しい彼氏のことに決まってるだろ。ベンチャー企業の社長やってんだっけ? そいつ」
「ああ、あのボクちゃんね。もう別れた」
え、だってまだ半年ぐらいだよね。付き合い始めて。
「またかよ……」
「だあって、たかだか小生意気な悪ガキ二人相手に、ビビリまくってんだもの。しょうがないから私が蹴り倒してやったけど」
「そんな理由で別れるなよ……、てか蹴り倒すな」
お父さんはそう言うけど、やっぱり、怯まずに守ってくれるような強い人じゃなきゃ幻滅しちゃうよ。男の人は、優しいだけじゃ駄目だからね。
「たく、いつまでもそんなことやってると、死ぬまでバツ二のままだぞ」
「大きなお世話よ」
「そうやって余裕カマすのはいいが、知らないからな。あの子と結ばれた春原に散々っぱら自慢されて、屈辱の泥沼に全身漬かり続けることになっても」
意地悪な笑みを浮かべて言ったお父さんのその言葉に、杏先生は笑顔で「あの二人が結ばれるはずないじゃん。すぐに別れるに決まってるわよ。あんただってそう言ってたじゃない」と否定はしているけど、顔色は一瞬にして真っ青になり、大量の汗が流れ出していた。
とにもかくにも、三十四年目にしてやっと陽平おじちゃんに春がやってきました。いやいや、お相手が二十二歳の可愛い人となれば、まさに桃源郷にたどり着いた気分かな? あとは、この春というか桃源郷がずっと続くかどうか。
ついでに、私の春も来てくれないかなあ……。
Episode「春来たる?」 -了-




