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春来たる? その3

 病室の前にいつまでも突っ立っているわけにもいかなかったので、背後の女の人にちょこんと頭を下げて、そそくさと病室の中に入った。そのとき、その女の人にお母さんは別段驚きはしていなかったけど、お父さんと杏先生は、幽霊でも見るような顔をしていた。

 そして、陽平おじちゃんはというと……。

 なんで「あなた誰?」っていう顔してるの? 失礼すぎるでしょ。ひょっとして、この人が部屋を間違えてるだけ? それなら全部丸く収まるけど。でも、そうはならなかった。

「怪我の具合はどうですか? 春原さん」

 やっぱりお見舞いに来た人なんだ。

 なのに陽平おじちゃんは、頬を赤くしつつ激しく緊張した様子で「え! あ、はい、もうびんびんですっ!」とよく分からない答えをして、すかさずお父さんが「てなに言い出すんだこの鬼畜ヤロォ!」と、動揺を露わにツッコミを入れた。

 杏先生も、「あんた何したの! この子に何しでかしたの! この鬼畜っ!」と陽平おじちゃんの胸倉に掴みかかると、力任せにがくがくと揺さぶりだした。

 こんな可愛い人がお見舞いに来たんで、二人がパニックになる気持ちも分かるけど、陽平おじちゃんが骨折してること、完全に忘れてるでしょ。

 この事態に、お母さんが「パパっ! 杏ちゃんも! お客様が驚いてるでしょ!」と大きな声を上げた。

 あれ? ついさっきも似たような光景が……。

 う~ん。今日は一段と密度が濃いなあ。

 お母さんの大声の効果はあったようで、お父さんも杏先生もはたと我に返り、ぴたりと動きを止めた。次いで、取り乱したことを無かったことにするかのように、何食わぬ様子で元の位置に戻り、コホンと咳を一つつく。そして、いかにも冷静な顔を装って、女の人に尋ねた。ただ一人、陽平おじちゃんだけはひくひくと呻いている。

「あー、と。あの、この鬼畜野郎とは、どんなご関係で?」とはお父さん。

「キズモノになんてされてませんよね」これは杏先生。

 思いっきり引きずってるよ。二人とも。

「あんたらボクを何だと思ってんの! 誤解されるようなこと言わないでくれる!」

 さすが陽平おじちゃん、復活早っ。

「なにって、鬼畜だろ?」

「鬼畜よね」

「誰が鬼畜だ!」

「お前以外に誰がいる」

 陽平おじちゃんのお客さんがいないのならこのまま続けてもらっても構わないけど、困惑しているお姉さんを置いてきぼりにし続けるわけにもいかない。

 というわけで、お母さんよりも一足先んじて、今度は私が声を上げた。

「いい加減にしなさいっ! いつまで続ける気なのっ!」

 するとお父さんと杏先生は、バツが悪そうに頬を指でかいたり苦笑いしたり、陽平おじちゃんまで「すんません」と頭をかく。私が言ったのは、お父さんと杏先生に対してだったんだけどなあ。ちなみにお母さんはやれやれと苦笑し、お姉さんはぽかんとしていた。

「ほら、陽平おじちゃん」私はそう言って、意識をお姉さんに向けさせる。これで話が進むでしょう。

「あ、ああ。ええと……、お見舞いに来てくれて、ありがとね。ボク、すごく嬉しいよ……。それで、さ……。て、あの、ボクの声、聞こえてます?」

「……あっ!? は、はい、すいません!」

「どうか、したの?」

「いえ、ちょっと、圧倒されちゃいまして……」

「あ、あはは。こいつら、ちょっと頭がおかしいから――ね……」

 と言うも、お父さんと杏先生の睨みに語尾がしぼんでいた。

「いえ! そういうわけでは……」

「そ、そう……。と、とにかく座りなよ」

 そう笑顔で勧めても、部屋にある椅子は二つだけ。そして一つは杏先生が、もう一つはお母さんが座っていて、どちらかに席を空けてもらうしかない。たぶん、陽平おじちゃん的には杏先生に席を立ってもらうつもりだったんだと思う。けど、席を立ったのはお母さんだった。というか、お母さんが即座に立ち上がった。

「こちらへどうぞ」

「いえ、いいですいいです!」

「そう仰らずに、どうぞ座ってください」

 私は、てっきりこのままお母さんの椅子にお姉さんが座るものだと確信していたのだけど、杏先生も席を立ち、「そうそう。遠慮しないで」と自分の椅子に半ば力ずくでお姉さんを座らせ、ならば杏ちゃんは私の椅子にと勧めるお母さんに、「それじゃ私が立った意味ないっしょ」と笑ってお母さんを座らせる。

 そしてお父さんの隣に立ち、興味津々といった表情でお姉さんを見つめた。お父さんも何か考え込んでいる様子。実を言うと、私もさっきから気になっている。この三人の考えているところは、間違いなく同じはず。

 ちなみにその内容は、すでにお父さんが口に出している。

 陽平おじちゃんと、どういう関係の人なのか?

 私もそれについて尋ねてみたいところだけど、ここは陽平おじちゃんとお姉さんの時間。割って入るには気が引けてしまい、成り行きを見守ることにした。どうやらお父さんも杏先生も余計な茶々を入れるのを控えることにした模様。

 そんな中で、なんとお母さんが何の躊躇いもなく陽平おじちゃんに質問した。

「春原さん、こちらの方は?」

「あ、え~と~……」

 やっぱり知らないらしい。

 でも、それってつまり……、陽平おじちゃんは知らなくて、お姉さんは知っていて、わざわざお見舞いにやって来て……、で、どういうこと? 何があったの?

 私は思わず頭を抱えそうになった。そしてお父さんも杏先生も、深刻な問題に直面しているような顔をしていた。

 そんな状況の中、お姉さんが陽平おじちゃんの代わりに答えた。

「御久島朝子っていいます。春原さんとは、同じ会社で働いてます」

 その答えのあと、私たち四人は激しく驚いた。

 というと語弊がある。お姉さんが答えたあと、まるで驚愕の事実を聞かされたかのように陽平おじちゃんが大声で驚き、そんな陽平おじちゃんにみんなが大声で驚いた、というのが事の内容。

 陽平おじちゃん、それはひどすぎない?

 そう思ったのはお父さんも杏先生も同じ。

「おまえ、それ最低だぞ……」

「同僚の顔を覚えていなんて、今すぐ土下座して謝んなさい」

「だ、だってさ……」

 でも、捨てる神あれば拾う神あり。お母さんが「何か事情とかあるかもしれないじゃないですか」とフォロー。

 そしてその事情を、少しだけ落ち込んでいるように見受けられるお姉さんが説明し始めた。

「あの、しかたないんです……。春原さんとは部署が違いますし、それに私、会社ではとっても地味で、目立たない存在なものですから」

「え~っ」

 っといけない、思わず声に出しちゃった。

 でも幸いなことに、声を出してしまったのは私だけじゃなかった。杏先生が「そのルックスに陽平が食い付かないはずないわよ」と反論した。これには私も同意だし、お父さんも「だよなあ」と頷いてから、「ひょっとして、春原が入院する前日に入社したとか?」と聞いた。

「いえ、入社したのは一年くらい前です。でも――」

 お姉さんはそう言うと、ショルダーバッグから黒縁の眼鏡を取り出してそれを着ける。次いで、深緑地に白の水玉模様のヘアバンドを外した。途端に艶やかなセミロングの黒髪がさらさらと流れだし、押さえられていた前髪がおでこを覆い隠し、耳の後ろに流し留めていた髪が、しっかり見えていた両の耳を完全に隠し、目尻をも隠した。

 そして仕上げに、目にかかる髪をヘアピンで申し訳程度に留めて変身終了。

 はっきりと見てとれていた顔立ちが、髪の毛と眼鏡ですっかり隠されてしまった。確かにこうすれば、地味で目立たないと言われて納得してしまう。

 女は髪型変えるだけで別人になるって聞くけど、こうまで変わるものなんだ。けっこうびっくり。お母さんも少し驚いていて、陽平おじちゃんも指を差して「あ、あ、あ~っ! 御久島さんっ!」と驚いている。

「はい……。つまり、こういうことなんです。私、会社ではいつもこうしてまして」

「な、なるほど……。春原が分からないのも頷けるな……」

「でもさ、なんで会社にいるときだけ、顔を隠すようなことしてるの?」と杏先生。

「会社だけじゃなくて、普段はいつもこうしてるんです」

「絶対さっきの方がいいよお。なんでいつもそうしないの?」とちょっと訴え気味に言ったのは私。だって、本当にもったいないんだもん。

「その、高二ぐらいから男の人に声を掛けられるようになって、それがなんだか恐くなってきて。それで、なるべく目立たないようにとこの髪型にして、眼鏡も掛けるようにして」

 なるほど。納得。

「ふうん。可愛いには可愛いなりの苦労があるものなのねえ」

「良かったな、杏。そんな苦労をする必要がなく――」

 言葉途中に、お父さんの顔面に杏先生の回し蹴りが一閃。お父さんは壁と先生の足に挟まれたまま、笑顔で尋ねられた。

「なあんか言ったあ? 朋也あ」

「な゛、な゛んも゛、言ってばぜん……」

 また余計なコト言うから。っていうか、杏先生だって可愛いよ。

「ったく。まあ、これでスッキリしたわ。つまり御久島さんは、会社の代表でお見舞いに来た、ということなのね?」杏先生はそう言いながら足を下ろし、お父さんは顔面を押さえた。

「いえ、代表というわけでは……」

「え? それじゃ……、罰ゲーム!?」

「何でそうなるンスか!」

「当ったり前でしょ。あんたのお見舞いに女の子がたった一人で来るなんて、普通に考えたら絶対に有り得ないじゃない」

「なんで有り得ないんだよっ! 本当にボクのことを心配して来てくれたのかもしれないじゃないかっ!」

 でもなあ、この前引っ越しの手伝いに来てくれた猫田さんが言ってもんなあ。男の人にはけっこう人気あるけど、女の人には総スカンだって。

 って、あれ? なんでみんな私を見てるの? それに、なんで陽平おじちゃんは「汐ちゃん……、いま言ったこと、マジ?」って私に聞いてくるの?

「私、なにか言った?」

「思いっ切り言ったでしょ! 女の人には総スカンだって!」

 しまった。知らずに口に出していたんだ。

「あ~、と……、でも、私は嫌いじゃないよ?」

「フォローになってませんっ!」

 すると杏先生が私の代わりにフォロー……、するわけないか。

「陽平、無駄な抵抗なんてしないで、現実を受け入れなさい。もう手遅れなんだから」

「手遅れ言うな!」

 とここで、お姉さんがクスッと笑った。これに杏先生が「ほら。彼女も諦めた方が身の為だって笑ってるじゃない」と言うと、お姉さんはさらりと答えた。

「あ、いえ、そうじゃないんです。春原さんの周りって、どこに行っても明るくて賑やかになるなあって。会社でもそうなんですよね。まあ、女子社員の間では、その……、そういう声も確かにありますけど……。でも、私もそういう春原さん、嫌いじゃないです。というか、むしろ……」

 ……お、お~っと~っ!

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