9話『 眠い時に考えると大抵良くない』
時計を見ると、既に20:30に近い。
ご飯を用意し始めて一時間半ほどが経っている。
夕飯を食べていないのは美穂だけ。
先程からぐうぐぅと鳴っている。
そろそろ出来上がりそうなおでんのいい匂いで空腹が刺激され、腹の虫が騒いでいるのだ。
トースターからも、焼きおにぎりのいい匂いがして来た。
これはもう、匂いの暴力と言っていい。
「あああああああ〜、お腹減ったよぉ〜〜」
ダイニングテーブルにぺたり、とずっ伏した美穂は、早く早くと急かすようにジトジトとした目を鍋に向け、トースターに向け、それから時計を見る。
チーンッ
トースターが福音を鳴らす。
「できた!」
ガバッ!と起きると待ちきれずに取り出し、テーブルに置いていたお皿を手に取った。
ウキウキとトースターに向かう。
カパッと開けた途端に香る、暴力的なまでの香ばしい味噌の匂い。
キッチンに置いてあった菜箸で取り出し、お皿に乗せていく。
ほんのりと焦げ目がつき、網を乗せていた部分には綺麗に網の焼き目が付いている。
これぞ美穂にとっての焼きおにぎりだ。
今どきレシピを調べると出てくる焼き目の無い綺麗な焼きおにぎりではなくて、少し焦げて焼き目の付いた香ばしい味噌の香りがするおにぎり。
美穂は唾液が泉のように湧き上がり始めたのを感じた。
ゴクッと美穂の喉が鳴る。
焼きおにぎりは三つ。
一つ減っても、残りは二つ。
白米もあるのだから、おでんと一緒に食べるのに不足はない。
ならば、と。
美穂は熱々の焼きおにぎりのひとつを鷲掴む。
そして、堪えきれずにかぷりと食んだ。
口いっぱいに香ばしい味噌の香りと、味噌のしょっぱい味が広がる。
食い込む歯がカリカリの表面に一瞬だけ阻害され、更に食い込むと、柔らかな内側の白米がホロホロと崩れていく。
歯が焼きたておにぎりの熱さに負け、神経がじくじくと痛んだ。
あまりにも熱くて、ハフハフと口にこもるおにぎりの熱を逃がす。
噛めば噛むほど味噌のしょっぱさと、それに相反するお米の微かな甘みが広がる。
「んぅまぁっ!!」
美味しい。とっても美味しい。
祖父母が亡くなってから久しく作っていなかった焼きおにぎりは、美味しくて、泣きそうな程に懐かしい。
最後に祖父母と共に食べた時の情景が目に浮かぶようだ。
パクパクと一度食べ始めてしまえば、もう手が止まらない。
一つ目のおにぎりは、あっという間に食べてしまった。
小さいとはいえおにぎりひとつ。炭水化物の塊である。
暴れ回っていた腹の虫は少し大人しくなったが、それでも一度食べてしまったからこそもっと寄越せと、もっと食べたいと訴える。
そろそろ鍋もいいだろうと、時計を見ながら美穂は思う。
鍋の蓋を開けると良い香りがキッチンに広がっていく。
大人しくなったはずの腹の虫がまた騒ぎ始め、煮物鉢にお玉でおでんを盛った。
味が染みて色の着いた大根と卵、じゃがいも、ぷるぷると震える糸こんにゃく。
ツヤッツヤの昆布に、ちぎれたり潰れたりしているはんぺんや練り物。
汁もたっぷりと入れて、ダイニングテーブルに敷かれた鍋敷きの上に置いた。
「ごっはん~ごっはん~」
今度はお茶碗を取り出して、炊飯器から艶々のお米を取り出し盛る。
ダイニングテーブルに並べられた本日の夕飯。
真っ白な湯気を立ち昇らせるあっつあつのおでんが入った煮物鉢。
真っ白艶々に立つお米。
香ばしい香りが立ち込めるおこげの付いた焼きおにぎり。
椅子に座って美穂は手を合わせた。
「いただきます」
味の染みたおでんをお供に白米を食べ、箸休めに焼きおにぎりを食べ、からしを付けて大根を頬張った。
(絶品)
自分で作ったものながら絶賛し、美穂は異世界初日の夕飯を終えた。
寒いはずの時期だが暖房で部屋の中はぽかぽかで、そんな中で食べたおでんでかいた汗を、シャワーで流す。
「ああああ……」
お湯をはった湯船につかると、筋肉がほぐれていき、ため息がこぼれた。
人に会わなかったからか、新しい環境だという自覚はあまりなかったが、それでもやはり緊張があったのか。それとも疲れがあったのか、次第に眠くなってきてしまった。
ぼんやりと回らなくなってきた頭で、明日以降の事を思う。
今日はあまりにも怒涛で、美穂自身もこの夢のような現実を受け入れ切れていない。
唐突に理不尽に奪われた美穂の人生。
唐突に意思を問わず与えられた第二の人生。
これからの生活を、明日の自分は、明後日の自分は、どのように思いながら過ごすのだろう。
これからの長い人生を、この複雑な感情を抱きながら生き続け、この世界の人たちと接していくのだろうか。
隠す道を選んだ、使徒という立場。
無事に隠し通せるだろうか。
ぐるぐると思考が回る。考えながら瞼が重くなってきた。
「……ああもうっ、ダメダメっ!」
髪を上げるため、巻いていたタオルを乱暴に外す。
勢いよく立ち上がると、バシャアッ、とお湯が周囲に跳ねた。
立ち直りが早いのは、美穂の美点だ。
同時に、くよくよと考えてしまうのも美穂の性格だった。
(やっぱり一人でいるとだめだ。うちのもふもふたちに癒されよう)
さっさと風呂からあがり、キッチンでコップに水を注ぐ。
茶の間に向かうと、そこにはもう誰もいない。
(もう寝室に行ったのかなぁ)
モフモフたちは、早寝早起きの農家だった美穂よりも、更に早寝早起きだ。
布団は彼らに占有されていて、美穂はあとから彼らの体温で温まったお布団の中に入れさせてもらうのだ。
ぽかぽかに温まっていて最高に気持ちいいのである。
歯磨きをして、寝室に向かった美穂は和室となっている寝室の襖を開き……
──目を丸くした。
美穂の部屋は和室という名の通り畳部屋である。
当然ベッドはなく、あるのは布団だけ。
元の世界にいた時も、大型犬の大福丸たちは布団に入り切っていなかったが、更に巨体となった三人は、ものの見事に体のほとんどが布団からあふれていた。
自由気ままな家の王様である猫たちは、布団の中で丸くなっているらしい。
当然の結果だよなぁと、美穂は苦笑いを浮かべる。
しかし、元々秋田犬も寒い冬国生まれの犬種。皇狼もこの国より更に北にある山脈に生息する種族だ。
寝具からあふれていても寒くはないらしい。
むしろ自前の被毛があるからか、毛布に入ると暑いようだ。
はみ出る部分が寒いだろうと、毛布を大きくしたことがあったが、朝になったら布団の外で秋田犬団子になっている時があった。
毛布と掛布団をめくる。
一気に冷気が広がったからか、寝ぼけた猫たちから抗議の声が上がる。
「ごめんごめん」
その愛らしい姿に思わず笑みがこぼれた。
笑い声を噛み殺しながら布団へと潜り込む。
彼らが温めてくれた布団の中は、ぬくぬくだ。
心地よい温もりと、露出する肌にあたるふわふわの被毛。
ぐるぐるとめぐっていた心配や不安は心地よさの前に溶けていく。
明日以降の事は、明日以降の自分に任せよう、と美穂は心地よさと眠気に身を任せた。




