22話『本の迷宮喫茶のお野菜』
──本の迷宮喫茶
たくさんの本が一日、たったの10リーン。
子供のお小遣いにも満たない金額で読むことができる。
皇狼と紅大山猫という強烈な存在による宣伝効果で、店の存在自体は広く知られている。
しかし、ランクオーバーであり大地の王者と呼ばれる皇狼と、森の暗殺者と言われる紅大山猫の存在におびえ、しり込みする人が多い店でもあった。
ここを訪れるのは、よほどの本好きか、度胸のある人だ。
傭兵業を営む人馬族のルルエは、それなりに強い。
何より、古い友人がこの店に通い詰める常連だったから、彼らに危険が全くないことを知っていた。
(持っているものを有効活用するために店を開いた、だなんてそんな人もいるのねぇ)
初めて聞いたときは驚いたものだ。
──溜まりに溜まった本の置き場が家になかったから。
──自給自足していた野菜が余り気味だったから。
──使っていない建物が店に使えるから。
店を構えた理由はそれだけ。
店は開きたいから開くものだ。
開けるし、開いちゃおう、なんて軽いノリで始めるものではない。
(ない、はずよね……)
ちょっと自信がなくなりながら、木漏れ日や鳥の囀りが心地いい小道を歩く。
見えてきたのは、木造の極々一般的な二階建ての建物だ。
──本の迷宮喫茶へようこそ。
シンプルな看板がルルエを出迎えてくれた。
「open」と書かれたおしゃれなプレートが下がる扉を押す。
穏やかな音楽が聞こえてきた。
入口の正面にあるカウンターに、聞いていた若い女性店主の姿はなかった。
今日は皇狼や紅大山猫もいないのだろうか。
見える場所に恐れられる彼らの姿はない。
「あ、今日は店主さん、お休みなのね」
正面のカウンターにタブレット端末が置かれていた。
『いらっしゃいませ。本日は休日につき、店主は不在となります。ごゆっくりお過ごしください。』
画面にはそんな文字が表示されている。
「えっと……確か、無人販売機で魔法鍵を買って……」
人から聞いていた店の説明を思い出しながら、入ってすぐの場所に置かれているタブレットの案内に目を通した。
「野菜の、販売……」
ルルエは本が好きだ。
しかし、それ以上に好きなものがあった。
カウンターの隣に、壁の凹みにはまるように設置された無人販売機。
さらにその隣に、ガラス扉の大きな冷蔵庫が設置されていた。
その中にたくさん置かれているものを見て、ふらふらと引き寄せられるように冷蔵庫の前に行く。
(すごい……全部採れたて……きっと、今日の朝に収穫した野菜だわ)
瑞々しく、ぴんと張った葉っぱ。
人参の鮮やかな橙色。
傷一つなく、艶やかに光る丸々とした実。
野菜の香りまで冷蔵庫の外へ漂ってきそうだった。
野菜好きなら分かる。
いや、野菜を知っている者なら、一目で理解できる。
──これは、間違いなく美味しい野菜だ。
ゴクリ、と喉が鳴った。
ルルエは、野菜が大好きな人馬族だ。
その中でも、特筆した野菜好きである。
根菜も葉物野菜も、豆類も果菜類も、野菜と呼ばれるものなら、全部好きだ。
無意識に手を伸ばし、ぱっと表示された文字に、はっとした。
『お野菜は完全前払い制となります。恐れ入りますが、先に魔法鍵をご購入ください』
「あ……」
手を引っ込めると、液晶になっているらしいガラスに浮かんだ文字が消えた。
(た、大変……っ!泥棒になっちゃうところだったわ……っ)
危ない危ない。
正気に返ったルルエは、慌てて無人販売機へと向かった。
大きく見やすい画面の『商品購入の魔法鍵』を選択する。
ポイン……──
柔らかなタッチ音が鳴る。
「軽食」「お飲み物」「お野菜・果物」「雑貨」の中からルルエは「お野菜・果物」を選び、表示された豊富な野菜に瞳を輝かせた。
「た……たくさんある……っ!人参、リンゴ……!じゃがいも、キャベツ、トマトまで……!あっ、温野菜もあるんだ……!」
あれもこれも買い物かごへと入れたくなるが、ぐっとこらえる。
「まずは、そう、人参とリンゴ……ううん、人参だけから」
果物やほかの野菜は美味しかったら買おう。
人参を選んで「買い物かごへ入れる」を押す。
右下の購入を選んで、支払いを済ませる。
画面に触れるたび、ポイン、ポインと柔らかなタッチ音が鳴った。
「──魔法鍵を刻ませていただきます。手を刻印板へと当ててください」
そっと白く光った刻印板に手を当てる。
ふわっと魔力刻印が刻まれた。
期待と不安が胸に満ちる。
ルルエは冷蔵庫前に戻り、人参が入った冷蔵庫へと手を伸ばした。
今度は警告文は出なかった。
きれいに泥が落とされた人参。
しかし、葉っぱはそのままだ。
(店主さん分かってるっ!!)
そうそう、この葉っぱも美味しいのだ。
それがわかっていない店の、なんて多いこと。
大きな人参は見た以上に重く、ずっしりとしている。
我慢できずに、ついそのままかじりつこうとして……
(はっ、お行儀が悪いわ……っ)
寸前で思いとどまり、店の中をきょろきょろと見渡す。
近くにテーブルがあり、いそいそと向かう。
座る習慣がないため、椅子には座らないが、テーブルの前で食べるのは最低限のマナーだろう。
それでは……
──いざ、実食!!
「いただきます!」
がぶっと人参に歯を立てた。
ぱきりと、割れるような歯ごたえがある人参。
もぐもぐもぐもぐとしながら、ルルエの目がきらきらと輝きだした。
「あ、あまい……っ!」
(何これ何これ何これ!)
こんな甘い人参なんて、食べたことがない。
「おいしい……っ!」
ルルエが運送組合に所属しているのは、野菜好きが高じた結果だ。
馬車を牽く御者であり、そして荷物や乗客を守る傭兵として、全国津々浦々を回っている。
行く先先でいろんな野菜を食べ、美味しい野菜を知って舌が肥えたルルエは、野菜の味にうるさい人馬族の中でも、さらにうるさい。
そんなルルエでも、これほどに甘く、味が濃い人参は初めて食べた。
それなりに大きかった人参は、あっという間に食べ終えてしまった。
体の大きな人馬族にとって、あんな量はおやつでしかない。
たっぷりの野菜が置かれた冷蔵庫を見て……ルルエの目が、ぎらんっ!と、光った。
次の朝。
「──あ、昨日のお野菜や果物は全部売り切れたみたいね」
店へとやってきた美穂が見たのは、きれいに空になっている冷蔵庫だった。




