17話『あたたかい手』
少しの雑談のあと、神は「また来る」と言って帰っていった。
それを見送り、美穂は店の準備をすべく、重い腰を上げた。
「ねえー、お店の方に行ってくるけど、みんなはどうする?」
「俺も行く」
「私も行くわ」
大福丸とおはぎは来てくれるようだ。
ほかの三人はこのまま寝るらしい。
おやすみなさーい。
と、いうわけで。
一年ぶりにやってきたお店。
(あー、塵とかどれくらい積もってるかなー)
できればこのまま開けたくない。
しかし、やると決めたのだから、覚悟を決めて扉に手をかける。
美穂がゆっくりと扉を開けると……案の定。
「うっわ……」
窓から降り注ぐ太陽の光に照らされる床は、塵が積もっている。
積もりすぎて少し白い。こんなに塵が積もった状態は初めて見た。
きっと、元の世界だったらマスクをして、汗だくになりながら部屋を掃除する地獄の時間が待っていることだろう。
(異世界バンザーイ!)
しかし、ここには魔法がある。
この塵を一瞬で綺麗にする、魔法のような道具、ではなく文字通りの魔法。
みんなの憧れ。ファンタジーの象徴のひとつだ。
美穂の右手に魔法陣が浮かぶ。
真っ白な光を放つ魔法陣が、放り投げるような美穂の手の動きに合わせ、ふわっと宙を舞う。
床に一気に魔法陣が広がり、眩い光を放った。
薄っすらと赤味を帯びた炎が床を舐め、壁を登って、階段を伝い二階へと伸びていく。
瞬く間に広がった炎は、次の瞬間、弾けるように消えた。
「掃除かーんりょー」
魔法さん、愛してます。
(便利屋としてだけど)
「それで、どんなお店にするの?」
「特に決めてないんだよねぇ」
座りながら、ゆったりと尻尾を降っていたおはぎに聞かれるが、美穂の中では何も決まってない。
何せ店の存在自体を忘れていたのだから、「どんな店にするか」というコンセプトを考えたことすらなかった。
「う〜ん、どうしよう」
店の中に入り、明かりをつけながら、美穂はちょっと考える。
(んー、最初に来た時は雑貨屋みたいなイメージをしてたけど、仕入れとか面倒臭いし)
さすがに異能で仕入れたヤツをそのまま出すのは、ちょっと躊躇いがある。
かといって仕入れに出かけるのも面倒臭いし、原価や費用、利益の計算だって面倒臭い。
個人農家だった美穂は、分野こそ違うが、商売の基礎知識はある。
だからこそ、その面倒くささや大変さを知っている。
換気のために窓を開けると、爽やかな風が店を吹き抜けた。
(できれば原価が0なやつとか……あ)
美穂はふと、豊作過ぎて色々余り気味の野菜を思い出した。
美穂の食べる量に合わせて取ってきて貰っている肉や魚とは違い、野菜は余り気味。
収納機能に溜まり、そろそろ収穫量を調整しないとなー、と思い始めていたところだ。
丁度いいかもしれない。
ちらっと黄金色の蜂蜜も脳裏に浮かぶ。
(うん、あっちはやめとこう)
さすがに……小指一本分で屋敷が建つ蜂蜜を出す勇気は無い。
「そっか……それなら、あの部屋に置いてるのもちょうどいいかな」
この一年で、ひとつの部屋を潰すほど溜まりに溜まった本。
それも商品としてちょうどいいかもしれない。
しかも、この一年で読み漁ったこの世界の膨大な書物は、何も本だけではないのだ。
新聞や、国、民間が発行した情報誌もある。
溜まっていく一方のそれらを店に置けば、書庫と言う名の物置と化していた部屋は、随分とすっきりするだろう。
美穂の頭の中には、店のイメージが急速に組み上げられていった。
◇
店のコンセプトが決まった美穂は、家にある本を魔本に収納するため一度家へと戻り、一階にある一室へと向かった。
「──さて、やりますか」
そう言いながら、腕の袖を捲る。
……ただの雰囲気だけど。
「大ちゃん、おはぎ、お手伝いお願いしま〜す」
「任せておけ」
「頑張って終わらせましょうね」
人の姿になった二人もまた、美穂を見習って腕の袖を捲る。
……あんまり意味は無いけど。
美穂たちの目の前には、大量の本の山。
山とはいっても、乱雑に積み上げているのではなく、きちんと本棚に入っている。
ただ、段々と本を入れるスペースが無くなって、奥へ奥へ本棚を押し込めているため、かなり窮屈になっている。
美穂は、先ほど店の掃除に使った魔法を、この部屋にも放つ。
メラメラと燃える炎が本の表面を這っていく。
(ちょっとドキドキする)
燃えないと分かっていてもハラハラする。
それでも、これで本一冊一冊の掃除をせずに済む。
ぱっと魔法が散ると、少し埃っぽかった部屋の空気が爽やかになった。
しかし、時間がかかるのはここからだ。
(午前中に終わるかな〜)
終わるといいなぁ。
魔本に本を収納するだけなら、棚ごと入れてあちらで棚ごと出せば済む。
面倒臭がり屋だが、いや……面倒臭がり屋だからこそ、美穂はジャンル別に整頓して本を並べている。
(読もうとした時に、本探しから始まるの面倒臭いし)
だから、そのまま持ってって、そのまま置けるのだ。
(でも、それだと防犯面で怖いし)
美穂は本を一つ手に取った。
本に、二つの魔法陣が浮かぶ。
そしてそれは、まるで本の中に吸い込まれていくように、ゆっくりと消えていった。
(うん、ちゃんと盗難防止も、汚れ防止もかかってる)
魔法陣が消えた本を見て、美穂は満足気に頷いた。
美穂たちがしようとしている作業で時間がかかるのは、本を収納して移動させることではない。
この大量の本、その一つ一つに魔法をかけていくことだ。
美穂はひとつ一つ、本を取って魔法をかけては、本棚へと戻していく。
同じ部屋の中で、大福丸とおはぎも同じことをしていた。
こんな面倒な作業を一緒にやる、と言ってくれた二人には感謝しかない。
本を手に取っては魔法をかけ、そしてまた戻す。
誰もが知っているような童話、長く様々な人に愛されている小説、女性に人気の恋愛小説、若い世代に人気の冒険小説、自伝、エッセイ、歴史書、専門書。
この世界の常識の勉強も兼ねて読んでいた本は、多種多様だ。
(たった一年でよくこれだけ読んだわよねー)
この一年の毎日を思い出してみると、畑仕事以外はずっと家にひきこもっていた。
ご飯を作るか、本を読むか、手慰みに編み物をしたり。
(半分くらいは……本かな)
つまり、単純に時間でいえば半年だ。
それだけあれば、これくらいは読めるだろうか。
「──あ〜、やっと終わったぁ」
「お疲れ様」
「おはぎもお疲れ様〜」
本の引っ越し作業は、やはりというか休憩を挟みながら2時間もかかった。
何せ、美穂が読んだ本はあの部屋にあるだけではない。
それなりに多読家な美穂は、部屋に入り切らなかった本を異能の収納にも入れていたのだ。
追加で本棚を出し、床に積み上げた本を三人で手分けして魔法をかけ、本棚に入れていく。
それで2時間だ。立ったりしゃがんだり、背伸びしたりしてへろへろだ。
しかし、それでも腰が痛くならないのは農家だからだろうか。
「ふたりとも手伝ってくれてありがとう」
一階でカウンター席に座り、カウンターテーブルに懐く。
そんな美穂の頭を大福丸がヨシヨシと撫でた。
「どういたしまして」
えへへっ、と美穂は笑う。
この一年で、美穂たちの関係も少し変わった。
大切な家族なのは変わらない。大好きな家族なのも変わらない。
ただ、美穂は大福丸やおはぎに抱きつき、顔を擦り付けることはしても、頭を撫でることはなくなった。
代わりに、大福丸とおはぎが、美穂の頭を撫でるようになった。
人の姿をしていても、その本質も、感覚も犬の時と変わらない。
しかし彼らは、それを「人が褒める時にすること」と分かっていた。
美穂が幼い頃、彼女の祖父母はそうしていたから。
そして、その手で撫でられることがどれほど嬉しくて幸せか、彼自身も知っている。
優しく大きく温かな手が美穂の頭を撫でる。
白く、若く張りがある手だ。
美穂の記憶にある手は、どれも長年の農作業で日焼けし、しわくちゃだった。
手の大きさだって大福丸の方がずっと大きい。
でも、それでも……
美穂は目を閉じる。
ゆっくりと優しく撫でる手は……泣きたくなるほど。
──温かく、懐かしかった。




