15話『気づけば1年』
季節は廻り、美穂たちが異世界へとやってきて一年が経っていた。
異世界での美穂の朝は日本に居た時と同じように、太陽が顔を出し始めたころから始まる。
農家の朝は早いのだ。
水を飲んで顔を洗うと、美穂は外へと出た。
「んー、今日もいい天気~」
雲一つない青い空。
お天道様が、植物を元気にする温かな光を地上へと届けている。
「日の光を浴びると、私も元気になる気がするんだよね~」
ゆったりとした足取りで、畑に向かう。
一年前は半分ほどにしか使用していなかった広大な畑。
植えられていたのも野菜だけだった。
しかし、今の畑は大地の精霊たちの協力によってフル稼働している。
その大半を埋め尽くしているのは……
家の裏手に向かうと、フワッと漂う花の甘い香り。
開けた視界に飛び込んでくるのは、色とりどりの花の群れ。
──この世界特有の植物たちだ。
薬草、薬花、魔草。
かつて、無秩序に草が生えまくっていた畑、野菜が植えられていた畑は……
──美しい花畑へ変貌している。
「相変わらず壮観」
美穂は魔力を練り上げる。
全身に巡らせると、魔法を発動させた。
美穂の周りに水が浮かぶ。
それらは集められ、やがて大きな水の球となった。
透明な水に色をつけ染め上げるように、ムラなく丁寧に魔力を染み込ませていく。
「雨雨、ふれふ~れ、かあさ~んが~」
頭の中に浮かんだ童話を口ずさみ、畑に水を撒いていく。
まるで、しとしとと優しく降る雨のように。
(歌いながら魔法を使えるようになるなんて成長したなぁ)
最初から魔力の制御ができる状態にしてもらったとはいえ、何かをしながら発動するのは難しかった。
(何事も継続が力なりーってね)
「みほ~」
機嫌よく魔力水を撒く美穂の足元から、可愛らしい声が聞こえた。
薬草の間から、ピョコッと猫サイズのモグラが顔を出す。
「トントンおはよう。今日もみんなは元気かしら」
美穂が言う『みんな』というのは、畑に植えられている植物たちのことだ。
「とっても元気だよ。みんな美穂の魔力が美味しいって喜んでるよ~」
「いつも畑のお世話をありがとう。今日もお願いね」
大地の妖精である彼らのお陰で、これだけ広大な畑なのに管理がとても楽だ。
何せ面倒な雑草だって彼らが処理してくれて、見極めるのが難しい畑の状態も教えてくれるのだから。
トントンと別れ、更に水を撒きながら歩いていると、ブーンブーンと音が聞こえてきた。
やってきたのは、巨大な蜂。
ピンクゴールドの針を持つ、人の頭ほどはある蜂だ。
先頭の一匹が、美穂にぺこりと頭を下げた。
「おはよう、朝からお疲れ様。今日もパトロールをお願いね」
短い毛の生えた頭を美穂がそっと撫でると、返事をするように蜂は右手を上げた。
初めて見た時は悲鳴をあげて逃げるという失礼な態度を取ってしまったが、理性的な彼らとの関係はとても良好だ。
(ここまで大きいと、逆に可愛いって思えるんだから不思議)
ばいばーい、と手を振って蜜を集める彼らと別れ、広大な畑の奥へ奥へと進んでいく。
数本の木が遠目に見えた。
その間に、木の背丈と大して変わらないような、巨大な巣が出来ている。
森林桃色大蜜蜂の住処である巣には、働き蜂たちが忙しなく出入りしていた。
彼らと彼らの巣にぶっかけないように、周囲の柿の木と梅の木に水を撒く。
「あ、モモちゃん」
働き蜂たちとは毛色の違う森林桃色大蜜蜂が巣から出てきた。
頭に王冠をのせ、お尻の辺りにあるふわふわの毛が可愛らしい桃色をしている、グルメな女王蜂様である。
彼女は美穂の目の前でホバリングしながら、ふりふりとお尻を振り始めた。
「きゃあああっ、モモちゃん可愛い!」
ぱちぱちと手を叩いても美穂はテンションが爆上がりだ。
「喜びの舞」と呼ばれる彼女のお尻をふる動きが、激しさを増す。
「ももちゃ~ん」
ダンスを終えた女王蜂に手を伸ばすと、彼女はちょこんと美穂の手の上に座った。
お尻のもふもふふわふわの毛を撫でる。
この桃色の毛は触り心地が良くて、美穂はついついうっとりしてしまう。
ブーンと、ひときわ大きな音が聞こえた。
働き蜂より大きなモモよりも、さらに大きく真っ黒な森林桃色大蜜蜂が巣から出てきた。
円らな瞳で可愛らしい女王蜂様と比べ、目つきが悪い。めっちゃ厳つい。
その頭には、王冠があった。
モモのティアラのように可愛らしい王冠と違って、超ゴッツい。
モモの夫だ。働き蜂たちは全員がモモと彼の子供である。
彼は手に抱えていた黄金色の大きな球体を、美穂に差し出した。
「今日も蜂蜜をありがとう。美味しくいただくわね」
美穂は一年経った今でもモモに気に入られている。
だから、魔本の収納機能の中身はとんでもないことになっていた。
それでも、彼らは相変わらず近所のおばちゃんと化し、ぐいぐいと渡してくる。
美穂は森林桃色大蜜蜂たちと別れ、今度は野菜を植えている畑へとやって来た。
今の季節は春。
しかし、そこには春野菜、夏野菜、秋野菜、冬野菜が区別なく植えられていた。
使徒の魔力が染み込み、大地の妖精が手を入れる畑は、季節感を無視して色んな野菜が育つのだ。
だから、年中食べたい野菜が季節を問わずに食べられる。
(今日は何を食べようかな~)
「美穂」
「ん?」
美穂を呼ぶ男の声が聞こえた。
振り返ると、そこには背の高い男がいた。
黒と白が混ざった髪色に褐色の瞳。
冷たそうな印象を抱く整った顔立ち。
切れ長の目と無表情が、余計にその印象を際立たせている。
しかし……
ふっとその表情が柔らかく笑んだ。
「大ちゃん、おはよう」
190を超える長身の大福丸は、美穂と同い年。
外見年齢も美穂と同じくらいに見える。
おじいちゃん犬だった面影は、微塵も感じさせない。
それでも、褐色の目が優しく美穂を見つめる雰囲気は、孫を見る爺馬鹿だ。
「今日は何を捕って来たの?」
「美味い鹿が居たからそれを捕って来た」
「鹿!」
美穂がパッと顔を輝かせると、大福丸はますます目を細める。
外見は若いのに、好々爺という印象が増した。
「毛皮はいつも通り蔵に置いておいたぞ」
「ありがとう!」
この一年、美穂は家のあるこの森に引きこもり、異世界人との交流はない。
(野菜や果物は採れるし、お肉は大ちゃんたちが獲って来てくれるし)
食料はすべて自給自足し、自作できない道具は魔本で手に入れられるからだ。
「今日は揚げ物にしようかな~」
(猟友会のおじいちゃんたちがお裾分けしてくれてた熊とか猪も美味しかったけど)
使徒の豊穣効果で、非常に豊かな森の恵みを食べた動物たちは、よく肥え太り、油がのっている。
「春になって小鹿がかなり増えたようだぞ」
「そうなの?」
大福丸いわく、この森は元々鹿が多いらしい。
「かわいかった?」
「……美穂から見たらかわいいのではないか?」
大福丸が困ったような表情を浮かべる。
彼らにとって、鹿は捕食する相手でしかないらしい。
美穂が鹿を見て「かわいい~」と言うと、いつも微妙そうな顔をする。
「あとで連れてってやる」
「お願いしまーす」
美穂は過保護な大福丸によって、森の中に一人で行くことを禁止されている。
だから、一人で結界の外に出ることはない。
一年が経ち、美穂は様々な魔法が使えるようになった。
それでも、だからといって戦えるとは限らないのだ。
魔法が使えるだけで戦えるのなら、この世に戦闘訓練という言葉は存在していないだろう。
特に、この世界は普通の動物とは違い、魔力を持つ生き物が居る。
ただの熊や猪と遭遇しただけでも、時に命を落とすのだ。
魔物なんてもっと危ない。
「美穂」
「あ、おはぎ」
グラマスな体つきをした175近くの長身黒髪美女が、おっとりとした笑みを浮かべて歩いてきた。
美穂より少し下くらいのぴっちぴちの美女、おはぎは秋田犬だった時からおっとりした性格だった。
しかし、話せるようになって気がついた。
彼女はちょっぴり天然だ。
「はい今日の卵」
「ありがとう~」
おはぎから受け取った抱えるほどの籠には、拳大のでっかい卵が詰まっていた。
実はこれ、大型犬サイズのでっかい鶏みたいな魔鳥"駝鳥鶏"の卵だ。
駝鳥鶏は美穂が張っている結界のさらに外、大福丸が張っている結界の中に居る。
パトロール中に大福丸たちが群れを見つけ、「肉食獣に怯えることのない安全と引き換えに無精卵を差し出す」という交渉の末に連れてきた存在だった。
美穂の結界の外だったため感知できず、卵を渡されたことで初めて知った。
「きな吉たちは?」
森のパトロールを終えたあと、もふもふ軍団はそれぞれ人の姿になって美穂の手伝いをしてくれる。
お肉は大福丸、卵はおはぎ、と役割は大体決まっているようだ。
「きな吉はまだ森の中で遊んでいるな。蘭と椿は……」
「お腹いっぱいになって、眠くなったーって家に戻ってったわよ」
……訂正しよう。
手伝ってくれるのは大福丸とおはぎだけだ。
秋田犬だったころはシニア犬だったきな吉は、皇狼となったことで、人間でいうと12、3歳くらいの幼体になった。
肉体に引きずられ、感情に素直なため、子犬の頃に戻ったようなヤンチャっぷりである。
遊びに夢中になって一日森から戻ってこず、迎えに行った大福丸が引きずって連れ帰ってきたこともあった。
黒猫の兄妹だった蘭と椿は、種族が変わってもやはり猫。
自由気ままののんびり屋は、お手伝いなんてまずしない。




