第9話 観光府中競馬場
六月上旬。
昼休みのアニメ研究部部室。
部員達がそれぞれスマホを眺めたり雑談したりしている中、一人の男子が勢いよく部室の扉を開けた。
飯島翔太だった。
「お前ら!」
「今度の日曜空いてるか!」
突然の大声に部員達が振り返る。
「なんだよ急に」
「また変な企画か?」
翔太はニヤリと笑いながらスマホを掲げた。
「府中競馬場行こうぜ!」
一瞬。
部室が静まる。
そして。
「競馬?」
「なんで急に?」
「ギャンブルじゃん」
様々な反応が飛び交う。
翔太は得意げに説明を始めた。
「違う違う!」
「今度G1あるんだよ!」
「日本ダービー!」
すると競馬好きの部員が食いついた。
「マジか!」
「それめちゃくちゃ人入るやつじゃん!」
別の部員も反応する。
「ウマ娘で聞いたことある」
「なんか一番有名なレースだよな?」
「そうそう!」
翔太は満足そうに頷く。
その様子を見ながら義弘は首を傾げた。
「競馬場ってそんな面白いのか?」
すると翔太が待ってましたと言わんばかりに言う。
「お前、競馬場をただのギャンブル施設だと思ってるだろ」
「まあ……」
「実は違う」
翔太は指を一本立てる。
「グルメがある」
二本目。
「イベントがある」
三本目。
「馬が近くで見られる」
四本目。
「そしてG1の雰囲気がヤバい」
将雅が笑う。
「最後だけ説明になってなくね?」
部室に笑いが起きる。
それでも翔太は真面目な顔で言った。
「いや、本当にすごいぞ」
「GⅠの日は特に別格なんだ」
「お前らにも一回見せたかった」
その言葉に義弘は少し興味を持った。
競馬そのものよりも、
大勢の人が集まるイベント。
そして観光施設としての競馬場。
観光学科の学生としては気になる。
「まあ、一回くらいなら行ってみるか」
義弘がそう言うと、
将雅も肩をすくめた。
「俺も付き合う」
「どうせ日曜暇だし」
それをきっかけに次々と参加者が名乗り出す。
「俺も」
「行く行く」
「掛けてみたい!」
「馬見たい」
翔太は満足そうに頷いた。
「よし決まり!」
「日曜、府中駅集合な!」
こうしてアニメ研究部一行は、
人生初のG1観戦へ向かうことになった。
GⅠ当日。
朝早くから府中駅に集合した四人は、 東京競馬場へ向かっていた。
初めて来る義弘は圧倒される。
巨大なスタンド。
「コミケの一般入場列みたいだ」
将雅が苦笑する。
「比較対象がおかしいだろ」
一樹も頷く。
「競馬ってもっと年齢層高いと思ってた」
実際には若者も多い。
家族連れもいる。
カップルの姿も見える。
義弘が抱いていたイメージとはかなり違っていた。
そして入場ゲートを抜ける。
その瞬間。 三人は思わず足を止めた。
「え?」
「うわ……」
「マジか」
目の前に広がっていたのは、 競馬場というより大型商業施設だった。
吹き抜けの広いエントランス。
磨き上げられた床。
高級ホテルのロビーを思わせる内装。
大きなガラス窓から差し込む光。
競馬場特有の薄暗い施設を想像していた三人は完全に面食らう。
義弘が呟く。
「俺、競馬場ってもっとこう……」
「昭和感ある場所だと思ってた」
一樹も頷く。
「新聞持ったおじさんが並んでるイメージ」
将雅は天井を見上げながら言う。
「なんか高級ホテルみたいだな」
「大学より綺麗じゃね?」
「それは間違いない」
義弘も即答した。
そんな三人を見て。
翔太だけが満足そうに笑う。
「だから言っただろ」
「東京競馬場はすごいんだよ」
「競馬知らなくても楽しめる」
その口調はまるで地元を案内する観光ガイドだった。
義弘は周囲を見渡しながら思う。
(これ、本当に競馬場なのか……?)
まだ馬すら見ていない。 だが。 来てよかった。 そう思えるだけの迫力が既にあった。
「とりあえずスタンド行くぞ」
翔太に案内されながらエスカレーターを上がる。
そして。
観客席へ出た瞬間だった。
「うおっ……」
義弘の口から思わず声が漏れる。
目の前には巨大な芝コースが広がっていた。
鮮やかな緑。
どこまでも続いているように見える直線。
中央には整備された内馬場。
そして向こう側には巨大な電光掲示板。
テレビで見たことはある。
だが。
実際に見るとスケールが全く違う。
「デカすぎだろ……」
一樹も呆然としていた。
「野球場より広くないか?」
「広いぞ」
翔太が即答する。
「東京競馬場は日本最大級だからな」
将雅は観客席の最上段付近を見上げた。
「ていうか席多すぎだろ」
「ライブ会場かよ」
実際、GⅠ当日ということもあり、
観客席には既に多くの人が集まっていた。
レース開始前にも関わらず熱気がある。
それだけで特別な日なのだと分かる。
「なんかさ」
義弘が呟く。
「スポーツ観戦って感じだな」
「競馬ってもっとギャンブル寄りのイメージだった」
翔太は笑った。
「まあ賭ける人も多いけどな」
「でも現地で見るとレースそのものが面白いんだよ」
その時。
場内アナウンスが流れる。
『まもなく第一レースの発走です』
観客席の空気が変わった。
新聞を開く人。
スマホを見る人。
コースへ視線を向ける人。
義弘達も自然と前を向く。
初めて見る本物のレースが、
今まさに始まろうとしていた。
「おっ、出てきたぞ」
翔太がコースを指差す。
ゲートへ向かう競走馬達。
そして発走地点の近くでは係員が最終確認を行っていた。
やがて全馬がゲートへ収まる。
静寂。
数万人がいるはずなのに、
一瞬だけ空気が張り詰めた。
次の瞬間。
ゲートが開いた。
ドンッ――
地面を蹴る音。
十数頭の馬が一斉に飛び出した。
「おおっ!」
義弘達は思わず身を乗り出す。
三歳未勝利戦。
ダートコース。
茶色い砂を巻き上げながら馬達が駆けていく。
テレビで見るのとは全く違う。
地響き。
迫力。
スピード。
全てが想像以上だった。
「速ぇ!」
「思ったより速い!」
「すげぇな!」
一樹も将雅も興奮している。
最終コーナーを回り、
馬群がこちらへ向かってくる。
その瞬間。
義弘の脳裏に浮かんだのは、
いつもプレイしているゲームだった。
ウマ娘。
育成中に何度も見たレース画面。
何度も聞いた実況。
何度も見た直線勝負。
だが。
目の前で本物の競走馬が走る姿は、
ゲームとは比べ物にならない迫力があった。
「これが元ネタか……」
義弘が呟く。
将雅も頷く。
「なんか分かる気がする」
「ハマる人がいる理由」
一樹も笑った。
「ウマ娘やってなかったら来てなかったかもしれないな」
馬群がゴール板を駆け抜ける。
歓声が響く。
そしてレース終了。
義弘達は顔を見合わせた。
「面白かったな」
「普通に楽しい」
「掛けなくても見てられる」
翔太は満足そうに笑う。
「だろ?」
「だから競馬は現地が一番なんだよ」
その後も二レースまで観戦だけで過ごした。
スタンドを歩き回り。
競馬場グルメを食べ。
写真を撮る。
まるで観光地を巡っているようだった。
そして第三レース前。
翔太が立ち上がる。
「よし」
「そろそろパドック行くか」
「パドック?」
義弘が首を傾げる。
「レース前の馬を見る場所だ」
「そこで状態を確認する」
翔太の口調が少し真面目になる。
慣れた様子で歩き出す翔太の後ろを、
三人はついていった。
やがてパドックへ到着する。
出走馬達が静かに周回していた。
義弘にはどの馬も同じように見える。
一樹にも分からない。
将雅にも分からない。
だが。
翔太だけは違った。
真剣な表情で一頭一頭を見ている。
「今日は落ち着いてるな」
「馬体も良い」
「前走より気配いいかもな」
ぶつぶつ呟いている。
「分かるのか?」
義弘が聞く。
「まあ多少は」
翔太は当然のように答えた。
そして馬券購入機の前。
「お前らいくら買う?」
「百円」
「俺も百円」
「百円で」
三人が即答する。
翔太は画面を操作した。
「じゃあ俺は二千円」
(あれ?こいつ思ったよりガチじゃね?)
パドックで馬体を見ていた時点で何となく察していた。
だが。
今の一言で確信した。
飯島翔太は競馬好きではない。
競馬好き"だった"。
しかもかなり重症な部類の。
「ちなみに年間いくら使ってるんだ?」
将雅が恐る恐る聞く。
翔太は少し考えた。
「分からん!」
「怖ぇよ!」
三人のツッコミが同時に飛んだ。




