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第四話 秩父とキャンプと武甲山・後編

駅から少し歩いた先に見えてきたのは、

『武甲キャンプ場』だった。


このキャンプ場は少し珍しく、

宿泊エリアが『森林サイト』と『河原サイト』の二つに分かれている。


川の近くで過ごすことも出来るらしいが、

今回は静かな雰囲気に惹かれて森林サイトを選んだ。


受付でチェックインを済ませ、

レンタル用のテーブルと鉄板を借りる。


ついでに薪も購入した。


今日はここで、一泊しながらBBQをする予定だった。


割り当てられた区画へ向かい、

義弘はリュックを下ろす。


一人用のテントは設営も簡単で、

慣れている義弘はそれほど時間は掛からなかった。


テントの前へ焚き火台を置き、

その上に鉄板をセットする。


小さなフライパンも横へ並べた。


それだけで、

少し“キャンプらしい景色”になった気がした。


夕食の材料は、

西武秩父駅の土産物屋で買った野菜と、

途中で立ち寄った精肉店の肉。


牛肉のほかに、

『味噌豚肉』という地元らしい商品も見つけ、

気になって購入していた。


まずは焚き火を起こす。


家から持ってきた着火剤へライターで火を点け、

そこへ義弘愛用の松ぼっくりを置く。


乾いた松ぼっくりは火付きが良い。


ぱちぱちと小さな音を立てながら、

炎がゆっくり薪へ移っていく。


空気の通り道を塞がないよう注意しながら薪を組み、

火が安定したところで鉄板を載せた。


これで準備完了だ。


フライパンへ油を引き、

ニンジンと新玉ねぎを切って入れていく。


一人分なので量は少なめだ。


残りはタッパーへ入れ、持ち帰ることにした。


じゅう、と音が鳴る。


少しずつ焼き色が付いていき、

新玉ねぎの甘い香りが漂い始めた。


「……このくらいでいいか」


義弘は小さく呟き、

割り箸を手に取る。


「いただきます」


まずは味付けをせず、そのまま一口。


春の新玉ねぎ特有の甘みが、

口いっぱいに広がった。


「……うま」


思わず笑みが漏れる。


続いてニンジンも食べる。


こちらもシンプルなのに妙に美味い。


焚き火で焼くと、

どうしてこんなに味が変わるんだろう。


そして、いよいよ肉だった。


牛肉を一枚、

豪快にフライパンの中央へ落とす。


じゅわっと脂が跳ね、

香ばしい匂いが一気に広がった。


塩胡椒だけのシンプルな味付け。


けれど、それがいい。


肉が焼ける音を聞きながら、

義弘はクーラーボックスから一本の瓶を取り出した。


――プシュッ。


秩父ビールだった。


義弘は留年しており、既に二十歳を迎えている。


駅前の土産コーナーで見つけ、

せっかくだからと買っていたのだ。


一口飲む。


冷えたクラフトビールの苦味が、

火照った身体へ心地良く染みていく。


そのまま焼き野菜をつまみ、

再びビールを流し込む。


最高だった。


やがて牛肉にも綺麗な焼き色が付く。


「そろそろいいだろ」


箸で持ち上げると、

胡椒の香りと肉汁の匂いが鼻を抜けた。


そのまま一口。


噛んだ瞬間、

肉汁が一気に溢れ出す。


「っ、うま……!」


思わず声が漏れる。


静かなキャンプ場の夜。


焚き火の音。


春の冷たい風。


その中で食べる肉とビールは、

普段の何倍も美味しく感じた。


気付けば牛肉はあっという間になくなっていた。


「……じゃあ、メイン行くか」


義弘は笑いながら、

味噌豚肉をフライパンへ乗せる。


じゅわ、と味噌が焼ける音。


甘辛い香りが一気に広がり、

さっきまでとは違う“飯テロ感”が漂い始めた。


味付けは既に十分。


追加の調味料は必要ない。


数分後。


こんがり焼けた味噌豚肉へ齧り付く。


その瞬間、

濃厚な味噌ダレと柔らかい豚肉の旨味が口いっぱいへ広がった。


「……これ、やば」


思わず笑ってしまう。


今まで食べた豚肉の中でも、

かなり上位に入る美味さだった。


そして、

秩父ビールとの相性が抜群だった。


気付けばどちらも綺麗になくなっている。


「ふぅ……ごちそうさまでした」


食後、義弘はフライパンや箸を片付け、

焚き火の火を眺めながら小さく息を吐いた。


「……これがキャンプの良さだな」


折り畳みチェアを広げ、

そのまま夜空を見上げる。


そこには、

東京ではなかなか見られない満天の星空が広がっていた。


静かだった。


遠くから聞こえる川の音。


薪の爆ぜる音。


周囲のキャンパー達も、

いつの間にか騒ぐのをやめ、

それぞれ静かな時間を過ごしている。


家族で笑い合う人。


友人同士で語る人。


一人で焚き火を眺める人。


みんな自由だった。


義弘はイヤホンを耳へ付け、

好きな音楽を流す。


そのまま少しだけアニメを観て、

やがて静かに眠りへ落ちていった。


――翌朝。


目を覚ますと、

周囲では既に撤収作業が始まっていた。


テントを片付ける音。


車へ荷物を積み込む音。


朝の澄んだ空気の中、

キャンプ場が少しずつ“日常”へ戻っていく。


義弘もゆっくり片付けを始め、

レンタルしていた鉄板とテーブルを返却した。


時計を見ると、

ちょうど午前十時頃。


そのまま帰っても良かったが、

このキャンプ場には温泉施設――『武甲温泉』が併設されている。


せっかくだ。


最後に入って帰ることにした。


浴場へ入ると、

開放感のある露天風呂が目に入る。


義弘は露天風呂もサウナも好きだった。


身体を洗い終えると、

真っ先に露天風呂へ向かう。


朝の空気はまだ少し冷たい。


その中で浸かる温泉は、

思わず溶けてしまいそうなほど気持ち良かった。


さらにサウナへ入る。


熱気に包まれながら十分ほど耐え、

その後、水を浴びて汗を流す。


そして外気浴。


春風が身体を撫で、

頭の中がゆっくり空っぽになっていく。


――整う。


それを三セット繰り返した後、

最後にもう一度露天風呂へ浸かってから浴場を後にした。


時間は十一時を少し過ぎた頃だった。


朝食もまだだったため、

館内の食事処へ入る。


メニューには、

わらじカツ丼、もつ煮定食、ちちぶ御膳など、

秩父らしい料理が並んでいた。


少し悩んだ末、義弘が選んだのは――


「武甲そば、一つお願いします」


運ばれてきたのは、

蕎麦に味噌焼きおにぎり、そして天ぷらが付いたセットだった。


「……うわ、うまそう」


さっそく蕎麦を啜る。


香りが良い。


しっかりコシもあり、

歩き疲れた身体へ優しく染みていく。


味噌焼きおにぎりも絶品だった。


香ばしい味噌の風味が広がり、

思わず頬が緩む。


天ぷらの椎茸も肉厚で、

噛むたび旨味が溢れてきた。


「ごちそうさまでした」


食べ終える頃には、

時刻は十二時半近くになっていた。


ちょうど横瀬方面へのバスが来る時間だったため、

義弘はそのまま乗り込む。


帰りの車内は静かだった。


窓の外には、

春の秩父の景色が流れていく。


その間にスマホで特急ラビューの指定席を予約した。


横瀬駅へ到着すると、

義弘は最後に武甲山を振り返る。


青空の下に立つ山影は、

昨日より少しだけ近く感じた。


カメラで一枚だけ写真を撮る。


そして駅構内へ入り、

到着したラビューへ乗り込んだ。


白い車体が静かに動き出す。


ラビューは静かに加速し、

春の秩父が少しずつ遠ざかっていく。


けれど義弘は知っていた。


多分、自分はまた来る。


次は夏かもしれない。


あるいは、雪の降る頃か。


窓の外へ流れる山並みを眺めながら、

義弘は小さく目を細めた。


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