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第二話 三峯神社と秩父旅・前編

特急ラビューが、

秩父市の西武秩父駅へ到着した。


朝が早いというのに、

車内には意外と多くの乗客がいた。


観光客らしい家族連れ。


ハイキング装備の年配夫婦。


カメラを首から下げた人達。


義弘は他の乗客が降りるのを待ち、

一番最後にホームへ降り立った。


ホームへ吹き込む風は、

都内より少し冷たい。


駅を出た瞬間、

空気が変わる。


少しひんやりした山風。


遠くに見える武甲山。


駅前に漂う、

観光地独特のゆったりした空気。


都会みたいな忙しなさがない。


義弘は思わず小さく息を吐いた。


「……やっぱ秩父好きだな」


自然とそんな言葉が漏れる。


義弘はリュックを背負い直し、

三峰神社行きのバス停へ向かった。


バス停には既にそこそこの列が出来ていた。


登山客。


観光客。


カップル。


みんな目的は違うのに、

どこか空気が穏やかだった。


しばらくすると、

山道仕様の大きな路線バスがゆっくり入ってくる。


乗客達が順番に乗り込んでいく中、

義弘もICカードをタッチして車内へ入った。


窓側の席へ座る。


リュックを膝へ置き、

小さく息をついた。


発車。


ゆっくりと駅前を離れ、

バスは山道へ向かって走り始める。


普通、

アニメ好きならこういう移動時間は動画を見る。


実際、

前の席の高校生くらいの男子二人は、

スマホで動画を流していた。


「このシーン神なんだよな」

「分かるw」


そんな会話が聞こえてくる。


けれど、

義弘は違った。


片耳だけイヤホンを付け、

静かな音楽を流す。


もう片方の耳では、

バスの走行音を聞く。


カーブを曲がるタイヤの音。


エアブレーキ。


山道へ入った時の微かな揺れ。


そういう音が好きだった。


窓の外では、

秩父の景色が少しずつ変わっていく。


住宅街が減り、

代わりに木々が増えていく。


川。


古い民家。


朝靄の残る山。


義弘はスマホではなく、

ずっと窓の外を眺めていた。


時折、

カメラを取り出して写真を撮る。


誰も写っていない景色ばかり。


橋。


ガードレール。


山道。


朝の川。


でも義弘にとっては、

そういう写真の方が好きだった。


「……こういう時間がいいんだよな」


誰にも聞こえないように呟く。


大学では、

まだ少し気を張っていた。


周りに合わせなきゃいけない気がしていた。


けれど今は違う。


好きな場所へ行って、

好きな景色を見て、

好きな写真を撮る。


それだけなのに、

不思議と落ち着く。


バスはさらに山奥へ進んでいく。


窓から入り込む春風が、

少しだけ冷たかった。


義弘はその空気を感じながら、

静かに目を細めた。


約一時間ほど経った。


『次は、三峰神社――終点です』


その瞬間、

車内の空気が少し動いた。


登山客達が荷物を整え始める。


義弘もイヤホンを外し、

リュックを背負い直した。


バスはゆっくりと停車する。


ドアが開いた瞬間。


冷たい山の空気が一気に流れ込んできた。


「……っ」


思わず小さく息を呑む。


都内とはまるで違う空気。


澄んでいて、

静かで、

少し冷たい。


義弘はバスを降り、

その場で空を見上げた。


高い木々。


山の空気。


遠くで聞こえる鳥の声。


そして、

目の前へ続く三峰神社の参道。


「……来たな」


自然と、

口元が緩んでいた。


カメラを取り出し、

義弘はカメラを構える。


人の少なくなった瞬間の参道。


山の稜線と青空。


空へ伸びる巨大な木々。


そして、

静かに佇む大きな鳥居。


なるべく人が映り込まない瞬間を待って、

シャッターを切る。


義弘はカメラを取り出した。


人の少なくなった瞬間の参道。


山の稜線と青空。


空へ伸びる巨大な木々。


そして、

静かに佇む大きな鳥居。


なるべく人が映り込まない瞬間を待って、

シャッターを切る。


カシャッ――。


静かな音が山の空気へ溶けていく。


SNS映えする写真ではない。


けれど、

義弘はこういう景色が好きだった。


静かで、

少し冷たくて、

人の気配が薄い場所。


観光地なのに、

山そのものの空気が残っている感じがする。


義弘は周囲の観光客から少し距離を取りながら、

ゆっくり参道を登っていく。


砂利を踏む音。


木々が揺れる音。


遠くの鳥の鳴き声。


都会では聞こえない音ばかりだった。


途中、

木製の注意看板が目に入る。


『クマ出没注意』

『イノシシに注意してください』


「流石、山だな……」


思わず苦笑する。


でも不思議と怖くはない。


むしろ、

“ちゃんと自然の中に来た”

という実感があった。


少しずつ坂を登っていく。


歩く度に空気が変わる。


冷たい。


澄んでいる。


肺の中まで綺麗になるような感覚。


やがて、

木々の向こうに鮮やかな色が見え始めた。


「……あ」


思わず声が漏れる。


大きく、

堂々と構える本殿。


鮮やかな装飾。


山奥とは思えないほど立派な建築。


静かな空気の中で、

そこだけが特別な存在感を放っていた。


義弘は自然と足を止める。


写真で何度も見た場所。


けれど、

実際に見ると全然違う。


空気。


匂い。


温度。


全部が、

画面越しとは別物だった。


「……すげぇな」


小さく呟きながら、

義弘は再びカメラを構えた。


この瞬間を記録する。


義弘は本殿へ軽く一礼すると、

静かに参拝を済ませた。


山奥だからだろうか。


手を合わせている間も、

風の音と鳥の声しか聞こえない。


都会の神社とは、

空気そのものが違う気がした。


参拝を終えると、

義弘はそのまま社務所へ向かう。


目的は一つ。


御朱印だ。


義弘にとって御朱印は、

“旅をした証”みたいなものだった。


神社ごとに字も印も違う。


見返すだけで、

その時の景色や空気まで思い出せる。


高校時代から集め始めて、

気付けばかなりの枚数になっていた。


社務所の窓口へ近付く。


「御朱印、一枚お願いします」


「はい、五百円になります」


巫女姿の女性から、

書き置きの御朱印を受け取る。


どうやら三峯神社は、

直書きではなく書き置きらしい。


最近は書き置き対応の神社も増えたので、

今日は御朱印帳を持ってきていなかった。


代わりに、

リュックから透明なクリアファイルを取り出す。


折れたり、

湿気で曲がったりしないよう、

一枚ずつ大事に保存している。


受け取った御朱印を、

慎重にファイルへ入れる。


黒い墨文字。


力強い印。


紙越しなのに、

山の空気まで閉じ込められている気がした。


「……やっぱいいな」


自然と口元が緩む。


スマホの写真も好きだ。


でも、

こういう“実際に手元へ残る旅の記録”も、

義弘は好きだった。


その時。


社務所の隣に貼られていた、

一枚のポスターがふと目に入る。


『奥宮登山 本日安全祈願実施』


山頂から見える絶景写真。


朝靄に包まれた山々。


その景色に、

義弘は思わず足を止めた。


行ってみたい。


予定ではこの後、聖地巡礼をしに行く。

しかし、ここは我慢だ。


行ってみたい気持ちはある。


朝靄に包まれた山頂。


絶景。


山道。


きっと、

義弘の好きな景色ばかりだ。


けれど、

無理に今日全部回ろうとは思わなかった。


“次また来る理由を残しておく”


それも旅の楽しみ方の一つだと、

義弘は思っている。


都内から比較的近く、

ふらっと来やすい秩父だからこそ、

「また来よう」と思える余白を残しておきたかった。


義弘はポスターをもう一度見上げ、

小さく笑う。


「……次来た時だな」


そう呟き、

社務所を後にした。


参道を戻りながら、

再びカメラを構える。


先ほどより少し増えた観光客。


木漏れ日。


山の空。


鳥居。


同じ場所なのに、

時間が変わるだけで景色も変わって見えた。


バス停へ戻ると、

ちょうど下山用のバスが停まっていた。


義弘は最後尾へ並び、

ICカードを取り出す。


この後の予定は決まっている。


アニメの聖地巡礼。


秩父へ来た理由の一つだ。


とはいえ、

義弘は“作品のキャラと同じポーズで写真を撮るタイプ”ではない。


好きなのは、

作品の中に映っていた景色を、

実際に自分の目で見ること。


「んじゃ、次は聖地巡礼と行きますか」


小さく呟きながら、

義弘はバスへ乗り込んだ。


窓際へ座ると、

再び山の景色が流れ始める。


その時。


後ろの席から、

楽しそうな声が聞こえてきた。


「やっぱ秩父来たらあそこ行きたいよね!」


「分かる! あと橋!」


どうやら、

同じく聖地巡礼目的の観光客らしい。


義弘は少しだけ口元を緩め、

静かに窓の外へ目を向けた。


秩父の旅は、

まだまだ続く。

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