エピローグ 戻ってきた日常 前編
そこは、派手やかな舞台。
客席から沸き上がる黄色い悲鳴。
愛しの星条 透間は、直視したら熱が出そうなほど麗しい笑みを見せている。もちろんガン見するが。
大劇場の一列目のど真ん中から見上げ、もう立ち上がって手を伸ばしたら届きそうなくらいの距離で、澄み切った歌声、その美声で奏でるメロディ、蝶のような華麗な舞い、リズムに合わせて高く飛び、回転しながら歩み寄り、踏み面を踏んで降り始めた。
(うっそ!! 客席降りするなんて聞いてない!! ってかSS席の一列目とか超絶ミラクルじゃぁぁぁん!!)
透間が、あのミュージカル界の貴公子が、舞台から舞い降りて目の前に立っているのだ。
周囲の歓声が静まり、息さえも止まる。
まるでこの世界で二人っきりになったみたいに。
「みーつけた」
貴公子に、抱き上げられた。
「ふぇっ、あ? うぁ……」
麗しい顔立ちが目と鼻の先にあって笑っている。爽やかだが色気の含んだ妖艶な微笑み。胸がドキドキ張り詰めてくる。
「運命の人…………僕のお嫁さんになってください」
甘い毒をくるんだ低いボイスで耳元で囁かれ、ひゃいぃ、と身震いした。早鐘みたいに心臓の音が轟く。
(プロポーズきたああああああああああああっ!!)
ぱくぱくと口を開くだけで声にもならない。体を抱き寄せられ、貴公子は瞳を閉じる。
(ちょ、ちょ、待って! 心の準備がっ! お口クチュクチュノンダミンしなきゃっ! まっ)
熱い吐息が頬を撫で、薄くて柔らかそうな唇が迫ってきて、重な───『おはよう。朝だよ。早く起きないと、その可愛い寝顔にキスしちゃうよ』
聞き慣れた台詞が脳に走った時、視界が反転して、見慣れた天井が目に映った。
『おはよう。朝だよ。早く起きないと、その可愛い寝顔にキスしちゃうよ』
『おはよう。朝だよ。早く起きないと、その可愛い寝顔にキスしちゃうよ』
目覚まし時計の推しのボイスは鳴り続ける。
四つに並べたしわくちゃの布団。
右隣からユウキに抱き寄せられて。
左隣からココロがガンガン腹に踵を落としてきて、その百八十度回転した頭にユメカががぶりついていた。
すー、すー、うー、うー、寝息と呻き声がシャッフルする。
あの薔薇色の世界は、とても、甘く、妖美で、儚い、
「夢オチかよこの野郎ぉ────────!!」
末っ子の雄叫びが兄姉への目覚ましとなった。
「あー学校めんどくせー!!」
廊下の片隅で、ピンクパンダのロゴ付きのジャージを羽織りながら、アイスケは愚痴を零す。
「分かる。久々だもんね」
白いブレザーの袖に腕を通して、ユウキは切なげに眉を下げた。
三連休、いや、事情もあって四連休も終わりを迎え、また忙しい学校生活が幕を開ける。
リュックに詰め込んだのは白紙の宿題の束で、すでに居残りが確定した。
この連休の間で起きた数々の事件を知る担任教師は、我ながら称賛する正義感に免じて許してもらえるだろうか。
それともあのホラーな下目遣いで刺々しい説教を食らうのだろうか。
後者の確率の方が非常に高い気がする。
「にしても、よかったね。家も修復できて」
ユウキの言葉の通りだ。
あの鬼畜の大悪魔による落雷でぽっかり空いた屋根と天井も、焦げた床や壁も、昨日のたった半日で元通り。
改めてドワーフ大工の腕に圧倒された。突き出された請求額にも圧倒されまくったが。
「ちょっとユメカ!! そのキャミソール私のっ!!」
「ちょっとくらいいいじゃんココロちゃん〜!!」
姉二人の声が四つ子部屋から沸いた。
朝の着替えの時は、男二人は廊下で、女二人は部屋で、覗きは厳禁。中学に入った時にココロに決められたルールだ。
アイスケは姉たちの騒々しい声にクスリと笑みを零す。
当たり前の日常が戻ってきた。それが、こんなにも感慨深いものだとは。
「バカユメカーッ!! 脱げーっ!!」
甲高い叫び声のあとに、ドゴンッ! と太鼓を破くような音が響いて、ドアが吹っ飛んだ。
「ああああああああああっ!! 修理したばっかなのにいいいいいいいいっ!!」
感慨に浸っていられるのも、我が家では一瞬の幻想だった。
ぐう、と朝から元気に腹の虫が鳴る。
「ご飯ご飯〜!」
兄姉たちに続いて階段を下りたところで、ウィーン、とモーター音が迫り来た。
「ロミオ十三号! おはよう!」
我が家の新しいロボット掃除機。亡き十二号とは違って、家具に体当たりすることも遭難することも全くない、優秀な働き者だ。
ピロロン、ピロロン、と、今日も明るい効果音を出してぴかぴかと光り────
ズドォンッ!! と笑顔のアイスケの前に、鉄扉が破けて黒煙が噴いた。いや、この感じ、瘴気だろうか。
禍々しい焼け跡の穴をそーっと覗こうとすると、壊れた扉が叩き開けられ、暗闇から白衣の悪魔がのそりと這い寄った。
「………対悪魔用の毒薬作ろうとしたら失敗した」
「朝から何てモン作ろうとしてんだよ!? 毎度毎度!!」
「兄さんのコーヒーに入れて実験しようと思ってたのに………」
「ベリー兄ちゃんを何だと思ってたんだ!?」
「はぁもう疲れた。ご飯食べよ」
「おい!! このままかよ!!」
ラムは焼け跡には見向きもせず、リビングへと立ち去っていく。
コロン、と小さなタイヤが足に転がる。
見ると、そこには働き者の変わり果てた姿が────
「ロミオ十三号────────っ!!」




