第八十九話 約束
二回ノックしたあとに、「どどどどうぞっ!」と昂った返事がして、アイスケは扉を開けた。
「失礼しまーす………うおっ!」
部屋に踏み込んだ途端、驚嘆の声を上げた。
目に飛び込んだのは、ソファにローテーブル、リクライニングチェアに、チェストの上にDVDプレイヤーと大きなテレビ。
(四つ子部屋より広ぇ…………)
ホテルのスイートルームかと思うほど、都会的な雰囲気が漂う豪勢かつ上品なインテリアとアートに満ちた空間だ。
さすがは特別個室。庶民の世界とはかけ離れている。
ここが病院だという現状も忘れてしまいそうだ。
「あ、アイスケくん!?」
白いベッドの上に布団を覆って座るひまりが、慌てたようにサイドテーブルの上のものを両手で隠した。
妙に顔が赤い。
転がるペンに、四角い紙のようなもの。手紙だろうか。
アイスケは思わず顔がにやける。
「なになに? もしかして俺へのファンレター?」
「あ、パパ宛です」
「パパ────────っ!!」
切ないほどあっさりした即答にずっこけそうになった。
そのガーンといった反応を見て、ひまりは小動物みたいにあたふたする。
「もっ、もっ、もちろんアイスケくんにも書きますよぅっ! ハートマークいっぱいに書きますっ!」
「鬼さんに見つかったら俺ごとシュレッダーされちゃう」
「ふぇ? 病院に鬼さんはいませんよ?」
「…………………うん、そうだね」
さっき削ぎ落とすと脅されたのは空耳ではないはずだが、ここは頷いておこう。
面会を許可されただけでも、ありがたい話なのだから。
「よかった、元気そうで」
ひまりの肌艶のよい顔と、何よりこのヒマワリが咲くような明るい笑顔を再び見られたことに、心底安堵した。
「アイスケくんの………皆さんのおかげです。感謝しても、しきれません。本当に、ありがとうございます」
ひまりは座りながら、頭を深く下げた。
「ひまりちゃんの力でもあるでしょ」
「そんな………」
ひまりに遠慮がちに首を横に振る。
この子が右手を取ってくれた時、体の奥から太陽を飲み込んだみたいに熱くなって、武者震いした。
あの熱き感動は、きっと頭を滅多打ちされたって、一生忘れることはないだろう、と。
アイスケはさらに踏み出して、彼女の方へ寄った。
「これ、お見舞いの品」
突き出したのは、目つきの悪いネコのパッケージに包まれた細長い駄菓子。
ひまりの目が光る。
「こっ、こここここれはっ! うめえんだ棒のエビマヨ味!!」
「しーっ! 内緒だからっ」
「はっ!」
アイスケが唇に指を立てて静止を促すと、ひまりは声を小さくした。
万が一凛にバレたりしたら、自分も一緒に生ゴミ箱に葬られてしまう。
ある意味命懸けで持ってきた、極安で最高のプレゼントだ。
「はむっ!」
ひまりは袋を開けてすぐに、天辺からがかじりついた。
瞬間、電気が走ったみたいに衝撃的に目を開くと、はわぁ〜、とほっぺたを緩ませてひなたぼっこする猫みたいにふにゃふにゃの顔になる。
「おいひいでふ〜、これが庶民のお菓子…………ああ〜感動でふ〜………ありがとございまひゅ〜」
勇者一家のお嬢様が十円の駄菓子を食べてアホ面を晒すというとんでもない生スクープを前に、思わずこっちがソワソワしてしまう。
「エビマヨでふうう〜」
「あ、エビ入ってないから」
「はむ〜」
恍惚状態はお菓子を完食してしばらくも続いた。
落ち着いたところで、アイスケはローテブルの方へ目をやった。
便箋は三枚も重なっていて、封筒も結構な厚みがある。
「いっぱい書いてるねぇ」
「はい。パパに………返事を出そうと思って………」
「へぇ、何て書いたの?」
「星ノ木学園に、入学したいと」
「そっかぁ〜、星ノ木にねぇ〜…………って、えええええええ!? じゃ、じゃ、じゃあひまりちゃんとは、同級生に!?」
「ま、まだ許可は得ておりませんので………」
声を上げておったまげるアイスケに、ひまりは困ったように微笑する。
レモン色の便箋の文字をゆっくりとなぞった。
「私は今まで、私なりの意思でパパに反抗していました。私の好きにさせてくれないパパを、無視することで、あえて気を引こうと必死だったんです………アイスケくんの言う通り、私はただ逃げてる子供だったんです」
「パパ、お願いします」その文のところで、ひまりは指を止めて、顔を上げた。
「もう、逃げるのはやめます」
幼い顔立ちだけれど、目に角を立て、決死の表情で言った。
「これからは、真っ向からパパと向き合おうと思います。分かってもらえるまで、何度でも………何十回でも、何百回でも、この正直な気持ちを伝えるつもりです」
天井の外の空を見透かしたかのように高く見上げて、ひまりは言った。
「強くなりたい…………! 私みたいに、心の影に飲み込まれた、闇に囚われた人たちを………私の光で救ってあげたい!! パパみたいな………いえ、パパも超えるくらいの、強くて優しくて、立派で、みんなを笑顔にできるような、そんな勇者になりたい!!」
そう、ひまりは力強く誓った。
アイスケは静かに聞いて、鷹揚に頷く。
「道のりは程遠いかもしれません………でも、自分から動かなきゃ、何も始まらないって、そう思ったら、手紙を書く手も止まらなくて………」
「みんなを笑顔にか………ひまりちゃんらしいね」
「アイスケくんが、教えてくれたことですよ」
「俺? 俺は何にも」
「私が自ら捨てた笑顔を、希望を、夢を、すべてを、ファミリーズの皆さんと、凛さんが、命懸けで取り戻してくれたんです」
ひまりは布団を剥ぎ、ベッドから足を下ろして、立ち上がった。
「人界の人々は言います。悪魔は非道だ。たくさんの人間を殺した。血も涙もない、おぞましい生き物だって」
声にアクセントをつけるごとに、床の上を一歩一歩踏んで進む。
ピタリと動きを止めて、アイスケの方へと向き直った。
薄く開いた桜色の唇から出る言葉を前に、ごく、とアイスケは固唾を飲む。
「私は勇者の娘でありながらも、その概念を壊します。粉々に、砕きます。跡形もなく、潰します」
「!」
圧のある響きは、あの泣いていた小さな少女の面影も完膚なきまで潰していた。
「すべての悪魔がそうじゃない。悪魔の中でも愛に溢れたヒーローはいるんだって。いつかこの世界の頂点に立った時、みんなにそう伝えます」
純粋で、身じろぎ一つしない、燃え輝いた眼差し。
「理解されなくても、伝え続けます。アイスケくんは、ファミリーズは私の永遠のヒーローなんだって!! 胸を張って自慢し続けます!!」
実に誇らしげに、少女は言葉を紡いだ。
この子は強がりだけど、本当は弱い。
そう思っていたことを、撤回しよう。
この小さな胸に、新たな揺るぎない強さが、今、宿った。
弱いようで、この子は強い。
大きな一歩を踏み出して、一つ、強くなったのだ。
アイスケは歓喜に震え、笑って肘を突くような身振りをした。
「世界の頂点って、勇者の座ってこと? 自信満々じゃん」
「もちろんです。アイスケくんが必死になって思い出させてくれた、私の夢ですから!」
えっへん、と胸を張るひまりは、やっぱりあどけなさも残っていて、それが不思議に、安心した。
「だから、アイスケくんも、夢を忘れないでくださいね! お星様みたいに、キラキラした夢を!!」
「未来のスターか…………」
頭の中で、かすかな底光りを感じた。
その光は、恥ずかしいくらいまだちっぽけなものだけど、きっとこの子とおんなじ熱を秘めている。
「うん、約束しよう。お互い夢を叶えるってな!! まぁ俺が本気出したらやべーぞ?」
「む、ひまりだって負けません!」
「ひまりちゃんってぇ〜、興奮したり慣れ親しんだ人には、一人称がひまりになっちゃうねぇ〜?」
「ひゃいっ!」
ひまりは赤くなって跳ねた。
前から気になってはいたが、この反応、どうやら図星のようだ。
クスクスと含み笑いすると、もうっ! と叱られた。
(なーんか、幸せだっ)
今が、この一瞬が、愛おしい。
この子の瞳の光が、誰よりも眩しい。
だからアイスケは、よーし! と、溌剌と笑った。
「こっからもう一回、始めようぜ!! 俺と、ひまりちゃんの夢!!」
悲しい運命なんてクソ食らえだ。
だったら、それを捻じ曲げてやろう。
自分の力で意地でも明るい方へと導いてやろう。
始まったばかりの、未知なる運命を。
「はい!」
ひまりは軽快に頷いた──かと思うと、はわっ! と頭のヒマワリを揺らす。
おずおずとした様子になって、アイスケの顔を覗き込んだ。
「あ、あのぅ、凛さんから聞いたことなんですけど………」
「?」
「どうして、今回の依頼料、受け取って下さらなかったんですか?」
あー、とアイスケは苦笑する。
「いいのいいの。天才兄貴様の発明のおかげで、うちの借金も完済できたわけだし。大儲け計画、意外な形で大成功! ってやつですよ」
「で、でも………ファミリーズの皆さんには、大変お世話になったのに………何にもお礼ができないなんて………」
「えっとー、俺が決めたルールなんだ」
「ルール?」
「ファミリーズは、友達からの依頼は無償で受けるんだって」
「と、も、だち………?」
きょとん、とひまりは首を傾げる。
初めてのものを見るような、そんなぼんやりとした眼差しで。
アイスケはぎくりとする。
「ぅっ、あ? そ、そう思ってるの俺だけだったりしてぇ〜…………うわっ恥ずかしいカッコつかねー…………わ?」
「……………」
ポーッと、熟れすぎたトマトのように耳まで真っ赤になって、ひまりはまたしどろもどろに呟いた。
ともだち、の言葉を。
「わ、私………初めて、と、と、友達が………できました………」
「え、まじか。何かごめん」
「いえ!」
満月の瞳を囲む瞼が、三日月模様に綻びて、ひまりはぱぁっと、微笑んだ。
「初めてのお友達が、アイスケくんですごく嬉しい!!」
どくん、と強く脈打ったこの鼓動に、果たして意味があったのだろうか。
このうるさいくらいの心臓の音は、慣れないようで、でも嫌いじゃない。
変化があったとするなら、きっと。
この、対になる少女と友達の絆で繋がれた、胸の高鳴りだろうか。
そうだ。
ここにあるのは、魔王の子と、勇者の娘が結んだ、前代未聞の友情だ。
さぁ、何度だって狂詩曲を歌おう。
世界のど真ん中で、歌ってやろう!
「あなたに、光のご加護があらんことを」
「きみに、燃えろ、闇の息吹」
対になる少年と少女は、それぞれの祈りを捧げ、光と闇の眼差しを交わした。




