第七十九話 怯えの色
『大丈夫。アイちゃんの歌は、最高に素敵だよ。何せ未来のスターなんだから』
『聴いていると胸が高鳴って、熱くなって………何だか懐かしい気持ちにもなりました』
本当に、自分の歌に、未知な力が秘められているのだとしたら───信じてみてもいいのだろうか。
無力な弱者だと思い込んでいた自分に、戦う意味があるのだ、と。
まだ誰も知らない。先も見えない。自分自身も分からない。
それでも、進もう。
この戦場を走ろう。
自分にしかできないことが、きっとある。
『うわぁ! すみません! すみません! お怪我はありませんか!? 大丈夫ですか!?』
『ありがとうございます、優しい悪魔さん』
『ぷっ! あはははっ』
『アイスケくんなら、飛べます。どんな高いところも、きっと飛んでいけます。勇者の娘が言うんですから、間違いありませんっ!』
霧を駆け抜け、視界一面に広がる巨獣の頂上に足を組んで座り嘲笑う少女。
(あの子はまだ…………ここにいるッ!!)
舐めるような百の眼差しから視線を引き剥がし、あの赤い月の瞳だけを射抜いた。
一心に、響かせろ!
「ねむれ。ねむれ。よい子よ。母の胸にねむれ」
透明な水のベールのような、澄み通った声が巨獣と少女を包み───中心から、大きな波紋が生じた。
少女の笑みが、万華鏡のガラスのように歪む。
ゆらり、くらり、アルゴスの瞼が、力なくして、落ちた。
ぐらり、ふらり、少女の玉座が、揺らめいて、雪崩のように崩れた。
「そうだ………お前は眠れ」
アイスケの命令の言葉に、目を閉ざしたアルゴスがこくこくと頷くように体を軽く上下させた。
ゴゴゴ、と唸りに近い寝息をたてて、遊び疲れた子供のように邪気も殺して眠りについた。
「さぁ、次はお前の番だ」
樹冠をくぐって着地した少女と、面と向かって立った。
「お前、ホントはどこかで恐れてんだろ? 俺のことを」
少女の暗い光が揺れる瞳を、アイスケは射止めるようにまっすぐと見つめる。
「あんたを、恐れる………?」
はっ、と、少女は鼻で笑った。
「思い上がってんじゃないわよ! あんたにそれほどの力があるなら、あたしはとっくに祓われてるわ!」
小さな胸に小さな手を握った。
「あたしはそこらの弱点丸出しのシャドウとは訳が違う。煌の肉体と融合し、支配した。たかが詠唱なんかに屈することもない。不滅の命を手に入れたのよ!」
少女が右手を振りかざす。
「一人で来るなんて馬鹿げてるわ! 死ににきたようなもんよ! 何? 霊界の仲間入りでもしたいの? あっはははははは!! お望み通り灰にしてやるわよ!! あんたのだ〜いすきなひまりちゃんの手でね!!」
すっ、と息を吸い込んだ刹那、少女はびくりと慄いた。
アイスケは息を吐くだけで、歌わない。
「やっぱりお前は恐れてる。俺の声が、あの子に届くかもしれない、ってな」
「違う………」
「たかが詠唱じゃなかったとしたら、って」
「違う!」
「じゃあ何で、そんなに震えてる?」
「っ!」
「霊のお前が、冷や汗だらけで、震えまくって。それって、命があるからだろ。生きているから、二度目の死を恐れるんだ」
暗い光は、滲み出る恐怖。
闇の真ん中に、浮かび上がる怯えの色だ。
「ぁ、は………」
少女は青い唇から、言葉にもならない上擦った声が絞り出た。
「例え悪魔でも、永遠なんてもんはないんだよ。生きていれば必ずつまずくし、守りたいものと出会って、戦う理由が生まれる。どこにでも死の可能性は潜んでいるんだ。生きていた頃のお前が、そうだったように」
「ぅ、る、さい」
「死があるから、命の重みが分かるんだ。今のお前が怯えているように、胸ん中の簡単に壊れそうな塊を、必死に繋ぎ止めようと俺たちはあがくんだよ」
「ぁ、たしは………恐れるもの、なんか」
「あるだろ、目の前に」
一歩足を踏み鳴らすと、びくっ! と少女の肩が跳ねた。
「幻で塗り潰すな。ちゃんと前を見ろ。このままじゃ、お前は一生本物のママとは会えない」
「ぃ、やだ……く、るな」
「俺がお前をそこから引きずり出す。偽りの器から、お前が本当に救われる場所へ、お前がお前だって堂々と胸を張って言える場所へ、還してやる」
「ぁ、あ……」
化けの皮を剥いでしまった幼子のように身震いし、尻をついて、目の前のアイスケを恐々と見上げた。
赤い月の中に、亜麻色の少女の寝顔が浮かぶ。
「そんで、その子も返してもらう」




