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第六十九話 少女の野望

 そこからは、自宅警備担当ミントのターンだった。

 自宅警備を遥かに上回るほどの番犬の如く鋭敏な眼差しで、走りながら、這い寄る魔獣どもを一瞬でフリーズさせていく。虫一匹すら近づけまい瞬殺の眼光は、普段のうだうだと文句を垂らすナマケモノとは別人のものだった。


「いつもそれぐらいやる気出せよ………」


「今日だけ特別」


 ピシャリと言ったら、語尾にハートがつきそうな甘ったるい声が返ってきた。所詮は自由人のミント。誇らしいようで、何だか残念、でもどこか安心した気もする。


「しかし、意外だな」


 速いピッチで駆けながら、凛が言った。


「魔王の子の中でも最強と謳われる鬼畜王子が、これほど大人しいとは」


「あァ?」


「いや〜そりゃうちのエースは向かうところ敵なしの大悪魔様ですが、ちょいと攻め方がバイオレンスすぎますというか、ここでぶっ放されたら俺たちもまとめて料理されちゃうというか何というか」


「うっせーチビ、ビリビリすっぞ」


「ひゃいぃすみません………」


 バチン、と黒い火花を散らしたバニラに、アイスケは思わず縮こまった。


「!」


 前方から、獣の断末魔が聞こえた。

 おそらく、言わずとも誰もがこの異変に勘付いていただろう。


 瘴気が、濃い。


 咽せ返るほどの毒の悪臭と、くっきりと目に見える青と黒が混ざり合ったひどく淀んだ霧。花が枯れて、葉が萎れる。

 神の生んだ森が、罰当たりなほど汚染されていた。


 小さな茂みの前に、一匹のヘルハウンドの死体が見えた。骨と皮ばかりに痩せこけている。青瘴気による衰弱死だろう。


 これ以上は大悪魔さえも進めまいと、全員が足を止めた。


「アイちゃん」


「うん」


 言わずもがな、というような顔で頷いて、アイスケは大きく息を吸い込む。


「ラララン ラララン ララランランランランランランラン ラララン ラララン ララランランランラ──」



 歌声が、静止する。



 茂みの奥から、くすくす、くすくす、枯れ葉を掻き混ぜるような、乾いた嗤い声。


 霧を纏って現れたのは────見たことのない冷笑を浮かべる、あの少女の顔だった。


 

 対峙した全員が瞠目した。

 真っ白だった少女の皮膚は、青く染め変えられて、黄金の満月の双眸が、赤い月に変色し、悪魔も同様のいびつな笑みは、あの無邪気な面影を殺し尽くしていた。


「シャドウ、が…………!」


 わなわなと震えながら、凛が強く睨んだ。


「お嬢様を返せぇッ!!」


 風も突き破る怒号が、森に響き渡る。

 彼女の溢れんばかりの怒りと、悔しさが、その変わり果てたあるじの顔を見た瞬間、制御も効かずに爆発したのだろう。はあ、はあ、と我も忘れたように息を乱している。


「あはっ、あはははははっ!! 何だ生きてたのあんた。あれだけの瘴気食らえばひとたまりもないと思ったのに………気持ち悪いくらいしぶといヤツ。どいつも、こいつも、ホントうざい」


 少女はつまらなそうに吐いて、凛の次に、アイスケ、他の兄弟たちにも視線を巡らせる。


「………ま、いいわ。バカ執事が少しでもくたばってくれたおかげで、コレを手に入れられたワケだし」


 と、上機嫌な鼻歌を口ずさんで、後ろから見せたのは、漆黒に塗られた書物。


「それはっ…………!」


 凛がびくりと肩を揺らして、前のめりになる。


「なに、あれ?」


「………………禁書だ」


「えっ!? どこで、そんなもの!」


「あれは、第二次魔人戦争で悪魔軍から奪った騎士団の戦利品。あまりにも膨大で脅威的な術に、ギャングやテロリストによる悪用を断じてさせまいと、煌家が代々に封じ込めていたものだ…………」


「屋敷から取られたってこと?」


「ああ………保管庫を開ける鍵になるのは………煌の魔力」


「!」


 能力を利用して隙をつかれた、ということか。

 赤い月の瞳を凝視して、アイスケは固唾を飲む。


「お前の目的は、何だ?」


 ふはっ、と少女が甲高い声を漏らす。


「ねえ、バカなあんたでも分かるわよね? 悪魔には老いがないってことを」


「不老…………」


「そっ、つまり、戦場さえ行かなければ悪魔には永遠の命が保証される。魔界で処刑されることもない、人界で祓われることもない、天界で魔神に支配されることすらない…………この魔力漲る狭間こそ、永遠の楽園だと思わない?」


「!」


「煌の器を手に入れたシャドウ(あたし)は、もう無敵! サタンはすでに封印されたし、バカ息子の現魔王は子供一匹殺せない甘ちゃんよ? 祓魔エクソシズムもひまりの前では無意味な抵抗。月詠も手に入れたことだし、魔獣どももあたしの下僕よ! 誰もがあたしに逆らえない! あたしはこの森の王者になる! ここで永遠の命を得て、幻術を駆使してママと共に生き続けるの! どの魔王にも勝る王よ!! さぁクソども跪けぇッ!! ハハハハハハハハハハッ!!」


「お、まえ………」


 耳を蝕むように流れ込む言葉と嗤いが信じがたく、こめかみに衝撃の痛みが走った。


「それで、ひまりちゃんが、救われると思ってんのか?」


 煮えたぎる低い声に、少女はきょとんとしたかと思うと、堪え切れぬように肩を震わして、野蛮な高笑いをを響かせた。


「そう、ねえ! 救われるわよ! ひまりはあたしと一つになって、一生の時を大好きなママと暮らせるんだもの!! 今ごろママにだっこされて幸せいっぱいにおねんねしてるわ!! ひまりにはママを、あたしには器を、この上ないハッピーな等価交換じゃない?」


 実に愉快そうに、少女は述べた。


 それで、あの子が救われる?

 幻のママと一生を過ごして?

 ハッピーな等価交換?


 ふざけんなよ、とアイスケは獣のように唸る。


「お前はあの子を利用してるだけじゃねえか!! あの子の心を騙して、あの子の体を奪って、お前自身も幻に溶け込んで! そんな偽りだらけの世界がハッピーエンドのわけがねーだろッ!!」


 あの子は、よく笑う子で。

 あの子は、冒険に焦がれる子で。

 あの子は、相手の心を思いやる優しい子で。

 あの子は、強がりだけど本当は弱くて。

 あの子は、小さくても誰かを守ろうと駆ける強さがあって。


 あの子には、英雄という名の夢がある。


(ぶっ壊されてたまるかよ!!)


 アイスケはギリギリと歯を軋ませた。

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