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第六十四話 物語の真実

「じゃあ、手短に言うよ」


 ラムは珍しく、淀んだ眼差しに煌やかな真剣味が帯び始めた。


「まず、残念なことにこの霊薬は、あの子に直接は打てない」


「何で!?」


 さっそく食い気味に問いかけるアイスケに、ラムはさっそく冷静に答えた。


「最高段階『支配』までとなると、あの子の生も死も、シャドウが握ってるわけだ。最も、煌の器なんて上物早々手放すバカ霊はいないだろうけど………それがもし、この霊薬を目の当たりにしたら」


「………目の当たりにしたら?」


「たぶん、あの子の心臓ごと自爆させてでも分離して逃げ去るだろうね」


「なっ………」


「そっ……れは……まさか………」


 アイスケに続いて、凛が愕然と口を開く。


 彼女の方は、また一枚上手に理解をしているようだ。


「そう、これはあくまで最終兵器。あの子とシャドウを分離させて初めて、大きな役割を得る」


「ちょ、ちょっと待て!」


「うん?」


 アイスケの顔はまだ訝しげにラムを見上げていた。


「その、分離させるのって………つまり」


「もちろん、アイスケの歌だよ」


「えぇ……」


 また、スポットライトを不意打ちに当てられた末っ子。

 もうあの時のようなまっさらな感情ではなく、己の力の重さをひしひしとは感じているわけだが、やはり万年落ちこぼれのレッテルを貼られたアイスケには、この立ち位置はむず痒い。


 すると、ラムが少し、眉を吊り上げて表情に神妙さを増した。


「でも、小さな狂詩曲ラプソディーじゃ、支配されたあの子には届かないね」


 じゃあ、何を歌えば──その言葉が出る前、

 

 無機質なほど冷たい毅然とした態度で、ラムはアイスケの瞳の奥を見透かすように、言ったのだ。


「名もなき歌」


「え?」


「名もなき物語の、天使が歌った名もなき歌。それが心の影を照らす、本当の鍵となる」


 ラムの言った言葉は、アイスケのみならず、凛や伏見、守でさえも唖然とさせた。


 名もなき物語。

 遥か昔の物語。

 愛を育む一人の天使と、愛を知らない九人の悪魔たちが、出会い、泣き、笑い、惹かれ、やがて家族になろうと手を繋ぎ合い────最後には神の裁きで死んでしまった、哀れな十人ぼっちの物語。


「貴様………本気で言ってるのか?」


 凛は肩の包帯の結び目をきつく握って、刺すような眼差しでラムを見た。


「あれは………かつてお前の祖父、まむし処刑人しょけいにん………ベルゼビュート・アスモデウスが記した、天地の境界(スティクス)のおとぎ話であろう?」


 凛の、言葉の通りだ。あれは、物心ついた時から、眠る前から兄に読み聞かされたおとぎ話と信じ込んでいた。現に、書店の絵本コーナーにも並ばれている。人界でそれほどの知名度あれば、きっと、魔界ではより一層強く認識されているはずだ。


 悲しい、哀しい、誰も救われない、おとぎ話だって。


「そうですね。祖父が書いたのは確かです。あー、祖父っていうのは、みんなご存知だと思いますが、蝮の処刑人とかいう身内ながら恥ずかし〜い異名を持つ、アスモデウス一族の当主、ベルゼビュート・アスモデウス。一応俺に科学全般を叩き込んだ師匠でもありますね〜」


「知っている。………が、思ったより敬意を感じられないな」


「もちろん同じ研究者としては尊敬はしてますよ。ただねぇ…………アスモデウスっていう毒々しいヤンデレ一族の事情に関しては………同族嫌悪って言うんですかね? やるせない気持ちにもなるんですよ」


「ラム兄ちゃん、ヤンデレって自覚あったんだ……」


「あーはいはい……ヤンデレ結構、兄さんと永久結婚上等監禁拷問上等……」


「嫌です何かテンポ良いけどやめてえええええええっ!!」


「はいはい、話戻しますよー………」


 こっほん、と、ラムはわざとらしくも咳払いして、乱れた空気にやわく喝を入れる。


「名もなき物語は、祖父が書いたのは事実。そして、これは俺が祖父に口止めされたことだけど、もう機は熟したみたいだし、白状するね。書いたのは事実。そして、書いた時の記憶が抹殺されているのも、事実です」


「は……」


 ラムの言葉に、やがて周囲の兄弟らもごくりと固唾を飲んだ。


「おい………聞いてねぇぞこら」


 バニラが、低い声を這い上げ、聞き捨てならないように苛立ちげに眉をひそめた。


「そりゃバニラも知らないよ。何せ魔王も、娘である第一王妃も知らない。まぁあの大バカ夫婦に知能を求めるのはナンセンスだけど…………少なくとも、じいさんは、地界如きの他者に脳をいじられてない限りは、その事件に感じた異変を、見誤るはずがない、と、言っていた」


「えぇっ、と? 地界、如きって………?」


 アイスケが、あまりに聞き覚えのない言葉を思わず拾ってしまった。


 ラムは予想していたように、うん、と、素早く返事をした。


「アスモデウスが絶対記憶能力を持ってることは知ってるでしょ? 俺が兄さんの履いている下着を毎日把握してるのは知ってるでしょ?」


「えっ、知らないぃぃっ! 知りたくなかっですその情報っ! え、え、え?」


「アスモデウスは、魔界一ずば抜けた知能指数を持っている。一度見たものは、すべて脳内にインプットされる。それが物心ついた幼き頃にチラ見しただけの、毒薬の調合比率表の、数字、暗号、一つも、狂いなく………すべてね……」


「……………いや何かカッコつけて言ってますけどそれとお兄ちゃんのパンツを把握してることとどう関係してんるんです!?」


「兄さん、こんな時にパンツとか汚い話しないで」


「いやお前から投げてきたんでしょ!? お兄ちゃん今でもちょっと混乱してて今履いてるものも見透かされてるとか思いたくもないけど何だか嫌な予感が」


「水色のシマシマ」


「やめてえええええええええっ!!」


「はいはい、話を戻すね………」


「あのねランちゃん、戻したいなら最初から逸らさないでぇ!? 全然手短にする気ないでしょぉ!? 謎のタイミングにことごとくおぞましいカミングアウトしないでくださいぃぃぃっ! お前のそういうところ兄ながらいっつも恐ろしくて心臓に悪いんですってマジで!!」


「ひどいよぉ、おにいちゃぁんランちゃんのこわあぁい」


「今さら可愛こぶってももう遅いですぅぅ!! えっえっちょっちょっ何で注射針くるくるしてんですかやめてダーツの的みたいに見ないでちょっとやめてその目怖い怖い怖いぎゃああああああ毒針きたあああああああっ」


 謎のタイミングで繰り広げられる長男と次男の痴話喧嘩は今に始まったことではないので、弟妹はジト目で睨むだけで、特にはツッコみは入れない。

 バニラに限っては、いいぞもっとやれ次は目だ、などと、ドSを競合するラムに参戦して黒い火花を散らし始める非常に治安の悪い模様。バニちゃんやめてあげて、と、優しい年子の兄ミントは小さく呟く。

 そして、普段のアイスケならば無法地帯のこの状況、リーダーとして一言や二言のツッコミなど余裕にかますが、今の慣れない単語がいっぱいのいっぱいの脳内には、ベリーのパンツの柄など少しでも余計な情報は入れたくないのだ。


 いや、そんなまだ冷静さを研ぎ澄まそうとする末っ子よりも、もっと、食いかかるように目を光らせているのは────業を煮やしきった、鬼執事。


「いい加減にしろバカ兄弟ども!! 貴様らの下劣な戯れに付き合う暇などないっ!! 黒野 ラム!! とっとと本題を話せ!!」


「本題、ねぇ……」


 投げられた言葉を、拾っていじくり回すように、少し難しそうに呟くラム。


「アイスケと違って、悪魔以上に無駄に悪魔知識のの豊富なあなたなら、もう分かってきてるんじゃないですか?」


「…………………」


 今度は凛にまでジト目で睨まれると、

 はーあ、と、何やらわざとらしいほど苦労人を演じるように、ラムは重いため息を吐く。


「そう…………祖父は、ベルゼビュートは、気がついたら、おとぎ話を書き終えていた。そして当時の魔界の、シャドウに取り憑かれ行方をくらましたと思われたはずの悪魔たちが、何事もなかったかのように、生きたまま、ふらりと、帰還した。その事件前後の奇妙な異変。その、おとぎ話を書いた時間だけが、まるで歴史から抜き取られたかのように………ね」


 冷や汗が額から落ちた。

 ドクドクと胸が早鐘を打つ。

 これ以上、聞いてはいけないような、探ってはいけないような、知ってはいけないような、そんな、臆病な感情が胸の中で蠢いている。


「じいさんは言ってた。海間損傷を受けた記憶壊滅状態すら、たった三分で蘇生術が自動想起するアスモデウスの、その死ぬまで忘れるという手段が存在しない呪われた脳に、ぽっかり抜き取るほどの記憶操作を施す輩なんて────悪魔でも人間でも、地上の生物の術でも成せない。その上、魔神まじんにしか、成せない、と」


「ま、じん…………神様、が?」


「そう───アレは、魔界は、全生物は、神隠しにあったのだ、と」


 魔界とも、人界とも、神樹を通して天界に君臨する、それがこの両世界共通の、魔神まじん


 神樹が貫く空の上に、魔界の黒き神樹、黒神樹くろしんじゅが貫く空の上に、その繋げた根を守り、両世界に紡ぐ神────それもまた、幻想じみた話なのに、どうして今、これほど現実味を感じるのか。アイスケは、その真意を探るのが、やはり怖かった。


 だけど、昨今、聞かなくてはならない。


「あのお話で………書いてた。その歌声にのせた悲しい哀しい秘められた記憶が、全生物の脳裏へと花咲きましたっ、て……」


「うん」


「天使が伝えた記憶のあるうちに、その、兄ちゃんのじいちゃんは、物語を書いたってこと?」


「うん、そうだ」


「その記憶を、神様は、消しちゃったってこと?」


「そういうこと」


「その歌声は、聴いた者たちの心の影を優しく照らしていきました、って………その、名もなき歌が、支配さえも解く、詠唱になったって、こと?」


「そうなんだよ、アイスケ」


「じゃあ………」


 アイスケは、ゆっくりと生唾を飲み込んだ。


「名もなき物語は、本当にあった話なの?」


 ラムは、返事することなく、鷹揚と頷いた。


 それが、返された、突然胸に穴を開けるような、虚しい、答えだった。


 名もなき物語。

 大好きだった、物語。何度も何度も読んでとねだった、物語。でも、聞くたびに、悲しい気持ちが涙になって溢れ出る物語。


 だけど、信じていたんだ。


 幼い頃、まだ悪を知らないお花畑の頭の中では、願い続けていたんだ。

 

『なんだかねぇ! このじゅうにんぼっちは、またあたらしいせかいで、しあわせなかぞくになれたきがするんだ!』


 それは、きっと、今にも、いいや、今、この状況のために、紡いでいて。


 まっすぐと、穴の空いた胸に刺さった、幼き頃の、純朴な声。


 だけど、どこか、なぜか、今になって、恐ろしく感じる、あの声。


 まるで、あれは、誰だ? と、雲の上から他人を見下げるような、違和感。いいや、喪失感。

 

 何かが────抜けてしまったのだ。


「アイスケ」


 ラムが、静寂の中で静かに言った。


「お前は、知っているんだよ。あの歌を」


 その言葉は、待っていないのに、自然と胸に添い遂げた。

 

 そして、目を瞠った。

 ラムの眼差しは、いつもは気怠げに濁っているくせに、どこか、悲しそうなのだ。


「お前は昔に、歌ったことがあるんだよ」


 いつもはすぐに笑い飛ばてくるくせに、

 何だか、笑うことを一瞬で忘れた人形になったように、成り下げられたかの、ように、


 アイスケを見る兄弟らは、どこか、淋しそうなのだ。


 そして兄は、ラムは、少しだけ押し黙ってから、決心したように、ゆっくりと、告げた。



「お前は────歌える」



 瞳の奥をじっと見据えるように打ちつけた、ラムの強い言葉。


 知らない。知りもしない。

 身に覚えのないことの、はずなのに。


 何だか家族と過ごした記憶の数々が、走馬灯みたく脳裏に浮かんでいって、泣いた顔や、笑った顔や、怪我した顔が、無限に連鎖して、交差して、だけど、どこか、断片的な記憶のかけらが───抜けた、思い出のピースが、どこからともなく、ここだよって、存在を意義して。見つけてくれって、迷子の気持ちが、泣いているようで。


 その抜けたはずの穴が、隙間が、疼いて、疼いて、疼きまくって、心に、叫ぶんだ。


 歌え、と。

 お前が、歌え、と。


 オマエガウタエ、と、いびつに、叫ぶんだ。


 その、恐怖に、従うわけじゃない。

 そんな未知なるもの、従いたくもない。

 だけど、それが、恐怖さえも、あの子を救う手段の一種に含まれるなら───いや、違う。


 あの子を救う、唯一の可能性ということならば。


「……………………うん。分かった」


 頷く以外に、肯定する以外に、選択肢なんて、存在しない。

 子供とか、大人とか、そういうのじゃなくて、そういう次元でもなくて。

 ヒーローで生きる限りは、きっと、ずっと、進むしかない。そういうことだ。

 難しいようで、そんな、単純なこと。


「いや、まだ、分かんないけど………俺は──やる。やってみる」


 そして、その、リーダーの頷きこそが、出陣の合図となる。

 御託を並べるのは、もう十分だろう。

 もう十分、窮屈なほどに、並べ切っただろう。

 もうこれ以上は、化け物じみたこの体は鈍ってしまう。

 舞台はすでに、できあがっている。

 先陣を切る時がきた。

 

 ラムも、うん、と、ちょっと吹っ切ったように言った。

 

「作戦は以上。そろそろ行こうか」


「私も、つれていけ…………!」


 凛が帯をかけて大太刀を背負った。


「お嬢様の危機に何もできない無力な従者など、死んだも同然だッ!!」


 苦痛も噛み殺すような凛の一喝に、伏見ははぁ、と重いため息を吐いて、白衣のポケットから瑠璃色の飴玉、スタードロップを取り出した。

 凛はそれをひったくって、貪るように噛み砕く。


「凛さん」


 アイスケは問う。


「凛さんは、ひまりちゃんを家族みたいに思ってるの?」


「馬鹿なことを聞くな」


 凛は砕けた飴を飲み込んで、睨みを効かせた。


「ひまりお嬢様は私の命よりもずっと大事なお方。みたいな、なんて半端な気持ちの訳があるかっ!!」


 凛は胸に拳を握って、主張した。


「血は繋がらなくとも、かけがえのない家族……………いいや、それ以上の存在だ」


 ああ、やっぱり。

 未来は泣きたくなるほど残酷だけれど、それと同様。

 この世界には、涙の数ほど優しい愛に溢れている。



(伝えなくちゃ、あの子に)



「いいか、タイムリミットはあと十八時間だ。それを過ぎたら、俺は指揮を外され、騎士団全部隊が動く。分かってるな? なかったことにできるのは、それまでということだ」


 守が眉間にシワを寄せて言い放つ。


 十人の悪魔と、鬼の執事が身構えた。

 これはきっと、今宵だけの、最悪で最強のパーティ。


「さぁ、作ってみせようぜ。最高に最強のハッピーエンド!!」


 それが、ヒーローだ。

 その限界など知らないチカラこそが、ファミリーズの武器だ。


「ファミリーズ!! 神樹ノ森へ出動!!」


 小さなリーダーの掛け声のあとに、一斉に地を蹴り上げる足音が響いた。

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